自分の過去を知っても、側に在る事を認めてくれた仲間が――アルベルの言葉が、嬉しくて。
それに少しでも報いたいと思った。
少しでも――彼の役に立ちたい。
彼の為になることがしたいと。
だから、その為なら例え彼から疎まれようと、構わないとさえ思った。
でも、それはひょっとしたら口実だったのかもしれない。
それはバール山脈に足を踏み入れて五日―― 一行がウルザ溶岩洞に達した頃。
は、バール遺跡を越えてからこちら、アルベルの様子が常とは違うことに気付いていた。
とは言っても、具体的にどこがおかしいといった訳では無かったし、他のメンバーも別段何も感じていないようだ。
けれど、戦闘の時――竜との戦いのさなか、その違和感は一際大きくなる。
憎しみに満ちた――闘気。
ガントレットの上から左手を押さえる、あの仕草。
隠そうとしているようだが、戦闘後はひどく疲労しているようにさえ見える。
戦闘後、ドラゴンの死骸を見つめたまま動かないアルベルに、は焦燥にも危機感にも似たものを感じるのだった。
こんな瞳を、知っている――過去に捕らわれた瞳。
目の前にいるのに、ひどく遠く感じられて……
これ以上彼との距離が広がらないように……は知らず、アルベルの服の裾を握っていた。
反射的に振り返ったアルベルが軽く目を見張ったことでようやく自分のしていることに気付き、慌ててぱっと手を離した。
「すみません…」
アルベルは何も言わなかったけれど、それさえ目の前にいるを見ていない証拠のように思えて――
そんなアルベルはひどく危うげに見えて、何事も無ければいいとが危惧していた矢先だった。
「ねぇ、アンタ――アルベル。前に会った時から思ってたんだけど、アンタから微かに施術に似た波動を感じるんだ。施術はシーハーツでもごく一部の限られたもののみしか使えない秘術――私が何を言いたいか、分かるだろ」
その夜の野宿を決めた一角で――ネルがおもむろにそう切り出した。
「アルベルも施術を? 知らなかった……どうして使わないんだ?」
フェイトからもそう尋ねられて、アルベルは眉を顰めた。
「俺のは施術とかいうやつじゃない。使わないのも、単に面倒臭いからだ」
「施術じゃない?」
「面倒くさい?」
同時に聞き返されて、またアルベルの眉間が険しくなる。
「施術じゃないなら、何だって言うんだい? 施術は初代アペリスの聖女の血を引いていれば、後は知識さえあれば使える技。アンタがカルサア出身だってんなら、シーハーツを出た施術師の子孫だとしてもおかしくは無い」
カルサアは国境に接している町でもあるし、だからシーハーツから流出した施術と考えるのが一番妥当だろうと……ネルはそう言いたいのである。そして、施術に関する知識をどこから得たのか――と。
「施術なんか知らん……これ以上話すことはねぇな」
ネルとフェイトに背を向けて、頑なな態度で横になったアルベルを、は複雑な心地で見つめた。
元々今日は、初めて旅の障壁らしきものに行き当たってそれに対しての意見もまとまらず、メンバーも疲れきっている。
そんな中で独りを貫くような態度は結束を脆くするし、アルベルにとっても良くない。
旅の障壁――それは、ようやく辿り付いたウルザ溶岩洞の最奥――侯爵級ドラゴンの住処であるそこへの道が、巨大な岩壁によって塞がれていたことだった。
人の力では、どうやっても破壊できそうにない。
途方に暮れて別のルートを探す内に、溶岩洞のど真ん中に民家を発見し、そこの住人である変わり者のマーチラビット族クリエイター――バニラに出会った。
バニラの言によれば、障害となっているあの岩壁は、<バニッシュリング>というマーチラビット族の発明品で破壊可能だという。
だが、バニッシュリングを作るためには、<魔光石>という鉱物が必要な上、それはアーリグリフ城の地下水路でしか採れないというのだ。
バンデーン絡みの情勢は一日一刻を争っており、ここまでの道のりを考えるとまた往復するタイムロスは厳しいが、侯爵級ドラゴンに会う為には必要不可欠だ。
では、一旦アーリグリフまで戻るしかないと意見がまとまりかけた所で、このまま侯爵級に対するのには不安があることからどうせアーリグリフまで行くならついでにシランドまで行って腕利き鍛冶屋で装備を整えてから出直してはどうか、という意見も出て、それについての話し合いがまとまらず、こうして一時休息ということになっていた。
限られた時間の中で次の行動も決まらず……こういう時、以前アルベルが言っていた様に決断を下すリーダーが明確でないというのは致命的だとも感じていた。
先が見えない状況というのは、それだけで神経を磨耗するものである。
