番外.鳥籠1

 どこからともなく落ちる水音と、鉄格子を軋ませ岩壁を渡る微かな風の音だけが、そこにはあった。
 その他には長い間動かない静寂が横たわっているだけだ。

 今、その中を二つの足音が進んでいた。
 一定のリズムで響くそれは、閉じられた空間に反響していた。


 ――アーリグリフ城地下洞――
 今でも使われている牢獄とも、そこから伸びる地下水路とも別の場所――先日偶然発見された未知の空洞だった。
 何十年…何百年封印され続けてきたか知れないその場所は、夥しい数の牢が連なり、血の臭いと怨唆がいまだこびり付いている。

 しかし、そんな薄気味悪い地下であるにも関わらず、天井近くから漏れる外界の光のお陰で十分に明るい。
 本来なら暗闇である筈のこの空間に差し込む陽の光は、長い間動いていない淀んだ空気の中に流れるどこか神聖なものに似ていた。

 明と暗、聖と邪、相反するもの同士が、ここには存在している。


「フン、まさか城の地下洞にこんな所があったとはな…」

 静寂の中にこだまするように、その声は静かに響いた。

「アルベル様も、陛下もウォルター様も知らないだなんて、一体どのくらい前の施設なんでしょうね…」
 
 答えた声も同じように響いて、二人の存在を浮き彫りにした。



 世界の存亡をかけた戦いからとアルベルが戻ってようやく一ヶ月……漆黒内の再編成もようやく形になってきた矢先の出来事だった。

 発見された城の地下洞の存在は、誰もが知らないもので、文献などを漁っても記述が無い。
 いつ頃、誰が、何の為に作り、どんなことに使用されたのか……全てが闇に包まれている。

 その調査の任が漆黒に与えられたのが今から一週間ほど前のこと。
 アルベルは、の意見を容れた人選で調査隊を編成し、派遣したのだが……


「精鋭を集めた調査隊は帰還せず……か」

 アルベルの言葉に、隣を歩いていたの表情も沈んだ。
 一週間経っても戻らない調査隊……様々な理由が考えられるが、最悪の可能性が一番高い。
 それでも、もし単に迷って戻れなくなっているのなら救助が必要だ――彼らへの心配と、そして任務は果さなければならないという責任から、こうして団長自らがやってきた。
 同行を願い出たは一旦は拒否されたのだが、あの戦いをくぐり抜けて、戦闘力だけで見ても、はアルベルに続いて漆黒内でナンバー2の実力者となっていた。それを盾に取れば、アルベルも団員たちの手前簡単には無下に出来なかったのだ。

 少々強引な手を使ってついてきたせいか、アルベルの機嫌は些か悪いようだったが、それでもこうした場所を苦手とするを時々気遣ってくれる。
 だからこそ、は過去を振り返らずに平然とこの場所に立っていられるのだが……

「手柄を焦ったか、ドジを踏んだか…。この程度の任務は十分こなせると思っていたんだが、どうやら見込みが甘かったようだな」

 はギュッと拳を握り締めた。
 口は悪いが、アルベルは責任を感じている。そして、そのアルベルに人選を助言したも同じだ。

「大して役に立たねぇクソ虫共だったとは言え、遺体くらいは回収してやるか……」
「…………」

 調査隊の中には、が入団当初から親しくしてきた団員たちも居た。
 そんなに長い間では無いが、一緒に訓練し、任務にあたり、寝食を共にしてきた仲間だ。
 彼等一人一人には家族も居る。それなのに……

 そこで、突然空気が揺れた気がした。
 はっと顔を上げた二人の前方の空中から、低い声が奇妙な響きで降ってきた。

 ――《ふむ……、また客人のようだな》

 ぞくりと、背筋が粟立つようなその声音――
 凍りつくをその背に隠すように、アルベルが前に出た。

 ――《6匹の次は1匹か。蛮勇か…それとも無謀か……》

 空気が揺れて、前方に声の主が姿を現したことが分かった。
 アルベルの背に隠れたからはその姿は見えないが、相手が人ならざる者であるというのだけは感じる。そして、今までには感じたことのない感覚――

