11.兄弟

 朝夕は大合唱を奏でる蝉の鳴き声さえ弱まる午後――
 夏の生き物も茹だるような暑さに、人もほとんどが参っていた。

 が伊達軍の伝令隊に所属して約一ヶ月――季節は夏真っ盛りである。
 最近ようやく同僚の顔と名前も覚え、仕事や各部署の構成も頭に入ってきたのだが、今年は久しぶりの猛暑だとかで、鍛えた兵たちの中でも体調を崩す者が続出していた。

「暑さで倒れるなんざ、気合が足りねーんだよ、気合が!」

 奥州を統べる立場にあるその人はそう言ったけれど、病気なのだから仕方ない。
 そんな中で、女のは意外にも健康を保っていた。

 元居た時代とこことを比べてみて、何度か首を捻ったことがある。
 確かにここは東北地方でが住んでいた場所よりも北だから、夏でもそんなに暑くないのは分かるが、クーラーも扇風機も無い時代でツライと感じないのは、そもそもの温度が低いのではないかと思った。
 地球温暖化なんてどこか他人事のように考えていたけれど、起動しているだけで熱を発する機械が溢れていた時代のことを考えると、馬鹿にできないような気がする。

 とにかくにとっては冷夏とも言える温度だったので、毎日健康に務めに励んでいた。
 そこに目をつけた小十郎から直々に、倒れた各隊への穴埋めとして様々な雑用も頼まれ、忙しい日々を送っている。

 ローテーションで割り振られた馬の世話や見回りをこなし、臨時の雑用を手伝い、空いた時間で鍛錬に励む――それがの日課だ。

 誰よりも鍛錬が必要なのにその時間が余り取れないこともあり、家に帰るのが遅くなりがちだし、ただでさえ慣れないこの時代での独り暮らしで家事も大変だったが、ツライとか苦しいと思うことは余り無かった。
 日の出と共に起きて日が暮れれば早々に寝る――といったような生活習慣でさえ今までとは余りにも違ったけれど、自分にはこういった生活の方が向いているような気さえする。

「それにしても、やっぱり日差しはキツイな……」

 温度はともかく、この時代でもやはり乙女として紫外線は気になる。
 伝令隊から槍隊への書類を届けた帰り、日陰で涼んでいこうと城の庭に入ったは、懐かしい場所に足を止めた。

「ここって確か……」

 まだがこの城に来たばかりの頃……怪我の治療を受けていながら部屋で寝ているのが落ち着かず、散歩している時に政宗と遭遇した……あの小さな庭だった。
 小さな庭の中に、小さな池――政宗が父から与えられたという箱庭……。

 池にかかる橋が丁度日陰になるのを知って、は以前と同じようにそこに腰掛けた。
 行儀が悪いかとちらりと考えたが、回りに誰もいないのを良いことに、草履を脱いで足先を池に浸した。
 ひんやりとした心地良い感覚に目を閉じる。
 そうやっていると、何だか昔にも同じようなことをした経験があるような気がした。

 自然と浮かんできた元居た時代の童謡を口ずさんだ。
 歌など歌うのは久しぶりで、何だか自分は機嫌が良いのかと他人事のように考えておかしくなった。
 しかし、歌いながら口の端を吊り上げた矢先、背後から突然声をかけられて、硬直した。

「そこに居るのは誰だ! ここで何をしている!?」

 明らかに怒っている様子だったが、あどけない声に、は驚いて振り向いた。

 短い橋の傍に、腕組みをした少年がこちらを睨んで立っていた。
 いつきと同じ年頃だが、髪を高い場所で結い、絹の袴の上下を身に着けた姿は、まさに若様といった出で立ちだ。

「お主言葉が分からんのか!? ここで何をしていると聞いておるのだ! ここは私の庭だぞっ!」

 は目を見開いた。
 小次郎の庭――政宗はそう言っていた。
 ではこの少年が、伊達政宗の弟・小次郎なのだろう。
 れっきとしたこの城の若さまだ。

「あ…申し訳ありません!」

 慌てて足を上げてその場に伏したに、小次郎はふんと鼻を鳴らす。

 ――「七つ離れてるが、これが生意気盛りのクソガキでなぁ……」

 いつかの政宗の言葉を思い出し、は笑いを堪えた。
 確かに、『生意気盛りのクソガキ』に当てはまるが、この年にして既にアイドル顔負けの甘いマスクのせいか、不思議と憎めない少年だった。
 口調が大人びているのも、わざと背伸びしているようで微笑ましい。

 少し話してみたいような気もしたが、一介の下級兵がそれは大それた考えというものだろう。
 むしろ処罰されない内に、さっさと逃げるに限ると判断し、はもう一度謝罪してその場を去ろうとした。
 しかし――