「そんな言い草はねぇんじゃないか? それじゃあ説明になってねぇだろ」
「――まぁ、待ってよみんな。今はそんなことよりも、これからどうするのかを考えましょう」
「そんなこと? アルベルが施術を使えるか否かは戦局にも関係するし、そんなこととは思えないんだけどね。本人が答えないなら聞く相手を変えるとしようか――、あんたはこいつの副官だったんだろう? だったら知ってるんじゃないかい?」
クリフとマリアも加わった口論の中からネルに話を振られて、は思考に耽っていた顔を上げた。
こちらに注目している一同を見回して、内心こっそりため息をつく。
みんな相当にまいっているようで、こんな空気から抜け出したいという気持ちがありありと表情に表れている。
の役目は明白だった。
「聞いておくわ」
「え?」
あまりにも簡潔な返事に、思わず声を発したフェイトを見つめ返してはにこりと微笑んだ。
「私も知らないの。だから、ネルの言うように戦局に関わるものなのかどうか……今はアルベル様も教えてくれる気は無いみたいだから、今度聞いておくわね」
険悪になってきた雰囲気を追いやるように、そのままの勢いでは続ける。
「それから、魔光石を取りに行く話だけど――」
唐突な話題の変換に、しかし、の口調がにこやかなまま変わらなかった為か、誰も異を唱えることはなかった。
「ここは、私とアルベル様で行って来るというのはどうかな?」
「とアルベルが……二人で?」
にっこりと頷いたに、フェイトは難しい顔をし、自分の名前が出てきたアルベルも無言で身を起こした。
「アーリグリフの地下水路となれば、一番詳しいアルベル様が行くのが確実。しかも疾風にも顔が利くし、行きは定員オーバーで諦めたエアードラゴンでの移動も二人なら可能だからシランドまで行っても大した時間はかからないわ。その間残った皆がこの辺りを探索すれば、有益な情報が得られるかもしれないし、対侯爵級の備えにもなると思うんだけど……どうかしら、マリア」
クォークのリーダーであり、この中で一番物事を冷静かつ客観的に考えるマリアに意見を求めると、彼女も納得したように頷いた。
「の意見が一番合理的みたいね。でも一つだけ言わせて貰えば、別に貴女まで行く必要は無いんじゃないの?」
マリアの言う通り、確かにアルベルならば一人で任せても問題は無いだろうが……
ただ黙ってこちらを見ていたアルベルの視線に気づき、は先日の言葉を思い出して微笑んだ。
――今のお前は俺の部下で副官だろうが。
「私はアルベル様の副官だから、アルベル様が行く所にはついて行くわ」
きっぱりと――自分でも驚くほどすんなり出た言葉に、フェイトもマリアもクリフもネルも目を見張っていたけれど、は確固たる意思と共にアーリグリフへ発つべく立ち上がった。
アーリグリフ地下水路――
暗く寒いそこで真っ先に連想したのは、アーリグリフ城の地下にあるあの牢獄だった。
思わず足が竦んでしまい、怪訝そうに振り返ったアルベルに、は何でもないと首を振った。
あの後、何とか全員の承諾を得たは、アルベルと共にウルザ溶岩洞・バール遺跡を通ってバール山脈から出た。
行きとは違ってルートが判明していたのとモンスターの数が減っていたのとで、一日とかからずここまで戻ってこれたことになる。
時間が無いため、アーリグリフに入っても宿で休息することすらせず、まっすぐにこの地下水路に入ったのだが、いくら疲れていると言っても休むことなど出来ない。アルベルの行く所にはどこであろうと同行するとそう決めたばかりなのに、こんな所で立ち止まっている場合ではないのだ。
何か他のことに集中しようと意識を切り替えたところで、はアルベルの様子もかなりおかしいことに気が付いた。
バール山脈を出てからここまでエアードラゴンでひとっ飛びだったから気づかなかったが、かなり体調が悪いようだ。
戦闘時の変化は如実で、ガントレットの左腕を全く使っていない。
「――アルベル様!」
モンスターをあしらいながら、バニラから貰ったバニッシュボムで黙々と氷の壁を破砕していたアルベルに、は走り寄ってその左腕を掴んだ。
「なっ…く…!」
「大人しくして下さい! 一体いつからですか!?」
触れられただけで痛みがある様子のその腕から無理やりガントレットを剥ぎ取り、包帯を外して、そこでははっと息を呑んだ。
「これ……は」
そこには、ひどい火傷が……しっかりとドラゴンの形を象って刻まれていた。
肩口から上半身を現した竜は左腕全体をぐるりと締め上げるように巻きついている。
尾の方は胸元へ続いており、そちらも相当痛むのだろう。
赤黒くちりちりとまだ熱を持っているようにさえ見えるそれは、ひどく痛々しい。
