30.ざわめき

 鳥のさえずり、風のせせらぎ――都の裏側を流れ落ちている滝の音が遠く聞こえる。
 そんな自然の音に溢れた穏やかなこの城で目覚めたその朝――はすっかり整った身支度で、ウォルターと向かい合っていた。

「まあ、そんなに急ぐこともあるまい。アルベルの奴も、ゆっくり静養してから帰れと言い置いていったことだしの」
「アルベル様が?」
「ああ……まあ、『万一にもここに留まると言いやがった場合』――とは言っておったが」

 少し言い難そうに身じろぎしたウォルターに、もため息をついた。

「そうですか……ならば尚更早く戻らないと」

 少し拗ねるようにして言ったは、そのまま立ち上がってラジオ体操のノリで体を動かしてみせた。

「体なら……ほら、この通り! もうすっかり大丈夫です。私の回復力が桁外れなのは、ウォルター様もよくご存知でしょう?」

 今にも部屋を飛び出しそうな勢いで言われては、の体調を心配して帰国を遅らせるよう説得していたウォルターも苦笑するしかない。

「確かにもう大分良いようじゃが……シーハーツの施術医の見立てでも倒れた原因は不明なんじゃ。昨日の今日で無理はするでないぞ」

 フェイトたちが宇宙へ帰ったのは昨日であり、はそのまま養生の為にとシランド城に残されていた。
 しかし大人しく寝ていたのもほんの一日で、その翌日である今日にはすっかり回復して帰国すると言う。
 尤も、無理をするも何もアーリグリフ王自らが彼の騎竜・オッドアイに乗せて連れ帰ると申し出ているので、の体に負担がかかることはほとんど無いのだが――

 ウォルターはその王のことでも一つ頭を痛めていた。

「ところで――陛下のことなんじゃがな。、お主ならば何か知っておろう」
「…………えっ…と、何か……とは?」

 相変わらず嘘がつけないにウォルターは笑う。

「ふぉふぉふぉ、ワシも伊達に年は食っておらんから大体のことは察しはつくが――ひどく沈んでおられての、このままでは公務にも支障をきたしかねんのじゃよ」
「………そうですか…」

 の脳裏に蘇るのは、魔光石を取りに来た時から始まる一連の出来事――それは、の気になることとも関連していた。







「――失礼致します、陛下」
「ん? すまぬが、今は執務の最中で手が離せぬのだ。ここには誰も近づけぬように言ったつもりだが……」
「申し訳ありません、陛下。御侍従には止められたのですが、御挨拶だけでもと……」
「! ! ではないか! いや、お前なら別に構わん。このような状態で話すのは勘弁して貰いたいがな。何だ、どうした? アルベルと一緒に侯爵級を捕らえに行ったのではなかったか?」

 ウルザ溶岩洞からアルベルと二人でアーリグリフの地下水路に魔光石を採りに来た帰り――アルベルが鍛冶屋に行っている間に、は単身アーリグリフ城を訪れていた。
 これでも、漆黒の一員として任務を遂行している途中――アーリグリフに立ち寄っておいて王に挨拶や報告も無しでは、立場上いろいろと都合が悪い。

「……そうか。中々道は険しいようだな。俺もオッドアイを捕らえるためにドラゴン・ロードを巡った時は苦労したものだ。―――アルベルの様子はどうだ? アイツにはあそこはツライ場所だろうが……だからこそ、に同行して貰ったのだがな」
 最初からアルベルのことを危惧していた様子の王に、流石<親代わり>というだけはあると、は微笑んだ。
「アルベル様は強い方です――過去を乗り越えたような……清々したような目をしてらっしゃいました。むしろ、助けて貰ったのは私の方で………」
 寂しそうに…しかしそれ以上に嬉しそうにアルベルのことを話すに、王は目を閉じて苦笑した。

「そうか……あのアルベルがな。お前達を見ていると、俺も昔を思い出してしまうぞ。――そうだな……お前達はこれからシランドへ行くと言っていたな。こうして今日お前が俺の部屋を訪れたのも何かの縁。一つ頼みたい事があるのだが、聞いては貰えないか?」
「頼みだなどと……何なりとお申し付けください」
「いや、なに。ここにある手紙を、とある人物に渡して欲しいのだ。ただし、これは国政には一切関わりのないことでな。この願い事は、アーリグリフ王国の国王としてではなく、このオレ自身の個人的なわがままと受け取って貰って構わない。もちろん命令でも無いのだが……どうだ、頼めるか?」

