遠い祖国から隔たった地に流され、幾多の出会いと別れを繰り返し、500年の時を放浪してきた少女。
少女は今、まどろみの中に居た。
――『異人』
馴染みの深い言葉。
幾度も思い描いた故郷で、何度そう呼ばれたことだろう。
まさか遠く離れたこの地で……こんなに年月を経てから、その呼ばれ方をするとは、思ってもみなかった。
「やーい、異人ー! 異人の子が来たぞー!!」
「異人じゃ、異人じゃ、わしらとは違う髪と目をしちょる」
「ほんに不吉な髪じゃ。異人ちゅーのは、鬼子のようじゃの」
の記憶の始まりは、いつもそういった言葉で始まっていた。
異国出身の母をもつは、物心ついた時から、既に周りの人間とは隔離された異端の存在であった。
蔑まれ、虐げられ、そういった仕打ちをする人々を憎悪しなかったと言えば嘘になる。
それでもこの国で生きてこられたのは、優しい母と厳しい父、そして信頼する兄の、家族のお陰だった。
「母様、なぜみんな私を苛めるの? 私は生まれてこない方が良かったの? いらない子なの?」
幼い頃、村の人々の言う言葉を間に受けて、は母親に何度もそんな質問をした。
の母は異国から海を渡ってやって来た商人の娘で、父と出会い、恋に落ちてこの国に留まり、を生んだ。
異国の人々に対しては、まだまだ蔑視が強かった時代――今にして思えば、母のほうが、よりもツライ想いをしていただろう。
しかも母は、父の最初の妻亡き後の――所謂後妻であった為、相当風当たりも強かったに違いない。
けれど、そんなことは尾首にも出さず、が弱音を吐く度に諭すように繰り返した。
「は、父様と母様が神様にお願いして授かった子。が生まれたときには、それは喜んで、父様と二人で何度も社に詣でたものです」
そしてふわりと抱き締めて、暖かく包み込んで言うのだ。
「神様に名付けていただいた、私たちの大切な娘――――」
そんな優しかった母も、が十になる頃には病で逝ってしまったが、あの思い出があったからこそ、は自分を繋ぎとめていられた。
だが、母亡き後、の生活は益々厳しくなっていった。
父は、領主に仕える忍頭であった為、も幼い頃から当然のように忍としての修行を積んでいたが、母が死んで後の父は将に鬼のように厳しい訓練を課した。
これも今にして思えば、が一人で生きていけるようにとの親心かもしれないが、とにかく、女には厳しすぎる修練の繰り返しで、疲れ果てる毎日。
更に、母が亡くなった年は村に流行り病が蔓延していた年でもあり、母もその犠牲になったというのに、あの流行病は異人のせいだなどと言って、村人は残されたをまるで化け物のように扱った。
罵倒を浴びせられるだけならまだマシ――石を投げられることさえ、珍しくなかった。
それをいつも助けてくれたのが、兄だった。
「またこんな仕打ちをされたのか」
そう言って、いつも自ら手当てしてくれた。
現場に居合わせた時には、庇ってくれることさえあった。
兄は、父と前妻の間に生まれた為、とは半分しか血の繋がりは無かったが、厳しい父の信任も篤く、優秀な兄はの何よりの自慢だった。
(早く強い大人になって、父様の……兄様のお役に立ちたい――)
子供ながらに、いつもそう思っていたものだ。
実際のの主人は、父の仕える御屋形様だったが、心情の上ではそれよりも父兄の為という方が大きかったのだ。
そして、が一人前の忍びとなって数年が経った頃――
の属する小国は近隣の大国との間で緊張状態に入っていた。
下手をすれば、戦になる事もあり得る――そうなったら、どれだけたち忍が奔走しようとも一溜まりも無かった。国力が違いすぎる。
故に、それを防ぐ為に大国に潜入して相手の動向を探る忍の役目は、それこそ自国の命運を左右する大事なお役目だ。
その役目を任されたのは、忍頭である父とその後継の兄を筆頭にした精鋭衆だった。
が精鋭衆へ抜擢されての初仕事――しかも、父と兄の助けが出来るとなれば、これ以上の光栄は無かった。
嵐の、夜だった――
潜入した大国の本丸は海を背にしており、たちは海岸線から接近して城の地下堀から潜入した。
嵐で時化った海は荒れ狂うように激しく、以前見たことのある穏やかなそれとの違いに、の胸を嫌な予感というものが去来した。
そして、奇しくもそれは、当たる事となる。
「! 兄様!?」
潜入を敵方に気付かれ、一刻も早く城から脱出せねば――という時だった。
父を援護しながら進もうとしたたちの目の前に、兄が立ち塞がったのだ。
訝しんだのは一瞬。すぐに、は信じられないものを見た。
兄が片手を上げた。
その刹那、今まで父を挟むようにして守っていた精鋭衆の二人が、その刃を父に突き立てたのだ。
「父様っっ!!」
「ぐっ……く……お…前………」
苦悶に歪む父の表情は、しかし驚きではなく憎悪に彩られて、兄を睨みすえていた。
「やはり気付いておられましたか。――そうです、父様。私はあのような小国も満足に統括できないぼんくらな主には嫌気が差していました。しかし貴方は裏切ることなど死んでも無いでしょう。ですから、こうするしか無かったのですよ」
共についてきていた精鋭衆は、驚くことに全員が兄側の人間だったらしい――を除いては。
「父様……兄様、嘘でしょう? 兄様がこんな……!!」
「嘘ではないよ。私はずっとこうする機会を狙っていた。そんな時に、ここの御屋形様にお会いしたのだ。――さあ、、お前もこちらにおいで。そうすれば、もう誰もお前を虐げやしない。兄妹二人で今度こそ幸せに暮らせる」
手を差し出す兄の笑顔を、は間近から見た。
凍りつくようなその狂気を孕んだ笑顔を――。
「嫌……嫌です。兄様がそんな……嘘……嘘よ……。父様……父様……!」
「くっ……………おま…だけでも、逃げ……………」
父に縋るは、すぐに兄の配下となった同僚によって引き離された。
そして、兄自らが、父の体にとどめを刺した。
「父様っ! 嫌ぁぁぁ!!! 父様ぁぁぁ!!」
「――」
後ろから羽交い絞めにされたまま、は兄と向き合った。
生まれて初めて、本来の兄と向き合った気がした。
だが、真実を受け止めるには、には衝撃が強すぎた。
たった二人のの大切な人――父と兄。
その一人は死に、一人が……殺した。
「さあ、。私たちと一緒に来るんだ」
無理矢理兄に引き立てられて、の中で何かの箍が外れた。
「嫌ッ!! 父様っ!! 父様――!! 父さ……っ!!」
クナイを取り出して暴れた体を乱暴に押さえつけられて、兄の唇がのそれを塞いでいた。
女の忍――くの一として、お役目で意の染まぬ異性とも何度か体を合わせたことのあっただが、ねっとりと口内に侵入してきた兄の口付けに、その時よりもよっぽど激しい嫌悪感が体を貫いた。
「っ……ゃ!! 兄様、何をっ……!!」
「、お前は私のものだ! 私の傍で私の望む道具であればよいのだ!」
再び唇を塞がれた時、の体は自然に動いていた。
手に持っていたクナイを兄に突き刺し、その悲鳴を聞きながら逃げた。
捕まえようとする仲間の腕をかいくぐって、逃げて、逃げて――――……
逃げた先は城の外壁の上で、追い詰められたは背中から転落した。
遥か下は、嵐の海――――
激しい衝撃と、氷のように冷たい海水を感じたのを境に、の意識は途切れた――。
04.2.1
CLAP