《多少は剣に覚えがあるようだが、所詮はこの世界の住人。我の敵では無い。大人しく帰るが良い。それとも、前に来た者共と同様、物言わぬ我の僕となることを望むか?》

 ――マエニキタモノドモトドウヨウ?
 の呼吸が刹那止まった。
 それでは、調査隊は全員この相手に………

「ほぉ…、てことは、テメェが全ての元凶か……」
《だとしたら、どうする?》

 認めるその言葉に、はカッと頭の奥が熱くなるのを感じた。
 すぐ傍のアルベルからも強い殺気が発せられて、相手へと向かう。

「楽に死ねるとは思うなよ。殺して下さいって懇願するまでテメェのツラにこの刀を叩き込んでやる」
《クックックッ、勇ましいものだな。だが……》

 言った途端、またもや空気が揺れて気配は素早く遠ざかった。

《死の神フォスターによって生み出された神々の眷属たる私が、貴様のような下等生物を自ら相手にするわけが無かろう! コリマ・ラクサ・ミズーア・サズカ…。出でよ、我が僕共よ!》

 キィン…と、耳鳴りのような音を響かせて空間が歪む。
 次の瞬間には、新たに6つの気配が出現していた。
 しかし、どうにも様子がおかしい……敵の僕であろうはずの新手は、殺気というよりも困惑……そして苦痛と悲しみの息遣いが聞こえる。
 そして、彼等から漏れた言葉に、は自分の耳を疑った。

《タイ…、タイ…、タイ…、タイチョオォォォォォォォォ……》
「こいつらは……チッ、このクソヤロウがぁっ!」

「アレン!? トーマ!?」

 我慢できず、ばっとアルベルの後ろから飛び出したの視界に入ってきたのは、変わり果てた仲間の姿だった。
 朽ちた死体に仮面を着けたモンスター……かつてはアレンであり、トーマであったもの。

 ラドフと共に、まだ右も左も分からなかったにいろいろと教えてくれた。
 無茶な鍛錬にも付き合ってくれた。馬鹿な話もして笑った。その光景が走灯馬のように頭をよぎる。

《なんと…もう1匹居たか。我が気付かぬとは………》

 絡み付くような視線を辿って目を向けると、通路の奥に赤く燃えている剣を持った男がまるで当たり前のように宙に浮かんでいた。
 亜人……というよりも、生気をまるで感じない。
 この世界の成り立ちを知るには、亡霊――と言われてもさほど驚かないのだが……それよりも、強く何かを感じる気がする。

《我は死人どもの王・ロメロ……そなたの名は?》

 ロメロと名乗った亡霊にいきなり名前を問われて、は目を見開いた。
 両者の間にガントレットの腕が立ち塞がる。

「テメェごときに名乗るいわれは、コイツには無ぇんだよ!」

 庇ってくれたアルベルの服の裾をはぎゅっと掴んだ。何だか嫌な予感がする――……

《我は神によって特別に生み出されし存在。我の眷属にこんな所で巡り会えようとは……》

 ――眷属? 同種?
 はっとしては呟いた。

「レアレイズ……?」

 アルベルがぴくりと反応したのが分かった。
 この亡霊も、レアレイズだというのだろうか――のレアレイズ…ロストチャイルドとしての特異体質は、あの戦いの後も以前と変わらず健在だった。
 創造主であるルシファーたちの手から解放されたのだから、バグと言われていたこの体質も消えないか…と期待していたが、どういう訳かそれは無かったらしい。
 落ち着いたらシランドのエレナに相談しに行こうと思っていたのだが、帰ってきた当初に報告に赴いた時のエレナはやけに忙しそうだったので、不躾に行くのも戸惑われた。