 個人的な手紙?――はぱちりと瞬きし、首を傾げた。

「陛下からの…お手紙を? 一体どなたにお届けすればよろしいのでしょう」
「聞いたところによると、シーハーツの施術兵器開発部長の職についているとの話なのだが……エレナ・フライヤという少々変わり者の女性でな。彼女に、この手紙を渡してもらいたいのだ」
 聞いたこともない名前だったが、シランド城に行けばすぐに分かるだろうと踏んで、は頷いた。
「確かにお預かりいたしました。必ずお届けします」
「すまぬな。いくら部下とは言え、忙しい時に個人的なことでお前達の手を煩わせてしまって」

 手紙を受け取った時の王の表情が――真剣なような照れくさいような複雑な表情で……はその手紙を大事に懐深くにしまったのだった。






「……すごく、キレイな所……」

 太陽の燦々と降り注ぐ街路で、はそう呟いた。
 大きく荘厳な門をくぐった先……そこに広がっていたシーハーツ王国の首都シランドの、それが第一印象だった。
 一年の大半を雪に覆われた過酷なアーリグリフと何と違うことだろう。
 国力云々という前に、与えられた環境の違いを痛感せざるを得ない。ペターニを訪れた時もその活気ある様子に驚いたが、シランドはそれに輪をかけて豊かな生活を連想させる夢のように美しい都だった。
 ついこないだまでこの国と戦争していたのだという実感が薄いのは、アリアスのように戦禍の爪痕を残さないからだろう。
 通りで賑やかに遊んでいる子供たちを見ても、微笑ましいと思いこそすれ、敵国の人間だから憎いとか……そういう感情は自分の中のどこを探しても無かった。

(アルベル様はどうなんだろう……)

 彼が漆黒団長に就任した頃にはとっくに始まっていた戦争……ずっと敵として先陣切って戦ってきたこの国に、アルベルは何を思うのだろうか――
 そんなことを考えている内、はシランド城に辿り着いた。

 アーリグリフからシランドの門前までエアードラゴンで送ってもらい、街に足を踏み入れたのがほんの三十分ほど前――アルベルとはそこで一旦別れた。彼は今頃、本来の目的である鍛冶屋にいるだろう。
 がわざわざ単身シランド城まで来たのは、もちろん例の手紙をエレナという人物に渡すためである。

 元より、ネルから預かった報告書もあった為、まずは先日も円卓会議で会った女王に挨拶程度の謁見を済ませる。その後、執政官のラッセルに便宜を図ってもらい、ようやく目的の部屋の前に立つことができた。
 案内の侍女につれられて入室すると、中にいたのは独特な雰囲気をまとった美しい女性だった。

「ようこそ。はじめまして、ね? 施術兵器の開発に携わってるエレナ・フライヤよ」
「はじめまして、急に押しかけて申し訳ありません。アーリグリフ軍漆黒団長副官のと申します」

 挨拶の印象も良く、和やかに握手を交わした瞬間だった。
 繋がれた手からビリビリと電流のような…不思議な感覚が走り、の脳に到達して痛みをもたらす。

「っ!?」
「あら〜、珍しい」
「――え?」

 痛みに顔を顰めた瞬間に言われた台詞を、は一瞬理解できなかった。
 ただ驚いているにようやく気づいたエレナが、苦笑しながらごめんなさいと言って手を離す。

「あなたね? フェイト君たちと同じ世界から来たというお嬢さんは」
「――はい。そうです」
「会えて嬉しいわ。聞いていた通り本当にかわいい娘さんだから、なおのこと嬉しいわね」

 微笑んだエレナにも微笑み返したが、うまく誤魔化されたような気がしてならない。
 彼女の纏う独特な雰囲気といい、何かしら違和感を感じるが、手の中の手紙がそれ以上の詮索を止めさせた。

「早速ですが、用件に入っても宜しいですか?」
 が居住まいを正すとエレナも穏やかに背筋を伸ばしたが、ふと首を傾げた。
「い〜わよ。あれ……でも確かちゃんってフェイト君たちとデッカイ竜を捕まえに行ったんじゃなかったっけ……」
「その道中なんですけど、とある方からエレナさんへの渡し物を頼まれまして。アーリグリフ13世陛下からお預かりしたお手紙です」