「待て」

 短く呼び止められ、は冷や汗をかきながらもその場に膝をつく。

「その方、何者だ。なぜ女子がそんな恰好でこのような所をうろついておる」
「――と申します。一月ほど前に政宗様に拾っていただき、片倉小十郎様麾下・伝令隊に所属しております」
「女子が軍に――!?」

 驚く声と同時に理由を聞かれたが、兼ねてからの政宗との打ち合わせどおり、本当のことは言わず、戦場に迷い込んで怪我したところを助けられ、政宗に乗馬の才を認められて入隊したのだと話した。

「兄上がそのような人助けを……」

 ぽつりと小さく呟かれた言葉からは、確かな尊敬の響きが感じられた。

(もしかして、すごくお兄ちゃん子なのかな……)

 思って、そう言えばまだはっきりと名乗ってもらえていないことに気付いた。
 勇気を出して、聞いてみる。

「恐れながら、貴方は………」
「ああ、私は小……梵天丸だ」
「……梵天丸様……ですか?」

 一瞬幼名かと思ったが、小次郎の幼名は確か竺丸と言ったはずだ。
 最近元服したばかりというので、成実が教えてくれたことがある。

「梵天丸様は……」

 政宗の弟であることを確認しようとしただったが、短い命令によって遮られた。

「歌え」
「え……?」
「さっき歌っておっただろう。聞いたことも無い歌だが、嫌いではない」
「あ…はい。異国の歌ですので。………下手でも構いませんか?」
「構わぬ」

 それでは、と言い置いて、はもう一度最初から歌った。
 懐かしさに思わず目を閉じると里心がつきそうだったので、そっと隣に居る小次郎を伺った。

 目を閉じて、嬉しそうに耳を傾けている。

(こうしていると年相応ね……)

 心中で呟いて、はそっと微笑んだのだった。








 リーン…と鳴く虫の声を聞きながら、は一息ついて額の汗を拭った。
 そろそろ皆が寝静まるような時刻――元の時代では、まだまだテレビを見ていたような時間帯だ。

 ずっと番えていた弓を置き、辺りに散らばった矢を集めて回る。
 いくら視界の悪い夜の鍛錬とは言え、相変わらずの腕前に肩を落とす。

 それらを全て集め終わると、自分を慰めるように心地良い夜の空気を大きく吸った。

「そう言えば、最近来ないな……」

 呟いて、小休止の為に縁側に座る。

 がこの片倉家武家屋敷の弓隊長屋に越してきて以来、時折お忍びの政宗がふらりと現れては、料理を作ってくれたり、酒に付き合わされたりと、気まぐれのように時間を潰していく。
 毒舌や皮肉は相変わらずだったので、ただをからかって遊んでいるだけじゃないかと思うこともあったが、それらも全て慣れない環境に戸惑っているだろうを気づかってくれているのだろう。

 中々上達しない長弓の指南をしてくれたり、気晴らしに馬でも走らせて来いと白斗を貸してくれた事もある。

 最近は夕食が終わった後に、自宅で弓の手入れをするのがの日課になっていたが、どうせなら夜の戦の鍛錬もしろ、と言って、長屋が空室だらけなのを良いことに、裏に簡単な手作りの的場まで作ってくれた。
 そこで一汗流し、風呂に入って寝るのがの習慣になっていた。

「もう一週間くらい来てないかな……報告したいことがあるのに」

 そういう時に限って来ないんだから……と半ば勝手な理屈で溜息をついた時、表のほうからを呼ぶ声がした。

「政宗さん、裏です!」

 少し声を張り上げると、長屋を迂回して政宗が現れる。

「よぉ、調子はどうだ?」
「相変わらずですよ」

 そんなやり取りの中でも政宗の片手に徳利が握られていることに苦笑して、今日はお酒ですかと笑った。
 先に縁側から政宗を座敷に上げ、も手足を洗ってそれに続いた。

 勝手知ったる何とやらで、政宗は自分用に置いている猪口を出してきて、既に飲み始めていた。
 一旦台所に行ったは、丁度貰い物の柿ピーに似たお菓子があったことを思い出して、それを肴に差し出す。

「初めて見る菓子だな。値が張りそうだが、どうしたんだ?」
「団子屋のご主人に貰ったんですよ。今度からこういうのも扱うらしくて、試しにって」
「Ha-n……相変わらずだな、お前も」

 以前初めて城下町に行った時に商人に大勢知り合いができたのだが、その後に付き添ってくれた政宗から、「どうやって誑し込んだんだ」とにとっては不本意なことを言われた。
 それ以来、彼らには良くしてもらって、いろいろと気を使って物をくれたり、値引いたりしてもらっているが、政宗からはその度にこんな風にからかわれる。

