32.夢の幻影

 ピ、ピピ……
 崩れかけた廃墟の部屋に、無機質な金属音だけが響いていた。

 先日、ようやくフェイトの手から戻ってきたクォッドスキャナー。
 久しぶりに持っても手に馴染むそれを、はひたすら弄っていた。
 小型のディスプレイに表示される莫大な情報がの目に映っては消えていく。

 正体不明の勢力、連邦の科学力を遥かに上回る兵器、地球に向けられた攻撃の矛先……
 一見しただけでもとんでもないこれらの情報にはただでさえ思考が追いつかないというのに、それ以前にのの方が上の空だった。

「集中…集中……」

 心の中だけの自己暗示は、いつの間にか呟きとなって外に漏れている。
 しかしそうやって集中しようとすればするほどディスプレイの情報は遠のき、はため息をついた。

「……最悪」
「何が最悪だ?」

 突然背後からかけられた声に、は声にならない悲鳴を上げて飛び上がった。

「アっ…アルベル様……!」

 動いた拍子に取り落としたクォッドスキャナーを拾ったアルベルは、それを持った手元に視線を向けていてその表情は分からない。
 は、ひどく混乱している自分を落ち着けるように、ぎゅっと手を握った。

 思えば、昨日あんな風にアルベルの部屋を飛び出して来てからまともに顔を合せるのは初めてである。
 なぜあんな態度を取ってしまったのか……どうしてあんなに胸が苦しくなったのか……

(どんどん、贅沢になってる気がする…)

 はつい先日フェイトにも言った筈だ。
 ――「いらないって言われても、私は私が信じた所にいたいの」――
 そう、彼の傍らに在ると決めたのは自分自身なのだ。例えアルベルから拒絶されたとしても、その意思は貫き通すつもりだった。
 むしろ、自分の感情が邪魔になる日が来るなら、彼の為に彼から疎まれることさえ望んでいた。それなのに……

(矛盾してる……)

 が宇宙へ帰っても構わないと、アルベルはフェイトへ言ったという。
 はそれを聞いた時、アルベルの傍に居ると――アルベルに仕えると言った気持ちはそんな中途半端なものでは無いと、それを一刻も早く伝えたいと思った。
 そして急ぎ戻って再会した彼は、が戻ってきたことに心底驚いているようだった。
 その事に自分でも大袈裟なくらいに傷ついて……ろくな会話も出来ず、ちゃんとした態度も取れず、その挙句に彼を怒らせて……

 ――「何が気に入らねぇのか知らねぇが、はっきりと言え! さもなきゃ嫌ならどこへなりと出て行くんだな」――

 アルベルが怒るのも当然だと思う。はアルベルの部下であり、側で補佐する副官だ。それを望んだのはなのに、その立場も弁えない態度を取ってしまった自分が情けない。

 まずは、昨日のことを謝らなければ……
 そうは思うものの、実際に言葉に出して「出て行け」と言われたことがこんなにこたえていたなんて、自身も思ってもみないことだった。
 アルベルの顔をまともに見ることすら出来ない。

(それに、あの夢……)

 こんな状況で昨晩のような夢を見た自分の図太い神経を疑うが、彼と向かい合ってこれ以上おかしな行動に出てしまったら……そう思うと、余計に体が固まってしまう。
 我ながら情緒不安定になっていると感じ、ため息をついた時だった。

「おい」
「っ……は…はい…!」
「………………」

 唐突にアルベルに呼ばれては慌てて顔を上げたのだが、当の呼んだ本人は何も言わずただじっとこちらに視線を向けてくる。
 居心地の悪さに耐えかねたは、視線を外したまま「こんな所に何かご用ですか?」と尋ねた。

「……別に、気晴らしだ」

 素っ気無い返答に、は頭を抱えたい気分になった。どうせならこの絶好の機会に謝ってしまえばよかったのに、と思うが後の祭りである。
 タイミングを失って重い沈黙が支配する中、半ば泣きたいような心地になっていたは、アルベルの意外な言葉に思わず顔を上げた。

「お前……大丈夫なのか」
「え……?」

 無防備に向けた視線が、アルベルの瞳に捕まって身動きが取れなくなる。 

「……星の船とやり合ってる時にぶっ倒れただろうが。詳しいことは知らんが、ミラージュとか言う奴が言っていた。……お前の身体とこの星の環境が合わないからああなるのかもしれんと……その可能性が高いとな」

 初めて聞く話に、は大きく目を見開いた。
 自分の身体とこの未開惑星の環境が合わない……? 確かに、その可能性はあるだろう。
 どちらもきちんとした機関で調べてみないことには分からないが、一概に否定は出来ないし、むしろいきなり激痛を伴って倒れた原因が分からない以上その可能性は高いとみるべきだ。
 だが、は既にこの星で2〜3ヶ月も過ごしている。
 それでもこうして日常に支障をきたさないのだから、大した問題では無いと思う。
 そう、それは問題じゃない。それよりもいま問題なのは……

「………アルベル様、もしかして、だから私を元の世界に帰そうと?」
「……他に何がある」

 言い切られて、は絶句した。

(私の…勘違い……?)

