アルベルと彼に従っていた漆黒兵たちがアーリグリフ城に担ぎ込まれたのはその日の陽が落ちる頃だった。
たちの部隊が補給用に使っていたルム馬車に乗せて運ばれる間、不幸なことにアルベルはずっと意識があった。
道中で、フェイトたちと何があったのか誰も聞いてこようとしなかったが、だからと言って気分が晴れる訳ではない。
彼にとっての不幸は、しっかりと考える時間があったということだ。
それは、アーリグリフ城に着いてからも同じだった。
手当てされて以後、王の計らいからか人払いされた部屋で、アルベルは静かに半身を起こした。
「…………………」
ガントレットを嵌めたままの左手をじっと見つめる。
もう数年前、自らの未熟さ・傲慢さの為に父を失った時に負った火傷の跡……それを隠すようにガントレットをつけたのは、弱い自分を強さで覆い隠そうとしたからかもしれない。
がむしゃらに向かってきたフェイトたち三人を侮っていなかったと言えば嘘になる。
配下の二人はすぐに倒れ、実質上アルベルは三人を相手にした。
そして、アルベルは負けた――戦いにおいて、そこにあるのは勝つか負けるか…強いか弱いかのどちらかだけだ。
一対一で無かった事は、アルベルにとって何の理由にもならない。
彼らの力はアルベルよりも優っていた………認めたくないが、それは純然な事実なのだ。
――「僕にも弱い者イジメの趣味はないんだ。…彼と一緒でね」
フェイトの言葉は、アルベルが十年近く執着し続けてきた強さのプライドを打ち砕くものだった。
「っ…………!」
深い傷を意にも介さず、アルベルはガントレットを外し、部屋の隅へ思い切り投げ捨てた。
派手な金属音を立てて転がるそれを尻目に、その横を通り抜ける。
煩わしい記憶や考えから逃れるように、アルベルは部屋を後にした。
満月(この場合地球では無いので正確には月ではないが)の美しいその夜、は久しぶりに訪れたアーリグリフ城内を歩いていた。
石造りの天然の城砦は、眠りの闇に沈んでいる。
外は吹雪。
窓を一枚隔てた場所を次々に過ぎ去っていく雪を見つめながら、は白い息を吐いた。
「こんな寒いの、初めて……」
呟いて、目を閉じる。
今までの人生を文明の発達した地球で育ったにとって、管理されていない厳しい気候というのは親しみが無い。
気候や天候まで機械によって管理された、自然など皆無の星の人間が、今こうして未開惑星で寒さに震えている……
早速調達してきた厚手のコートの前をかきあわせながら、は感慨に耽った。
混乱に乗じてハイダを抜け出して数週間、いろいろな事があったと……
その時、静寂を突き破るように唐突に、甲高い音が響いた。
「……っ!?」
金属が何かに叩きつけられたような……安らかな夜にはおよそ不釣合いで、どこか不吉な音。
そして、前方に続く長い回廊に、一番奥の部屋から乱暴に男が一人出てきた。
(アルベル様……!?)
呼びかけようと開いた口は、今が夜中であることと、そしてアルベルのいつもとは違う様子に固まった。
苛立たしげに髪をくしゃりと掻き揚げて、そのままのいる場所とは逆の階段へと消えていったアルベルには戸惑う。
やがて、自分が彼に会いに行くところだったのを思い出すと、はようやく止めていた足を進めた。
途中、アルベルが出てきた部屋の入口で、乱暴に放置されたガントレットを見つける。
「さっきの音は……」
これだったの……そう呟くと、それを拾い上げて胸に抱き、は足早にアルベルを追いかけた。
「アルベル様……」
「……何の用だ」
大分前からの気配に気付いていたのだろうか。
窓辺にもたれて外を見つめていたアルベルは、背後からのの呼びかけにも動じること無く応えた。
階上の城下を見渡せる回廊。
王のドラゴン、オッド・アイの住む部屋の近くである為か、人の気配が無い。
いかにもアルベルが好みそうな場所だと思いながら、はまだこちらを見ようともしない彼の背中を見つめた。
しばらく窓の外を吹きすさぶ吹雪の音だけが支配していた空間を、先に破ったのはだった。
「風邪を…ひかれますよ?」
今のアルベルの恰好と言えば、城に運び込まれた時のまま……つまり普段の薄着な衣装のままだ。
おまけに今は、いつもガントレットを装備している左手は剥き出しで、暗い中でもわずかな包帯を巻いているだけだと分かる。
純粋に、寒そうだから……という理由で持ってきたガントレットを差し出したの手をアルベルは力いっぱい振り払った。
「っ……!!」
耳を覆いたくなるような金属音が石の城内に反響する。
その音と、手を打った痛みと……それ以上に拒絶されたことがの胸を突き刺した。
叩かれた衝撃でわずかに漏れたの悲鳴に、アルベルもはっと動きを止める。
二人のどこか戸惑いがちな視線が雪明りの中で合わさった。
だが、それも一瞬のこと。
すぐに逸らされたアルベルの赤い瞳は、また外を向く。
今度は、沈黙は無かった。
「誰が…風邪なんか引くか、阿呆が。お前とは鍛え方が違うんだよ」
どう見ても吹雪の夜に相応しい恰好では無いというのに、アルベルは平然と言ってのけた。
普段どおりの口調に、は自分でもおかしいと思いながらもほっとする。
しかし、それも次の言葉に遮られた。
「……俺の事は放っておいて、それを持って消えろ。今は見たくない」
見たくないと言ったのは、ガントレットなのか……なのか。