 手の中の手紙をそっとエレナに差し出すと、彼女は一瞬目を見張って、そして全く予想外のことに首を傾げた。

「アーリグリ……って、誰?」
「えっ……えっと、隣国アーリグリフ王国の国王で、私の仕える方でもあるんですけど……」
 が汗を垂らしながら必死に説明すると、エレナはますます考え込むように唸った。
「え〜? アリ…アリ…アリ…アリ………ん〜?! あ〜、アルちゃんね。なんたらら13世なんて難しいコト言うから、誰かと思ったわよ」
「アルっ……アルちゃん!?……ですか!?」
「なんかカッコつけてヤヤコシイ名前を使ってるみたいだけど、あのコって、本名をアルゼイって言うのよ。だ・か・ら、アルちゃん。ね」

 はぁ……と頷いて、は苦笑いする。あの威厳ある国王も、エレナにかかれば『アルちゃん』になってしまうなんて……部下として聞いてはいけないことを聞いてしまったような気まずい心地だ。

「で、あのコが私にこの手紙を?」
「――あ、はい。アーリグリフの国王としてでは無く、あくまで個人としてのものだそうです」
「ふ〜ん」

 そう呟いたエレナが起こした行動は、今度こそ信じられないものだった。

「エレナさん!? 何をっ!」

 エレナは、から受け取った手紙を封を開けることもせずにビリビリと破り捨ててしまったのである。

「あのコのことは知らないワケじゃないけど……今は、私の方にも立場ってモノがあるのよね〜。だから、さぁ……今、私がこの手紙を受け取るワケには行かないの♪ しかも、そんな風にコソコソと渡さなきゃいけないような内容ならなおさらね。って言っても、このままじゃちゃんが困るか。そうね〜……アルちゃんには、こう伝えといてくれるかな?――『話したいことがあるなら直接来やがれバ〜カ!』……ってさ」

 そう冗談めかして言う瞳がどこか寂しげで、は意を決して口を開いた。

「……僭越なことを申すようですが……陛下の様子から、私にもその手紙がどういう内容のものか分かるつもりです。それはエレナさんも分かった上での……お返事だということですか?」

 エレナがぱちくりと瞬きして、を見た。
「そうよ」

 即座にきっぱりと頷いて微笑んだその瞳に、頭の回転が速い人だと思った。
 それと同時に、好感を抱く。
 アーリグリフ王が見込んだ相手だけはある、と思った。
 出来れば王の望みを叶えたいと思ったが、これだけ自己をしっかりと持っている人では、などが何を言っても同じだろう。

「分かりました。本当に出すぎたことを言ってしまってすみません」
「いいえー。アルちゃんにしては、中々いい人材を手に入れたみたいね。惜しいわ〜、あなたやフェイト君が来てくれたら、私も楽になったでしょうに」

「私と……フェイトですか?」

 初対面の違和感も相まって感じた不信感は、抱いた好意には適わない程度のもので……その場はそのまま軽く別れの言葉を交わしてエレナの部屋を辞したのだった。





 シランドを出てからは再びバール山脈に直行した為、エレナからの伝言は文書にしてたちを送ってくれた疾風の彼に託した。
 その後、王に会ったのは、クロセルと一緒にシランド城へ帰還した際だった。


「――陛下!」
「おお、。無事か? 本当に侯爵級を捕らえてくるとはな――よくやってくれた。礼を言う」
「いいえ、そんな――陛下も、こちらにいらしていたのですね」
「ああ、国をかけた戦いだ。一人だけアーリグリフに残ってはおれんからな。それに幼い頃はこの城で過ごした……今も懐かしいと思って見回っていた所だ」
「そうなのですか……そう言えば、もうエレナさんにはお会いになられましたか…?」

 直接報告できずに気になっていたことだったので遠慮がちに尋ねてみると、王は軽く笑って見せた。

「いや、まだだ。話したいことがあるのなら直接訪ねて来いなどと……ハハハ、まったく、あやつらしいわ。昔からそういうやつであった。にも徒労をさせてしまってすまなかったな」
「いえ、お役に立てなかったようで申し訳ありません」
「そのような事は無い。お前は十分に役に立ってくれたぞ」