 このロメロも、そんなと同じくレアレイズだと――?
 はレアレイズと思しき人たちと実際に接触したことは無い。なるほど、このロメロには何か特別な感じを受けるが……

《仕えていた神々に見捨てられ、この地に残された者よ…。なんなら、寛大なるこの私が特別な慈悲をもって貴様等を拾ってやってもよいのだぞ? ――そなたは、我の眷属として丁重に迎えてやろう。我の隣に立つ者として――な》

 台詞の後半はに向けて言ったロメロに、アルベルは剣を振って吼えた。

「テメェ如きがその器か! 身の程を知れ!!」

 あまりのことに呆然としていたも、はっとして弓を構える。
 仲間をこんな姿にした張本人が、このロメロなのだ。許せるわけが無い。

「私は人間よ。そしてお前は私の仲間の仇! 軽々しく眷属だなんて言わないで!!」

《そうか、実に残念だ…。では、永遠の絶望に身を焼かれるがいい!》

 ロメロが言うと同時に、かつてアレンたちであったロメロの僕が襲い掛かってくる。

「――オイ、分かってるな?」
「……………………ハイ」

 短く問いかけてきたアルベルに、は重々しく頷いた。
 アレンたちは、既にこの世を去った。
 例え自我を保っていようと、彼らは死した魂を歪められた存在。
 彼らを救う唯一の方法は、今度こそ完全な”死”を与えてやることだけなのだ。

「アレン…トーマ……今までありがとう……おやすみ……」

 アルベルが剣を振るい、が矢を射る――
 一瞬のうちに元は漆黒の仲間であった六人は灰燼に帰した。

《ククク……何とも無情なことよ。あやつらはお前達に助けを求めておったというに……》

 嘲笑を上げるロメロに、はギリリと唇を噛み締めた。
 こんな悪趣味な趣向を笑って見ているような人でなしが、は一番嫌いなのだ。

「ロメロ……!!」
「ッ……おい、……!」

 何を思ったのか、突然駆け出したに慌てたアルベルが腕を伸ばすが、一歩遅く、はロメロ目指して突き進む。

……それがそなたの名か!》
「そうよ、冥土の土産にでもするのね…!」

 ロメロの剣を掻い潜って、が彼の胸元に深々と刺したのは――銀の柄をした短剣。
 以前、接近戦になった時の護身用にとネルから貰った聖印が施されたダガーだった。

 ダガーが刺さった場所から黒い瘴気が漏れ出てくる。

《ククク……クククク………》

 ロメロは自分の体から瘴気が出て行くのを見ながら愉快そうに笑い続け、やがてその笑い声だけを残してその場所から消えた。

「……倒した…の?」
「――気配はねぇな」

 あまりに呆気なさすぎて呆然と立ち竦むの横に並んで、アルベルが辺りを警戒しながら言った。

 ロメロたちの消えた地下洞は、最初から何事も無かったかのように、元の静寂を取り戻していた。









「ご苦労だったな、二人とも」

 アーリグリフ城、謁見の間――
 先日の地下洞調査任務の報告を、アルベルと二人揃って終えたところだった。

 に対してはいつも穏やかに労ってくれる王とウォルターが平時に揃っているのも珍しかったが、更に二人はいつも以上に機嫌が良いらしく、報告の間も笑顔を絶やさなかった。

 謁見が終わろうという頃には流石のも訝しさに限界が来て、思わず尋ねていた。

「陛下とウォルター様におかれましては、何か良いことがおありだったのですか?」
「オイ……」

 その話題に触れてはならない――本能的にそう感じたのか、アルベルが嗜めるように声を発した時は既に遅かった。
 待ってました、と言わんばかりに深く笑みの刻まれた親代わり二人の口元に、アルベルは軽く身震いする。

