ガラガラと、派手な砂煙を上げながら先を急ぐ馬車に会ったのは、ベクレル山道の中腹……鉱山までもう少しの距離といった地点だった。
「あれか………」
クッと口の端を上げて、アルベルは刀を抜く。
「きゃ…きゃわわ!!」
「…っ、アルベル・ノックス!?」
御者席に座っていたシーハーツの隠密――ファリンとタイネーブが驚愕の悲鳴を上げた刹那、アルベルは問答無用で駆けて来る馬を斬り捨てた。
大きな嘶きと共に馬ごと荷車も傾いて転倒する。
放り出されたファリンとタイネーブは受身をとって、素早くダガーを抜いた。
「お前らは……そうか、あの時の奴らか」
「くっ……こんな時に……!!」
一見非力そうな小娘二人……アルベルにとっては、シーハーツの隠密と言えども、所詮は実力の差が明らかなただの女だ。
必死に武器を構えて、敵わないと分かっているアルベルに矛先を向ける彼女らは……初めて会った時のを思い出させた。
「ここは、何が何でも通して貰いますぅ~!」
言って荷馬車を背に守るように立った二人………アルベルの前に立ち塞がるもの。アルベルの敵。
いつか、ともこうして敵対することがあるのだろうか……。
「……何を持ち出したか知らねぇが、見逃す訳にはいかねぇな。オレの邪魔をする者は全て斬り捨てる!」
「そう簡単にはいかせるものかっ!! やぁぁぁぁっ!!」
「……フン、つまらん」
ものの数秒で片が付き、アルベルは刀を引いた。
「くそっ……はぁ…はぁ……」
瀕死で喘ぎながらも諦めようとしないその姿が、やはりと重なる。
「……………………チッ!」
しばらく逡巡した後、トドメも刺さずに刀を収めて、背を向けた。
余計に強くなった苛立ちにアルベルは眉を顰める。
その時だった。
「あれは……タイネーブさん! ファリンさん!」
「くそっ、逃げ切れてなかったのか!?」
聞き覚えのあるような声が聞こえて、アルベルは振り向く。
そこには、赤髪のシーハーツの隠密と、が会いたいと言っていたフェイト、クリフの姿があった。
「……フ、なにやら面白いことをしていると思って来てみれば…、お前たちが関係しているとはな。遊びに来て正解だったようだ」
「アルベル!」
アルベルの顔に自然と笑みが浮かぶ。
が心を向ける人間……これ以上の憂さ晴らしの相手はいないように思われた。
「残念だったな。お前たちの大事な荷は俺たちが押さえさせてもらった」
「……う、うう………」
「…すみませんですぅ…」
仲間が来たと知って懸命に起き上がろうとするタイネーブとファリン。
アルベルは苛立ちのままに、蹴りつけた。
「黙れ、クソ虫!」
「きゃうっ!」
「アルベル・ノックス! あんた、よくも私の部下たちをやってくれたね! そうやってあのとかいう子も無理矢理従わせたって訳かい?」
「なに……?」
の名に、アルベルの眉がぴくりと上がった。
「みたいな普通の子が漆黒の一員だなんて、普通じゃ有りえないだろ!? それに……は別の国から来た女の子じゃないのか?」
「っ……!」
フェイトの言葉は、アルベルを挑発するのに充分だった。
アルベルの目がすっと細まり、剣呑な色をたたえる。
「あいつの事は知らん。漆黒に入れてくれと言って来たのはあいつの方だからな。こいつらにしても同じ事。荷を押収しようとしたら抵抗してきたんで、軽く相手をしてやっただけだ。もっとも全く歯ごたえがなかったがな」
戦いを前に昂揚する気分そのままに高笑いした。
その仕草にフェイトたちもアルベルに対しての敵意を強くする。
こちらを睨みつけてくる視線に笑って、アルベルも殺気をまとった。
「今日はこの前のように見逃してやらん。見た感じ、お前たちも以前よりは楽しめそうだからな」
「やってみろ。余裕見せたことを後悔させてやるぜ!」
自分の中の苛立ちを吐き出すように、アルベルは刀を振るった。
物資などを運ばせていたルムを使い、ベクレル山道を急いでいた途中、たち一行の前に同じような馬車が現れた。
しかし、それの持ち主である面々は、アーリグリフの者では無い。
はルムを止めるように指示すると、武器を持って馬車から降りた。
「! !?」
「フェイト……クリフ・フィッター……」
馬車と一緒に居たのは、フェイトにクリフ、そしてネルという女性とその仲間と思しき見覚えのある女性二人だった。
奇しくも、カルサア修練場で見たのと同じ面子だ。
が話をしようと口を開く前に、駆け寄ってきたフェイトがの肩を強く掴んだ。
「心配してたんだ! あれからひどいことをされなかったかい!?」
「え……?」
ひどいこと……?
