3.入団考試

 がカルサア修練場へ来て3日――

 脅威の回復力を見せて怪我も完治した記憶喪失の少女は、この砦中一番の話題となっていた。



「へぇ〜、そうなんですかー」
 場所は食堂、時刻は昼時、今日から自室ではなくこの食堂で食事をとるようになったの周りを、漆黒兵とメイドが数人取り巻いている。
「そうそう、とにかくこの砦の事は彼女たちやマユに聞けばいいよ」
 若くて年も近い漆黒兵が気さくにそう言ってくれたのに、近くに居たメイドや調理場詰めのマユはそうそうと言って頷く。
 がありがとう、と礼を述べている所へ、別の青年が近寄ってきた。

「なに話してるんだ?」
「ああ、ちゃんに此処の事で分からなかったら彼女たちに聞きなって教えてたとこさ」
 同僚の説明に、へぇ〜と相槌を打って、青年はを見た。
「だけど、団長は追い出したがってるんだろ? 勝手なこと言っていいのか……?」
 この言葉に、は深く溜息をついた。
「やっぱり……アルベル様は迷惑なんですよね……」
 明らかに項垂れたに、狼狽した青年は慌てて言葉を足す。
「いや、ほらこの前も言っただろう? 団長のあんな顔は見たこと無いって。だから、きっと追い出したいっていうのも照れ隠しなんだと……」

「――何を寝言みたいなこと喋ってやがる」
 急に頭上から降ってわいた声に、の周りの温度が一気に下がる。
「アルベル様……」
 呟いたの腕を掴んで、命の危険を感じ取った青年は謝罪の言葉を口にしながらその場を逃げ出した。




「はぁ……はぁ………悪い、大丈夫だったか?」
「はぁ……はい。――さっき気付いたんですけど、貴方、えっと…ラドフさん? 最初の日に会った……」
「え? ああ、そうだよ、アンタの悲鳴に駆けつけたラドフだ」

 あの時は鎧兜ごしだったので顔は知らないままだったが、声と先ほどの言葉から彼だと分かった。
 そして、どうやらこのラドフが意外と皮肉屋であることも――……
「……お願いだから、もう忘れて下さい」
 抹消してしまいたい程恥ずかしい過去に、は顔を背けた。
 こちらは真剣だというのに、ラドフは、はははと豪快に笑う。
「いや〜、悪い。アンタがあんまり楽しいから、つい……。それよりも、団長に入団させて欲しいって言ったってのは本当か?」

 行き倒れの少女が、あの『歪のアルベル』に入団を願い出たらしい――

 それが、この数日で砦に広まっていた噂だった。
 今日何度目になるか分からない質問に、は乾いた笑いと共に頷く。

「そんなに無謀なこと……なんですね、やっぱり」
 皆が皆、同じように呆れた顔をするのは、つまりそういうことなのだろう。

「無謀というか……だってアンタ、グラナ丘陵の敵にやられたんだろ?」
 グラナ丘陵とは、がポッドで到着した峡谷地帯……その南部の反応がこの砦で、北部にあった大きな反応がカルサアという町だと、はこの数日の間に学習していた。
 そして、このカルサア修練場を砦とする漆黒は、王都や隣国への出兵の際には、グラナ丘陵を通ることになる。
 そこに生息している生き物に危うく殺される所だったなどと、お話にもならないということか……。
「ちなみに……あの辺りのモンスターは、此処ら辺では強いほう…ですよね?」

 お願いだからそうだと言って! と言わんばかりのの瞳から、ラドフは視線を外す。
「あー……なんだ、シーハーツの方に行きゃ、もっと強いのも出るぞ」

 ガックリと肩を落としたに、ラドフは苦笑した。
「そんなに、漆黒に入りたいのか?」
「もちろん!」
 あまりの即答に、ラドフは声を上げて笑うと、軽くウィンクしてみせた。
「だったら、俺たちが力になってやるよ。志願した以上、入団孝試を受ける資格はあるんだ――女は駄目だってのは聞いたことが無いからな。だったら、アンタが強くなりゃいいだけの話だ」
 強く……と、簡単に言うけど……
 は一抹の不安を感じつつも、藁にも縋る思いで頭を下げたのだった。





 3日ぶりに王都から戻って、自室で一息ついた漆黒団長・アルベルは、ふと帰還してからまだ一度もあの少女の顔を見ていないのに気がついた。

 一週間ほど前に、グラナ丘陵で拾った少女――名をと言ったか。
 一応は戦っていたようだが、野性のザコモンスターに殺されそうになっていたいかにも非力な娘。
 そして、おかしな服装をしていた。
 考えてみれば、あんな場所にあんな軽装で女が一人……怪しいことこの上ない。
 その場で殺そうかとも思ったが、虫の息で見上げてくるその瞳を見るうち、なぜか気が殺がれた。

 事情を聞きだしてやろうと連れ帰れば、くだらない事で大騒ぎし、おまけに記憶喪失だなどと見え透いた嘘をつく始末。
 こんな非力な娘一人、仮に敵のスパイだろうが放っておいても害は無かろうと、わざわざ無罪放免してやろうとしたというのに……

 ――「私を、漆黒に入れて下さい!」

 一瞬頭がイカレたのかとも思ったが、もっと悪いことには真剣だった。
 確かに女が駄目だという取り決めも無いが、今まで入団を志願してくるような女は一人だっていなかった。
 今は隣国との戦争中で、常時兵は徴募しているが、だからと言って戦えもしない少女を入団させるなど論外だ。

