反連邦組織クォークの母艦・ディプロに、とアルベルが乗ってから四日が経った。
最初の一日は二人とも意識が戻らず、二日目にが、三日目にアルベルが目を覚ました。
そして四日目の今日はそれぞれに宛がわれた個室でほとんど動くこともままならないまま静養している。
「原因は分かりませんが、表立った傷は見られません」
昨夜、ディプロの船医は真面目そうな面に困惑を乗せてそう言った。
マリアが慌てて呼んだのは、若いながらも経験を積んだ熟練の医師だということだったが、その彼でもこんな症状は見たことがないという。
外傷も快復し、脳波も正常。それなのに、の声だけが失われたままだ。
「ただ、私は専門ではありませんが、精神的な負荷によって身体の機能の一部が麻痺するという症例はいくつかあるそうです」
精神的な負荷……はそっと息をついた。アルベルを失うと思ったことが原因なのか、それとも全く別の要因があるのか……知る術も無いが、焦りや後悔は無い。
そんな本人を他所にその後もマリアを交えて治療について話し合われたが、もし精神的な要因だとしたら医療よりもメンタルケアが必要だ。
ならばさし当たって、喋ることの出来ない障害者に用いられる脳波を音声に変換する装置を使用してはどうか、という話にもなったが、すぐには手に入らない上、使いこなせるまでには相当の訓練がいる。
が喋れないことでマリアたちにも気を使わせてしまうことは申し訳ないと思うものの、どうせエリクールに戻るまでの短い間のこと。無理に声を取り戻したいとは思わなかったし、必要も感じられなかった。
だからこそ、本人がこの話はこれでおしまいとばかりに打ち切って、その場はうやむやに流れたのだが……
(それが、どうしてこうなるのかな……)
先ほどフェイトの部屋であったという出来事をわざわざ教えに来てくれたマリアに、は苦笑した。
曰く――ようやく動けるようになったアルベルがふらりとフェイトの部屋に現れ、このままフェイトたちに同行すると言い出した。理由は、最早エリクールにはアルベルの心を熱くさせる程の手練がいないからだという。フェイトは今後確かな戦力は必要だという判断からアルベルの同行を認めた――
「アルベルが来てくれるならば、もちろん貴女も来てくれるのよね、?」
彼らしいと言えばらしすぎるくらいの行動に、は自分の洞察もまだまだだと嘆息する。
苦笑いを深くしたままマリアを見上げて首を縦に振った。
『こんな私じゃ逆に足手まといになってしまうと思うけど……こちらこそよろしくね、リーダー?』
「リーダーはやめてよ。よろしく、」
さらさらと手近のメモに言葉を書いて示したに、マリアも笑顔で返した。
声を無くしても出来ること――はマリアの顔を見ながら思考に耽った。
その翌日、何とか起き上がれるまで回復したは、最初にクリフの元を訪れた。
気がかりこと、気がかりな人は他にもあったが、まずは自分に出来ることをしたかったのだ。
「ああ、バッチリだぜ」
の問いかけに対するクリフの答えに、は顔を輝かせた。
勢い込んで口を開こうとしたところに、シュンと扉が開いてフェイトとソフィアが顔を出す。
「、探したんだよ。もう起き上がったりして大丈夫なのか? なんでこいつの部屋なんかに?」
「おいおい、なんかとは何だ、なんかとは!」
ガンを飛ばすクリフをキレイに無視して、フェイトはに向き直った。
「も一緒に来てくれるんだってね。ソフィアも僕らに同行することになったんだ。改めて、よろしく」
「よろしくね、! こんな所で同い年くらいの女の子に会えると思ってなかったから嬉しい! 地球から来たんだよね?」
「…………。……………………」
二人とも、それにクリフもが声を失ったと知っているだろうに普通に振舞ってくれるのが嬉しくて、はにこりと微笑んだ。
そのままクリフの服の裾を引っ張ると自分の口元がクリフにも見えるようにして何事かパクパクと動かす。
「――?」
「こちらこそよろしく、二人とも。それとソフィア、私もソフィアと仲良くなりたいけど、こう見えてもフェイトと同い年なんだけど?」
呆気に取られているフェイトとソフィアを尻目に、はパチパチと手を叩いた。
先ほどのは、が言った言葉をクリフが二人に通訳してくれたのである――高い声色を使って、シナまで付けて。
通常と同じくらい早口だったのに、ほぼ完璧だった。
「読唇術ってやつだな。唇の形で言葉を読み取るんだ。まあこの俺様くらいになれば朝飯前だけどな」
「あっ、それなら私も出来るのがあります! …さんは、手話出来ますか?」
有頂天になっているクリフの横で、ソフィアも元気良く手を上げた。
手話…懐かしい言葉に少し目を瞠って、軽く手元を動かす。
『一通りはOKよ。ソフィアが手話を知っててくれて嬉しいわ。それと――呼び捨てで構わないからね』
「うん、!」
「まあ考えてみりゃあ外交の専門家だもんな。コミュニケーションスキルは何でもござれって訳か」
『まあね』
「……何だか僕だけ分からなくてつまらないよ。僕だってと話がしたいのに」
妙に拗ねてみせるフェイトが何だかおかしくて、は苦笑してメモ帳を取り出した。
『マリアやアルベル様とだって同じよ。それに、こうして筆談出来るから問題無いじゃない』
「…そうだね」
