青天の霹靂とは、まさにああいうことを言うのだろうと、は身を持って体験した。
――「・ウォルターよ、我が竜騎士団の長・疾風団長としてその力を振るってくれ」
間抜け面、とアルベルに言われるような顔をはしていたらしいが、それも当然。
言われた言葉の意味を、はすぐには理解出来なかったのだ。
「でも……よりによって、疾風団長って……」
呟きは、カルサア修練場の広い闘技場に流れて消える。
アルベルのサボり場所であったここは、今ではの休憩ポイントにもなっていた。
あの後……
「――少し考える時間をいただけませんか…?」
100%本気の王を前にして、はそう言うのが精一杯だった。
早速保護者ぶりを発揮してくれたウォルターの口利きもあって、一週間という猶予を与えられて修練場に帰ってきたのだが……
猶予が終わればどういう選択をしたにせよウォルターの屋敷に引越しだし、アルベルの副官としての仕事も溜まっているし、実際の所はゆっくり考えられる時間などほとんど無い。
それでも考えなければどうにも動けないのだから、困ったものだった。
「疾風……か」
少し前までヴォックスやデメトリオが纏めていただけあって、軍の改革を終えた今でも少数のタカ派が幅をきかせていると聞く。
以外の女兵士が皆無のアーリグリフ軍において、女が団長などと果たして彼らが認めるか――答えは火を見るよりも明らかだろう。
だが王は、なら大丈夫だと妙に自信たっぷりに言うのだ。
その根拠を聞いてみたところ、力と教養と家柄を重んじる彼らには、模範試合でもして力を見せ、策謀の一つでも用いて膿を出せばすぐに大人しくなるという。
エアードラゴンに乗れないと言ってみても、王の騎竜オッドアイがをいたく気に入っていたらしく、それならば他のドラゴンもすぐに扱えるだろうと笑う。
また、疾風は軍の一番槍――疾風団長がアーリグリフ軍の総責任者だと聞いている……そんなの不安を見越したのか、シーハーツと戦争中だった以前とは状況は異なるから、今後は漆黒を中心とした軍を編成していくのだと説明された。むしろ、疾風は諜報活動などが多くなるだろうし、にはうってつけだとも……更に、今後疾風兵自身もエアードラゴンの上から遠距離攻撃が出来るように強化したいということで、に弓の指導をするようにとまで頼まれた。
そこまで考えた上での決定だと暗に告げられ、更に疾風の本拠を漆黒と同じカルサア修練場に移しても構わないなどと、妙な配慮までされて、とても断り辛い立場になってしまった。
外堀を埋めて交渉事を有利に導くのはの得意分野の筈だったが、今回ばかりは完全なる出遅れ。王にしてやられてしまったというわけだ。
「はぁ……」
思わず盛大なため息をついた時だった。
背後に近づいた気配に気付き、は身を硬くする。
「まだ悩んでやがるのか、テメェは」
呆れたように言ってくれるアルベルに振り返ることもせずに、はツンとそっぽを向いた。
城の地下洞の調査を終え、報告の謁見で爆弾発言をされ――たちが修練場に帰還して三日。
団長と実質副団長という二人は、その謁見の直後から――――喧嘩していた。
とは言ってもが一方的に怒っているだけなのだが、この二人の場合はこれがミソで、いつも明るくアルベルに対しては特におおらかながアルベルをあからさまに無視している。
こんなことは初めてなので、当然、二人の間……にとどまらず周りまでもが冷たい空気に晒され、漆黒の団員達は甚だ迷惑していた。
原因は些細なこと。
修練場への帰り道、謁見の内容に呆然と考え込んでいたに、アルベルが声を掛けたのだが、それが……「オイ」だの「テメェ」だの「阿呆」だのといつもの調子だった。
普段ならそんなこと気にも留めないだったが、悩み事に頭を痛めていたこともあってついつい頭にきてしまったのだ。
「私の名前はです! ちゃんと名前で呼んで下さい!」
それに対してのアルベルの答えはたった一言――「面倒くせぇ」
一応、恋人…と言えるような関係なのにも関わらずあまりと言えばあまりの言葉に、が完全に臍を曲げてしまったというわけだ。
そう言えば、今までにも滅多に名を呼ばれたことは無い――
気付いてしまえば余計に悔しくて、自分がいつも「アルベル様」と呼んでいるものだから尚更だった。
喧嘩した後、仕事でどうしても声を掛けなければならなかった時に意趣返しに「団長」と呼んでみたら、今度はアルベルまでムッとした表情になり、二人の喧嘩は泥沼にはまってしまった。
「……何かご用ですか?」
近づいてきたアルベルに、顔を背けたままは言った。
我ながらかわいくないと思うものの、一度口から出た言葉に後悔しても遅い。
「…………………」
お互い口を開けず、気まずい沈黙が支配した。
はそっとため息をつく。
本音を言うなら、早く仲直りしたい。
疾風団長の件だってまだ一言も相談できていないのだ。不安を打ち明けて、背中を押して貰いたい。
けれど――……
冷静ではない今の自分では、このままここにいたらどんな暴言を吐いてしまうか分からない。
