暁の声 - 胎動の章2

 堯天でと逢い、その後金波宮を訪れた尚隆は、禁門で迎えた陽子に真っ先にそれを問うた。

は、何者だ?」

 しかし、一瞬驚いた陽子は答えを返さず、「直接に聞いて下さい」と言う。
 結局次の日まで待って、ようやく姿を見せたは、頭の布を外し金色の髪を露にした姿だった。

「遅くなって申し訳ありません。斉暁院、でございます――」

 高く、涼やかな声音――その声で告げられた名に、尚隆は驚き、なるほどと妙に納得した。

 斉暁君――この名前は、随分昔に一度だけ耳にした事があった。
 あれは確か登極間もない頃――隣国・慶に挨拶に訪れた時だった。
 時の景王は、名君と謳われていた達王。
 そして当時、こんな噂があった。

 景王は、麒麟の如き少女を仙に召し上げられた――と。

 斉暁院という、凌雲山の一角にある離宮を与えられた少女らしい。
 達王が賢帝である為、その威光によって噂に尾ひれがついたものと思っていた尚隆は、会見のついでにその事を尋ねた。

「あれは、私にとって麒麟よりも得がたい娘かもしれぬ――」
 そう言って、しかし寂しそうに笑った達王の顔を、尚隆は今でもはっきり覚えている。

 がその斉暁院だと知って、「麒麟のような少女」に納得すると同時に、達王のあの言葉と顔がなぜか妙に気にかかった。
 故人である達王にそれを聞くことはできないが――……


「尚隆? 聞いてるんですか?」

 顔を覗き込まれ、尚隆は我に返って苦笑した。
「ああ、すまん。少し考え事をな……で、何だったか……」

「あなたが、なぜ愁黄郭に居たのかと聞いてきたんじゃないですか!」
 むっと頬を膨らませたに、尚隆は笑みを誘われる。しかし、ここで笑っては彼女の機嫌を更に損ねるだろうことは分かりきっているので、素直に謝っておいた。
「ああ、そうだったな、すまん。――それで? お前に碇申のことを依頼したのは……」
「冢宰の浩瀚様です。それで二人で調べる内に、碇申が愁黄郭に現れるという情報を掴んだので私が下女として潜伏していたという訳です」
 浩瀚……偽王の乱の折、唯一偽王軍に下らなかった良吏で今は冢宰に任じられ陽子を支えている男――そして、を優しげな目で見つめていた男――。
「……で? は仙だろう。なぜ言葉が分からないフリをしていたんだ?」
「ああ、相手を油断させる為には海客の方が都合がいいと……潜伏している間は仙籍から外して貰っていたんです」

 サラリと言われたこの言葉は、尚隆に少なからず驚きを与えた。自然と眉間に皺が寄る。
「危険な仕事をするのに、ただ人の体ではいざという時どうするつもりだったのだ。浩瀚は切れ者と聞いていたが……」
「浩瀚様は関係ありません。私が望んでしたことです。陽子にも浩瀚様にも反対されましたが、私が無理に押し切って……」

 尚隆は額を押さえて溜息をついた。
 初めて会った時から思ったことだが、見かけは華奢なのに、変な所で度胸が座っている。

には驚かされてばかりだな」

 呆れたように言われた言葉に、これにはの方が心外だったらしい。
「尚隆の正体の方がよっぽど驚かされましたよ!」

「俺がの髪を見た時に比べれば何てことはないと思うがなあ」
「あれは! 尚隆がいきなり仕掛けてきたから……そもそも、王様があんな妓楼にあんな身なりで来る事が変なんです!」
「俺もこれだけ生きていると恨みの百や千は買っているだろからな、怪しい女郎は見過ごせん。それに場所や格好はいつもの事だし……」
「いつも!?」
「ん? なんだ、は俺が妓楼に行くのは気に食わんか?」
「べ…別にそういう訳ではありません!」


 一見痴話喧嘩にも聞こえるこの会話を、遮ったのは牢番の咳払いだった。
 それで漸く二人は、場所と会話がひどく似つかわしくないことに思い当たる。
 碇申が殺害された牢。
 一連の黒幕を探すという任務にうやむやの内に延王尚隆と二人で当たる事になったは、しぶしぶ彼を連れて一先ず碇申殺害の現場を見に来ていたのだ。

「えー…と、この血溜まりになってる所にそれはあった訳ですか?」
 場を取り繕うように発したの問いに、立ち会った牢番は丁寧に答えた。
「そうです。物音がして我々が覗いた時には、既に体は消えていました」

 が”それ”と指したのは、牢番の側の台に置かれた一つの包みだった。
 白い布で包まれた”それ”の下方には赤黒いものが付着している。
 五百年以上前の――戦国時代の日本から来た尚隆とには見慣れた”それ”。
 ”首”と書いて”しるし”と呼ぶそれだった。

「――悧角」

 白い布を解き、中を検分していた尚隆がその名を呼ぶと、足元から応えがあった。
「ここに、妖魔の気配はあるか」

<――分かりません。ですが、何か異質なものの気配が微かに……>

「尚隆……?」
 考え込む尚隆にが声をかけると、これを見ろ、と碇申の首を無造作に転がした。
 ヒィッと悲鳴を上げた牢番をよそに、はその脇に屈みこむ。

「どう思う?」
「これは………一見太刀傷のようですが、何か獣の爪のようなものでやられたのでは……」
「俺もそう思った」

 ニッと笑う尚隆に、も先ほどの使令とのやり取りを理解する。
 牢番に礼を言って、は立ち上がった。

「これ以上、長居は無用ですね」
 既に歩き出したを追いながら、尚隆も頷いた。

 もしこれが妖魔の仕業ということであれば――そして、敵方に妖魔を飼い馴らしている者がいるとすれば――それは途方も無く厄介なことのように思われた。
 今回の手口からしても、遁甲が出来る妖魔の可能性が高い。

「――陽子の周辺は?」
「大丈夫です。大僕は陽子の腹心だし、禁軍左将軍は浩瀚様の部下ですから」

 浩瀚の名に、再び尚隆は眉を上げたが、何も言わずに留めた。

「今夜にでも、発ちましょう」

 凛としたの背中で、さらりと金色の髪が揺れた。
 よく見ると、見慣れた六太の髪とは違い、色素の薄い月の光のような金色――

 自然と、腕が伸びていた。
 今にも触れようかという瞬間、気配に気付いたのだろうか、が勢いよく振り返る。

「尚隆……?」

 目を見張って一歩下がったは、自分の衣の裾に足を取られて声にならない悲鳴を上げた。

「――――――やはりには驚かされてばかりだ……そうだろう?」

 溜息と共におもしろそうに言われたそれは、低い声での耳元から直接響いた。
 倒れそうになった所を抱き留められて、ぴたりと密着した状態になっている。

「――……?」

 硬直しているを怪訝に思い、顔を覗き込もうとした尚隆は、体を少し離した瞬間に思い切り突き飛ばされた。

 走り去るの背で金色の髪が跳ねる。
 しかし、先ほどとは違い、耳が赤いその後姿はまさしくただの少女のものであった。





03.4.20
CLAP