「タイタス! もうすぐ街が見えてくる頃よ」
地上からは雲に遮られて見えないほどの遥か上空で――風になぶられながらも、地図を片手には言った。
彼女の声に応えて、タイタスと呼ばれた彼女の騎竜であるドラゴンは高度を下げる。
「――あの森の中に降りられる?」
「場所ヲ探シテミヨウ。任セテオケ」
鷹揚に頷いたタイタスは、が態勢を整えると体を傾けて降下した。
急激な降下で目の前に迫ってくる地面にも、は恐怖を感じなかった。
タイタスがに負担がかからないように考慮してくれていることは分かっていたし、もタイタスを信頼していたからだ。
エリクール二号星、アーリグリフ王国。
その王国軍を構成する三軍の一つ「疾風」を統べる団長という地位に、は就いていた。
が団長に就いて――タイタスと出会って、半年ほどになる。
「疾風」は、全員が一人に一頭のエアードラゴンと契約し、それを従えて任務に当たる。
特にが団長になってからは、王国軍全体の編成が見直され、かつて主力であった「疾風」は偵察・諜報活動を主に務めることとなった。
の相棒であるタイタスが公爵級の高位ドラゴンであることから、団長の彼女自ら重要な諜報活動につくのも珍しくない。
この日も、王から指示された街の様子を探りに行くところだった。
実は一週間ほど前から潜入捜査していたサンマイト共和国の辺境村からの帰還途中だったのだが、途中で寄った休息ポイントで、そのまま別の街に向かうようにとの別命を受けたのだ。
体は疲れてはいたが、地理的に岐路からすぐ近くであるし、出直して二度手間になるよりも良いと思えた。
それにこの辺りは豊かな森や草原、湖など、自然の景勝地でもあり、目を楽しませてくれるのでも殊更好んでいた。
一度、仕事抜きでのんびり来られたらと思うものの、日々多忙な中ではそうもいかない。
「ココデ、ドウダ?」
タイタスが降り立ったのは、森の外れの開けた場所だった。周りは高い木々で囲まれており、人里からも遠い。
は了承するように頷いた。
「人目にも付かないし、大丈夫そうね。ありがとう、タイタス。この辺りに潜んで待っていてくれる?」
「承知シタ…」
いつものことなので、短いやり取りをしてはタイタスの背から降りた。
そのまま街の方へ歩き出そうとした矢先、近くの茂みがガサリと音を立てる。
それと同時に生まれる気配――
「誰っ!?」
「誰ダ!!」
とタイタスの声が重なった。
気配がした方にすかさず矢を放ったを、タイタスの翼が守るように後ろに庇う。
しかし、キンという音と共にの矢は弾かれて、驚いた二人の前に、しかめっ面をした青年が姿を現した。
「危ねぇだろうが、阿呆」
「アルベル様!?」
の元上司であり恋人でもある、アーリグリフ軍「漆黒」団長――アルベルは悠々とした足取りで茂みから出てきた。
「何ダ、ドコノ誰カト思エバ、漆黒ノ小僧デハナイカ」
「黙れ、クソ虫」
はいまだに不思議なのだが、アルベルとタイタスは出会った時から仲が悪かった。
タイタスはアルベルの事を「小僧」と呼ぶし、偉大な竜族の――それも公爵級を捕まえて「クソ虫」呼ばわりするのも間違いなくアルベルだけに違いない。
「こんな所にどうなさったんですか? まさか、お一人で徒歩で――?」
両者を取り成すように間に入って、はアルベルに聞いた。
ドラゴンでこそすぐの距離だが、徒歩で行けば地上の敵にも遭遇するし、余計に時間がかかる。
しかしの言葉に、アルベルの方が怪訝な表情を見せた。
「厄介な事態になったからとか何とか、お前が援護を要請したんじゃねぇのか」
「援護?」
アルベルの話によると、からの要請で漆黒から数人派遣するようにとウォルターから打診があったという。
その時丁度アーリグリフで謁見していたアルベルは、漆黒兵を数人出すよりも自分が一人で赴いた方が早いと、ウォルターからルムを借りて駆けて来たらしいのだが――