一瞬何を言われているのか分からず茫然としたに、クリフがちょい待て…と二人の間に入った。
「アルベルの野郎が言ってたことが本当だったとすれば、このお嬢ちゃんは敵だぞ」
「!? アルベル様……!?」
クリフから突然出た彼の名前に目を見張ったと、それに負けずに驚いたようにしているフェイトの視線が交錯した。
「……君が漆黒の一員だというのは……自分から漆黒に入ることを志願したというのは、本当なのか?」
ちらりとの背後で剣を抜いている漆黒兵たちを見遣ってそう言ったフェイトに、は少し合点がいった。
以前カルサアで会った時に、フェイトが間違って持って行ってしまったのクォッドスキャナー……彼は自分が二つ持っていることに……そしてその意味に気付いたのだろう。
先進惑星の人間がこんな未開惑星で何をしているのか……もちろん未開惑星保護条約を犯す行為であるのだから不審に思われて当然だが、フェイトたちに事情があるように、にだって譲れないものはある。
だから、フェイトの手を自分の肩から剥がして言った。
「私は、漆黒団長の副官・。アルベル様に忠誠を誓った身です」
なぜか傷ついたような表情のフェイトと嘆息しているクリフ。そしての背後で殺気立っている漆黒兵の面々に、はこれからどうしたものかと頭を捻るが、その前にどうしても気になることが邪魔をした。
「……さっき、アルベル様がどうとか言わなかった?」
クリフに向かっての問いかけに、彼は再び深い嘆息で返した。
頭をガシガシとやった手の下からを見上げるように視線を向けて、諦めたようにこう言った。
「あんたが何者か、なんで俺のことを知ってるのか聞こうと思ったが……また今度にするか」
何を……とが言う前に、クリフはその言葉を口にした。
「お前ら、アルベルの部下なんだろ? 大将はこの先で伸びてるぜ。早く手当てしねぇとヤバイかもな」
「!?」
なぜここに彼が……!?
「!?」
考える間も無く、はその場を駆け出していた。
呼び止めるラドフの声も聞こえない。
フェイトたちのことでさえも今はすっかり忘れ去って、ただひたすらベクレル鉱山への道を駆けた。
やがて鉱山への入口が遠くに見え始めた頃、そのしばらく手前に倒れている数人の人影を認めた。
「アルベル様っ!!」
叫んで、駆け寄る。
刀を握ったまま倒れ伏したアルベル……数回呼びかけるが、意識は無かった。
「ひどい………」
あの強さに固執していたアルベルがこれほど傷をおって負けるなんて……これをやったのはフェイトたちなのだろうか。
数箇所の切り傷に変色した痣。
あばらなど、骨が折れている箇所もあるかもしれない。
「どうしよう……」
医療の知識など持ち合わせていないが取りあえず回復アイテムを手当たり次第出している最中に、ようやくラドフが追いついてきた。
「ラドフさん!」
「……はぁ…、団長…ひどいのか?」
ラドフは突然あの場を放り出してしまったを責めることも無く、すばやく反対側からアルベルの傷を見るとに用意するものを指示して手際よく包帯を巻いていく。
その手際とアルベルの様子……そしてラドフの表情を交互に見遣っていたに、一通りの処置を終えたラドフは嘆息した。
「傷は見た目ほど酷くないみたいだな。お前とは違って団長は鍛えてるし、後はブルーベリィで体力さえ補えば大丈夫だろう」
はほっと安堵して、広げた携帯品の中からブルーベリィを取り出す。
「アルベル様、飲み込んで下さい」
口内に押し込んだブルーベリィは一度は喉を通りかけたが、意識の無いアルベルの体はそれを拒否し、むせこんでしまった。
「……これを食べなきゃ危ないんですよね?」
真剣な表情になったに、ラドフも迫力に押されるように頷いた。
の脳裏に先日のラドフの言葉が甦る。
――「団長はお前の傷を必死に手当てしてたよ。ブルーベリィを飲み込もうとしないお前に口移しまでしたりしてなー」
(口移し……)
意を決して、はブルーベリィを自分の口に含んだ。
そのまま目を伏せてアルベルの口に重ねようとした刹那……
――すぅ…
アルベルの目蓋がゆっくりと上がった。
「っっっっっ!?」
寸前でそれに気付いたはその場にぴたりと制止し、慌ててガバリと飛びのいた。
真っ赤な顔で口元を抑え、次いで悲鳴を上げた。
「やだ、飲み込んじゃった!!」
「……………」
「…………………………」
その後も一人焦って喋り続けたに、ラドフも意識を取り戻したばかりのアルベルも一言も口を挟むことは出来なかった。
この後、アルベル以下彼に従っていた漆黒兵も全員無事に帰還した。
しかし結局、アーリグリフ領に侵入したシーハーツの隠密たちを捕らえる事は出来ず、も脱走した捕虜たちを捕まえることは適わなかった。
それがどんな事態を招くかなど、副官であるにも、この時は想像も出来なかったのである。
04.4.12