11.副産物

 が地球で暮らしていた家は、一般的に豪邸と言えるシロモノだった。
 勿論、その主も並大抵でない地位を持っていた。

 その家の『娘』として、恥ずかしくないように完璧に振舞うこと、命令には絶対服従すること、そして見も知らぬ相手から狙われる事はにとって日常であった。
 一応どこへ行くにも護衛が付けられ、寝ている間さえガードという名の監視がついていたが、結局は自分のことは自分で守るしかないと悟ったのは、16の頃。

 その頃に新しく付けられたガードは、今までの男よりもいけ好かない目でを見、そしてある夜………

 耳にこびり付いた罵声と荒々しい呼吸、加えられる暴力、寝台の上のは余りにも無力で……

 声が枯れるほど泣き叫んでも、完全防音の屋敷では誰一人にさえ届かない。
 悪夢のような夜。
 自分には誰一人として味方など居ないと思い知らされた夜。

 その翌日からは熱を出し、熱の現実と悪夢の間を幾晩も彷徨った。
 その傷は、一生癒える事など無いだろう――……





(………………熱い……)
 完全な覚醒に及ばぬまま、の意識は重い浮遊感の中に放り出されていた。

 ――「やめて! 誰かっ! やぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 現実に浮遊し始める意識の傍らでいまだ続く悪夢。

「う……ん……」
 それを振り切ろうと頭を振ると、ふと何かの気配が近づいて来た。

(なに……? だ……れ………!?)
 夢の中の夜と重なって、の体が知れず震える。

 そして、ふとその気配がの頬に触れた瞬間、

「っっ……嫌ぁぁっっ!!!!」

 体が、自然に反応していた。
 相手の腕を掴んで自分の下へ反転するように引き倒し、枕の下に隠していた銃を…………

「………あ…れ……?」


 そこに銃が無いことに気付いて、初めては我に返った。

「………アルベル…様………?」

 引き倒して馬乗りになっている相手は、赤い瞳をいっぱいに広げてを見上げていた。

 それに負けないくらい驚いていたも、荒い息の下で同じようにアルベルを見つめる。
 お互いの息遣いだけが続く空間で……
 しかし、それは一瞬の出来事だった。

「ぐっ………!」
 突然襲い来た背中の痛みに、はアルベルの上に崩れ落ちた。

「オイッ! いきなり動くからだ、阿呆が」
 焦ったように罵声を上げながらも抱きとめてくれたアルベルに、自然に強張っていたの口元が緩む。
 それでようやく、の頭は働き始めた。

(そうか、私は………シェルビーに捕まって、フェイトと…クリフ・フィッターに会って、逃げて……それから………)

 はっとして、は何とか体を起こした。

「アルベル様っ、ご無事ですかっ……!?」

 今のこの状況の事か……と思ったのか、それとも意味が通じか無かったのか、眉を顰めたアルベルがしかし至って元気そうに見えて、は少し安心するも重ねて聞いた。

「シェルビーがあなたの命も狙っていると…聞いて、私は………」
 今度は、アルベルの顔が盛大に顰められた。

「あいつは処分した。尤も、例え生きてたってこの俺があんなクソ虫ごときにやられる訳ねぇがな」
 不機嫌極まりなく言われた言葉だったが、は全身から力が抜けていくのが分かった。

「よかった……」
 安堵のままに微笑んで、再びアルベルの上に倒れてしまう。

「お…おい……」
「スミマ…セ………」

 離れなければと思ったものの、それだけ口にするので精いっぱいだった。
 人肌の温もりの中、の意識は再び夢の世界に沈んでいく。

「………阿呆……」

 耳元から直接聞こえる低い声を聞きながら……
 もう、今度はあの悪夢は見ないだろうと思った。






 それから半日ほど経ってが目覚めた時、既にアルベルは居なかった。
 代わりに付き添っていてくれたマユとラドフに、意識の回復を喜ばれ、無茶を怒られ、説教まで食らった後、はようやく状況の説明を聞いた。