「そう見えるか、?」
「――はい」

 ももしかしてマズかったか…とようやく気づき、笑顔が引きつった。

「実はな、世界を――ひいては国を救ったおぬし等の今回の働きに対して、陛下から特別に叙勲を賜ることになっての」

 説明を始めたウォルターの言葉に、そんな大仰なものではないのに……とは思うが、フェイトたちは連邦で英雄のように祭り上げられ、毎日大変な思いをしている――というのを聞いているだけに、まだマシかと考えを改める。
 しかし、本題はその後だった。

「そこでじゃ、アルベル――おぬし、この機会に身を固めてはどうじゃ?」
「…………は?」

 アルベルの虚を付かれた顔というのも中々見ものだったかもしれない。
 けれど、も十分驚いていたのでそれどころでは無かった。

「俺も終わったことだし、順番で言うと次はお前だろう」
「だが……」

(アルベル様が結婚……?)
 の胸がツキンと痛む。

「良い縁談の話があるんじゃ。相手は王都の貴族の娘でな――」
「ちょっと待て、俺は――」
「まさか否やは無かろうな、アルベル」

 ウォルターの強い声に、アルベルもも息を呑んだ。

「お前も三軍の一を統べる長であると同時にノックス家の当主なのじゃ。しかるべき家柄か地位を持った娘と婚姻を結ぶのは、貴族に生まれた者の当然の務めというもの――おぬしも理解しておろう?」

 は一瞬真っ白になった頭で、しかし冷静にウォルターの言葉を反芻した。

 ウォルターの言うことは、尤もだ。
 国の為の婚姻、家の為の婚姻――外交においても、それは当たり前の政策である。
 まして、ここは閉鎖的風土の強い未開惑星――アルベル程の地位の人間となれば、当然自分の意思だけを貫き通すことなど出来はしない。

 あの戦いの中で、は確かにアルベルと想いを通わせたが、それとこれとは別問題だ。
 アルベルのことを想うなら、が自分の気持ちを諦めるのが一番いい――それは、分かるのだが……

「縁談だ何だのと、そんなことは自分で決める」

 不機嫌そうに言い切ったアルベルに対し、ウォルターは深くため息をついた。

「そんな勝手は通らぬことくらい分からんのか? ……のう、からもこの小僧に言ってやってくれんか」

 話を振られて、はびくりと顔を上げた。
 王とウォルターが期待に満ちた目でこちらを見ている。そして、隣からアルベルの視線も感じる。
 はぎゅっと手を握り締めた。

(簡単なことだ―― 一言いえばいい。縁談を受けて下さい、と……一言)

「――アルベル様、…………」

 しかし、意を決して口を開いた筈のは、名前を呼んだきり固まってしまった。
 見つめた赤い瞳が、厳しい眼差しでもってを射抜く。

(どうして……)

 なぜアルベルはそんな瞳で見るのだろうか。
 にどうしろと言うのか。
 どうしたら一番いいか分かっているのに、どうにも出来ない。
 どうしてもその先の言葉が見つからず、途方にくれてしまう。

「……どうした、よ」

 王にも問われ、は狼狽した。
 今すぐにここから立ち去りたい思いにかられるが、そんな失礼なことは出来ず、身動きが取れない。
 どうしようもない自分に嫌気が差して、思わず目が潤んだ時だった。

「縁談は受けねぇ。他の女などいらん。……俺はこいつで手いっぱいだからな」

 そう言って立ち上がり、の肩を抱き寄せたアルベルに、本人以外の全員が目を瞠った。

「……それは、を娶りたいと――そういうことか?」

 驚いて思わず見上げたアルベルの顔が、の視線に気付いて気まずそうに歪む。

「そんな気の早いことは言ってねぇ。俺はただ……」
「どうなのだ、アルベル」

 王からも強く言われて、アルベルは飲めないものを飲むかのように、半ば自棄になって言い捨てた。

「――そういうことだ!」
「…………」

 は呆気に取られて赤くなったアルベルの横顔を見上げた。
 もしかして、これは俗に言うプロポーズというものなのだろうか……?

