暁の声 - 煌約の章1

「確率は五分五分といったところでしょうか」
「いや…餌が上等だからね。六分はあるんじゃないかな」
「――九分九厘だ」

 巧国首都・傲霜――王を失って急速に傾いた国の中心であるこの街は、建物も空気も荒廃していながら、人だけが興奮しているような、異様な様相を呈していた。
 日に日に高まっていく熱気は、どこか危ういものまで感じさせる。

 その傲霜の宿屋の一室――さほど立派でも大きくも無いその宿で、利広とその他二人は計画の最後の詰めを話し合っていた。
 ここ数日で着々と進められた計画の準備は、後は実行するだけという段階まで来ている。
 自分たちなりに確かに勝算のある作戦を立てたつもりだが、けれど利広の知る目の前の偉丈夫が、先のことをここまで断言するのも珍しい。

「随分自信満々じゃないか、風漢」
「自信がある癖にそれを出さんお前には言われたくないな、利広」

 風漢と呼ばれた男は不敵に笑い、もう一人の細面の青年――楽俊が苦笑した。

「何か根拠があるんですか、延お……風漢様」
「ただの旅人に様なぞいらんぞ」
「はぁ……では、風漢」

 困ったように頬を掻いた楽俊に、風漢――延王・尚隆は太く笑ってみせる。

「ああいった自己顕示欲の旺盛な輩は、妙に図太いのが世の常だ」

 随分いい加減で、けれど頷けるものがある言葉に、利広も苦笑した。

「流石無駄に人生経験積んでるだけはあるね――けれど、私も同感だな」
「奏の御仁のお墨付きを貰えれば心強いというものだ。なぁ、楽俊」
「はぁ…」

 治世500年を数える延王と、更にその上…600年を過ぎた奏国の太子である利広。
 普通の人生を送っている学生の楽俊にとっては全く及びのつかない話であろうに、それを振る尚隆には呆れる。
 諦めたように平静に受け答えする楽俊も中々おもしろいが、その行動に普段の彼らの関係が垣間見えて、同情の方が先に立ってしまう。

「まあ、すぐに結果は出るさ。――ねぇ、風漢」
「……ああ」

 感情のこもらない返答に、利広は目を細めた。 

 傲霜に入って8日――が連れ去られてから11日が過ぎた。
 依然、新たな塙麟と塙王の噂は大々的に広がり続けている。

 ――慶の飛仙であるという少女。
 どういった訳か、彼女と尚隆の二人で慶で起きた事件の足取りを追っている途中に、彼女だけが妖魔に連れ去られてしまった。
 巧に不自然に現れた麒麟が彼女であると、尚隆や楽俊が半ば確信しているのは、彼女が誘拐される場に出くわした時に見かけたあの髪の色にあるのだろう。
 詳しいことは聞かされていないが、利広が600年以上生きてきて始めて遭遇するケースだった。
 利広とて奏の事件を追って来て、この件にも無関係ではないのだが、それが無くともこんな珍しい事態を素通りするつもりはない。
 それに、もっと気になるのは尚隆の態度だった。
 利広と尚隆はふとした事から知り合ってもう数百年になるし、一緒に女遊びもしたことがあるが、彼が特定の女性に対してこんな態度を見せたことなど一度も無かったのだ。
(まったく、おもしろい――)
 万事において抜かりの無いこの男が何をやっていても上の空だなどと――この目で見ていなかったら信じなかっただろう。
 表面上は平静を保っているが、付き合いの長い利広にはやせ我慢だということはすぐに分かる。
 攫われたの身を案じていてもたってもいられないのだろう本心は、どこまで抑えていられるのか――
 麒麟に仕立てられていることよりも、妖魔に攫われたことよりも、尚隆をそうまでさせるという存在そのものの方が、利広には正直興味深かった。

――ね)