 ハハハと笑いながらエレナの部屋へと向かっていった王を見送って、はそっとため息をついた。
 恐らく、エレナは良い返事をしないだろう。
 あんな風に笑う王が傷つくのは見たくないが、こればかりはどうしようもない。


 その翌日にはバンデーンの攻撃があり、それをあんな形とはいえ乗り切った後、フェイトたちとの別れを迎えた。
 あの時に会った王は、普段どおりに見えたものの、やはりどこか元気が無かったように思う。エレナとのことが良い結果を生まなかっただろうことは、事情を知るどころかウォルターも気づいたようだった。

 その後、は一人寝台で静養しながら、エレナのことを考えてみた。
 考えれば考えるほど気になりだして……だから昨晩、彼女の部屋を訪れたのだ。


「あら〜ちゃん? どーしたの、急に」
「こんな遅くにすみません。……少しお話してもよろしいですか?」
「……そうね。とりあえず入って」

 彼女の私室は本や書類が錯乱していたが、本人は全く意に介した様子は無い。も勧められた椅子に腰掛けて、ベッドに座った彼女と向かい合った。

「それで? 何が聞きたいのかしら。アルちゃんとのこと?」
 エレナから切り出してくれたことに少し驚きながらもは頷いた。
「それもあります。――エレナさんの立場も分かりますが、陛下の口ぶりではお二人は昔……」
「ええ、そうね。昔は人並みの恋をしていたわ」

 あっさりと頷いたエレナに、はおずおずと尋ねた。

「では、なぜですか…? 私なんかが言うことではありませんが、臣下としても陛下にはエレナさんが必要なのだと、私は思います」
「…………」

 少し黙った後、エレナは静かに言った。

「理由や状況はともあれ、あの人が仕掛けた戦争に、私が開発した兵器で応戦した。――その間で失われていったたくさんの命には、どうやっても償うことは出来ない。幸せになんかなっちゃだめなのよ」

 その瞳がとても静かで……はエレナという人物がますます分からなくなった。
 道徳を弁えていながらも、様々な知識を持っているような――もしくは、多くのものを見てきたような――そんな<深さ>を感じさせるような、聡明な瞳。
 ふと、一つの考えが頭をよぎり、はそのまま口に出していた。

「…………エレナさん、貴女は……貴女も、私やフェイトと同じなのでは?」
「………ん〜、どうしてそう思うの?」

 あくまでペースを乱さないエレナの言葉に、も首を捻った。

「どうしてか……私も分からないんですけど、強いて言うなら――カン、です」

 は至って真剣に言ったつもりだったが、エレナは我慢できないというように吹き出して、けらけらと笑った。

「気に入ったわ〜、ちゃん。そのおもしろさに免じて一つだけ忠告してあげる。この間赤い星の船を襲った謎のエネルギー――あの勢力には、あなたは近づかない方がいいわよ」
「! それはどういう……私が倒れたこととも関係があるんですか!?」
「どうかしらね」

 それ以降は、もう何を聞いても答えてくれなかった。
 やフェイトたちが気になっていることの答えをエレナは知っている――そんな予感と同時に、エレナはこの星の住人でも――ましてやたちとも何か違うんじゃないかという漠然とした不安が残った。






「………、?」
 ふと我に返ると、ウォルターが訝しげにこちらを覗き込んでいた。

「どうした? 何か気がかりなことでもあったかの?」

 まさか、陛下が想いを寄せる女性に腑に落ちない点が……などとは言えない。

「――いいえ。エレナさん――のことですが、自分と陛下は戦争の責任があるから……だから幸せになってはいけない――と。そういうことをおっしゃっていました」
「そうか……うまくまとまれば良いと思っておったが、男女のことだけはいつの世も難しいものじゃて。陛下には、新しい恋でも見つけてもらうとしようかの」

 そう冗談半分に笑ったウォルターと一緒に部屋を出て帰国するために王の居室への道を辿りながら、アルベルのことが頭に浮かんだ。

 王もエレナも、フェイトたちも、アルベルも――みんな幸せになればいいと思った。

 謎の光もエレナの言葉も気になるし、漆黒の立て直しも大仕事だ。
 
 そんな状況の中で、がアルベルの幸せの為に出来ること――いつまでも彼に守られてばかりではなく、それを探さなければならないと、は密かに心に留めた。









05.2.5
CLAP