『――お父様のことマリアから聞いたわ。何にも出来ないけど、一緒に行く限り力になれるように頑張るから……元気出してね』
「……うん、ありがとう、」
修練場の屋上で……はいつ気を失ったのか、アルベルが撃たれたと自覚して以降の記憶は曖昧だった。
フェイトの父親ロキシ・ラインゴット博士の訃報はマリアから聞いたもので、その経緯を考えると昔の自分を思い出すようで胸が痛い。
けれど、フェイトはいま微かながらも笑っていた。
困難な状況の中でも、大切な人たちがいてくれる限り最悪じゃない。
は温かな安心感と共に、静かに微笑んだ。
カタカタカタ……
宛がわれた部屋の備え付けCPの前でひたすらにモニターを見てキーボードを打っていた手を休め、は一息ついた。
時刻は深夜――ディプロも当直の者以外は皆寝静まっている。明日の朝一には遺伝子改造に関するデータがあるというムーンベースに着くだろう。
アーリグリフの漆黒本拠地である修練場は今頃どうしているだろうか、とは窓に目を向けた。
窓からは宇宙の星々が見えるだけだが、あれこれと思い描いてみる。
フェイトから、ディプロに戻る前にラドフと話をしたと聞いた。
それを聞く限り、アルベルとがしばらく戻らなくても問題は無さそうだ。あの強かなラドフとそれにウォルターも味方になってくれるだろうから、以前の冤罪騒ぎのようにアルベルの不利になるようなことにはなるまい。
この変革期のこと――漆黒は一時的にウォルターか、もしくは王直々の手に委ねられるかもしれないが、アルベルが団長として復帰するのにはそう手間もかからないだろう。
考えながら半ばウトウトとし始めた時、ドンドンと不意に扉が叩かれた。
(オートのドアを叩く…?)
そんなことをする人物は一人しか心当たりが無く、急いでドアを開けると思った通りアルベルが立っていた。
(このドアはこうやって来訪を告げて、ここを押すと開くんです)
入ってきたアルベルに手元を示して教え、身振りで椅子を勧める。
「……………」
向かい合って座ったものの、何も言い出さないアルベルの仏頂面に、も幾分緊張した。
なにせ、この船に乗ってもう4日が過ぎたが、これが初めての顔合わせである。
今日も何度か探してみたのだが、船内をいろいろ見て回っているらしく、会えなかった。
二人が怪我を負って以来ということは、つまりがアルベルのことを好きだと自覚して以降初めての会話ということになる。
『……体はもう大丈夫なのですか?』
メモに言葉を書いてアルベルに見せる。
エリクール語はまだ慣れていない為、普通の筆談よりは時間もかかってしまうが仕方が無い。そもそも会話も通信機の自動翻訳機能に頼っていたのだから、読唇術など論外だ。
メモを見たアルベルはすっと目を細めた。
「…喋れなくなったってのは本当なのか」
『正確には、声が出ないだけです』
「どこが違うんだ、阿呆」
『言葉自体を無くした訳じゃありません。だから今もこうやって”話す”ことが出来るんです』
「チッ……」
の言葉に苛立ったように前髪をかき上げたアルベルは、その手の下から鋭く睨み付けてきた。
「なんであんなとこで飛び出してきやがった! 死ぬ気か、阿呆っ!!」
獣のような赤い瞳を、も正面から睨み返した。
(その言葉、そっくりそのままお返しします! 私なんかを庇って撃たれるなんて――)
メモ帳を脇に放り、簡単なジェスチャーで抗議する。
「馬鹿かっ! お前と俺じゃぁ、体の鍛え方が違うんだよっ!!」
(馬鹿はアルベル様です! 私の体質の方が、怪我に耐性あるに決まってるじゃないですか!)
「黙れ、クソ虫っ!」
(黙りませんっ!)
お互い興奮して息を乱したが、更に口を開こうとしたアルベルはそんなを見て舌打ちと共に背を向けた。
イライラとした歩調で扉に進み、から教わった通り難なく扉を開ける。
(行っちゃう……)
このままアルベルが行ってしまうと思った瞬間、は駆け出していた。
たった数歩を必死で走り、出て行こうとしていたアルベルの背中に抱きつく。
「なっ……お前何を……!」
(怖かったんです……)
「おい、……」
は戸惑うアルベルの背に顔を埋めて、しがみ付いた手にぎゅっと力を入れた。
(あなたが死んでしまうと思うと、どうしようもないくらい怖かった……だから、こうして生きていてくれて嬉しい……良かった……)
「…………」
(……好き……です………)
更に手に力を込めた瞬間、はその手を強く引かれ、あっさりと体を反転させられた。
間近で向かい合う形になったアルベルを見上げる。
なぜか大きく目を見張ったアルベルの手が不器用に目元を拭ってきて、ようやく自分が泣いているのだということに気付いた。
みっともないくらいボロボロと涙を零しているのに、一向に止められない。
はアルベルからそれを隠そうと身を捩ったが、壁との間に挟まれて難なく封じられた。
そして、不意に頬に手を添えられ無理やり顔を上げさせられた瞬間……
(………………)
「………………」
触れた唇は驚くほど熱くて、その癖ひどく優しくて。
見つめ合ったままの赤い瞳を自分の目に焼き付けるように、はゆっくりと瞼を閉じた。
もう離れたくない……
想いの深さを伝えるように、口づけは深くなっていった。
05.4.17