ここは、とにかく逃げるのが一番だと判断した。
「――失礼します」
涙声にならないように力を入れて告げると、さっと身を翻す。
しかし、足早に去ろうとしたの手はアルベルに捕まえられてしまった。
振り返ったとアルベルの視線がここに来て初めて合わさる。
「…………わ……」
アルベルが何事かを口にしかけた時だった――
シュン…と空気を裂くような独特の音が響き、突然良く知った顔ぶれが現れたのは。
「あれ、にアルベル!」
「おっ、グッドタイミングじゃねぇか……って、そうでもないか」
最初は笑顔を見せた突然の訪問者――フェイトとクリフは、しかし目の前の状況を見てすぐに顔を強張らせた。
「……?」
眉を潜めたフェイトの視線に気付いて涙の溜まった目元を慌てて擦ると、体の大きなクリフの背後に隠れた。
とっさに手を離してしまったアルベルは、忌々しげにフェイトたちを睨む。
「何しに来やがった、クソ虫共が」
「おーおー、相変わらずなご挨拶だこって」
「何してるはこっちの台詞だぞ、アルベル。を泣かすなんて――」
三人が一気に険悪なムードになったのに慌てて、は間に割って入った。
「違うの、フェイト。ただ単に私が――」
「テメェらには関係ねぇ」
の言葉を遮って冷たく言い放ったアルベルに、食ってかかったのはフェイトでは無かった。
「……そんな言い方は無いんじゃないですか。フェイトとクリフは心配してくれてるのに……」
フェイトたちを庇うようなこの発言に、アルベルも眉を顰める。
「こっちが頼んでるわけでもねぇのに余計な世話なんだよ」
「それなら、私が悩んでいようがどうしようが、それこそアル…団長には関係ないことです!」
「――こっちだって好きで構ってる訳じゃねぇ。部下の面倒を仕方無く見てるだけだ」
「私だって――……大体、いつも無茶ばかりする団長の尻拭いを誰がやってると思ってるんですか!?」
「テメェの方が無茶しすぎなんだよ、阿呆が!」
「私がいつ無茶したって言うんです!?」
「この前正体も分からん敵に突っ込んで行ったのはどこのどいつだ!?」
「あれは……!」
は思わず言葉に詰まって唇を噛んだ。
アーリグリフ城地下洞で、死人の王ロメロと戦った一戦――……
自分なりに勝算はあったつもりだが、よく考えたらその勝率は決して高くは無かった。無茶と言われても反論出来ないが、素直に認めるのは何だか悔しい。
――だって、あの状況で頭にこない方がおかしい――
結局、ロメロにやられた仲間たちの遺体は灰の一欠けらすら残らず、連れ帰ることが出来なかった。
レアレイズ同士というのが本当だとしても、人の命を物のように弄ぶロメロに仲間などと言われたくない。
アルベルの補佐としてあそこに赴いていた自分が、そのアルベルより熱くなってしまった――それは確かな負い目であっただけに、は悔しかった。
(そもそも、アイツが悪いのよ! あのロメロが――)
が心の中で八つ当たりに近いことを思った時だった。
≪ようやく我のことを呼んだな≫
聞き覚えのあるぞっとするような声が、ひどく間近から聞こえた。
驚いて目線を下げると、腰に差したダガーが青白い光を放ってゆっくりと宙に浮くところだった。
浮いたダガーは黒い瘴気を吐き出し、やがてそれは人型を取った。
「テメェは……!」
「ロメロ――!!」
素早く刀を抜いたアルベルとが叫んだのはほぼ同時――
件ののダガーで倒した筈のロメロは、以前見たときと同じく赤い剣を携えたままでその場に現れた。
≪お前が我の名を紡ぐこの時を待っていた――≫
そう言ったロメロはふっと一瞬掻き消えたかと思うと、の背後に出現してその体を拘束した。
「なっ……!」
「!!」
あまりのことに呆気に取られていたフェイトとクリフも、我に返ってロメロに構える。
しかし、その時には既に遅かった。
腰に回された手でガッチリと捕まえられたの身体は、ロメロと共に浮上する。
「っ……離して! 一体何の――」
何のつもりだと問おうとしたの言葉を先回りして、ロメロは低く笑った。
≪そなたを迎えに来たのだ。約束通り、我の隣に置く為に――な≫
言葉に込められた剣呑な気配に、が思わず背中を震わせた時だった。
ゴォという音と共に、竜の形を取った炎がすぐ傍を駆け抜ける。
下を見ると、アルベルの赤い瞳がこちらを睨んでいた。
「そいつを離しやがれ、このクソ虫が…!!」
静かな…その分激しい殺意と怒りが、ロメロに向かって放たれる。
流石のロメロも怯んだ隙には逃げ出そうとして身を捩ったが、急な上昇にその機会を失った。
≪獣の目――我が相手をしてやる価値は無いな≫
ロメロが言ったと思った途端、スッとの視界が遠ざかる。
この場から去ろうとしている――
理解しても、にはどうすることもできなかった。
「っ…アルベル様……!」
無意識の内に助けを求めたその声も聞こえたか聞こえないか分からぬままに、はその場所から連れ去られたのだった――
05.5.21