「ふっ、ハハ…アハハハハハハ!」

 今までこちらを神妙な面持ちで見つめていた王がいきなり弾けたように笑い出して、二人は驚いてそちらを見つめた。
 ウォルターまで堪え切れないというように喉を鳴らしている。

「まあ二人ともそんなに警戒するでない。騙したのは悪かったがのう」
「騙…した……だと……?」

 地を這うようなアルベルの声音に、ようやくも事の次第が見えてきた。
 つまり、今のやり取りは俗に言う誘導尋問というのものなのだろうか……

「そう睨むな、アルベル。縁談というのは嘘では無いのだからな」

「え……?」

 思わず声を出したに王は苦笑した。

「安心しろ、。お前たちが好き合っていることくらい見ていれば分かる。だが、そう言った所でお前はともかくアルベルは素直に認めまい。かと言って、先方もそう簡単には納得してくれそうになくてな……そこでウォルターと二人で一芝居打ったのよ」
「中々の役者じゃっただろう?」

 にはツライ思いをさせてしまったようで申し訳ないが――そう言いながらも、得意げに言う王とウインクまで送ってくるウォルターに、はもはや苦笑するしかなかった。アルベルに至っては真剣に頭痛がするのか頭を押さえている。
 しかしは、はたとある疑問にぶつかった。

「けれど、陛下、ウォルター様……アルベル様のお相手はしかるべき家柄か地位のある人でなければならないと、先ほども――」

 それだけは真実だろうに、自身はその条件にはまるで合致しない。
 それどころか、まだこの国に来て日も浅い異星人であるというのに――…

 その疑問にまたしても笑顔を浮かべた二人に、も今度はしっかりと悪寒を感じた。

「しかるべき家柄か、地位――確かにそれは必要じゃ。ならば、おぬしがそのどちらか、あるいは両方を手に入れれば良いだけのことだとは思わんか?」
「は…はあ……」

 それだけのこと――とウォルターは簡単に言うが、どちらも持っていないにどうしろというのか。
 けれど、そんなを他所に、話は進んでいく。

「まずは家柄じゃが――ワシはとうの昔に戦禍の中で家族を亡くしておってな、天涯孤独の寂しいジジイなんじゃよ。それで常々、のようなかわいい娘が欲しいと思っておってな」
「――それは……」

 そう言えば、ウォルターの家族について聞いたことは一度も無かったと思い出す。
 カルサアの広い屋敷には、使用人や風雷の兵も多く駐屯していたから疑問にも思わなかったのだが……

さえ良ければ、ワシの娘になってはくれぬか?」
「――――!」

 はこれ以上は無いという程驚いて目を瞠った。
 それは、ウォルターは風雷の団長であるのと同時にカルサアの領主でもあるのだから、家柄という点ではこれ以上望めないくらいの話だが……

「ウォルターからのこの養子縁組の申し出、俺も賛成だぞ。ウォルターにとってもにとっても、またと無い良縁だろう」

 王のお墨付きまで受けて、は困惑してアルベルを見た。
 てっきり「好きにしろ」とでも言うかと思ったが、彼から出た言葉は意外な一言。

「ジジイにしてはまともな話だな」

 賛成してくれているらしいその言葉に、ようやくも実感が沸いた。
 ウォルターの方に向き直ると、優しく笑いかけてきてくれる。

「詳しいことは知らぬが、国に家族が居るのか? ならば、無理にとは――」

 言いかけたウォルターの言葉を遮っては首を横に振った。
 本当の両親・故郷の星はとうに死に絶え、地球での飼い主はとても家族と呼べるものではない。

「私も天涯孤独です。物心ついた時から家族がどういったものかも知らないような人間です。そんな私でも――まだまだ未熟な私でも、本当に良いのでしょうか」
「おお、勿論じゃとも。が娘になってくれるなら、こんなに嬉しいことはないわい」

 は胸元に手を当てて深呼吸した。
 自分にも、ようやく家族と呼べる人間が出来る――しかもそれがウォルターならば、にとっても言う事は無い。
 感慨を振り切るように心を決めると、笑顔で深く頭を垂れた。

