長期戦

「国王陛下の拝謁を賜る! 全員面を上げよ!」

 高く凛とした声が、カルサア修練場に響いた。
 門の反対側に位置する広場には、漆黒と疾風が勢揃いし、視察に訪れた王の眼前に整然と並んでいた。
 それを指揮するのは、年齢だけで見てもここに居る誰よりも若いかもしれず――尚且つ男ですらない華奢な少女――新しい疾風団長・である。

 彼女の号令一下、漆黒は勿論のこと、疾風も一糸乱れぬ動きで敬礼を取った。
 それを見て、彼――新たに漆黒副団長に就任したラドフは満足げに笑う。
 を入団前から知っているラドフとしては、妙に感慨深いものがあった。それと同時に、疾風団長になったばかりの…つい先日の出来事が思い出されて、声を上げて笑い出しそうになるのを懸命に堪えた。



 が”ウォルター”姓を名乗って僅か一週間後、正式な通達が降りて新たな疾風団長が誕生した。

 一時期国から姿を消し、一月前にふらりと戻ってきたと彼女の恋人にして漆黒団長のアルベルは、星の船と関わる場所で星全体の存続をかけた大変な活躍をしてきたらしい――その叙勲式が盛大に行なわれたのと同時に、の疾風団長就任も正式に叙された。
 王の覚えもめでたい…というか、かなり気に入られているにこと関しては、彼女の義父であるウォルター伯爵も王もかなり過保護になる。
 の就任に少なからず不満を持っていた連中も、その大々的な叙勲式で、大体が納得したようだった。

 だが問題は、不満などというかわいらしい感情では収まらない頭の固い連中である。
 特に疾風は、前任のヴォックス伯爵が武力主義の鷹派であった為、唯一の女兵士で若輩でありながら団長になったへの風当たりは相当キツイだろうと思われた。
 その頃ラドフも漆黒副団長への就任で慌しくしていたせいで実際に見聞きした訳ではないが、疾風内のに対する嫌がらせや侮辱の噂は耳にしていた。
 それは男のラドフでさえ耐えられるかというようなひどい内容だったし、噂はあてにならないとは言え、実際もそれに近いことが行なわれていたのだろう。

「……お前、大丈夫なのか」

 仕事で久しぶりに修練場を訪れたに、流石のアルベルもそう尋ねていた。
 二人が恋仲であることは漆黒の…いや、アーリグリフ軍全体の中で周知のことであったし、その頃はまだ疾風の本拠地が王城であったこともあって二人はほとんど顔さえ合わせられない日々だったのだから、アルベルが心配するのは尤もだっただろう。
 しかしは、数度目を瞬いた後にようやく何のことだか合点がいったのか、にっこり笑ってこう言ったのだ。

「あんな子供だましのイジメなんて、別にどうということはありませんよ。今はあまりにも杜撰な疾風内部の組織見直しに手一杯ですが、落ち着いたらまとめて片付けますから」

 あまりにもあっけらかんと…何でもないことのように言うので、強がりというようにも見えなかったのだが……それでも心配なものは仕様が無く、それはアルベルも同じだったらしい。
 さほど重要でない仕事を見繕っては、度々王都へと足を運んでいるアルベルを見て、かわいいところもあるな…と彼より年上であるラドフは微笑ましく思ったものだ。

 しかしある日を境に、あれだけ五月蝿かった疾風内部の噂がぱったりと聞こえてこなくなった。
 不審に思ったラドフはアルベルに尋ねてみたのだが、その答えはひどい渋面だった。

「流石元ヴォックスの部下だけあって、疾風も腑抜けだらけってこった」
「……そんな奴らをまとめなきゃいけないも大変だってことですね」

 アルベルの言葉の意味を図りかねて、無難に返したつもりだったラドフに、アルベルは心底疲れたようなため息をついた。

「アイツがそんなクソ虫共を大人しく抱えてるタマか」
「え?」
「前に、シェルビーに加担してを捕まえてた奴らがどうなったのか……もう忘れたか?」
「……まさか」

 これにはラドフも思わず絶句した。
 後に聞いた話によると、本人曰く「組織見直し」に一区切りがついたのか、新疾風団長殿はある日唐突に実戦演習を提案したという。
 項目は、個人戦闘演習と集団戦闘シミュレーション。
 前者は一対一の手合わせで、後者はバトルチェス版を戦争時の配置に見せかけた頭脳勝負だ。
 どちらも疾風一人ずつを団長である彼女が相手にするということで、自分の力に絶対の自信を持っていた鷹派の連中も意気込んでいたらしいのだが……
 結果は、呆気なくの全勝。
 頭脳戦はともかく、実戦でもあの猛者たちをのしてしまうとは、彼女の師匠であったラドフも鼻が高いを通り越して何だか寂しい。

 その後日に焔の継承に挑み、見事テンペスト級のドラゴンまでも従えて来たは、そうやっていとも簡単に疾風内の不満分子を沈黙させてしまった。
 更に、が大人しくしていた間に物騒なことを企んでいたらしい過激派たちも、いつの間にやら適当な処分を食らって追放されており――
 が就任して一月後――疾風御一行がカルサア修練場に本拠を移した今日になってみると、全ては丸く収まっていたという訳だ。

