かくれんぼ

 柱と柱の間を素早く駆け抜け、身を隠す。
 自分の気配を消して――足音を立てず、存在を悟られず。
 けれど、腕の中のものだけは大切に抱えて……少しでも衝撃をかけないように。

 その時私は、重要な任務の真っ最中だった。
 場所はいつものアーリグリフ領内――漆黒本部のおかれているカルサア修練場の中。
 いつもある人を探して歩き回っている為、抜け道やその他人目につかないルートなどにも通じているが、今日は目的がまるで正反対だった。

 そう――今日…今だけは、あの人に見つかってはならない。
 だから、最短ルートでは無く、わざわざ一階の物置から二階に上がり、大きく遠回りするルートを通っていたというのに……

「………こんな所で何をしている?」

 ギクリとして、私は身を竦ませた。
 顔から血の気が引き、冷や汗が流れる。

「ア…アルベル様……」

 それは私の台詞だ――!
 心の内で叫びながらも、私は何とか気力を振り絞って振り向いた。

 そこには、崩落した柱の影に身を預けて、どうやら珍しく読書でもしていたらしい彼が胡散臭げにこちらを見ていた。
 多分、人気の無いところで誰にも邪魔されずにゆっくりしたかったのだろう。

 他の漆黒隊員たちに目撃されるのを避けるためにこういうルートを取ったのだが、それが裏目に出てしまった。
 この時間帯、本来なら彼は執務をしている筈なのに――

「…アルベル様こそ、何をしておられるんです? 確か今はお仕事中のはずですが――」
「終わらせた」
「え……?」
「今日は小うるさいことを言うヤツがいなかったんでな――いつもより随分はかどった」

 それは私のことですか――
 アルベル様が冗談交じりで言っているということくらい分かったけど、そう正面きって言われれば少なからず傷つく。
 しかし、その一瞬の隙が仇となった。

「ん? それは――…」

 項垂れた一瞬に、後ろ手に隠していたものが見つかってしまったのだ。

「あ…これは……」
「俺のじゃねぇか。…ああ、修理に出してたのが出来てきたのか。ご苦労だったな」

 珍しい労いの言葉と共に、よこせとばかりに腕を差し出されて今度こそ私は真っ青になった。

 アルベル様のガントレット――
 先日、だいぶ戦闘で酷使してきた為の不具合が出てきて、カルサアの鍛冶屋に修理に出したものだ。
 今日出来上がるというので、私が今しがたそれを引き取ってきた所なのだが――

「え……と、ここで付けられるんですか?」
「ああ、やっぱ馴染んだやつの方が使いやすい」

 きっぱりと言ったアルベル様に、しかし私も譲る訳にはいかなかった。

「あの、そ…それが一つ足りなかったパーツがあったらしくて、まだ修理は終わってないそうなんです。だから――その――そう、ウチの武器庫にそれを取りに行かなくちゃならなくて――」
「……嘘だろ」
「え…え!?」

 一言で切り捨てた彼の言葉に、冷や汗が流れた。
 そんな私を見遣って、アルベル様は深いため息をつく。

「お前の嘘はみえみえなんだよ。――いいからよこせ」
「う…嘘じゃありません! これは私が武器庫に持っていきますから!」
「よこせっつってんだろ」
「い…嫌です!」

 最初は言葉だけであったはずが、いつの間にかガントレットをお互いに引っ張り合っての取り合いとなっていて……しかし力で私がアルベル様に敵うわけも無く、彼が少し本気を出した途端にあっさりとバランスを崩した。

「きゃぁっ!」
「く……!」

 数年来清掃もされていなかった部屋に盛大に転び、濛々と埃が上がる。

「う…ごほ……すみません」
「つ……てめぇ、簡単に力抜いてんじゃねぇ! もっと気合入れて修行しろ!」

 視界が晴れてきて、思ったより近くにアルベル様の顔があって、鼓動が急に速くなった。
 埃で喉を痛めたのか、掠れた声が間近から聞こえて顔が熱くなる。

 もう一度咳き込んで涙目のまま彼を見上げた時だった。
 赤い瞳もこちらを向いていて、不意に視線が合わさる。

 目が離せない――

 そのまま時が止まってしまうかに思えたその時、

「にゃー……」

「………」
「………………………」

「タマ!!」
「………………タマ?」

 すっかり失念していた存在が弱々しく主張してきた声に我に返って、私は慌てて転んだ際に放り出してしまったガントレットに駆け寄った。
 パカリと腕の部分を外して開けると、中から白い子猫が目を回して転がり落ちてきた。

「ああ! ごめん、タマ。しっかりして!」

 カルサアの街で拾った子猫……栄養が足りなくて死にかけていたのでとにかくミルクをあげたものの、まだその衰弱は明らかで、自分の部屋に連れ帰って看病しようと決めた。
 けれど、軍内は勿論ドラゴン・ルム・馬以外の動物は禁制。
 だからこうやって、怪しまれないようにアルベル様のガントレットに隠してこっそり持ち込もうというのが自らに課した重大任務だったのに……

 ガシ……
 後ろから強く掴まれた肩に、私は恐る恐る振り返る。

「っっ………!!」

 逆光で表情の読めないアルベル様が、いっそ死にたくなるくらい怖かった。





 その後、たっぷり漆黒団長自らのお説教と罰則を食らい、ついでにタマも取り上げられた。
 マユの情報によれば、アルベル様は珍しく熱心に看病してくれたらしく、タマはすぐに元気になったという。
 それなのに一度も会わせてくれないのは、やはり嫌がらせかとも思うのだけど……

 私が拾ってきた猫をアルベル様がかわいがっている――

 そんな噂が漆黒内に流れていることに、何だかこそばゆいような恥ずかしさを覚えてしまったのだった。








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