 もう随分昔に、同じ名前の少女と知り合った時の事を思い出しながら、利広は笑った。
 待っていた報せが届いたのは、その日の夕刻のことだった。




 
「中々似合っているよ、楽俊」
「えっ、冗談はやめてください。こんな着慣れない服で転んだりしないかと、これでも緊張してるんです」

 楽俊の慌てたような返答に、利広は声を上げて笑った。

 場所は奏と巧の国境上空――趨虞で移動中の空の上である。
 利広の乗騎・星彩に楽俊を乗せ、尚隆のたまと並んで飛んでいる。
 利広は太子としての正装を、楽俊と尚隆も太子の随従らしい衣装を身に付けていた。

「大丈夫だよ。普通の参賀ではないのだし、あちらも大目に見てくれるさ」
 
 慶から巧に入ってすぐ、利広は、奏国太子・卓郎君として塙王即位の参賀に参る親書を送るべく、一旦奏国の王宮――清漢宮に戻った。
 いくら隣国とは言え、奏と巧では国交もほとんど途絶えて久しい。
 怪しまれることは分かっていたので、親書には「塙麟と誼がある」という理由を添えた。
 塙麟――を無理やり攫っていったのだから、あちらも心当たりに気付くだろう。
 彼女を取り戻す為に慶国が絡んでいるのは明確だし、真偽の別は疑えど、奏国も干渉している。
 利広たちは、その参賀が彼女を取り戻しにいくための口実だとあからさまにしながら、選択を迫ったのだ。
 断れば、慶はともかく、大国奏が圧力をかけてくるかもしれない。
 だが、受ければ――危険はあるが、内外に奏の後ろ盾と示すこともできる。
 それらを秤にかけさせ、傲霜に逗留しながら返事を待っていた。

 利広が六分だと言い、尚隆が九分九厘だと言った確率は、巧の偽王がこの挑戦を受けるかどうか――その可能性。
 二人ともほぼ受けるだろうと踏んでいたのが当たって、偽王は「是」という返答を送ってきた。
 それを受けて利広たちは、一旦奏に入って身なりを整え、即位式に向けて再び傲霜を目指しているのだが……

「…どうかした、風漢?」

 利広は傍らを行く男に問いかけた。
 即位式に臨む為に傲霜を出た辺りから極端に口数の少なくなった尚隆だが、今日はそれが一層顕著だ。

「何か気になることでもあるのかい?」
「いや……少し単純すぎると思ってな」
「単純…ですか?」

 首を傾げた楽俊に、尚隆は神妙に頷く。

「こちらの申し出を受けるのはいい――だが、俺が奴ならば……」

 尚隆が言いかけたその時、不意に不吉な鳴き声が聞こえ、利広は反射的に手綱を引いた。

 すごいスピードで襲い来た妖魔が、利広たちの居た辺りを通り過ぎる。
 同じように間一髪で避けた尚隆は、転回しながら腰の剣を抜いた。

「君が彼だったら――の答えがコレ?」

 妖魔の襲撃――普通、特定の人間を襲うことなど有り得ないのだから、それが意味するところは一つだ。
 利広も、後ろに乗せた楽俊を庇いながら剣を抜いて身構えた。
 邪魔にならないように身を引きながらも楽俊が声を上げる。

「だけど、奏国の太子を襲うなんて……」
「――ああ、馬鹿げているな。俺が奴ならば、有益な手土産の一つも要求しただろうと、言おうとしたんだが…な!」

 言葉尻を攫って言った尚隆は、戻ってきた妖魔を片手で器用に切り伏せた。
 鶏ほどの大きさで小刀のような尾を持つ妖魔――欣軒(キンゲン)だ。

 口を噤んで剣を奮い、一通りの欣軒を落とすと、尚隆は息一つ乱さぬまま趨虞の首をめぐらせた。

「私を殺しても大丈夫だって自信でもあったのかな……宋王御璽も舐められたものだ。いや、それとも、奏を敵に回してでも、彼女を奪還される危険を潰したかったのか……そうせざるを得ない何かがあったのか」
「――急ぐぞ」

 どちらとも応えぬまま、尚隆はそれだけを告げて趨虞を急がせた。

 即位式典は、翌日に迫っていた。






05.8.24
CLAP