ぎゅっと奥歯を噛み締めたは、つかつかとアルベルとの距離を縮めると、彼の腕に無理矢理ガントレットを押し付けた。
キッと上げた視線が、どこか挑戦的にアルベルを見上げる。
「何だか知りませんが、アルベル様は意外と弱虫なのですね! 見たくないものから逃げるだけなんて」
不意打ちを食らったアルベルの目が大きく見開かれた。
そして、不機嫌に怒るかと思った口は、自嘲するように歪む。
押し付けられたガントレットを見つめて伏せられた赤い瞳が翳った。
「弱い、か……お前もあいつらと同じ事を言う」
「え……?」
意外な言葉に、は目を瞬いた。
アルベルが弱いと……そうフェイトたちがそう言ったというのか。
「”力”……親父がいなくなってからはそれが俺の全てだった。地位や名誉など興味は無いが、力を認められるなら何でも良かった」
過去を彷徨うような口調に、アルベルの苦渋が見える気がした。
「そのガントレットは……アルベル様にとって何なのです?」
左手の怪我――恐らくひどい火傷だろう――を隠す為だけではあるまい……の静かな口調に、アルベルは短く答えた。
「戒めだ」
その言葉に、は過去の自分を重ねてみる……
ただ耐えて、現実から逃げていただけの自分と、なんと違うことだろう。
「だから、アルベル様は強いのですね」
心からの台詞に、アルベルの怪訝な瞳が向けられた。
そして、は理解する。
そういう彼の強さと……そして、このどこまでも不器用な心に、惹かれたのだと。
目線で説明を促してもただ微笑んでいるだけのに、アルベルの眉間はますます皺を寄せ、そして、ふと窓の外に視線を向けて聞いた。
「……お前は、どこから来た?」
今は吹雪で何も見えないその窓は、先日フェイトたちの小型船が墜落した辺りを向いている。
(ウォルター様か……それとも………)
アルベル自身がどこまで気付いているのか。
気にならぬ訳ではなかったが、今のにとっては問題では無かった。
なぜなら、今夜アルベルに全てを明かそうと思っていたからだ。
不自然な場所に突然現れた女……フェイトと顔見知りであること、クリフを知っていること、どれをとっても怪しく、何一つ弁明できていない。
それで信じて欲しいと……傍にいさせて欲しいと思うことは、我侭に過ぎるというものだろう。
アルベルに対しての忠義以外の感情に戸惑ったこともあったが、そもそもにはそういった感情を受け止める気は無いし、認められるとも思えない。
それならば、異星人だと打ち明けて相手から距離を置いて貰えばいい……そう思ったのだ。
「どこから来た?」
こちらに向き直ってもう一度聞いたアルベルに、はすっと窓の外……遥か上空を指した。
「空の上……そのもっとずっと遠くの、別の星から」
アルベルが息を飲んだのが分かった。
だが、それに続く言葉を、は聞く事が出来なかった。
階下から慌しく登ってきた数人の疾風兵が、あろうことかこちらに一斉に武器を向けたからだ。
「何……!?」
は反射的に慌てて背中に手をやり、そこに弓が無いことを思い出して余計に焦った。
何が起こっているのか、パニックした脳は一つも理解できない。
「……夜も更けている。大人しくするのだな―――アルベル」
疾風たちの後ろから悠々と歩いてきた人物を見た時、の中で嫌な予感と確信が混じり合い、それは冷や汗と叫びに変わった。
「ヴォックス様!」
慌ててアルベルの前に出ようとしたを、素早くガントレットを付け直したアルベルが制する。
「夜中までご苦労なこったな。……人に物騒なもの突きつけて、一体何のつもりだ」
を庇うようにガントレットの左腕を上げながら凄んだアルベルに、ヴォックスは勝ち誇ったように手元の書状を突きつけた。
「相変わらず生意気な小僧だが、それも今日までだ。――アルベル・ノックス! 貴様を反逆罪で逮捕する!!」
反逆罪――!!
は悲鳴を飲み込むように口を覆った。
ヴォックスがアルベルの失脚を狙っていたのは知っていた。
だが、こんなに陰湿で……その癖正攻法で来るなんて……!
「お…お待ち下さい、ヴォックス様! 何の証拠があって、アルベル様が反逆罪などと……っ!」
アルベルの腕を押しのけて必死に食い下がるに、ヴォックスは冷ややかに笑った。
「漆黒の砦であるカルサア修練場では、敵国・シーハーツの間者であった捕虜たちをわざと逃がし、今回のベクレル鉱山では奴らの兵器に必要な銅鉱をみすみす譲り渡す始末……これが国家に対する反逆で無くして一体何だと言うのだ!? 既に陛下の承認も出ている処分だぞ! ……それとも、得体の知れない漆黒団長副官殿も、実はシーハーツの……」
「――どけ」
「きゃっ……!?」
いきなりアルベルに体ごと振り払われて、は回廊の壁に背中から思い切り叩き付けられた。
「こいつは関係無い。副官というのも王が勝手に決めたこと……俺には必要の無かったことだ」
「ふん……、ならばただの小娘に用は無いわ。――連れて行け!」
ヴォックスの命を受けて、控えていた疾風兵たちがアルベルを乱暴に拘束する。
「アルベル様っっ!!」
こんなの嘘だ、何かの間違いに決まっている――!!
――「俺には必要の無かったことだ」
必要無いと否定された言葉が、の内で繰り返される。
アルベルにが必要無くても、には彼が必要なのだ。
「アルベル様……っ!!」
すぐに見えなくなった一行を腹部を押さえて見送りながら、
はただ叫ぶことしか出来ない無力な自分を呪った。
04.5.1