「馬鹿もやすみやすみ言え」
 一蹴したアルベルに、しかしは引き下がらなかった。
「お願いします!」
 言った瞳が、かつての自分のようだったから……アルベルは強く出ることが出来なかった。
「……3日後、腕試しをしてやる。話はそれからだ」

 思わずそう言ってしまってから、今日で約束の三日目――。
 腕試しなどと言っても、あんな弱い少女相手に本気で戦うわけにもいかないし、かと言って負けてやることも出来ない。
 はどこにいるだろうかと考えを巡らせ、アルベルは溜息をついた。

 そうだ、そもそも、荒くれ集団の中に女が一人でやっていける訳が無い。
 今はここにもメイドや兵士以外の目があるが、一度戦場に出れば、戦闘で気が立った兵達が何をするか……
 少々とぼけてはいたが頭は悪く無さそうだったから、そんなことくらいこの三日間でにも分かっただろう。
 もう、傷も治ったのだし、ここを出て行くと言うかも知れない。

「………………」

 何ともいえない妙な胸のざわめきに眉を顰め、アルベルは部屋を出た。
 すれ違ったメイドにの居場所を聞くと、屋上だという答えが返ってきた。

(屋上……?)

 以前は処刑場として使われていたという陰気な場所は、普段あまり人が寄り付かない分、アルベルの気に入りの場所となっていたのだが……
 あんな場所で何を……?

 疑問に思いつつも上へ登って、アルベルは少なからず驚いた。

 休憩中なのか、兜だけを外した鎧姿の兵が五人ほど、屋上の中央に佇んでいる。
 そして、それらの中心に居るのは……

……?」

 最初に見た服でも夜着でも無く、動き易そうな服装に軽い胴当てなどを装備した少女は別人のように生き生きとしている。
 一瞬、兵達に絡まれているのかと思ったが、そうではなくどうやら一緒に何やら話し込んでいるらしい。
 楽しそうに笑い、兵の一人が親しげにの肩を抱いた所で、アルベルは足を踏み出していた。

「こんな所で何をしている」
「? アルベル様……!」

 一番に気付いたが、驚いて振り返る。
 その表情は緊張に包まれていて、先ほどまでの見たことの無い顔が消え去っていることに、アルベルの眉間の皺は一層深くなった。

「だ…団長、俺たちは別にサボっていた訳では……ただ、の訓練に付き合っていただけです」
「訓練だと?」
 そう言われて、アルベルはその時初めて、の手に小振りの弓と矢が握られていることに気付いた。

 それでは、まだ諦めていなかったのか――……
 呆れとも、喜びとも言い難い感情に、アルベルは戸惑いながらも喉の奥で笑った。
「――おもしろい」

「約束を覚えておられますか? 三日後――今日、腕試しをして、その結果如何で入団を考えて頂けると」
「ああ、覚えている」
「だったら、言葉の通り私を試して下さい」
 ざっと武器を構えたに、アルベルも刀の柄に手を掛ける。

「いいだろう、どこからでもかかってこい」

 言って、両者が間合いを取った瞬間、に闘気が生まれた。
(ほぅ……?)

 アルベルはますます口角を上げる。
 向き合えば分かる――どうやらこの三日間で、別人のように腕を上げたらしい。

 先に動いたのは、だった。
 まだまだ実力の上ではアルベルの足元にも及ばない――それが分かったのか、せめて先手を取ろうと、一気に三本の矢を放ってきた。
 一本を避け、二本を刀で払い落として、アルベルは一気に間合いを詰める。

「阿呆が! ガラ空きなんだよ!!」
 いとも容易く懐に飛び込んだアルベルに、が驚いたのは一瞬。
 すぐに、その口元に、ニッという笑みが浮かんだ。

「油断は禁物ですよ」
「何……っ!?」

 気配に気付いたアルベルが振り返ると、なんとさっき避けたはずの矢の一本が空中で弧を描くように反転してアルベルの元へ戻ってくる所だった。

「チッ……!」
 忌々しげに舌打ちして、再び距離を開ける。
 しかし、遠距離は弓の攻撃範囲だ。
 すかさず飛んでくる矢をもう戻ってこないように全て叩き伏せながら、アルベルは独特のステップを踏むようにあっという間に距離を詰め、の首元に刀を突きつけた。

「――終わりだ」
「……まいりました。流石ですね、アルベル様」

 冷たい刃を向けられながら、尚且つ負けたというのに、は嬉しそうに微笑んだ。
 その、先ほど兵たちに向けていたものとも違う笑みに、アルベルは一瞬言葉を失い、舌打ちと共に刀を引いた。

「―― 一つだけ聞く。お前は漆黒に入って、何を成す?」
「私は――自分の心のままに、心に正直に生きるだけです」

 まっすぐな瞳で言われた言葉に、アルベルは目を閉ざして背を向けた。

「―――好きにしろ」

 去り際にちらりと見遣ったの顔は驚きでいっぱいで、しかしすぐに満開の笑顔となった。
 熱くなる頬に気取られる前に屋上を後にする。

 らしくないと思いつつも、アルベルの口元には微かな笑みが浮かんでいた。








04.3.14
CLAP