暁の声 - 煌約ノ章6

「慶だの奏だの巻き込んで、結局最初から玉座が――その為にを手に入れることが目的だったというわけか」

 即位式が様変わりした巧国翠篁宮の大門前――
 登極する筈だった偽の塙王・霧枳と、を奪還する為に即位式に乗り込んだ延王・尚隆は、玉座に続く階の中程で激しく打ち合っていた。
 続けざまに愛刀を閃かせて斬撃を繰り返しながらの尚隆の台詞に、霧枳は圧倒的に劣勢であるにも関わらず、笑みを浮かべた。

「ご名答」

 金波宮に――いくら宮の外れだとは言え――妖魔を送り込んで取り調べ前の罪人を殺害したのも……いやそもそも、虎賁氏・碇申に景王暗殺を唆したことから、全てはを焙り出す為の計略だったのだろう。
 自ら赴いて、船中で一度接触した上で拉致したことから見ても、計画の周到さが窺える。

「本当に、俺のように偽りでも玉座を望む者にとっては、は理想的だったよ。外見は麒麟と同じ、仙でありながら国に縛られず、ほとんど単独で行動しているため無防備――今回はまさかアンタみたいな大物が出てくるなんて予想外だったけどね」

 が麒麟として狙われる可能性――それは、尚隆も懸念していたことだった。
 今まで五百年間それが無かったのは、が一所に留まらず、素性を隠して放浪していたからだ。
 だが、数年前には再び慶国金波宮に戻った。
 それでも、の存在――特に"斎暁君"の意味するところを知る者はほとんどいないだろうと鷹を括っていたのだが――

「あいつのことをどこで知った?」
「…巧の王宮に伝わる御伽噺さ」
「なに?」

 怪訝そうに眉を顰めた尚隆を満足そうに笑って、霧枳は芝居がかった口調で語り出した。

「昔々、慶の達王の晩年に、当時登極したばかりだった巧の鎮王は隣国の名君達王を慕い、誼を通じておりました」

 巧の鎮王……尚隆は古い記憶を掘り起こす。
 確か尚隆より数年だけ先達の初老の御仁だった。
 雁も復興途上で尚隆も今ほどあちこちを渡り歩いていたわけではないから確かなことは分からないが、気が弱く日和見主義で、登極して三十年足らずで二山目を越えられず自ら退位したと記憶していた。

「その頃の巧は極端に短命の王が続いていた為、妖魔や触の被害が中々治まらず、鎮王は悲嘆に暮れていました。そんな鎮王を見かねたのか、ある時達王は言いました。『隣国の誼で、国土を鎮める為の楼閣をお贈りしよう。楼の中には我が国の宝重と対を成す刀剣を祀られると良い。私は先日、斎暁君という私にとってのもう一人の麒麟にも等しい娘を手に入れた――私には今2人の麒麟が居る。慶は手遅れだが、巧は必ずやその仁道によって鎮まる日がくるだろう』――」

 ――「私にとって、麒麟のごとき娘を手に入れた」
 昔、達王から直接聞いた言葉が鮮明に甦り、尚隆は目を瞠った。

「言葉通り達王から楼閣が贈られた翌年、達王は失道で身罷り、巧からは天災が消えました。この楼閣を"鎮耶楼(じんやろう)"といい、色彩の無い風変わりなその姿は今も翠篁宮の一角に静かに佇んでいます――」
「鎮耶楼?」

 即位式の前に、駆け込んできた官が霧枳に告げていた場所だ。
 ――「台輔が鎮耶楼に――!」
 あの時の霧枳の慌てようから見ても、何かあるのは間違いがなさそうだった。

「――昔話は終りか?」

 達王と鎮王の間にそんなことがあったなど…ましてやのことまで巧国に語り継がれていたことなど全く知らなかったが、最早過去のことだ。
 尚隆は興味の欠片も示さずにそう問うて、切り結んでいた霧枳を押し返した。
 体勢を崩して後方に倒れこんだ霧枳は、このままでは敵わないと悟ったのか、その場に刀を投げ捨てた。

「流石は、十二国一の剣豪と言われるだけのことはある」
「なに、伊達に長生きしている訳ではないからな。踏んでいる場数が違うだけのことだ」

 斎暁君・と同行していた数虞を連れた"尚隆"――船に乗っていた時から、何となく霧枳には正体が悟られているような気がしていた。
 仮にも偽王を名乗ろうという人物なのだから、これだけの符号が揃って気付かないわけが無い。
 尚隆は延王としてここに来た訳ではないが、その名を使わねばを助けられないというなら、躊躇はしないだろう。

