10.捕虜と団長

「チッ……もう始まってやがるのか……おい! 起きろ!!」

 ようやくカルサア修練場に着いたアルベルは、門前で倒れ伏している三人の部下を乱暴に揺さぶった。
 門番がここに倒れているということは、何者かが侵入しているということだ。

「ぐ……あ…アルベルっ…………団長……」
 自らの上官であるアルベルを前に必要以上にうろたえる漆黒兵に目を細め、アルベルはその胸倉を掴み上げた。

「何が起こっている? ……命が惜しけりゃ正直に喋れ」

 ひっ!と声を上げた漆黒兵が慌てて口を開き、そこでアルベルは初めてシーハーツの隠密を捕らえたことや、逃げた捕虜が侵入していることを知った。

「……シェルビーの独断か。チッ……面倒臭ぇ。………おい、あの女はどこに居る?」
「お…女ですか……? 何の事で………」

 揉み手で愛想笑いをする漆黒兵に、アルベルは素早く抜いた刀の切っ先を向けた。
 赤い瞳を細めて見下ろす。

 ここに来てようやく、いつにも増してこの漆黒団長の機嫌が最悪なことに気付いた漆黒兵は文字通り悲鳴を上げた。

「し…シェルビー様と、捕虜たちの居る処刑場に……っ!!」

 言い終えるかどうかの時点で峰で打って昏倒させると、アルベルは城壁の外から砦を見上げた。
 よく耳を澄ませれば、確かに屋上の方から剣戟が聞こえる。

 その時、ふとアルベルの視界に小柄な人影が映った。

……!?」

 高く聳えた城壁の上……物見櫓の近くである。
 一瞬しか見えなかったが、揺れる髪や服装のシルエットは、間違いなく例の少女を示していた。
 その後に見え隠れする武器を携えた数人の漆黒兵……

「チッ……!」

 忌々しく舌打ちして、アルベルは門を潜らず裏手に回った。
 勤めをサボる時に稀にそうするように、崩れかけた城壁の隙間を利用して身軽に上を目指す。

 壁を掴んだ手にぐっと力を入れ、ようやく城壁の上に踊り出たアルベルは、真っ先に視界に飛び込んできた光景に目を見開いた。

「きゃあっ……!!」
 上から飛び降り様に振り下ろされた大剣が逃げようと身を捩った少女の背中を切り裂き、その場に鮮血が舞った。

「っ……っ!!!」

 が悲鳴と共に崩れ落ちたのと、アルベルが叫んだのはほぼ同時。

「アッ…アルベル……!?」
 驚愕して後ずさった兵に、アルベルは噛み付くような眼光を向け、一瞬の内に斬り込んだ。

「クソ虫の分際で、よくも……!」

 の傍に居た男を刀で吹き飛ばし、彼女を背に庇うようにして後の二人を睨み付けた。

 ――視界が真っ赤に染まる。
 の華奢な体から飛び散った血の色が、いつまでも目蓋の裏に焼き付いている。

 この身を切るような苦しさは何だ……
 アルベルは、胸元をきつく握り締めた。

「てめぇら、覚悟は出来てんだろうなぁ……!」

 一言吠えて、ようやく分かった。
 これは、怒りだ。
 なぜと考える間も無く、アルベルは地を蹴る。

 昨日までの部下だということを思い出す間も無く、二人いっぺんに薙ぎ払った。

「ぐあぁぁぁぁっ!!」
 胴に斬り付けられて悶絶し転がった男に、アルベルは返す刀を向ける。
 何の躊躇いも無くそれを振り下ろそうとした瞬間、弱々しい声が掛けられた。

「アル…ベル様……」
「! 、お前っ……!」

 後ろで倒れたまま何とか顔を上げているに、アルベルは駆け寄った。
 起き上がろうとする体を支えてやり、そっと背中の傷を検分する。

「ああっ……!」

 うっかり傷に触れてしまった為に悲鳴を上げたに慌てて手を引っ込め、アルベルは狼狽した。
 とっさに体を捻ったのが良かったのか、急所は外れているし、傷自体も深くは無さそうだ。
 だが、出血がひどい。
 とにかく自分の服の裾を切り裂き、包帯代わりに傷に巻きつけた。

「アルベル様……すみま…せん……」
「黙ってろ、この阿呆っ!」

 こんな時にまで謝るに、腹が立った。
 会えば言いたい事は山ほどあった筈だが、それらはこんな瀕死の女に言いたかった事柄ではない。

(クソッ…!)
 頭が混乱し、内面も現実もどうすれば良いのか分からなくなっている自分に苛立った。
 その時、ふと腕の中の気配が変化する。

「おい、っ!!」

 閉ざされた瞳に焦って口元に耳を近づけると、微かだが呼吸音が聞こえた。
 どうやら、気を失っただけのようでアルベルは胸を撫で下ろすが、このままでは本当に危ない。

「団長っ!」
 不意に背後から掛けられた声に振り返ると、随分くたびれたラドフが駆け寄ってくる所だった。
「お前、なぜ……」
 ラドフは部下の中でもそれなりに腕も立つし、アルベルも追従役を任せるなど中々重用している男だった。
 最近では、の直属の上司としても見込んだ程だ。

 砦に残っているのは日頃自分に不満を抱いている兵ばかりだと思っていたアルベルの鋭い視線に、ラドフは苦笑した。

の差し金ですよ」
「なに……?」
「それが……って、!?……やられたんですか?」
 事情を説明しようとして、ようやくアルベルの腕にが抱かれている事に気付いたラドフは、膝を折っての傷を覗き込んだ。

