暁の声 - 煌約ノ章3

「お待たせいたしました。どうぞ、こちらへ――」

 巧国新王即位式典当日――
 正式な礼服を身に纏った利広は、案内に従って慣れた所作で立ち上がった。
 流石、大国の太子だけあって、歩く動作一つ取っても優雅なものだった。
 同じようにその後をついていく尚隆と楽俊も、護衛と従者という出で立ちで場にそぐわなくは無いが、利広に比べると洗練されているとはお世辞にも言いがたい。
 これを朱候あたりが見ていたら、また小言を言うのだろうと、尚隆は妙にのんびり考えた。

 やがて一行は、下朝の端に建つ斎宮に辿り着いた。
 即位式や祀嗣など、神聖な儀式に臨む王と麒麟は、まずこの斎宮に籠もって心身を清めることが慣例となっている。
 正確には吉日を待つあいだ精進潔斎し、外界との交わりを絶って過ごすのだというが、そこまで厳格な手順を踏むことは近年では少なくなった。

 とはいえ、王と麒麟は斎宮から出て真っ直ぐに式典会場である広大な広場に向かい、そのまま式典を終えると、賓客をもてなす為に内殿に戻る――というのが通常であり、これは特に崩れることもない慣例なのだが、新しい塙王は、即位式前の…しかも斎宮で、尚隆たちを迎えるつもりらしい。

「……どう思う、風漢。偽王は思ったよりバカなのかな」

 少し前を歩きながら何食わぬ顔で問いかけてきた利広の台詞に、尚隆はため息混じりにさぁな、と答えた。
 折角<奏国の後ろ盾>という餌を取ったのに、斎宮に賓客を招くなどという目立つ愚行をしては意味がない。

「偽王……馬鹿か、それとも……」

 何かを思案するように途切れた言葉は宙に浮き、尚隆は会えば分かるとばかりに思考を振り払って斎宮へと向かう足を早めた。







 存外、若い――

 その男を見た時の第一印象として、大抵の者がそう感じるであろう。
 外見は仙籍に入った時のままなのだから、それが真実の年齢でないと当然ながら理解しているというのに、「認識よりも若い」と――なぜだかそんな風に思わせる不思議な空気を持っていた。
 無邪気さの中に隠れた鋭さ……もしくは、狂気を宿しているとでも言えそうな澄んだ瞳がこちらの判断を迷わせる。

「遠路はるばるようこそおいでくださりました。私がこの度登極しました塙王・楊斯(ようかく)にございます」

 斎宮の一室に通されて待つことしばし、拱手と共に入室してきた男は、礼を取りながらそう名乗った。
 顔を上げたその顔は外見だけなら尚隆と同じくらいだろうと思われたが、線の細い、飄々とした雰囲気のある青年で、前述のように年齢も思考も掴めない。

 だが彼と目が合った尚隆は、それらのことよりもその顔そのものに軽く眉を動かした。
 見知った顔だったが、さほど驚きは無かった。

「奏国太子・卓郎君と申します。まずは御即位、寿ぎ申し上げる」
「大国奏国の祝賀をいただけるとは光栄です。有難く存じます」

 まずは型通りの挨拶を交わしていく偽王と利広は、後ろに控えた尚隆と楽俊の紹介を終えてようやく卓に戻って腰を下ろす。

「それにしても楊斯殿には急な申し出を御快諾賜り、感謝いたします。我らも隣国に住まう身として巧国の行く末を案じておりました故……」
「こちらこそ、我が国を気にかけていただいただけでも有り難いところを、大した御持て成しも出来ずに申し訳ない。国もこんな状態故、贅は尽くせませんが、どうかごゆるりと御寛ぎくだされ。私のことも堅苦しい名ではなく、どうか霧枳、と」

 言葉の最後はあろうことか利広を通り越して真っ直ぐに尚隆に向けられ、霧枳の瞳は相手を試すように…どこかからかうような光を宿して尚隆を見つめていた。
 それらを向けられ、尚隆も微かに笑みを刷いて拱手する。

「霧枳様には我らも卓郎君共々、"格別の御持て成し"をいただいた。滅多にお目にかかれぬもの故、中々楽しい趣向でございましたぞ」
「それはそれは、気に入ってもらえたようで何より」

 表面上は穏やかに笑って会話する二人に、利広がこっそりため息をついた。
 もっと穏便に進められないのか、と利広が思っているのは明白だったが、尚隆に言わせれば、お互いが敵対していることを自覚しているこの状況で霧枳の性格も合わせて考えるに、今更わざとらしい芝居を続けることに何の意味もない。

 と乗った連絡船で初めて霧枳に会った時、「この男は何かが危うい」という漠然とした予感を感じた。
 僅かな間、酒を酌み交わして幾ばくかの話をしただけだったが、外見通りの年齢ではあるまいと思った。
 賢く、如才なく、それでいてどこか無邪気な瞳に時折垣間見た陰が、昔対峙した男と重なったのかもしれない。
 仙籍に入っているということは、当然何らかの地位と力と思惑を持っているということで、殊更に近づくことにも尚隆は警戒を抱いた。
 当のは、なぜか警戒どころか信頼していた節も有り、それがおもしろくなくて尚隆はより一層二人きりにはするまいと目を光らせていたのだが……