「もう一度言う。を返してもらおう」

 先程とは比べ物にならない殺気と気迫を込めて剣を構えると、冷や汗をかきながらも霧枳は笑った。

「そんなに言うなら、本人に聞いてみるがいい――!」

 霧枳の呼びかけに、利広がはっとした時には遅かった。
 後ろ手に縛られたまま身を捻ったは身軽に地を蹴ると、その遠心力を利用して背後から拘束していた利広を蹴り飛ばした。
 そのまま相変わらず何の感情も示さない瞳で階を下りる。

「士壇(しだん)から剣を受け取れ」
 途中、霧枳の側近――士壇に手の縄を解かれ、彼が差し出した剣を流れるような動きで手に取った。
 そのまま霧枳の傍らまで進んで動きを止める。
 霧枳はの腰を抱き寄せ、尚隆に一瞬笑みを見せた後、の唇を己のそれで――塞いだ。

「貴様っ…!」

 珍しく感情を露にした尚隆が斬りかかる前に、霧枳は素早く離れた。

「ぐっ…」

 何かを口移しに飲まされたらしいがそれを嚥下するのを見届けて、霧枳は彼女に微笑んだ。
 慈しむような優しい笑みのまま、有無を言わせぬ命令を下す。

「延王・尚隆を殺せ」

 目を見開いた尚隆とは対照的に、は無表情のまま機械的に『是』と応えると、迷いも無く足を踏み出した。

「! っ!」

 一歩・二歩と進んで、三歩目から身を沈めて一気に距離を詰めてきたの一撃を、尚隆は完全な受身で流した。

 結われた髪と豪奢な帯についた飾りが、しゃらりと音を立てる。
 が構えた得物は、以前も見た特別拵えの日本刀を模した冬器。
 通常の日本刀より刀身も柄も細いのはに合わせて作られたからだろう――流石長年愛用している刀だけあって、完璧に扱いこなしている。 
 邪魔にしかならないであろう裳や嬬訓も、身の軽いにとってはさほど問題ではないようだった。

 二撃、三撃と立て続けに来る攻撃を防ぎながら、尚隆は顔を顰めた。

 敵地のど真ん中で、早々長居もできないこの状況――本来なら多少傷つけてでもの奪還を優先したいが、どうやらそれも難しそうだ。
 は尚隆には及ばないながらも相当の手練――そして現在仙籍に無い。
 こうも立て続けに攻撃されては傷一つ付けずに止める自信は無いし、ただの人である身体を万一深く傷つけてしまったらと思うと――
 そんな可能性が、尚隆の判断を鈍らせていた。

「! 風漢、後ろ!」 

 突然横手からかかった切迫した声に、尚隆は反射的に体を捻った。
 側面に逃れた尚隆の脇を、背後から飛んできた矢が掠める。
 更にその隙を見逃さず急所を狙って繰り出されたの太刀を、尚隆は左の籠手で受け止めた。籠手で防ぎきれなかった分の力が、尚隆の腕を傷つける。

「っ……!!」

 眉を顰めただけの尚隆本人よりも、傷つけたの方が息を詰めた。
 表情は変わらないままだが、体がびくりと慄き、刀を引いて距離を取った。

…?」
!」

 尚隆の呟きと、霧枳の叱責は同時だった。
 すぐには反応して、攻撃に戻る。
 尚隆は、再びの攻撃を受け流しながら利広の方を窺った。
 先ほど注意を促してくれた利広は、矢を放った本人――霧枳と対峙していた。それに加勢しようとしている霧枳の側近たちを楽俊と呪師たちが術で押しとどめている。