「出血は……手当てのお陰で止まりかけてますから安心ですね。だけど、このままじゃ体力が危ない……これを」

 ラドフから携帯していたブルーベリィを受け取り、アルベルがの口に押し込む。
 しかし、意識が無い為、全く飲み込もうとしなかった。

 苛立ったアルベルは舌打ちし、自らの口にそれを放り込む。
 そして、躊躇い無くの口を覆った。

 ぴくりと震えるの腕を押さえつけて、舌で相手の口内に送り込む。
 逃げ場の無いようにぴったりと唇を塞ぐと、はようやくごくりと嚥下した。

「………………」
 薄目を開けてそれを確認したアルベルはゆっくりと離れた。
 すぐにの顔色に少し赤みが戻る。

「え…と、これで一先ず安心ですね」
 なぜか赤面したラドフが言って立ち上がった。
「ああ……ったく、弱いくせに無茶しやがってこの阿呆」
 渋面で溜息をついたアルベルに、ラドフは苦笑する。
「まぁ、そう言わないでやって下さいよ、団長。こいつが入団した次の日ですかね……副団長たちの様子が穏やかじゃないから、今の内にあっちの派閥とも仲良くしておいて、いざという時は内側から切り崩してくれって言いましてね」
 初めて聞く事柄に、アルベルは軽く目を見張った。
「来たばっかの奴が何を……とも思ったんですが、一応言う通りにしてたんです。そしたら、この騒ぎですよ……他の団員には国境警備なんて命令が出て、留守居隊はこんな面子です。そこにも取っ捕まってくるし……」
「……なんでこいつが捕まったんだ?」
 のことだから、てっきり何かヘマをしたせいで捕らえられたのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
 アルベルの疑問に、ラドフは清々しい程の笑みを浮かべた。
「嫌だなぁ、そりゃ団長の女ともなれば、団長を良く思ってない連中に利用されるのは当たり前じゃないっすか」
「…………は?」

 言っている意味が分からず、アルベルが首を傾げた時だった。

「ぐあぁぁぁぁぁぁあっ!!」
 野太い断末魔の声が響き、続いていた剣戟が止む。

「ああ、終わったみたいですね」
「……シェルビーが負けたか」

 溜息をつき、アルベルはを横抱きにかかえて立ち上がった。
 城壁の上を移動し、処刑場へと出る。

「はっ、口ほどにもねぇ」
「――まったくだ」

 拳を下ろして吐き捨てたクリフの台詞に、その場を見下ろしながらアルベルも同意した。
 謎の物体に乗っていた捕虜の男二人に、シーハーツの隠密の女が三人……
 シェルビーたちとの戦闘で全員が疲れきっており、その周りには漆黒兵が累々と横たわっていた。

「ここだ」
「なにっ!?」

 全員の視線がこちらを向く。
 アルベルはその場を見渡し、倒れているシェルビーに視線を止めて憎々しげに吐き出した。

「裏で色々やっているかと思えば、こういうことか。…フン、くだらん。大体、いつも意気がっているくせに、お前たち程度の輩を倒せんとはな…所詮クソ虫はクソ虫か」

「その左手のガントレットは…、お前、まさかアルベル・ノックスかい?」
「ほう、俺を知っているのか」

!?」

 驚きの声を上げたのはフェイトだった。
 アルベルの腕の中にぐったりと抱かれたに向けられた視線に、アルベルは眉間に皺を寄せる。

「こいつを知っているのか?」
「こないだカルサアで偶然会ったって言ってました」

 後ろに控えたラドフがそう教えると、アルベルはおもしろくなさそうにフェイトを見やった。
 フェイトはキッとアルベルを睨み返す。

「奴は一体何者なんです?」
「カタナを使わせたらアーリグリフでも随一の騎士。通称『歪のアルベル』…漆黒騎士団の団長さ」
 油断無くアルベルを睨んだまま説明したネルに、フェイトは目を見開いた。
 それはつまり、を捕まえていたシェルビーの上官ということで……

を放せ!!」
「すかしてんじゃねぇぞ、てめぇ。女に手荒なマネしてんじゃねぇ!」

 激昂するフェイトとクリフに、アルベルは不快感も露に顔を顰めた。

「お前たちが何を勘違いしてるか知らねぇが、こいつは漆黒の一員だ」
「そんな……嘘をつくな! だったらなんでシェルビーに捕まってたんだよ!?」

 フェイトの視線がだけを捉えているのが妙に癪にさわったアルベルは、わざと挑発的に笑ってみせる。

「さぁ…な。今回のはそこのクソ虫どもが勝手にやったことだ。クソ虫の考える事は俺にも分からんが……こいつが俺の女だからとか何とか、聞いたな」
「なっ!」

 カッと腰の剣に手を掛けたフェイトに、アルベルも「おもしろい…」と応じようとしたが、腕の中のの存在がそれを止めさせた。
 命の危険は通り過ぎたとは言え、一刻も早くきちんとした治療が必要なのには変わりない。

「フン…疲れきったお前らなど、俺の敵じゃないんだよ、阿呆が。俺は結果の見えた勝負はしない主義だ。ヴォックスと違って弱者をいたぶる趣味もない」

 そう、ヴォックス――やはりどう考えても、シェルビーと共謀していたとしか思えない。
 この落とし前はきっちりつけてやると思いながらを抱きなおし、アルベルは背を向けた。

「さっさと国へ帰れ……でないとマジで殺すぞ」

 そのまま身を翻し、アルベルは城壁から砦内へと続く通路へ消えた。

 腕の中の確かな重みを噛み締めながら――





04.3.14
シェルビーなんて1分撃破じゃん!――というのは言わないお約束で(笑)


CLAP