「アルベル様ー、アルベル様ー?」
いつにも増して冷たい風が吹く屋上に、の声が響いた。
「おかしいなー、ここに居るような気がしたのに……」
呟いて、は首を捻る。
がアルベルから漆黒入団の許可を得た翌日の夕刻。
同僚となる漆黒兵の大半が歓迎してくれ、一日掛けて仕事に関する丁寧すぎるほどの説明を受けた。
仕事と言っても簡単にまとめると、上官の命令が無い時は交代で見張りをしたり、鍛錬するぐらいで、平時は自由な時間が多いようだ。一度戦争が始まれば、呑気なことは言っていられなくなるだろうが……
「アルベル様ー、居られませんかー?」
もう一度声を張り上げてみたものの返事は無く、は諦めの溜息をついた。
上官――さし当たっての教育係となったラドフから命じられた初仕事が、『団長を呼んでくること』だったというのに、そのアルベルがいくら探しても見つからない。
何となく……本当にただ何となくの勘だが、きっと屋上に居るだろうと思っていただけに、の落胆は大きかった。
「仕方ない、他を探さないと……」
溜息と共に踵を返した所で、正面から何かにぶつかった。
それが人だと知って、は慌てて謝罪する。
「すみません! 大丈夫ですか?」
ジロリと見下ろしてきたのは、大柄な男。
「あ…、シェルビー様……」
は突然の副団長との遭遇に内心顔を顰めて、表面上は蔑むような視線ににこりと笑顔を返した。
「申し訳ありません。団長を探しているのですが、見かけられませんでしたか?」
完璧なポーカーフェイスだったというのに、シェルビーはの言葉に眉一つ動かさなかった。
「団長が、お前のような女の入団を認めたなどと信じられん」
どうやら、最初からの質問になど答えるつもりもないらしい。
は呆れつつも、笑みを崩すことは無かった。
「正式な入団は、王との謁見で認められると聞いております。その点では私はまだ正式には認められておりませんが、今後もよろしくご指導下さい」
「――そもそも、女ごときが神聖なる漆黒に加わるなど、厚かましいにも程があるのだ」
の非の打ち所の無い挨拶を無視して、シェルビーがそう吐き捨てた時だった。
後ろのエレベーターの方から年季の入った笑い声と共に、一人の老人が姿を表わす。
「礼儀を弁えた若者の言葉に非礼を持って返すのは、上官として如何なものかのう、シェルビー」
「これはっ…、ウォルター伯っ!」
ウォルターと呼ばれた老人は、シェルビーの反応から見ても国のお偉方なのだろう。
無礼に当たらぬ程度にがお辞儀すると、ウォルターは朗らかに笑った。
「しばらく来ぬ内に、漆黒には華やかさが加わったようじゃの。紹介してくれんか――アルベル」
「えっ……アルベル様!?」
ウォルターの言葉にが驚いて振り返ると、そこにはいつの間にか探し人であったアルベルが佇んでいた。
の背後は屋上への扉だけだったから、やはり屋上のどこかに居たということだろう。
アルベルは面倒くさそうに溜息をつき、の隣に並んだ。
「こいつは、。まだ正式じゃないが、昨日付けで入団を認めた」
最後はシェルビーに視線を向けて言ったアルベルに、ウォルターがそうか、と笑顔で返す。
「ワシはウォルターじゃ。カルサアに住んでおる。こんな老いぼれじゃが、風雷を任されておってな」
アルベルと同じく三軍の団長と聞いて、は丁寧に礼を取った。
「と申します。よろしくお願いします、ウォルター様」
「ふぉふぉふぉ。流石アルベルが認めただけはあるようじゃのう。中々しっかりしておる」
「――ありがとうございます」
先ほどとは違い、は心からの笑みを浮かべた。
シェルビーに対しての発言も好印象だったが、何よりもアルベルのことを嬉しそうに見つめるこの老人がは一目で好きになってしまったのだ。
「ふむ、ワシも40年若ければの……」
「――用件はなんだ、じじい」
じろりと睨んだアルベルに、ウォルターはまた楽しそうな笑みを浮かべる。
それを見て更に噛み付くアルベルという微笑ましい光景を苦々しく見つめる視線に気付きつつ、は苦笑を浮かべた。
その二日後の夜半。
砦の最上部にある物見櫓から、は空を見上げていた。
初めての夜番――、に割り当てられたのは、物見櫓の見張りであった。
外回りの見張りよりも危険はずっと少ない箇所で、自分が女だからという気遣いがあるのではないかと懸念したのだが、弓という長距離射程の武器を理由に上げられたので、は何も言わずに引き受けた。
正直、戦力的にはこの砦の誰よりも劣ると自覚しているし、女という性別上のハンデもあるが、そのことで差別はされたくない。
今回のことも建て前はどうあれ、実際はやはり気遣いからの配置に思われて仕方ないが、それならばこつこつ努力して信頼を得ていくしかないのだ。
「………ここからは、星がよく見える」
思えば、この惑星に来てこんなにもゆっくり空を見上げたのは初めてだった。
