10.お引越

 その日は、朝から大忙しだった。

 別れを告げに行った筈のが、逆に伊達軍伝令隊へ所属することになったあの日……その翌日には関係各所へ通達が出され、早速は三日後から配属されることになった。
 これに慌てたのは、本人だけだった。
 心の準備とか、そんな可愛い問題ではない。

「あの、小十郎様……私無一文なんですが、どこに住めばよいのでしょうか…」

 公私の別は弁えて、他人の目がある所では"様"付けで呼ぶようになったに、小十郎は何も言わなかった。
 流石、誰かさんとは違う……と思っていると、その誰かさんは何でも無いかのようにこう言った。

「あ? 別に今までの部屋でいいじゃねぇか」
「――謹んでご辞退申し上げます、政宗様」
「…、お前本当は馬鹿なんじゃねぇのか? その呼び方はすんなって言った筈だぜ?」
「馬鹿でも何でも構いません。これがお嫌なら、"殿"もしくは"お屋形様"とお呼びいたしましょうか?」
「今まで通りで呼べ。主の命には従うもんだ、特に新入りはなぁ」
「ひ…卑怯ですよ!」
「Ha! そんなんが卑怯なら、この世は卑怯もんだらけだぜ」

 話が思い切り脱線していたが、はその手には乗らないと片方は諦めることにした。

「とにかく、何処の世界に、城の本丸に三食侍女付きで部屋住みしてる新入り兵がいるんですか。どんな掘っ立て小屋でも構いませんから、然るべき所に住処を貸してください! お願いします――政宗さん」

 名前の妥協が効いたのか、政宗は溜息をつくと小十郎にそうしてやれ、と声を掛けた。

「はい。しかし……然るべき所、と言いますと伝令隊の宿舎ですが、あそこは男ばかりの上に確か空き部屋も無かった筈……。弓隊の長屋ならいくらでも空いていたと思いますが」
「身分的におかしくなければ、どこでも構いません」
「そうは言っても、もう何年も使っていないので、中は大分荒れていますよ?」

 蜘蛛の巣と埃にまみれた長屋の想像には若干顔を顰めたが、無理に笑って見せた。

「掃除は嫌いじゃないので大丈夫です! あと三日以内というのが難問ですけど……為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を 成らぬと捨つる 人のはかなさ です!」
「なんだ、その歌は」
「え…さぁ。なんか頭に浮かんだんですけど……とにかくありがとうございました。それでは、早速取り掛かりますので、御前失礼致します」

 そうやって、無事に住処を獲得して掃除に取り掛かって今日で三日目――昨日・一昨日と、丸二日も掃除に費やした。
 現代人のご多分に漏れずも虫は苦手だったが、いつきが手伝ってくれたので氷付けにして処分することが出来たのは最大の幸運だった。
 小十郎や成実、綱元まで手伝いに来た時には流石に追い返したが、城で世話をしてくれた女中の三人も自発的に来てくれたり、ご近所さんたちが手伝ってくれたりと、かなり大騒ぎになってしまった。それとも、これくらいがこちらの常識なのだろうか。
 しかし、それだけの人数を持ってしても、煤や埃を払い、壁や天井の修繕をし、家の中を磨き上げるのに丸二日――いや、拭き掃除は三日目の今日にまで押している。

 引越しとは言っても、自分のものと言えばこの時代に来た時に来ていた道着くらいだったので運び込むものは何一つ無かったが、その代わり、借り受けた支度金で生活用品の一切合切を買ってこなければならないという大仕事が控えていた。

「ヤバイ……間に合わないかも」
「何が間に合わないんだ?」
「だって、まだやることが山ほど……って、政宗さん!?」
「よぉ、調子はどうだ?」

 そう気軽に言った政宗は、着流しだけを身に付けた町人風の格好だった。
 一緒に来たいつきは、ただにこにこと笑っている。

 ご近所の目もあるので仕方なく掃除が終わった場所に上げたが、お茶を出そうにもヤカンや湯のみ一つ無かった。

「お茶も出せなくてすみません。まだ何も無いので……」
「あぁ、気にすんな。今日は手伝いに来ただけだからよ」
「は…!? 手伝いって……政宗さんがですか!? とんでもない! 帰ってくださいっ!」

 半ば悲鳴のように言っただったが、政宗は途端に不機嫌そうに睨みを利かせた。

「手伝いに来たっつーのに、何だぁその言い草は! 俺が手伝っちゃ悪いのかよ」
「悪い悪くないじゃなくて、殿に引越し手伝わせる雑兵なんて有り得ないでしょう!」
「殿じゃなくて、政宗だっつっただろーが!」