「それじゃあ、シェルビーはもう……」
「ああ、元々侵入者たちに致命傷を与えられていたし、何と言っても軍団内のクーデターなんて醜聞だからな……団長が手を下す間も無く、城の牢内で密かに処分されたらしい」
「あの場に居た他のシェルビー派たちは…?」
「何人か命拾いした奴らも居て、ここの牢に――そう、お前が放り込まれてた牢だよ――あそこに入れられてる」

 考え込むようにしたの言いたい事が分かったのか、ラドフは意地悪く笑った。

「お前の失言を聞いた奴らも数人残ってるぜ?」
「………マズイですよね」

 フェイトたちと知り合いだと自らバラしてしまったこと――本当はやましいことなど一つも無いのだが、公の場でその言い訳が通用するかどうか……

「その人たちの処分は決まったんですか?」
「いいや、まだだ。その件の事もあって、今団長がアーリグリフに行ってる」
「アルベル様が…?」
「ああ。そもそも、年に一度の国王視察が今日明日に控えてた所だったんで、それも兼ねて王直々に調べに来るかもしれんという話もあるな」

 国王直々……そんな場でに敵国と密通している嫌疑があるなどと言われては、アルベルの立場まで危うい。
 どうしたものか……
 考え込むとラドフの間に割って入って、マユは暖かな粥を差し出した。

「もう、ってば。ようやく意識が戻った所だっていうのに、そんな難しい話ばっかりして!」
「マユ……」
 苦笑して謝り、気のせいか甘い粥を口に運ぶ。
 れんげを口に咥えた所で、に一つの案が浮かんだ。

「んー……可哀相な気もするけど、状況が状況だし、仕方ないよね……元はと言えば自業自得なんだし…」
 ブツブツと呟きながら、自分が受けた仕打ちを思い出してニヤリと心を決めたにラドフが気味悪げに問い掛ける。
…?」
「ラドフさん、それにマユにも、手伝って欲しい事があるんです」
「私も? 何をする気なの……?」

「ちょっと……牢にいる方々にお礼を…ね」

 ふふふ、と笑ったの背後に黒い何かが見えたというのは、マユが後に語った話だった。





 翌日――カルサア修練場での侵入者の一件があってから三日目。
 こっそりポッドまで行っていたは、帰って来た所をマユに捕まって自室まで即刻強制送還された。

「こんな大怪我したっていうのに、もう動き回るだなんて……全く無茶ばっかりなんだから! ラドフさん、ちょっと包帯替えるから部屋を出てて下さい!」
 マユの剣幕に押されてラドフが出て行った途端に荒々しく背中の包帯が解かれ……しかし、そこでマユの勢いは止まった。

「あれ……? 嘘……もう治りかけてる……?」
 その言葉には困ったように笑った。
「あー…私って、怪我とか病気とかに強い体質なのよ」

 本当のことである。
 は種族で言うと地球人では無い。
 きちんとした遺伝子機関で調べた事は無いのでどういう構造なのかは知らないが、回復力の異常に高い種族なのだ。

「そう言えば、最初にここに来た時も3日でけろっとしてたよねー」
 命に関わるような重症でも3日も寝ていれば十分。
「ねっ、だからもう大丈夫なんだって」

 安心させるように笑って、服を着ようとした時だった。

「あ、ちょっと団長! 今は……」
「あ? 何言って…………」
「キャァァァァァァァッッッッッ!!!!」

 ――ゴンッ!!

 何の前触れも無く入って来たアルベルがこちらを見る前に、の投げた花瓶が彼の顔面に激突した。

「~~~~~~~~~~ッッ!」
 顔を抑えて蹲ったアルベルをさっと服を着たが涙目で睨みつける。

 その背後ではマユとラドフが深々と溜息をついていた。
「俺、ってものすごい反射神経してんだと思う……」
「同感です……それに、肺活量も中々ですよ……」

 またもや砦中に響き渡ったらしい悲鳴は、アルベルと共に到着していた国王をも驚かせたのだった。








04.3.21
CLAP