話の食い違いに首を傾げるの横で、何かに思い当たったのか、アルベルが嫌そうに顔を顰めた。
そして懐から一通の手紙を取り出す。
「そう言えば、発つ時に王からこれを預かった」
「私にですか?」
不承不承といった体で示されたその手紙を受け取り、はそれを広げた。
中に書いてあることにも予想がついているのか、アルベルはそっぽを向いている。
「――これ、宛名が私たち二人の連名になってますよ?」
冒頭だけを読んではそう言ったが、アルベルは相変わらずこちらを向こうとしない。
仕方なく続きを読んだは、問題の数行に目を見開いた。
「任務の変更? 《二人でリャノの街に赴き、そこで三日を過ごすこと》――って、何ですかこれは?」
深々とため息をついたアルベルは、の疑問に答えるつもりはないようだ。
そこで口を挟んだのは、意外なことにタイタスだった。
「ソレハ、王カラノ休暇トイウコトデハナイノカ?」
「え?」
「オッドアイニ聞イタコトガアル。小僧ノ両親モ、ヨク二人デサンマイトヘ出カケテイタト」
「アルベル様のご両親が――?」
アルベルは、余計なことを、という風に舌打ちしたが、は初めて聞く話に瞬きした。
タイタスと王の騎竜であるオッドアイは旧知の間であるらしく、がタイタスに乗って王城を訪れた時は、二頭はよく旧交を温めていたのも知っていたが、まさかそんなことを話していたとは……
しかし、アルベルの両親が二人で来ていたというのは……なるほど、景色も良いし、昔は今よりも国同士の行き来があったというから、この辺りは絶好のデートスポットだったのかもしれない。
任務にかこつけてそういう場所で三日間過ごして来いという王の計らいは、恋人同士という関係を知られているだけに、照れ屋なアルベルにはどういう反応をすればいいのか分からないのだろう。
「…………」
アルベルの態度にようやく合点がいって、は苦笑した。
読み終えた手紙を戻して、その場で弓や胴当てなどの装備を外す。
まとめてタイタスの背に積んだ道具袋にしまってアルベルの前に移動した。
「アルベル様」
改めて呼びかけると、怪訝な顔をしつつもアルベルは顔を上げた。
「三日間、私とデートしていただけますか?」
不意打ちを食らったように目を瞠ったアルベルに笑って、は素早く彼の腕に自分のそれを絡ませた。
「……んな軽装で、敵と遭ったらどうする気だ」
苦し紛れの照れ隠しに、はより一層笑みを深くする。
「もちろん、その時はアルベル様が守ってくださるんでしょう? 今から三日間は疾風団長ではなく、ただのですから。――ね、アルベル…?」
「……仕様がねぇ」
が少し照れたように呼び捨てで呼ぶと、アルベルはこれも照れ隠しなのか横を向いて前髪を掻き揚げた。
「タイタス、そんな訳で行ってきてもいいかしら? 出来たら三日後、この場所に迎えに来てほしいんだけど――」
「……ノ望ミナラバ仕方アルマイ」
いかにも不本意だと言うようなタイタスの了承も貰って、はアルベルと繋ぎなおした手を引っ張るように駆け出した。
「さあ、急がないと日暮れまでに街に着けませんよ? タイタス、行ってくるわね!」
前半はアルベルに、後半はタイタスに向かって言って、は朗らかに笑った。
こんな楽しい気分は久しぶりだと、心の中で王と義父であるウォルターに感謝する。
好きな人と一緒に美しいものを見て、いろんな場所に行って、様々な感情を共有できたら――それは世界一幸せなことだと思う。
傍らのアルベルをそっと盗み見て、は密かに目を見開いた。
一見無表情な彼の顔は、それでもとても穏やかな瞳をしていて――湧き上がってくる愛しい気持ちはとどまりを知らない。
「これが、恋――…」
アルベルと逢うまで知らなかった甘い痺れを胸に、はそっと呟いた。
これからいろんな感情を与えてくれるだろう終わりのない恋を、そっと抱きしめるように瞑目した。