 頭をぐりぐりと押さえつけられて、You see? と聞かれた。
 は涙目で恨みがましい視線を返し、溜息をついて降参した。

「もう、痛いです! ……分かりましたよ、I see! つまり、今は殿じゃなくてプライベートの政宗さんだから、遠慮なく手伝って貰っていいってことですか?」
「That's right! そうだ、privateだ。随分呑み込みが早ぇじゃねぇか、見直したぜ、
「……男に二言はありませんね?」
「あ?…ああ、誰に聞いてやがる」

 一瞬間があったのは、野生のカンだろうか。
 しかしはキレイに無視して、政宗の腕を掴むとにっこりと微笑んだ。

「それじゃあ、買物に付き合ってください!」
「は?」
「んじゃ、オラは掃除の続きさやってるべ」
「ごめんね、いつきちゃん。でも助かる! 今度お礼するから、お願いしていい?」
「オラに任せてけろ! たちが帰るまでには終わらせてやるべ」
「ありがとう! それじゃ、行ってくるね。政宗さん、根性で全部回りますから、覚悟してくださいね」
「おい、ちょっと待て、。んな引っ張んな!」

 プライベートでも相変わらず文句は多い政宗を引っ張って、は意気揚々と城下の市に繰り出したのだった。







「…すごく美味しい……政宗さんってホントに何でも出来るんですねー。いいお嫁さんになれますよ」
「Ha、天下人になる男捕まえといてよく言うぜ」

 呆れたように笑った政宗に、も苦笑した。

 ――「この独眼竜に荷物持ちさせるヤツなんざ、奥州広し…天下広しと言えど、お前くらいだぜ、

 ほぼ城下中の全ての店を回り、それこそ馬が要るくらいの大量の買物をほとんど一人で運んだ後の、それが政宗の感想だった。
 政宗曰く、まだ何匹か被っていた猫も全て脱ぎ捨てた――普段通りのとほぼ一日行動を共にして、何事かを悟ったのかもしれない。
 文句が多いのは変らなくても、そこに否定や嫌悪が混じらなくなったのは、慣れたからだろうか――人はそれを"諦め"と呼ぶかもしれないが。

「だけど政宗さん、今日は本当に助かりました」
「当たり前だ。感謝しろよ?」

 の方もこの不遜な物言いに大分慣れたと思いながら、箸を止めずに微笑んだ。

 昼間――は最初の宣言通り、まずは衣類に始まって調理用具、食器、食材、防具に武器といったものまで、軽いものから順に様々な店を覗いた。
 何しろ、借りた長屋には本当に何も無いので、生活に必要な全てを揃えなければならなかった。
 しかし、いざ揃えようと思っても、が居た時代のように『新生活応援宣言』などと言って一人暮らし用の電化製品のセットが売られている訳ではない。
 政宗は生まれ付きのお殿様で下々の生活には疎い面もあったが、例えば井戸や竈の使い方一つにしても、桶や火打石が必要だなんて一人では思いつかなかっただろう。

 実際、貨幣の使い方や物価から分からず、城下町の配置や売買の勝手も心得ていないは、ほとんど政宗に頼りっぱなしだった。
 その上、引越し祝いに料理まで振舞ってくれると聞いた時には、思わず耳を疑った。
 炊事場の使用方法を教えて貰うつもりで、軽い気持ちでお願いしたのだが……

(名人級だよ……)

 いまの目の前には、見た目も味も申し分無しの料理が並んでいる。
 調理の手並みも、それはそれは鮮やかで、は大いに参考になった。
 たとえ四百年ほど先のシステムキッチンがあろうとも、勝てる自信が無かったので何だか悔しい。

「でも、なんで料理までこんなに上手なんですか?」

 伊達政宗が料理好きというのは聞き覚えがあるが、その理由までは勿論知らない。

「んなもん、ただの趣味だ」
「……ただの趣味でこんな名人級だったら、へこみますよ、私」
「HA! そもそもへこむ程の自信があったのかよ」
「む……いいじゃないですか、私だって一応女の子なんですから!」
「へぇ、そりゃ初耳だ」
「……喧嘩売ってんですか?」

 ジト目で睨むとなぜか笑われて、はますます憮然とした。
 折角素直に誉めたのに、釈然としない。

 政宗は早々に料理を平らげ、自分で買い込んできた猪口に、同じく自腹の高い酒を注いだ。
 それを持って、奥の間から覗く縁側に陣取って、月を見ながら杯を傾ける。

「――客をな、持て成すのには、自分で作った心尽くしの料理を出すのが一番なんだと。昔そう母上に言われてな……一時期、奥台所で特訓させられた」
「母上様が……」

 は箸を置いて、無言で月見酒を飲む政宗を見つめた。
 言葉だけ聞けば、政宗のことを思っての言葉のように聞こえるが、辛そうな声音から察するに、あまり良い記憶では無さそうだった。
 それでも政宗が料理を趣味としたのは、辛い記憶だとしても思い出には変わりないからだろうか……

 は小さく深呼吸すると、食べ終わった二つの膳を炊事場へ下げ、政宗がわざわざ作っておいた肴用の煮物を持って縁側へ持って行った。
 途中、奥の間で眠っているいつきに布団を掛けなおしてやり、思わず苦笑する。