確かにアルベルの様子がおかしいと感じていた……それがドラゴンと何か関係しているのだろうということも分かっていた。だから、魔光石採取の役目も半ばアルベルを一旦あの場所から離すのが目的で買って出たというのに……
明らかに悪化している様子に、が眉をしかめた時だった。
「……焔の継承…って儀式がある」
おもむろに口を開いたアルベルに、は弾かれた様に顔をあげた。
以前、ウォルターの元でこの国のことを学んだ時に、書物で読んだ覚えがある。
「疾風への入団の際に、ドラゴンを相手に試されるという……」
「ああ。俺は昔それに失敗して……親父まで殺した」
は驚愕に目を見開いた。
「儀式の失敗はそのまま死を表している。だが親父は、俺なんかの身代わりになってドラゴンの業火に焼かれた」
の脳裏にはずっと昔――目の前でを庇って死んでいった両親が焼きついている。
「こいつはその時に受けたドラゴンの呪いとかいう奴だ。そのせいで焔を操ることも出来るが、わざわざ使う気にはなれねぇな…」
は胸の痛みを握り締めた。
無力な自分をどれだけ呪っただろうか。
しかもそれは、火傷と呪いという確固たる形でもってその身に刻まれ、今までずっとアルベルは苛まれ続けてきたのだ。
その刻印を覆うガントレットを<戒め>だと言ったアルベル……自分と近い過去がある分だけ、彼の気持ちが分かる気がした。
そして、彼がまだ過去と戦い続けているということも――
「昔、ある人に言われたことがあります。過去が痛むのは、まだ未来よりも過去に引きずられているからだと――」
手持ちの応急セットから出した傷薬と真新しい包帯で手当てしながら、は静かにそう言った。
アルベルの赤い瞳が鋭い光を宿してを射る。
憎まれても疎まれてもいい。
それでアルベルが過去の痛みから開放されるなら、出来るだけのことをしたかった。
しかし、次にアルベルが口にしたのは意外な言葉。
「俺より、お前の方がよっぽど痛そうなんだよ、阿呆が」
「…わた…し……?」
目を見張ったの腕をアルベルが掴む。
「てめぇで気付いて無かったのか? 今にもぶっ倒れそうな顔色しやがって」
さっと顔が強張るのが自分でも分かった。
地下、監禁、拘束、伸びる手、暗闇、動かせない…身体――
ばっとアルベルの腕を払いのけて、は一歩後ずさり、その場に蹲った。
耐えていたものが一気に噴出してくるような感覚に襲われる。
震えが止められない。闇に塗りつぶされそうな心が痛い。
「………阿呆。過去は忘れろと――命令だと言ったはずだ」
力強く抱き寄せられて、反射的に怖いと思う反面、ひどく安堵している自分に自身が戸惑った。
次第に消えていく震えが温かさに取って代わって、の中で奇妙な感覚が混ざり合う。
「………痛みが消えやがった。随分と単純に出来た呪いだぜ。………単純なのは俺か…」
「……アルベル様……?」
「もうしばらくそのままで居ろ、阿呆…」
「………………」
離れようとすればもっと強く抱きしめられ、の戸惑いは大きくなる。
アルベルが呟いた言葉の意味さえ、正確に拾えるような状態では無かった。
だが、次の彼の言葉は不思議なほどの心に響いた。
「過去と未来――か。おもしろい。過去に縛られるなんざ、いい加減飽き飽きしてたとこだからな。使える力は何だって利用してやる。―――お前はどうする?」
は、少し体を離してアルベルの瞳を見た。
初めて見た時と同じ赤い瞳――だが、今はもう未来を見つめる強い眼差し―――
は知らない。アーリグリフの地下牢に閉じ込められていた時、瀕死のに会う為に、アルベルが躊躇い無く呪いの力を使ったのだということを――
アルベルにも教える気は無い。このきっかけでも無かったら一生使わなかったかもしれない力などと――そんな飾り物の力はもうこの世に無いのだから――
「……私はアルベル様の副官です」
は、自分に言い聞かせるように言った。
強くなりたいと――これ以上彼との距離を開けられたくないと思った。
「アルベル様が行くところにはお供します。アルベル様が先に進むというなら、私も進むだけです――」
ニヤリと、アルベルが笑った。
幼子のような、満足げな、屈託の無い笑み――
「いい度胸だ――」
それがどんなに厳しい戦いになろうとも。
アルベルと一緒なら、きっと越えて行けるに違いないと。
は確信して目を閉じた。
憎まれても疎まれてもいい――それでも彼の為になることをしたかった。
むしろ、彼の為に…彼から疎まれることをこそ、望んでいたのかもしれない。
だが、実際は救われたのは自分の方だったことに――は自嘲の笑みと共に、哀しげに瞳を曇らせた。
05.1.23