赤のかたみ

「余計なことかとは思ったんだけれど……気になって放っておけなかったの。受け取ってくれる?」

 始まりは、そんなマリアからの通信だった。

 通信に添えられていたのは、その日付けのニュースレターと膨大な資料。
 クォークのリーダーである正義感の強い友人は、FD人たちとの戦い以来、英雄扱いで騒ぐ連邦から身を隠していると言っていたのに、忙しい逃亡生活の合間を縫って何か贈り物をしてくれたらしい。

「これは……!」

 思わず声に出したは、流石に絶句して、そのまま呆然と画面を見つめた。
 表示されたニュースレターには、地球に残されたロストチャイルドの大々的な検挙と、それに加担していた政財界の大物たちの失脚が一面ニュースを飾っていたのだ。

「……あの男が…死んだ……」

 思わず呟いた言葉は自分でも驚くほど空虚な響きを持っていた。
 記事の中には、を買い取って育てた男の名前も勿論あった。ただし、取調べを拒否して自殺したという報と共に。

 連邦上層部の座についていた男――人前では父と呼ぶことを強要されていた。
 仮初の親子。飼い主とペット。主人と下僕。言い方は多々あれど、その中に情などというものは皆無だった。
 異常な回復力の生態を探ろうと、暗い地下の研究室で幾日も監禁されたこともある。ガードの男に暴力を受けた後も、その男がクビになっただけで特に言葉もかけられなかった。

 強大な権力をもっていつか追手を差し向けてくるかもしれないと当初は怯えたものだが、すぐにあの男にとって自分はそれほど執着されていなかったことを思い出す。
 ただの道楽。ただの気まぐれ。

「――オイ、どうした?」
「…アルベル様」

 気が付けば、いつの間にか眠っていたはずのアルベルがの横に立っていた。
 見慣れない文字が羅列する画面に眉を顰め、説明を求めるようにこちらを見る。

「……すみません、起こしちゃいましたか。大したことじゃないんです」

 力なく笑って続いてもう一つの資料を開いたは、しかし今度こそ目を瞠った。

「まさか……お父さん、お母さん……?」

 十数年前にマキシ人たちによって襲撃壊滅させられた辺境惑星の――その事件に関する詳細な資料。そこにあった写真の風景が、彼女の中の僅かな記憶と一致する。そして、惑星の代表として載っていた夫妻の顔写真は、彼女の一番大切な記憶そのものだった。

「アルベル様……お願いがあります。しばらく休みをいただけませんか…?」
「休みだと?」

 こくりと頷いて、は思い直した。
 故郷に一人で立っている自分を想像して、顔を歪める。

「一人でどこへ行くつもりだ?」

 こちらの思考を読んだかのように言ったアルベルを見返して、は微笑んだ。甘えることを教えてくれた相手は、いつも手の届くところに居る。

「いえ――、やっぱりアルベル様も一緒に来ていただけますか?」

 疾風と漆黒の団長が同時に休暇を取るなんて無責任なことは承知していた。それでも、これは必要なことだと心が告げている。
 アルベルはしばらくの瞳を見つめていたが、理由さえ言わない頑なさをどう思ったのか、溜息と共に了承した。






 荒涼とした不毛の土地の中に緑苔生す集落の残骸を見つけて、はその場に降り立った。

「ここです……間違いありません」
「ここが……お前の家か……」

 マリアの通信から一週間後、はアルベルを伴って、例の惑星に訪れていた。

 惨憺たる忌まわしい記憶が眠ること場所に再び来る日が来ようとは、自身も思いもしなかった。
 それも、何にも縛られない自由の身で、愛する人を連れて。

「ふ…ふふ……」
「…何を笑ってやがる」

 突然笑い出したに、アルベルが訝しんで尋ねる。
 は屈んでいた視線の先を指差して無邪気に笑った。

「ほら、見てください。昔私がした落書きですよ。これ何だか分かります?」

 首を傾げて聞いてきたの手元を覗き込んだが、アルベルは何とも答えられないようだった。それはそうだろうとも思う。随分と幼い頃の落書きで、カラフルな染料で描かれたと思しき壁のそれは、大小のいびつな丸の中にみみずのようなものがのたくっているだけだ。

「……新種の虫か何かか…?」

 必死で考えたのだろうアルベルの苦し紛れの答えに、しかしは盛大に吹き出した。
 あまりにも笑いすぎて痛み出した腹部を押さえていると、隣から不貞腐れた気配がして慌てて笑いを引っ込める。
 しかしその拍子に、ぽろりと目から涙が落ちた。
 驚くアルベルの視線を感じて恥ずかしくなったが、止め処なくぽろぽろと零れる涙に、この際一時の恥はかきすてることにした。

