暁の声 - 彷徨の章2

 茹だるような暑さの日だった。
 ここ、慶東国は、緯度で言うと十二国世界のほぼ中央に位置している。暑さも、寒さも、然程ひどくはないもののそれなりに影響を受ける土地だ。ちょうど、あちらの母国――日本のようだなと思ったのは即位して一年目の夏だった。
 もうそう思ってから三度目の夏だ――そう、陽子が景王に即位してから、三年の月日が流れた。

 その景王・陽子は、首都・堯天の町を急ぎ足で駆けていた。
 男物の服装はいつものことだが、町に降りる時は一層ひどい、腰の刀も合わせて用心棒のようにさえ見える身なりをしている。
 地の底に堪るようなむっとした熱気の中、汗だくになって駆け込んだ先は、一件の大衆食堂だった。
 息を切らせて中を見回し、ややして目的の人物を見つける。

「楽俊……!」
「ぉわっ……陽子!!」

 命の恩人であり、親友でもある楽俊との、久しぶりの再会だった。




「……相変わらずだなぁ、陽子は」
「何が? そう言えば、楽俊は今日は人型なんだね」

 先ほどの店から移動し、比較的涼しい川辺を歩きながらの会話である。
 本当はこんな酷暑の中、外に出たくは無かったのだが、楽俊を見つけるなり抱き付いた陽子のお陰で店中から冷やかし混じりの視線を受けて、楽俊が早々にねを上げたのだ。

「暑い時にねずみのまんまだと地獄なんだ」

 陽子に慎みについて説明するのを放棄し、半ば自棄気味に言った言葉に、陽子はアハハと声を上げて笑った。

「王様稼業の方はどうだ? 今日こうやって出て来るのも反対されたんじゃないか?」
「うーん……反対されなかったと言えば嘘になるけど……今日と明日を空ける為に、結構前からコツコツ頑張ってたから。あの仏頂面も文句は言わなかったな」

 「だって楽俊に会いたかったんだもん」と嬉しそうに話す陽子に、楽俊も「オイラもだ」と笑顔を向ける。
 そのまま川縁を散歩しながらお互いの事を話し、穏やかな時間を過ごしてそろそろ日も傾こうかという刻限だった。

「……ん?」
「どうかした、楽俊?」
 楽俊がふいに立ち止まって、前方に目をこらしている。
 陽子も同じようにそちらに目を向けると、道の上に何やら塊が見えた。
 荷物か何かだろうかと思った矢先、それはむくりと起き上がり………しかし、またすぐに崩れ落ちた。

 人だと分かった瞬間、陽子は駆け出して楽俊もそれに続く。

「大丈夫ですか?」

 傍らに跪いて肩に手を置くと、その人物はがばりと勢いよく飛び起きた。
 煤けた顔、泥だらけになった手足、この気候なのに頭にぐるぐる巻きに巻かれた布。
 わざと粗末なものを身につけている陽子や、旅人の楽俊よりも更にひどい格好で……

「あ……はい、大丈夫です」

 だから、その人物から嗄れつつも高い声が発せられた時には驚いた。
 しかも、どうやら女性らしいその人は、自分が行き倒れだという事を毛の先ほどにも理解しておらず、あろうことか……

「今日は暑いですね」
 そう言って、とびっきりの笑顔を向けられた時には、陽子も、楽俊でさえ、どう返せばいいのか返答に困って固まってしまったぐらいだ。

 だが、起き上がろうとしたその人はやはり手足に力が入らないようで、
「……あれ? …………すみません、あと夏至までどのくらいですか?」
「え……と、夏至は十日程前に過ぎましたけど」

 陽子が答えると、その人は驚いて、しかし妙に納得しているようだった。
 そうして、彼女に出会ったのだ。

「私はと言います。すみませんが、お水を一杯貰えませんか?」





 質素な宿の一室。
 狭い卓の上に山のように並べられた決して豪勢とは言えない料理の数々を、と名乗った女性は勢いよく頬張っていた。
 聞く所によると、巧を通って旅をしてきたらしいのだが、途中で財布を無くし今日まで15日間程飲まず食わずで来たというのだ。

 よく、今日までもったな……と思わず陽子が零すと、「私、頑丈ですから」と笑顔が返ってきた。頑丈で済むレベルではないことは、実際巧でのサバイバル経験がある陽子にはよく分かっている。

さんは、どこに向かっているんですか?」
「あ、でいいです。それから、敬語もやめて貰えると……」

 困ったように笑って言われたのだが、陽子には好ましく感じられた。何だか、側に居るだけで安心できる何かを感じる。
「――分かった、。では私の事も陽子って呼んで」
「オイラも、楽俊でいいぞ」
 楽俊も陽子と同じように感じたのか、そう言って笑顔を見せた。

 は嬉しそうに頷き、先ほどの陽子の質問に答える。
「私の目的地は、ここ堯天です。会ってみたい人…いえ、御方が居て………」

「御方? お偉いさんなのかい?」
「はい。新しく即位されたという……景…王君に…………」

 突然ポトリと匙が落ちたかと思うと、はそのまま卓子に突っ伏した。

!?」
 一体どうしたのかと慌てた陽子に、こちらも慌てて介抱しようとした楽俊は手を止め、呆れたように溜息をついた。

「……寝てる」
「……………………え?」
「だから、寝てるって。よっぽど疲れてたんだろうなぁ。巧はまだ王が不在で、随分荒れているというから…」
「………………」

 粗末ながらも備え付けられた寝台にを運ぶ楽俊を茫然と眺めていた陽子は、戻って来た楽俊の一言に我に返った。

「それで? どうするんだ?」

 聞き間違いでなければ、は景王に会いに来たのだという。
 女の一人旅でわざわざ景王に会う為に遠路を……どこかで聞いた話だが、今では陽子の友人となっている二人の少女も、最初は物騒な動機だったらしいし……

「どうしよう?」

 困って親友に助けを求めた時だった。
 寝台でごろりと寝返りを打つが目に入り、何とはなしに見遣ったその先で、陽子は目を見張った。

「どうしようってオイラに聞かれてもだなぁ……」
「ら…らららら楽俊……!」
「うん?」
「あ…あれ……!!」

 震える指先が指す方を見た楽俊も、それに気付いて硬直した。これが獣形だったなら、間違いなく全身の毛が逆立っていたことだろう。

「……金色の髪って、麒麟の証なんだよね……?」
「……オイラが知る限りでは……そうだな」

 しばし硬直して、二人は同時に溜息をつく。

「何だか、今回もオイラはとんでもないものを拾っちまったみたいだな」

 一人ごちて呟かれた言葉に、陽子は苦笑して付け加えた。

「そういう巡り合わせ、なんでしょ?」

 寝返りを打ったの頭部の布からは、金色の髪が零れ落ちていた。





03.5.2
CLAP