 その一ヶ月間のアルベルを近くで見ていたラドフは、笑いが登ってくるのを禁じえない。
 を心配しながらも立場上何の手助けも出来ず、の方は周りの心配を他所に結局誰の手も借りずに乗り切ってしまった――そんな恋人を持ったアルベルは、さぞや複雑な心境に違いない。
 見るからに非力そうなが、あの歪のアルベルをこれほど骨抜きにしてしまうなど……一体誰が想像できただろう。
 ラドフとしてはそんなアルベルを見ているのは楽しかったが、彼女を心配し彼女に会えない日々が続いて日に日に不機嫌になっていくアルベルのとばっちりを受けるのだけは勘弁願いたかった。
 尤もそれも、疾風が修練場に引っ越してきた今日までだろうが……




 国王自らの本拠移転の視察も滞り無く終了し、ラドフとアルベルは修練場内部の施設利用の相談の為にの元へ向かっていた。
 組織の構造上、疾風団長であるの部屋は漆黒団長でありこの修練場の責任者でもあるアルベルの部屋と同じ階にあるが、最も遠い位置にある。
 当初はの方から出向くと言っていたのだが、どうやら急な仕事が入ったらしく、アルベルの方が腰を上げたのだった。

「アイツ、もう部屋に戻ってますかね」

 ラドフがアルベルにそう話しかけたときだった。
 彼女の部屋の近くまで来た廊下の辺りで、ふと聞き慣れた声が聞こえた。
 どうやら心配した通り、はまだ部屋に辿り着けないまま部下に捕まっているようだ。

「じゃあ、それでお願いね」

 何か細かな指示をしていたのだろう。
 そう締めくくって、は離れようとした。しかし、それを呼び止める声がかかる。

「あ、団長……首のタイが…」
「え?――ああ、いつの間にか曲がってたのね。普段着慣れない服だから……」

 曲がった廊下の先に、とその部下らしき男が立っていて、ラドフはぎょっと足を止めた。
 男はよりもやや年上といった若者だったが、ラドフには見覚えが無い。最近入隊したばかりなのかもしれない……
 だがそんなことよりも問題は、その男がの細い首に巻かれたタイに、間近から触れているという事実だった。

「そう言えば、普段はあまりこういった装飾品を付けられませんよね」
「そうね……嫌いじゃないんだけど、似合わないし」
「そんなことありませんよ。団長は十分魅力的です」
「ふふ、お世辞でもありがとう」
「お世辞なんかじゃないですよ、俺は本当に……」

 カツンと廊下に足音が響き、今までラドフの隣にいたはずのアルベルがいつの間にか目の前の二人の傍にへと移動していた。
 その手は、の肩へと移動した男の腕を強く掴みあげている。

 漂ってくる絶対零度の冷気に、顔を引きつらせたのはラドフだけではなかった。
 腕を掴まれた男も、までもが青くなっている。

「オイ……」
「は…はいっ!」

 ジロリという眼光と共に向けられた言葉に、は引きつった声で答えた。
 その刹那、アルベルの腕が動き、男の身体が簡単に宙に舞った。
 哀れな疾風の新米はあっと叫ぶ間も無く、ドンという大きな音と共に背中から落とされた。

「アルベル様!?」

 非難するように叫んだは、息が詰まって呻いた新入りに駆け寄ろうとしたが、その腕は彼女の恋人によって引き止められた。

「行くぞ」

 言葉少なに言い捨てたアルベルは、有無を言わせずの腕を引いて歩き始めた。

「う……」
「………大丈夫か、お前」

 頭を振りながらよろりと身を起こした新米に、ラドフは哀れみの声をかける。

 去っていく二人を目で追うと、なおも言い募ろうとするの口をアルベルが無理やり塞いだところだった。
 抵抗する体を強く抱き寄せることで封じ、力が抜けるように仕向けられた口付け――。

 これは、今日は仕事にならないな……

 ラドフが思った矢先、ようやくアルベルから解放されてラドフと目が合ったは、顔を真っ赤にさせた後、何やらゼスチャーを送ってきた。

 両手を顔の前に合わせ、新米を指差して、もう一度ラドフに向かって手を合わせる。

 ――どうやら、この新米を手当てしてやって謝っておいてくれ、と――もしくは、単に後のことを全部頼むという意味だろうか――

 ラドフは深くため息をつくと、哀れな新米を引っ張りあげた。

「お前……、覚悟しといた方がいいぞ」

 脅しでも何でもなく、心からの警告で言ったラドフの言葉に、新米はさらに真っ青になった。
 何も、アルベルの恋人であるにわざわざ手を出さなくても――思わず呆れてしまうが、新米だけあって知らなかったのかもしれない。

 そもそも、それよりも一番哀れなのは、とばっちりを受けたかもしれなかった。

「……また、仕事が溜まるな……」

 呟いて、ラドフは軽く頭をおさえる。
 双方の団長を欠いて、漆黒も疾風も、仕事に大影響を及ぼすことは必死だ。

 これからも、ことあるごとに起こりそうな展開に、諦めのため息をついた。

 長期戦には、持久力が必要だ――
 自分に言い訳するように頷くと、新米はその場に放置して、ラドフも自分の恋人の下へと足を向けたのだった。








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