「これはね、まだ見ぬ王子様を描いたんですよ。父と母から、いつか私を迎えに来てくれる王子様が現れるって聞いて、わくわくしながら描いたのを覚えています」

 懐かしげに絵をなぞって言ったは、傍らの恋人に意味ありげな笑みを向けた。

「つまり、これはアルベル様ってことです」

 一瞬言葉に詰まって僅かに赤くなったアルベルだったが、すぐにフンとそっぽを向いた。

「お前が迎えに来るのを大人しく待ってる姫だってのか? 自分から飛び出して、無理やり押しかけてきた癖によく言うぜ」
「…王子があんまりにも遅いんで、痺れを切らしたんですよ!」

 確かに、自分から無謀にも広い宇宙に逃げ出し、アルベルの漆黒に無理やり入隊希望したのは事実だが、素直に認めるだけでは悔しいのでそう反論した。
 しばらく喧嘩とも言えないような軽口の応酬を続けると、は落ち着きを取り戻すように軽く息をつく。

「私を買いとったあの男が死んだって知った時、別に悲しくは無かったんです。でも、ずっと本当の両親の仇のように思っていたっていうのに、嬉しくも無かった。ただ……ただ、胸に小さな穴がぽっかり開いたような気分になったんです」

 ただじっと黙って耳を傾けてくれるアルベルが嬉しくて、は小さく微笑むと言葉を続けた。

「でも、今ようやく分かりました。この星で生まれた幼い頃の私。地球で飼われていた無力な私。そして、アーリグリフでアルベル様の隣にいる私。それらは、全部私ですが、同時に別人でもあるんです」

 は一つ息をついて、立ち上がった。
 荒れ果て、廃墟となった屋敷跡の中央に立ち、周りをぐるりと見渡す。

「つまりですね……、あの男の死を知った時、地球にいた私は完全に死にました。そしてここを訪れた今、この星にいた私も死んだんです。でも……」

 涙を拭いて振り向いたは真っ直ぐに向けられる赤い瞳に微笑んだ。

「誰かが覚えていてあげなきゃ、過去の死んだ私が可哀相じゃないですか。だから、ここに来たんです。過去の自分も、両親も、ちゃんと覚えておく為に」

 言ってまた涙が零れそうになったは、背を向けて自分の部屋があった場所に足を向ける。襲撃され焼かれた家にはほとんど何も残っていなかったが、視界の端にきらりと輝くものを見つけた。

「俺も………」
「え?」
「俺も、覚えておいてやる」

 唐突な言葉に驚いて振り返ったは、ぶっきらぼうに顔を背けたアルベルに目を瞠って、やがて破顔した。
 一緒に覚えていてくれると――過去も共に背負ってくれると――そう言ってくれたことがどれだけ嬉しいか、この男は分からないだろう。いや、似たような過去の傷を抱えているのだから、分かっていて言っているのだろうか。

 どちらでも構わないと笑って、は掌のものを差し出した。

「――それじゃあ、かたみ分けです。大事にしてくださいね?」

 自分の懐とアルベルの掌に落としたのは、幼い頃遊んだ小さなガラス玉。赤い輝きがとてもとてもキレイで、物凄く大切な宝物にしていたもの。

 やがてとあることに思い当たったは、くすくすと忍び笑いを漏らした。

 ガラス玉を仕舞いながら、顔を上げたアルベルに笑って、大きく息を吸い込んだ。

「さあ、アルベル様、行きましょう! 次は地球ですよ!」
「あ? 地球だと?」
「ええ、マリアにお礼を言わなきゃ……手伝ってくれたらしいクリフとミラージュさんとフェイトとソフィアにも。それに、いきなり失踪したことを、大学の教授や友達に謝りにいかないといけませんからね」

 アルベル様のことも紹介したいですし。そう付け加えれば、アルベルの眉間の皺が更に深くなった。
 ウマは合っている癖に、どちらかというと"悪友"というカンジのフェイトに会うのが気に入らないのだろう。それに、アルベルはこう見えても結構人見知りなところがある。どうでもいい赤の他人なら平気だが、の知人・友人に恋人として紹介されるのは煩わしいのかもしれない。

「……嫌ですか?」
「……勝手にしろ」

 下から窺うように見上げれば、ぐっと詰まった後にふいと背を向けて先に外に言ってしまった。

 アルベルが自分のそういった仕草に弱いことを知った上で利用したは反省するように苦笑して、懐から赤いガラス玉を取り出した。

 その深紅の輝きは、初めて会った時に強烈に惹きつけられた彼の瞳に似ていた。
 王子様を待っていた頃、宝物にしていた輝き――

 は再び忍び笑いを漏らすと、彼女の王子が機嫌を損ねない内にその後を追った。

 もう二度と、ここに来ることは無いだろう。

 過去は死に、そのかたみを愛しい人と共に抱きながら……
 今の自分を精一杯生きていく――。








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