つい数日前まで、自分が居た場所――ハイダや地球に繋がっている宇宙。
無意識に、そこから目を背けていたのかもしれない。
ポッドで彷徨っていた時に腐る程見た星達も、こうして改めて見ると、やはり美しいと思う。
その美しさを、ようやく思い出すなんて……
「余裕が無いなぁ、私も……」
「――何を呑気に呆けてやがる」
独り言を呟いた直後に背後から声を掛けられて、は文字通り飛び上がった。
「アッ…アルベル様!」
大袈裟に驚かれて不機嫌さを露にしたアルベルが、いつもの恰好に短めのマントを羽織って立っていた。
「俺の気配にも気付かねえんじゃ、見張りの意味が無いだろう」
「うっ……スミマセン」
アルベルの言うことは尤もだったので、は一言も反論できず頭を下げた。
慌てて外に視線を戻したの背後で、アルベルが腰を下ろした気配が伝わってきた。
「……何を考えていた?」
少し、厳しい声だった。
記憶喪失という見え透いた嘘を追及せずに入団を認めてくれただけでも充分有り難かったが、やはりまだ信用して貰ってはいないのだという事実が、当たり前だと分かっていても悲しい。
「……星空が…綺麗だなぁと思っていました」
当り障り無く喋れることだけを言ったら、間の抜けた答えになってしまった。
案の定、アルベルは呆れたように「阿呆か…」と溜息をついている。
この人には呆れられてばかりだと思い、同時にそれでも構わないと思える自分には苦笑した。
それが表にも出てしまったのか、眉を顰めたアルベルに、は慌てて手を振る。
「いえ、いろいろな事があって、こうやって星を見上げることも無かったので――久しぶりに見ても、やっぱり綺麗なものですね」
いろいろな事――その言葉に反応したアルベルに、は内心しまったと後悔する。
その事について尋ねられても、また嘘をつかなければならないのに――……
「――じじいに言われた。お前は何者かとな」
「………………」
何者――そういう問われ方に対する答えは、例え隠し事が無くても自身にも分からない。
じじいとは、先日会ったウォルターのことだろうが、あの博識そうな老人が気に止めるほど、自分は大した人間ではないとは黙する。
「……俺はお前の事情も考えも知らねぇし、無理に聞くつもりも無いが、……二日前にここで俺に言った言葉………」
――「―― 一つだけ聞く。お前は漆黒に入って、何を成す?」
「私は――自分の心のままに、心に正直に生きるだけです」
あの言葉に、嘘偽りは無い。
何を言われるのかと身構えたに、アルベルは予想外のことを口にした。
「――好きなように生きるのは構わんが、お前、ただ行く所が無かっただけじゃねーのか?」
・・・・・・・・・
思わず目を点にしたは、数秒後に溜まらず吹き出した。
今まで背を向けていたアルベルに向き直って、笑いの収まらぬ胸を抑えながら、首を縦に振る。
「そうですね……確かに私は行くあてもありませんでしたから、こんな私に居場所をくれたアルベル様には感謝しています」
おちゃらけた口調だったのでからかっていると取ったのか、アルベルはむっと睨みつけてくる。
無く子も黙るようなその視線に、は微笑で返した。
「本当に、感謝しているんです」
初めて、自分で決めた行動の結果――
初めて、自分で掴んだモノだから――……
「……これだけは言っておく。お前が俺の前に立ち塞がった時は、容赦なく斬る――」
「――――はい」
鋭く、強い光を宿した瞳――
グラナ丘陵で初めてアルベルに会った時、その瞳に惹かれたのだと思う。
そして、強いと同時に優しい心を隠し持った人であることも分かった。
だから、はそのアルベルの傍で、共に歩いてみたいと思ったのだ。
「アルベル様」
呼びかけに、アルベルの赤い瞳がを見た。
「ありがとうございます。私、頑張ります」
出し抜けに言ったにアルベルは怪訝そうに瞬きし、すぐにフンと瞳を閉じてしまった。
元より、返事なんて期待していないから、彼らしいと苦笑して、も見張りに専念する。
沈黙が苦にならない――
そんな嘘のように穏やかで静かな夜は、二人の間でゆっくりと過ぎて行った――……
「アルベル様ー、アルベル様ー? ……あ、やっぱりここだったんですね」
昨夜の物見櫓の上――
に隠れ場所をとうとう見破られてしまい、アルベルは苦々しく毒づいた。
今度からはアルベルを探すという任務も随分簡単にこなせそうだと上機嫌のは、反対に不機嫌なアルベルに一通の書簡を手渡した。
「王都からの急使だそうです」
急使と聞いては無視する訳にも行かず、アルベルは面倒くさそうにその場でざっと目を通した。
内容は、緊急で三軍会議を招集するというもの。
そして、その末尾に、意外なことが書かれていた。
「じじいからだ――、お前を今日の会議に同行させろだとよ」
04.3.14