それは、景王陽子が朝議を終えて正寝への廊下を歩いている時にやって来た。
「陽子!」
突然名を呼ばれ、驚いて振り返った陽子は目を見張り、そして苦笑した。
「延台輔」
窓から侵入したのであろう金髪の少年は、延麒・六太。
陽子が登極前に知り合って以来、こうして何の前触れもなくやって来るのもそう珍しくは無い。
「久しぶり。延王なら……」
「いや、あいつの事はいいんだ」
てっきりまた主を連れ戻しにやって来たのだと思った陽子は首を傾げた。六太がそれ以外の理由でこんな登場の仕方をしたのは初めてのことだ。
しかも彼にしては珍しく少し深刻な表情で陽子を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「使令に聞いたんだが……あのバカ殿が、金髪の女を攫って来たって……」
そこまで聞いて、話を察した陽子は思わず吹き出してしまった。
「え…延王が他国の麒麟を攫ってきたと…?」
笑いを堪えられない陽子に拗ねたような顔を見せ、苦労性の麒麟は深く嘆息した。
立ち話も何なので、手近の亭に入った二人は露台に並んで腰掛ける。
「はぁー……俺だって本当にそう思ってる訳じゃない。使令も麒麟の気配では無かったと言ってるし……何より、そんなことをすれば天が見過ごす筈はない。俺は今頃生きちゃいないだろ」
「だけどさー」と言って困ったように見つめて来る六太に、陽子は微笑み返した。
「は、私の最近出来た友人なんだ」
「?」
少し驚いたように問い返す六太に、陽子は「おや」と思いながらも、ただニコリと笑った。
「なんだ、もう嗅ぎ付けて来たのか」
六太が入室するなり、彼の主の第一声はそれだった。
「嗅ぎつけてじゃない! 相っ変わらず、人にいらぬ心配かけさせやがって! 寿命が縮んだら尚隆のせ……」
「失礼します」
高い声と共に入って来た人物を見て、六太の動きがぴたりと止まった。
「……やっぱりか!?」
「え……?」
突然抱きつかれたは、勢いでたたらを踏んで立ち止まる。
金色の髪の……つまり麒麟に抱きつかれ、ついでに思考も停止しているようだった。
「ああ、悪い。俺だよ……六太だ」
そう言って、腰に巻いていた布を頭に巻き直してニカッと笑うと、の硬直もすんなり溶けた。
「六太!? 本当に六太!? ……ってその髪……! ……只者じゃないとは思ってましたけど」
そうか~と一人納得していると、こちらも全てを把握したように感慨深そうにしている六太。
「やっぱり二人は知り合い?」
「お前ら、知り合いだったのか?」
話が見えずに怪訝そうにしていた陽子と尚隆の問いに、六太はああと頷いて笑って見せた。
「尚隆の登極直後くらいに、関弓で会ったのが最初かな」
昨日と同じく、掌客殿の一室。
予定外ながら延の主従が揃ったので、もてなし代わりにお茶席が設けられていた。
ちなみに、お茶は六太が手土産替わりに持参した蓬莱産のティーパック紅茶。お茶うけはこれまた蓬莱のクッキー(徳用)であった為、陽子をいたく感激させた。
「そうか、は慶の飛仙だったのかぁ。そんでもって海客だったとは」
紅茶を啜りながら、六太はしみじみ呟いた。
六太とが出会ったのは、およそ五百年前の雁国首都・関弓。
二人とも頭に布を巻いていたので変に目立ってしまい、廃れた街角でゴロツキに絡まれたのだが、両者とも当然ながらそれをアッサリと撃退。互いに興味を持って知り合いになった。
それ以降は、やはり関弓やその周辺の町で何度か会ったことがあるらしいのだが……
「六太も会う度ちっとも年を取ってないから仙籍に入ってるんだろうとは思ってましたが……まさか延台輔とは」
「最後に会ったのは……う~ん…百年くらい前だったか?」
「そうですね…そんな所でしょうか。私も最近は雁に行ってませんでしたし」
ということは、少なくとも出会って四百年はお互い年を取っていないことを知ってるわけで……
(………………)
同席していた慶国の面々はこっそりと溜息をついた。
長く生きていると、時間の感覚も麻痺するのかもしれない。
その時、入室を乞う声が入り、陽子が許すとしずしずと浩瀚が入って来た。
「延王・延台輔の御前ながら、火急の用ですので失礼致します」
深く叩頭した後、陽子の前でもう一度叩頭した。
「浩瀚、どうした」
「は、先日殿が捕らえられた碇申が何者かによって牢内で殺害されました」
「えっ、それって……」
思わず席を立ったに、浩瀚も難しい顔で頷く。
「どうやら、此度の謀反は別に首謀者が居たようです」
重苦しい沈黙が流れる中、陽子は茶器を置いて立ち上がった。
「牢を見てこよう。遺体はまだそこにあるのだろう?」
「いえ、それが……」
珍しく言い淀んだ浩瀚から事態を察して、は助け舟を出した。
「碇申ごと、警備の厳重な牢から消えたという事ですか?」
陽子が驚いたようにを振り向く。
浩瀚も驚きながらも、ややあってそれを認めた。
「その通りです。ただ……」
碇申は牢から消えたにも関わらず、浩瀚は先ほど「殺害された」と明言した。殺されたと判じるに価する痕跡が残されていたのだ。恐らくは、牢に首でも転がっていたか……
それならば陽子に報告するのを躊躇うのも道理である。
は席を離れ、陽子の前に叩頭した。
「主上、牢には私が参りましょう。碇申は私が捕らえたのですから、最後まで責任があります」
「………分かった。よろしく頼む。だが、くれぐれも危険なことはしないと約束してくれ」
「努力します」
にっこりと笑ったに、陽子も苦笑を返した。
次には浩瀚に向き直る。
「浩瀚様、それで碇申を殺害した賊の手掛かりは何かあるのですか?」
浩瀚ならば何か掴んでいるだろうと踏んでのの質問に、浩瀚は少し嬉しそうに苦笑し、しかし言い難そうにそれを告げた。
「青海沿岸の港で、それらしい男を船で目撃したという情報が入っています」
「船……それで、行き先は?」
「明確には分からないものの、北へ向かう船だったと――」
ちろりと浩瀚が目を向けた先には延の主従。内海である青海の北ということは、国内の北方に逃れたか雁へ入ったかのどちらかだ。
それを聞いて、尚隆が「ほぉ…」と呟くのと六太が「あちゃー」と天を仰いだのとは同時だった。
「、その仕事、風漢という男も連れて行け」
「尚隆! お前また政務を……」
「俺は風漢という男の話をしている」
「それじゃ、その風漢とやらが遊び歩いてる間に、延王尚隆はマジメに政務を執るってのかよ!?」
「それは、優秀な部下と理解ある麒麟が居るから問題なかろう」
「よっくもぬけぬけと……!」
「…………陽子」
痴話喧嘩とも取れるような言い争いを始めた主従を茫然と見つめながら、は陽子に助けを求めた。
陽子も困ったように溜息をつくと、コホンと咳払いして告げた。
「延王、ではお言葉に甘えて、その風漢をしばしお借りいたします」
「陽子!」と焦る六太を無視して、尚隆は満足そうに太い笑みを浮かべた。
「流石、景王は話が分かる」
所詮、何かと恩のある延王の言う事を慶が断れる訳がないのだ。
浩瀚は額の辺りを押さえて溜息を落とした。
03.4.20