 自覚した途端、現金な程に安堵した自分が居て、は呆れてため息をついた。
 それをどう解釈したのか、むっとした様子のアルベルが言葉を重ねる。

「部下の管理も務めだからな。……お前にも報告の義務があるだろうが、阿呆」

 アルベルらしい物言いに、は少し苦笑してその場に膝を折った。

「――倒れた原因はいまだ不明ですが、もう問題は無いと判断しましたので帰還いたしました。ミラージュの言う理由も否定は出来ませんが、私はむしろ、短期間に回復力を何度も使った為の反動……アルベル様にもバール山脈で報告したあの症状ではないかと思っています」

 実はそれよりも、先日エレナに言われた事が気になっていただったが、今はそれを伏せた。不確かすぎることは報告のしようもない。

「……ふん、体調管理くらい人並みにこなすんだな。……次は無いぞ」
「はい」

 憎まれ口の中にも不器用な優しさが見えて頬を緩ませたところに、視界に手を差し伸べられては驚いて振り仰ぐ。

「いつまでそうやってるつもりだ。――立て」
「……ありがとうございます」

 困ったように微笑んで、辞退するように一歩下がって自力で立ち上がったに、アルベルは眉を顰める。
 はそんなアルベルに向き直ると、表情を引き締めて頭を下げた。

「昨日は、申し訳ありませんでした」
「………何のことだ。いつまでもくだらねぇこと覚えてるほど暇人じゃねーんだよ、阿呆が」
「アルベル様……」

 が顔を上げると、アルベルはそっぽを向いていた。
 照れているのかもしれない、とは嬉しそうに微笑む。


 その後、昨日から停滞していた仕事のいくつかを簡単に打ち合わせた後、それぞれの仕事に戻ろうという運びになった。

「それでは、後ほど」
「おい」

 簡潔に言って部屋を出ようとしたを呼び止めて、アルベルは手に持ったままになっていたクォッドスキャナーを差し出した。うっかり忘れるところだったとそれを受け取ろうとし、その拍子に微かに触れた手に……はビクリと過剰に反応して、思わずそれを取り落とした。

「……?」

 些か驚いたように見つめてくるアルベルに、は自分でもカァッと顔が熱くなるのが分かった。

「すっ…すみません、失礼しますっ!!」

 その視線に耐えられず、ようやくそれだけ告げると逃げるようにその場を駆け去った。

 夢中で走って、自室に戻って扉を閉め、その場にずるずると座り込む。
 はぁ…と深いため息をついて前髪をくしゃりと掴んだ。

 折角誤解が解けて、アルベルとも元のように戻ったというのに、これではまた同じことの繰り返しである。
 ……いや、誤解が解けて安心したせいだろうか。
 どこか油断していた心に、アルベルの手と触れ合った瞬間、あの夢が蘇ってきて……心臓が跳ねるというのは本当にあるのだと実感した。体がその場に硬直してしまってどうしようもなかった。

「こんなんじゃ、身が持たない……」

 切実な呟きは、簡素な部屋にこだました。





 その翌日――は自分の仕事部屋で、疲れたため息をついていた。
 <オラクル・ドリーム>によってあんな夢を見て以来、ずっと心が苛まれているかのようだ。
 あの夢が変にリアルだったものだから、ことあるごとに思い出し、些細なことでアルベルを意識してしまう。
 たかが夢だと割り切れないのは、それが<夢のお告げ>の結果だったからなのか、それとも………

(もしかして、私は…アルベル様のことを……?)

 そんな風に核心に触れてしまうこともしばしばだったが、その度に頭を振って否定した。
 認められない――認めるわけにはいかない感情なのだから、必死で抗うしかない。

 そもそもこんな感情を認めたところで、打ち明けることすらきっとには出来はしない。
 まして、あのアルベルが自分のことを異性として見てくれるかなど……

 条件反射のように頭に浮かんでくる夢の光景を思い出して、はぶんぶんと頭を振った。

「あり得ない……」

 今までアルベルに対して抱いた想いを全て心の奥深くに沈めるように、はゆっくりと呟いた。

 声に出すと余計に胸が痛んだが、それを追い出すように深呼吸する。
 そして再びクォッドスキャナーを操作して、謎の勢力の情報と、アーリグリフ国内の状況を整理し始めた。
 いつまでも時間を無駄にできる状況じゃない、と自分に言い聞かせて無理やり仕事に戻ったのだが、後にこの時ゆっくり考えなかったことを深く後悔することになろうとは、思いもしなかった。








05.3.13
CLAP