(……知らない天井…)
気付けば、は清潔なベッドに横たわっていた。
頭がひどく重く、目は霞がかったように焦点が合わない。喉が焼け付くように熱かった。
ここがどこなのか、なぜ見も知らぬ場所で眠っていたのかは分からなかったが、一番新しい記憶はすぐに浮上してきた。
「…………っ!!」
慌てて起き上がろうとして、左腕に走った痛みに眉をしかめる。
ライフルが掠ったのだという事実は思い出したものの、そんなことには頓着もせずにベッドから抜け出した。
ふらつく頭をやりすごして立ち上がると、部屋から出て、廊下を壁伝いにして何とか進む。
そこまで行動してから、はふと、どこに行けばいいのか分からないということに気付いた。
そもそもここはどこなのか。本当に安全なのか。が探している人もこの場所に居るのか。
寝かされていた部屋や怪我に治療が施してあったことから見ても、悪意と言うより善意しか感じられなかったが……
そして、体を支える為に手をついていた窓から見慣れた黒い空間が見えて、はようやくここが宇宙なのだと気付いた。
どこかの船の中のようだが、内装は至ってシンプルな造りだ。恐らくは戦闘艦かと思われるが、ということは……
そこまで考えた時、奥の通路から人の話し声が聞こえてきては反射的に身を隠してやり過ごした。
雑談しながら通り過ぎていったのは、見覚えのあるクォークの制服を着た二人組だった。
やっぱり、ここはディプロなんだ……
はほっと息をついた。マリアやクリフが所属するクォークの母艦だ。
そうと分かった以上、もう何も心配はいらない。が探しているあの人も、必ずここのどこかに収容されているだろう。
ただ誰かに見つかってしまった場合、無理矢理ベッドに戻される可能性もあるだろうからさっき隠れたのは正解だったのかも……
考えながらも意識が混濁していく気配を感じて、はふるふると首を振った。
怪我をした腕が熱い。呼吸が荒い。必死に意識を繋ぎ止めて、は元の部屋からそう遠くない部屋を開けた。
どんな船にも医療セクションはある。
ディプロの場合、この区画がまさにそうだろう。
だとしたら、彼の部屋もこの近くにあるに違いないが、どこだか分からない以上、片っ端から確かめるしかない。
そうして目についたドアから開けていって、四つ目で目的の部屋に行き当たった。
ピ…ピ…と、脈拍をモニターするカテーテルが規則正しい音を立てている。
たくさんの医療器具に囲まれた部屋の真ん中に、の探し人――アルベルは寝かされていた。
「っ…!」
はもつれる足を叱咤してアルベルの傍らに駆け寄ると、そっと青白い頬に触れた。
ぞっとする程ひやりとした感触に、慌てて手を引っ込める。
怪我の部分には同様真新しい包帯が巻かれてあり、体の至るところに器具が接続されていた。
は傍らの椅子に崩れ落ちて、アルベルの手を握った。
胸の中にあるのは、深い後悔だった。
アルベルが撃たれた時、途方もない絶望が押し寄せてきた。
それは、以前ベクレル山道でアルベルが大怪我を負った時に似た…そしてその時よりも遥かに大きなものだった。
アルベルが冤罪で地下牢に入れられた時、胸が潰れるほど苦しかった。
バンデーン艦からの攻撃で重症を負った時も、顔を見ることは出来なくても、声を聞けただけでどれほど心強く嬉しかったか……
些細な言葉に振り回されて自己嫌悪に陥ったのも、他愛無いまじないに慌てたのも、みんな至極簡単な理由だった。
(私はアルベル様のことが、好き…なんだ)
尊敬や敬愛だけじゃない。異性として、彼にどうしようもなく惹かれてしまった。
どれだけ否定しても、結局は変えられない想いだったのだ。
こんなになるまで気付かないなんて、我ながら本当に馬鹿だと思う。
生死の狭間を彷徨っている彼を目の前にして、こんなに思い知らされるなんて――…
(お願いだから、どうか――)
いつ頃からか全く信じなかった神に祈りたい気分だった。
彼を助けてくれるなら、どんな代償を払っても構わなかった。
「……、…?」
自分を呼ぶ声に瞼を上げると、心配そうな顔をしたマリアが覗き込んでいた。
「………?」
一瞬思考がついていかず辺りを見回すと、目の前には依然としてアルベルが横たわっており、の手はアルベルのそれを握り締めたままだった。
あのまま眠ってしまったのだと気付いたは、はっとしてマリアを見上げた。
の表情から質問を読み取ってくれたマリアはにこりと微笑む。
「一時は危なかったんたけど、もう大丈夫。心配要らないわ」
その言葉に、は胸を押さえた。
波のような安堵感と、漠然とした感謝の念がを包む。
熱くなった目の端を拭って、マリアに振り向いた。
(ありがとう)
言った筈の言葉は声にならず、は目を見張ってぱちぱちと瞬きする。
(え…?)
軽く喉を押さえて、は混乱した。
声を出そうと何度か試みてみたが、声帯の震えからしての手には伝わらない。
「――、あなたまさか……」
(……そうみたい)
様子を見守っていたマリアが固い声で聞いてきたのに対して、は困ったように苦笑してみせた。
「そんな…! 待って、すぐにドクターを呼ぶから!」
慌てた様子で通信機を耳に当てたマリアの横で、はさしたる動揺も無く現実を受け止めていた。
声を失った――
それは確かに衝撃的なことだった。
けれど、そんな代償でアルベルの命が助かったのならば、安いものだと思う。
そう思えば、声の一つくらい出なくても何でもないように感じた。
今はただ、アルベルの無事を心から喜びたかった。
その翌日、が見つめる中で、アルベルはゆっくりと目を開けた。
「……………」
「……フン、何を…笑ってやが…る」
掠れた声で開口一番に憎まれ口を叩くアルベルに、は笑みを深くした。
そっとアルベルの頬に手を伸ばす。
触れた瞬間微かに強張ったそこは、確かに命の温みを宿していた。
「………」
無言で微笑んだままのの瞳から、涙が一粒流れた。
05.3.30