 が攫われて、その首謀者が巧の偽王であると知ったとき…偽王の人と成りを知っていく過程の中で、偽王の正体にもしやと疑い始めていた。
 塙王として霧枳が入室して来た時、驚くどころかむしろ得心してしまったのはそんな予感があったからだ。

「塙王君――僭越ながら、塙台輔にもお祝い申し上げたく存じますが、台輔は今どちらに?」

 尚隆と霧枳の間が完全に険悪になる一歩手前の、絶妙なタイミングだった。
 今まで沈黙を守っていた楽俊が、穏やかな、けれど凛とした口調で問う。
 深みのある声は普段は聞かないもので、を大事な友達だと…助け出すと言った楽俊の決意が垣間見えた。
 利広が関心したように笑んで真面目な顔で霧枳に向き直る。
 それを見届けた尚隆も、油断無く相手を見据えた。

 霧枳は、そんな尚隆から楽俊に視線を移して、悠々とした笑みを浮かべる。

「そう言えば、皆様は塙麟とは誼がおありとか……ですが残念ながら彼女は体が丈夫では無くて、式典の前ですので大事を取って休ませております」
「麒麟が、病に臥せっておられる……と?」
 いつに無く剣呑な楽俊の声音は、霧枳の苦笑に遮られた。

「病という程では……ただ、登極前で心労が溜まったのか、時々おかしなことを言うことがありまして……ああ、そう言えばつい先日も口に出しておりましたな……"尚隆"、と」

 ガタンと音を立てて思わず立ち上がった尚隆を、手前にいた利広が素早く制する。
 思わず手をかけようとした剣は宮に入る前に預けたままだったのを思い出し、尚隆は自分を落ち着かせようと息をついた。

「……どこに居る?」

 短く問いかけた言葉は、自分でも驚くほど切羽詰った響きをしていた。
 ずっと余裕を手放さなかった霧枳が、初めて眉を顰めた。

「塙麟がどこに居るか、知りたいのですか?」
「……違うな。麒か麟かも、蓬山に居るかどうかも分からんものに興味は無い。俺が知りたいのは、""の居所だ」

 言い切った尚隆に霧枳は眼光を険しくし、立ち上がった。
 もうそこには、余裕と自信に満ち溢れた顔は何処にも無い。

は俺の麒麟だ。例え相手がどこの王だろうと渡しはしない」

 まるで人が変わったように低い声で威嚇して、霧枳がゆっくりと片手を上げた。
 その刹那、尚隆たちと霧枳の間に幾つかの気配が現れて、同時に尚隆の影から六太の使令である悧角が飛び出す。

「妖魔!?」
<お下がりください>

 茶と血色の斑な体毛を持つ狼のようなそれは、尚隆も見たことの無い妖魔だった。
 だが遁甲していたことといい、悧角が警戒していることから見ても侮れない相手であることは明白だ。

「一体、なんだって宮に妖魔が――?」

 尚隆は周りを取り囲むように迫る妖魔に油断無く身構えて、利広の台詞に尤もだと舌打ちした。
 どういう仕組みかは知らないが、里木同様、王の住まう宮城…その中心には妖魔は近づけない。
 だからこそ、荒廃した国でも政治の中心たる宮だけは無事でいられるのだ。
 それなのに、こうも簡単に使令以外の妖魔が出入りできるとは……

「! その為の斎宮か……!」

 思い当たった考えに、尚隆は盛大に舌打ちした。
 利広もその言葉で気が付いたようで、露台から覗く外を見やる。

 どの国の王宮でも、斎宮は王宮の中心である正寝から見て南西に位置する。
 これは王宮の鬼門の真逆…裏鬼門に当たり、通常は悪しきものの出入りを防ぐ為の守りとなる。
 特に斎宮などという本来潔斎の場として造られた場は、呪術的な力が強く、強固な守りになるが、その反面内側からの影響は受けやすい。

 奏から消えたという呪師たち……斎宮……宮内の妖魔……

 これらの符号から、自ずと答えは見えてくる。
 呪師たちを抱きこんだ霧枳は、即位式の準備という名目で斎宮を開け、宮城に妖魔の通り道を作ったのだ。

 何の為に?
 宮に妖魔を入れるなどという大罪を犯してまで…折角掴んだ偽りの玉座を失う危険を犯してまで、そこまでして霧枳が手に入れたいものは何なのか。
 正当な玉座か、絶対的な力か、豊かな富か、それとも……

「捕らえよ」

 尚隆の思考を遮って、霧枳が短く命令を下した。
 その直後だった。

「主上! 台輔が鎮冶楼(じんやろう)に…!」
「何…!?」 

 その場に駆け込んできた官吏の言葉に、霧枳の気が反れて妖魔の囲みも一瞬緩む。

「風漢! 楽俊!」

 その隙を逃さず、利広は近くの武官から剣を奪うと、二人を呼んで駆け出した。
 舌打ちと共に尚隆もその後に続き、駆けながら合図の獣笛を吹く。
 念のために近くに待機させていた、たまと星彩に跨ると、一気に飛翔して斎宮を離れた。

……」

 小さくなっていく斎宮を見送りながら、尚隆は苦い思いを飲み込んだ。
 あそこに居たかもしれない……そして、先ほど何かがあったらしいの身が気がかりで仕方なかった。






05.9.27
CLAP