「いつきちゃん、すっかり熟睡してますね。今日は随分頑張ってくれたから……」

 買物でヘトヘトになってたちが戻ると、ピカピカに磨き上げられた部屋と胸を張ったいつきが待っていた。
 ――「随分遅かっただな。、どうだ? おら頑張っただ!」
 誉めてほしいと顔に書いてあるその微笑ましい言葉に、は思わず抱きしめてしまったほどだ。
 政宗も珍しく優しい笑顔で頭を撫でていた。

 よっぽど疲れたのか、その後すぐに眠ってしまったのだが……そんないつきのあどけない寝顔を見つめて表情を和らげると、は政宗に向き直った。

「一人で飲んでズルイですよ、私にもください」

 そう言ってちゃっかり持参した猪口を差し出すと、政宗は一瞬目を瞠った。
 しかし、すぐに呆れた視線に変わる。

「俺には手酌で飲ませて、てめぇは俺に酌させんのかよ――つーか、お前飲めんのか?」
「はっきり言って弱いですけど、好きなんです」

 文句を言いながらも注いでくれた政宗に返杯すると、政宗が「タチ悪ぃ…」と呟いた。
 つまりは好きだけど弱い――飲みたがるくせにすぐに潰れるということだから、政宗の言うのも尤もだ。

 軽く杯を交わし、一気に飲み干す。
 喉をひどく熱い液体が通り抜け、喉だけと言わず臓腑も胃も焼かれるようだった。

「キッツ…」

 思わず呻くと、政宗は馬鹿にしたように笑った。

「おいおい、大丈夫かよ、lady(お嬢さん)?」
「お…オフコース! ザッツオーライ…!」

 喉が焼け付くせいで棒読みのような発音になったことに歯噛みし、は二杯目を受けた。
 かなり度数の高い辛口の酒だったが、そう言えばいつか小十郎から政宗は酒に異様に強いと聞いたことがある。

 迂闊な自分を反省しながらも、今度は慎重に舐めるように口を付けて、も政宗の視線を辿って月を見上げた。

「料理って、考えてみたらすごいですよね……」

 前触れも無くそう呟いて、は政宗が作った肴を見つめた。大根も味が浸透しているのに煮崩れしていないのは流石だ。

「そりゃ上手い下手はありますけど、作った人の性格とか気持ちとか出るじゃないですか。ちなみに私が作るとつい自分の嗜好を優先させるので、育ての父には、辛すぎる…食べた人を早死にさせる気か、ってよく言われてました」

 正直両親のことを話すにはまだ心が痛んだが、そのお陰か政宗が視線を投げてきたので、逃げられないように捕まえる。

「それを食べる人が受け取る、受け取らないの問題もあると思いますけど、少なくとも手ずからの料理を振舞われて嫌な気はしませんよね……心遣いが伝われば、もう言う事無しですし」

 こちらの言葉の意図を汲みかねている様子の政宗にぴたりと視線を止めて、は言った。

「政のことはさっぱり分かりませんが……私は、政宗さんの料理をご馳走して貰えてすごく嬉しかったです。母上様に感謝ですね」

 暗くて相手の表情はほとんど読めなかったが、政宗はしばしの沈黙の後、手に持った杯を一気に飲み干した。

「そうか……そりゃ良かったな」
「…はい」

 微かに笑ってくれた気配に、も微笑んだ。

 今までは、相手が踏み込まれたくない部分に、自分から踏み込むようなことは無かった。
 傷付けないように、嫌われないように、見ない振りをして避けてきた。
 政宗にとって母親のことは、間違いなくその領域に当たるだろう。

(それなのに、どうして……)

 なぜ、よりにもよって生殺与奪を握られていると言っても過言ではない政宗のそこに、僅かにでも踏み込むようなまねをしたのか――

 酒の回り始めた頭で自分の行動に首を傾げながらも、は無言で杯を傾けた。

 するとそこに、突然政宗の腕が伸びてきた。

「え……?」

 一瞬抱きしめられるのかと思ったは、すぐに離れた政宗を驚いて見つめた。

「やるよ」

 その言葉にはっとして、自分の後頭部に手をやる。
 高い部分で結った髪の結い目に、覚えの無い紐の感触がした。
 くるくると器用に結び付けられているそれは、恐らく飾り紐だろう。

 政宗が買ってきたのだろうか……一体いつの間に……?

 呆然とそんなことを思ったが、じわじわと胸の辺りが熱くなって自然と顔が綻んだ。

「ありがとうございます」
「……ああ」

 照れているらしい微かに赤い横顔に更に嬉しくなって、も誤魔化すように月を見上げた。

 新居での一夜目は、そうして靄のような穏やかさの中に過ぎていった。






060703

番外.城下制覇戦
CLAP