「こんな私で良ければ、そのお話、喜んでお受けします。よろしくお願い致します――お父様」

「おお、そうかそうか……お父様、とな」

 呼ばれた響きが気に入ったのか、相好を崩して髭を撫でるウォルターに、も何やら照れくさい心地で微笑んだ。

「良かったな、ウォルターよ」
「デレデレとみっともねぇんだよ、ジジイ」

 王、アルベルと順番に声がかかり、ウォルターはアルベルを見て勝ち誇ったかのように笑った。

「そんな口を聞いて良いのか、小僧。これではワシの娘――お前のような小僧には当分くれてやらんぞ?」
「……ジジイ、それが目的じゃねぇだろうな」
「さあ、どうじゃったかの」

 ふぉふぉふぉ、といつものように笑うウォルターにアルベルは毒づき、王は愉快そうにそれを眺める。
 いつもの光景、温かい場所。
 この場所に、自分も本当に家族として加われるのだと思うと、は喜びに満たされた。

 だが、再びかかった王からの言葉に、一同は再び居住まいを正す。

「めでたいことは後で祝うとして――とにかく、これで家柄については申し分なかろう。後は地位だが……」

 ふと、の脳裏に嫌な考えが浮かんできて、これ以上は聞かない方がいいと直感的に思った。
 ウォルター家の娘という家柄だけでも十分であろうに、わざわざ地位も持ち出すということは……

「この度のことや地下洞の調査においても、の実力は証明済み……我が国は先の戦いで人材も不足していることだし、ほどの人物がいつまでもアルベルの副官にだけ甘んじている手も無かろう」
「い…いえ、私などは……!」

 一介の学生の身分からいきなり軍を統率する団長の副官へ――その仕事だって責任が重かったのに、これ以上の地位などとんでもない。
 即座に声を上げただったが、それを片手で制して王は続ける。
 玉座を立ち、の前まで来て顔を上げさせると、肩に手を置いて瞳を覗き込んだ。

「幸い、軍上層部に空いた椅子もあることだし――どうだ、。俺の為にその力を使ってはくれぬか」

 カリスマ性抜群の王にそんな頼まれ方をして、断れる人間がいるだろうか。
 しかもにとっては、恩義ある、好意も抱く王である。

 しかし、それが軍上層部への抜擢などということになると話は違う。
 が真っ先に思い浮かべたのは、前任をシェルビーが果たしていた漆黒副団長の任だった。
 確かに、シェルビーが失脚して以来ずっと副団長不在だった為に、実質上がその仕事を代行することもあったが、正式に就任するとなるとまた勝手が違う。
 漆黒内部にも、いきなり現れた小娘が副団長だなどと不満に思う者も居るだろう。

「――陛下、私などをそのように買ってくださるのは身に余る光栄なのですが、いくらなんでも副団長など私には重責に過ぎます。ですから――」
「副団長? 漆黒のか? なるほど、それも早急に決めねばなるまいが、俺が言いたいのはそうでは無い」
「え……?」

 アルベルもてっきりそうだと思っていたのだろう。
 と同じく、疑問符を浮かべて王を見た。
 漆黒副団長でなければ何だと言うのだ? その下に更に新しい役職でも設けるのだろうか。
 全く分からない――そう顔に書いて見上げるに、ウォルターは楽しそうに笑った。

「そんなに難しくはなかろう。この顔触れで察しもつくだろうに――ほれ、もう一つ空いた場所があるだろう」
「は……?」
「………そう来るか」

 間抜けな声を出すばかりのとは打って変わって、理解したらしいアルベルが呆れ気味の声で言った。
 いつまで経っても答えに行き着かないに痺れを切らしたのか、王は喉の奥で笑うと、とうとうそのとんでもない言葉を口にした。


・ウォルターよ、我が竜騎士団の長・疾風団長としてその力を振るってくれ」












05.5.21
CLAP