「モテモテで羨ましいでしょう? 焼きもちなんてカワイイですね、政宗さん」
「HaHa、中々おもしろい冗談だぜ、

 これくらいの軽口は日常的だったが、そんな時間が何より安らげることには気付いていた。
 伊達政宗は一国一城の主……いやそれよりも大きな奥州全土を治めている雲の上の人だが、は友達のような気安さを許されている。
 身分も立場も違いすぎるが、せめてこうして衆目が無いところだけでも、友達のような関係でありたいと、少なくともはそう思っていた。
 いつか別れが来ることも分かっているが、少なくともその時まではこうやって何の気兼ねなく向かい合っていたい、と――

「そう言えば政宗さん、話したいことがあったんですよ」
「あん?」
「今日ですね、お城のあの小さな庭で、なんと梵天丸って名乗る方に出会ってですね――」

 瞬間、政宗は盛大に酒を吹いてごほごほと咳き込んだ。

「政宗さん!? ちょっと大丈夫ですか…!?」

「Wait……梵天丸っつったのか?」
「はい、確かにそう言ってましたけど……」
「……梵天丸は、俺の昔の名前だ」
「え……!?」

 どこかで聞いたことがあると思ったら、政宗の幼名だったらしい。
 途端に疑問が解けて、はくすくすと笑った。

「小次郎さんですよ」
「ア?」
「私の庭――って言ってましたから、政宗さんの弟さんだっていうのは分かったんですけど……そうですか~政宗さんの幼名だったんですね。思わず名前を借りちゃうくらい、兄上が大好きなんですね」

 が差し出した手ぬぐいで着物にかかった酒を拭いていた政宗は、盛大に顰めた顔でを見た。

「正気か? お前、会ったなら分かるだろう、あいつは俺のことを嫌ってる――母上にべったりだからな」

 小十郎から少しだけ聞いたことがあった。
 政宗は子どもの頃に疱瘡という病気にかかって右目を失明したのだという。
 それ以来、政宗の母親である義姫は醜いといって政宗を疎み、弟だけを溺愛するようになった。
 失明した右目が飛び出て、それのせいで母の愛情を失った政宗は、小十郎にその目を切り取るように頼んだ。小十郎はそれを受け、その場で主の右目を抉り出したのだ。

 また、伊達家は代々家督を継ぐ者に『次郎』という名を付けると言う。
 政宗が『藤次郎』、そして弟が『小次郎』――兄弟二人ともにその名を与えることは普通は無い。
 それだけ、片目を失った政宗に当主としての不安があったということなのだろう。

 それらの話を聞いた時、は、政宗と小次郎はもっと跡目争いで敵対した間柄だろうと思っていた。
 本人たちの意思はともかく、環境がそのように導いていると思ったのだ。

 けれど、一概にそうでもないらしい。

「……小次郎さんは十二~三歳ですよね? 私には兄弟はいませんから分かりませんが、そのくらいの男の子って、背伸びしたがる年頃なんじゃないですか? そして強い人に憧れる――」
「…………」

 無言の政宗に、はにっこりと笑った。

「私が戦場で政宗さんに拾われて軍に入れてもらったって言ったら、嬉しそうに笑ってましたよ――隠してるようでしたけど、この私の目は誤魔化せません。あれは確かに、『さっすが私の兄上!』っていう得意顔でした」

 モノマネの要領で言えば、政宗はふっと笑った。

「あいつは母上の言いつけでろくに剣術も習えねぇらしいからな。好き勝手やってる俺を羨ましいと思うこともあんのかもな」
「あ、絶対そこですね。政宗さんみたいに、やりたい放題で我侭で天上天下唯我独尊で鬼畜で性悪で――――」
「オイ」

 地を這うような声でツっ込んだ政宗に、は最大限の笑顔を向けた。

「その上強くて優しい兄上が居たら、私だって自慢しちゃいます」
「っ――……」

 目を見開いて絶句した政宗に、は耐え切れずに噴出した。

「………………ぷっ…政宗さん、照れてますね?」
「――俺で遊ぶとはイイ度胸だぜ、。表出ろや」
「嫌です。夜遊びならお一人でどうぞ、殿」

 更に怒る政宗と何とかあしらうと、この日の二人の攻防は夜更けまで続いた。

 が政宗との時間によってこの時代で生きる糧を得ているように……
 願わくば、政宗の心の傷も、ほんの少しでも塞がれば良いと、願いながら――






060807
城は米沢城ということにしてますが、中は青葉城(仙台城)の見取り図を参考にしています。
CLAP