長かった冬が過ぎ、ようやく暖かな陽射しが続くようになった今日この頃。
鶯色の鳥が、何かを口に咥えて大木の幹にある巣へ舞い降りた。
母鳥の帰還を待っていた雛たちは、我先にと嘴を突き出す。
「かわいい……」
もごもごと饅頭を頬張りながら、は向かいの切株に腰を下ろしてその様子を何とはなしに眺めていた。
今となっては遠い、虚海を隔てた故郷。
”帰らねば”と思うことはあっても、”帰りたい”と思うことは終ぞ無かった。
あの鳥たちのように帰る家も、必要とし必要とされる居場所も…………
バサバサバサ……
親鳥が再び飛び立った音で、は我に返った。
珍しく似合わない感傷に浸っている場合ではない。
今考えるべき事は別にある。
あの男のこと――風漢と名乗った男のことだ。
風漢がこの妓楼に来て既に三日目。
主人には最初、ひと休みしに寄っただけだと話していたらしいのに、と会った後に数日泊まりでと注文を変えた。
やはり、髪の色を見られたのが失敗だろう。
変に興味を持たれて、この三日間避けるのに苦労している。
麒麟かと聞かれた時には、かつて同じようなことを言った人を思い出して驚いたが……
(一体、何者………)
風漢の接客に部屋に赴いた姐さんたちから情報を仕入れようともしたが、堂々と場慣れしている以外にはこれといっておかしな事もないという。
しかしの脳裏に引っかかるのは、鮮やかで見事な太刀筋。あれほどの使い手になどお目にかかったことがない。
仙籍に入っていて趨虞をも持ち、腕の滅法立つ男………
――まさか、刺客?
趨虞は依頼人のものなのかもしれない。
ここで落ち合って引き渡すというのも有りそうな線だ。
……………
………………………
考えてもさっぱり分からない。
こういう時はどれだけ考えても無駄だと長年の経験で学んでいる。
けれど、理屈だけではない、それ以外にも何か引っかかるものをは感じていた。
なぜか風漢という男の存在自体が気になる。そのせいで、さっきから無駄だと分かっているのに思考の堂堂巡りをするはめに陥っているのだ。
「ああもう! 考えても分かんない時は考えるだけ無駄!」
自分に言い聞かせるように結論付けて、その場に立ち上がった時だった。
「何が分からんのだ?」
「っっっっっ!?」
唐突にすぐ後ろから声をかけられ、は飛び上がるほど驚いた。
(こんなに近づかれるまで気付かないなんて……!)
いくら考え事をしていたとは言え、大反省である。
「風漢―――様」
迷った挙句に”様”をつけたものの、先日立ち回った相手を前に客も何もあったものではない。
案の定、風漢にも笑われてしまった。
「まだ客扱いしてくれるとは………おかしな奴だな」
カァァァと赤くなりながら、はやはり三日前にここを出ているべきだったと深く後悔していた。
ある目的の為に、はここに潜り込んだ。それをまだ果たしていないし、風漢がそれに関わっている可能性もあるから留まっていたのだが……正直、もう一度立ち合って勝てる自信はない。
「し…仕事がありますので失礼します!」
「まぁ待て。聞きたいことがある。やっと掴まえたのだから、そう簡単に逃げられたのではたまらん」
……やはり、簡単には見逃がしてくれないらしい。
人間、諦めと切り替え……そして根性が大事だ――常々そう思っているは、風漢に掴まれていた手を振り払って向かい合った。
「――それじゃあ、私も聞きたいことがあります」
真っ向から見据えてくるに、風漢はおもしろそうに目を眇めた。
「いいだろう。そちらの質問から聞こう」
言って、が腰掛けていた切株にどっかと座る。
いつでも戦闘に入れるように気を張りながら、は慎重に口を開いた。
「あの趨虞は、どこで手に入れたんですか?」
「ああ、たまか」
「――たま?」
随分昔に仕えていた主がそういう名前の猫を飼っていたことを思い出しては眉をしかめたが、風漢が気付いた様子はない。
「手に入れたのは黄海だな……随分昔になるが」
は少し驚いた。
それでは、この男が自分で捕らえたというのか……あれほどの手練れならばそれも納得できるが。
「一つ答えたので、次はこちらの質問に答えてもらおう―――お前は何者だ?」
虚を突かれたものの、風漢の態度が真剣だったので、は呆れてしまった。
「その質問は、卑怯なんじゃないですか?」
思わず溜息が漏れる。だって本当ならそう聞きたい所を遠まわしに攻めていたのに。
「なに、一つは一つだ。俺は答えたのだから、そちらにも答えてもらう。―――麒麟では無いと言ったが、その髪は――……」
「……これは生まれつき。私の母方の一族は、みんなこんな色なんです」
悪びれない風漢に、は言いくるめられた感が拭えないままも答えた。
自分の行動ならともかく、別に出自を知られたところで問題はない。全て明かすつもりもないが――
「この世界で金の髪を持つのは麒麟のみ……人間でそんな一族など聞いたことが無いぞ」
「――でしょうね。私は確かに人間ですけど、海客だから」
「海客……」
驚いたようにそう繰り返した風漢は、しかし、と言葉を継ぐ。
「あちらにもそんな一族など…………」
そこで急に何かに思い当たったのか、風漢ははっとを見つめた。
「もしや……異人…か?」
今度はが驚く番だった。
”異人”――かつてあの島国で、どれほどそう呼ばれたことだろう。
の驚きに気付いたのか、風漢はふっと笑って見せた。
自身に溢れた、太く眩い笑み。
「俺も海客だからな――正しくは胎果だが」
――と、その時、表玄関の方からを呼ぶ主人の声が聞こえた。
はふっと我に返る。
何やら騒がしい。大口の客だろうか。
たちの居る場所から、回廊を渡っていく一行が見えた。
その内の一人に目を止めて、ははっと息を詰める。
「や!! 何処にいる!?」
「――――はい! 只今!!」
は大声で返事をすると、風漢の方にちらりと目をやってすぐに駆け出した。
030322