(――マズイな…)
 早く決着を付けなければ――幸い、先ほどの攻撃以降、の攻撃に微かな戸惑いが感じられるようになった。その隙を突いて、峰で打てば……

、殺せ!」

 尚隆の思惑を阻むように、利広と交戦中の霧枳が声を上げた。
 の攻撃がまた厳しくなる。

「くっ……!」

 普段ならば反撃して防いでいるような太刀筋に、尚隆はなす術も無く傷を受けた。
 またもや怯んだに、追い討ちのように霧枳の命令が飛ぶ。

「殺せ!殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ――!!」

 狂ったような高笑いに歯噛みする尚隆に、の連撃が迫った。
 捌ききれずにいくつか傷を負った尚隆は、顔を上げてはっと息を呑む。

 が、泣いていた。
 表情は微動だに動かず、瞳に意思の欠片もないまま――体も霧枳の命令に忠実に動きながら――それでも、その瞳からは止め処ない涙が流れていた。

 自分の体が思い通りに動かないことで、こうしている間にもがどんな気持ちでいるのか――その一端を垣間見たような気がして、尚隆は身を切るような焦燥感を覚える。

 尚隆は、衝動のままの体をかき抱いた。
 反射的に尚隆の背を攻撃しようとしたしたの剣を自分の刀で受け止め、手首を返してから刀をもぎ取ると、二つの刀を諸共にその場に投げ出す。

 空いた両手で更に強く抱きしめると、の体が微かに反応した。

 利広がそれを待っていたように攻撃をしかける。不意を突かれた霧枳の口からくぐもった呻きが漏れ、彼はその場に膝をついた。

 刹那、呪の効力が弛んだのか、尚隆の腕の中のがびくりと震えた。
 震える腕がゆっくりと上がり、尚隆の衣を掴む。

「尚…隆……」
「! !?」

 驚きに体を離し、覗き込んだ瞳は、確かに感情の色が揺れていた。
 しかし、ひどく苦しいのか、その顔色は真っ青になっている。

「すみま…せん…」

 やっとそれだけ告げて離れようとしたを、尚隆は慌てて支えてやった。
 小刻みに震えて熱い体は、華奢な体内で呪と戦っているかのようだ。

「大…丈夫です……」

 その言葉は到底信じられず、無理はするなと言いたいところだったが、状況がそれを許さなかった。
 地面から湧き出るように現れた妖魔に、あっという間に周りを囲まれる。
 中には遁甲出来ないはずの妖魔も混じっていて、尚隆は軽く舌打ちした。

「利広! 楽俊!」

 さえ押さえれば、こんなところに長居は無用だ。
 尚隆の呼びかけに二人も軽く頷いて見せて、素早く身を翻した。

 かなり消耗しているを一刻も早くどこかで休ませなければならなかったが、流石に呪師団を連れたままの大所帯では目立ちすぎる。
 元より別行動になった時の合流場所や対処は打ち合わせ済みだ。

 尚隆は片手でを担ぎ上げて庇いながら、もう一方の手で妖魔を斬り捨てて駆けた。
 利広や呪師団も囲みを破ろうと戦っていたが、数が多すぎて中々道は開けない。

 歯噛みした尚隆の背からふと重みが消えたのは、その戦端が開いてからすぐだった。

!?」

 尚隆が落としてしまったのかと慌てて振り向いた時には、背後から迫った妖魔の鉤爪を、の刀が受け止めたところだった。

「くっ…!」

 苦しそうに顰められた表情は、相変わらず顔色が悪く痛々しかったが、返す刀の反動を利用して見事に一刀両断して見せたその瞳は間違いなく以前の輝きを放っていて……尚隆は状況も忘れて、思わず息を呑んだ。

「少しくらいは…戦えます…」

 尚隆の視線をどう受け止めたのか、は荒い息の元ではっきりと言い切った。
 自分の身くらいは自分で守れるから――だから心置きなく戦ってほしい、と。
 らしい気遣いに、尚隆は口元を綻ばせた。

 ――これだから、この娘からは目が離せない。

 尚隆は刀に付いた血糊を振り払って、再び妖魔の囲いに向き直る。
 一瞬触れた背中に告げた言葉は、我ながら楽しげな色を宿していた。

「頼もしいが、ほどほどにな。後ろは任せる」
「――はい…!」

 言外に無茶はするなと含めたそれに、が気付いたのかどうかは分からなかったが、要はどんな状況になっても尚隆が守りぬけばいいことだ。

 まさか、惚れた女に背中を預ける日が来るとは……そんな思いがふと掠めたが、そうすることが余りにも自然で、疑問など抱きようも無かった。

(いや、そんな女だからこそ、惚れたのか――)

 苦しくても辛くても、自分を犠牲にしてでも、自分の往くべき道を進む彼女だからこそ――。

 尚隆は満足げに笑んだ。
 傍にが居る――それだけでこんなに満ち足りている現実が、奇跡のようにそこに在った。







05.10.15
CLAP