彼女は後に、夢を見たのだと告げた。
 夢の内容までは聞かなかったが、それは彼女にとって決して、嬉しいだけのものでは無かったのだろう……

暁の声 - 彷徨の章3

 久しぶりに訪れた穏やかな目覚めに、陽子は寝台の中で伸びをした。
 ふと目に入った天井は、古ぼけた木材の梁で、昨夜は堯天の宿に泊まったのだと思い出す。
 しかし、次いで蘇ってきた記憶に慌てて寝返りをうつと、隣に眠っていた筈の人物がいなくなっているのに気付いて飛び起きた。
 急いで簡単な身支度を終え、隣に泊まっている楽俊に知らせるために部屋を飛び出す。

「きゃ……!」

 かわいい悲鳴が上がったと思うと、まさに部屋の前を通ろうとしていたらしい人物とぶつかってしまったらしい。
 洗濯物を大量に抱えていたその人は、派手に転んでしまった。
「ああっ! すみません、急いでいたので……大丈夫ですか?」
 完全にこちらが悪いと、慌てた陽子は洗濯物の山からその人物を助け起こし、はたと動きを止めた。

「いいえ、こちらこそすみません。――――ああ、陽子。おはよう」
「あ……ああ、おはよう……

 ぶつかったのは、姿を消したと思っていた本人で……しかも、爽やかに朝の挨拶などされて、陽子も思わずそれに答えた。

「昨日はお世話になった上、いきなり寝ちゃったみたいでごめんなさい」
「い…いや、それはいいんだ」

 そんなやり取りをしている所で、隣から楽俊が起き出して来た。
 楽俊も二人の姿を見て、ややしてから「……?」と聞く。
 それも頷けることで……昨夜のひどい格好からは想像できないほど、こざっぱりと身なりを整えていたのだ。
 年齢は陽子と同じくらいで服装も男物のようだったが、背が低く華奢な体格から、娘にしか見えなかった。髪を覆うようにして頭に巻かれた民族風の布も、かわいらしい造作に映えている。

 そこに、宿屋の一階から「ー!」と呼ぶ声が聞こえ、返事をした彼女は訝しそうにしている二人に微笑んだ。
「もう少しで終わるから、一緒に朝ごはん食べましょう?」





 昨夜と同じように、陽子の取った部屋で三人で食卓を囲みながら。
 の持ってきた簡素な食事を、談笑しながら食べ終えた。

 その席で聞いた所によると、は早朝に目を覚まし、取り敢えず宿の主人の下へ交渉に行ったという。
 それというのも、一文無しであることを思い出したからだ。
 頼み込んで、昨夜の宿泊料と飲食代の分だけ働かせて貰える事になった。
 だが、余りに酷い格好だった為に、先にお湯を使わせて貰い、挙句に親切な女将に息子の服まで貰えたのだと、は嬉しそうに語った。

「で、結局が、今朝の食事の用意を一人でやったのか」
 目を見張って言う陽子に、楽俊も感心そうにしきりと頷いた。
「おいらも、こんな上手い芋なんて初めてだった」
 の作ったという食事は、材料や見た目こそ質素だったが、味は仰天するほど良かった。王宮の食事を食べ慣れている陽子でも素直に舌鼓を打った程だ。
「あはは、ありがとう。長年の経験の賜物……かな」
 はにかんで言うに、陽子も楽俊も、最初に会った時よりもずっと好感度が増していた。
 昨夜が眠ってしまった後、陽子と楽俊は相談して、ストレートに髪のことを尋ねるか、そうでなければ今日一日一緒に行動して探ってみようということになっていたのだが、どちらも切り出しにくい。
 そこに、の方から話を振られた。
「二人は、今日はどうするんですか?」
「あ……えっとそうだな……、町を見物して歩こうかな…と思ってるんだけど」
「本当に? 実は私もなんです。堯天に来たのは久しぶりだから……良かったら、もう一日だけご一緒させて貰ってもいいですか?」
 この願ってもない申し出に、二人は渡りに船とばかりに即座に「勿論」と頷いた。




 楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、楽俊とと三人で街を歩いて回った陽子がふと気付くと、もうじき閉門の刻限が迫っていた。
 夜には陽子は王宮に戻らなければならないし、楽俊は明日堯天を出発する。
 このまま謎の多いと別れてしまうのには抵抗があった。
 いや、それだけでなく、一緒に過ごした時間は少ないけれど、陽子も楽俊も、友達としてと別れがたかったのだ。
 そこで、休憩の為に立ち寄った比較的落ち着いた茶屋で、陽子は思い切って切り出した。

は堯天を目指して来たと言っていたけど……本当に景王に会いにいくのか?」
「え? ああ、昨日そう言えば、その話をしかけてたんですよね」
「なんで、王様に会いてぇんだ?」
 楽俊の言葉に、は微笑を崩さないまま静かに目を閉じた。
「お願いしたいことが……あるんです」

 それは何だと聞きかけた時だった。
 表で数人の悲鳴が上がる。
「!? 二人はここに居て!」
 驚いた陽子は、何事かと水禺刀を掴んで席を立った。
 大分前にも、楽俊と一緒の所にこんな騒ぎがあったが、いくらなんでもあの時のように妖魔ではあるまい。
 店の玄関を飛び出すと、そこには親子四人の家族連れに絡む男達の姿があった。
 身なりは殺伐としていて、抜き身の剣までちら付かせている。
 男たちが徒党を組んでいる様子から、もしかしたらこの辺の野盗崩れかもしれない。
 遠巻きに取り巻いた人々の様子を窺う限り、どうやら明らかに男たちに非がありそうだ。
 あまり騒ぎは起こしたくないが……そう思いながらも、陽子は刀を抜いた。

「何をしている!」
 突然背後からかけられた声に、男たちは殺気だって陽子を見た。
「その人たちを離せ!」
「何だ、餓鬼はすっこんでろ!!」
「離せと言っているっ!」

 一息に間合いを詰めて、一人目を昏倒させる。勿論峰打ちなので命に別状は無い。
「この野郎っ!」
 続いて飛び掛ってきた相手をかわして足を掛けると、その背後から二人がかりで一遍に掴みかかってきた。
 羽交い絞めにされて、陽子は呻く。
 ――主上!
 陽子に憑いていた冗祐が声を上げるのと、それは同時だった。

「陽子っ!」
 目前に民族布がふわりと舞って、陽子を束縛する腕が一気に緩んだ。
「大丈夫ですか!?」
「――!?」
 言う間に、は手刀で男たちを次々とのしていた。
、私が……」
 言いかけた陽子を下がっているように手で制して、は勝気に笑って見せた。
「陽子の手を煩わせることじゃありません」





 あの場に留まっていたら役人たちの取調べが厄介そうで、陽子たちはすぐに別の場所に移っていた。
 既に閉門の刻限は過ぎており、民家の無い通りに出ると、人通りはほとんど無かった。

「はぁ…ぁ……ってめちゃめちゃ強ぇなぁ。一体何者だ?」
 息を切らせた楽俊が言うように、いとも簡単に男たちを全員昏倒させてしまったは、息一つ切らしていない。
「えーと……長年の経験…かな」
 流石に苦しいと思ったのか、へへと笑うに、陽子は溜息をついた。
 タダ者ではないと思っていたけれど、あれだけの使い手となると話はまた別だ。
 今更遠まわしに聞いても、一向に埒が開かないと悟った。
「ごめん、……私たち、昨日見ちゃったんだ。その……の髪」

 はさして驚いた風もなく、頭の布に触れる。
「そっか……起きた時かなり乱れてたから、きっと見られたんだろうなーとは思ってたんですけど」
 そう言って、表情を少し引き締め、陽子を見つめた。
「その剣は、陽子の物ですよね?」
 突然の……質問というよりも確認の響きを持った強い言葉に、陽子は戸惑いながらも肯定した。
 それを見届けたは、ザッと突然その場に跪いた。

「今までの数々のご無礼、お許し下さい―――主上」
 楽俊も、当の陽子も、ただ茫然とを見下ろした。
 更に、が頭の布を取ったことで、より大きな驚きが二人を襲う。
 さらりと零れ落ちた髪はやはり夜目にも金色で……神々しい輝きは、改めて見ると一層衝撃的だったのだ。
「かつての景王、達王より、斉暁院を賜った者にございます。ご挨拶が遅れ、申し訳ありません」

「斉暁君!?」
 素っ頓狂な声を上げて、今度こそ楽俊は全身棒のように硬直した。
 彼の博識は、五百年前の伝説の飛仙についても知っていたらしい。
 その楽俊から彼の知る所の『斉暁院』の説明を聞いた陽子も、驚きに目を見張る。

「それで水禺刀のことを……」
 水禺刀は、確かに慶国の王にしか扱えぬ宝重だが、一目でそれと見破れる者など少ない。
 だが、水禺刀は達王が創ったと言われている。その達王に仕えていたならば、知っていても不思議は無かった。
「その水禺刀は、達王の頃とは随分と形が変わっておりますが……」
 言いよどんで伏せられた瞳は、寂しそうに微笑んでいた。

「昨夜、夢を見ましたので――刀の映す、幻を――……」





03.5.17
CLAP