夜半の漆黒の海にどこからともなく現れた朽ちかけた船――
それは、かつて凛々の明星の面々が乗り込んだ幽霊船アーセルム号だった。
「……は残っとった方が良いのじゃ」
潮風に海賊帽を靡かせたパティが固い声でそう言った。
は、苦しそうな瞳を揺らすパティを見つめてゆっくりと首を横に振る。
「大丈夫、仲間だもん―― 一緒に行かせて」
カプワ・ノールに宿を取った日の真夜中。
一人で宿を抜けだしたパティを追ってきた凛々の明星一行は、彼女の『探し物』を見届ける為にみんな揃って幽霊船に乗り込もうとしていた。
残れという忠告も優しさだということは分かっていたが、仲間としてパティがつらい時に一緒に居たいと思ったし、この幽霊船の『乗組員』がブラックホープ号事件の被害者だとしたら、も他人ごとではない。
以前、彼岸花が咲くレナンスラ岸壁でブラックホープ号事件の被害者の墓を見た時、パティは何か思い出した様子で憎々しげに「アレクセイ」と呟いていたのだ。
がこの世界に飛ばされた元凶――乗っていた飛行機の事故は、アレクセイが人工『満月の子』を生み出す実験を行う為の贄だった。そして恐らくは、ブラックホープ号も同じ――。
「本当に大丈夫なのか、?」
どんな時でも面倒見の良いユーリは、少し前まで隣で酒を飲んでいた時とは打って変わって真剣な様子だ。
は即答したかったが、心許ないのは確かなので苦笑を返した。
恐らくは、レナンスラ岸壁に漂っていた独特の気配よりも濃厚な歪んだエアルで満ちているのだろうから。
思わず目でレイヴンを探してしまい、ユーリの「押しまくれ」の言葉も思い出したが、首を振って追いやった。
告白しただけであんなに困らせたのに、もう一度あの痛みを味わうなんて、とてもではないが今は出来そうにない。
「……まあ、にはおっさんが付いてるから問題ねーか。な、おっさん」
「……――もちろん!」
ところがユーリのその一言でレイヴンは今までそうしてきたように当たり前にの横に並んだ。
鼓動が早くなる自分を落ち着かせながらちらりと盗み見れば、彼はいつもと変わらないように飄々としている。
自分だけが意識しているようで悔しいような悲しいような気もして、徐々に濃くなっていくエアルの感覚から逃げるように、は少し前を行くレイヴンの服の裾を捕まえた。
「……どうかした?」
先を行く仲間たちに聞こえない程度の声で振り返った彼がそう聞いた。
はその翡翠の瞳の奥に、この世界で目を覚ました時の……悪夢のような現実から救ってくれた人の残像を探すように口を開く。
「お願い、傍に居て欲しいの」
「っ……お…お安い御用よ」
目を瞠って動揺したようなレイヴンにはっとして、何やら誤解を招くような言い方をしてしまったかもしれないと慌てる。
「急に変な我儘言ってごめんね! 私がこの世界に来た時助けてくれたのがシュヴァーンだったから、傍に居て貰えると、怖いこと思い出しても安心出来ると思って。ほ、ほら、シュヴァーンは騎士だし!」
焦って言い訳がましく捲し立ててしまったが、再び目を瞠ったレイヴンはわずかの逡巡の後、胸に手を当てた。
「そういうことでしたら、お任せください。貴女を脅かすものは例え亡霊であっても私が退け、命に代えてもお守りします」
淡々とした口調と静かな雰囲気はシュヴァーンのものだ。
フレンがしているのを見たことがある騎士の敬礼をしてみせた彼に、は嬉しいながらも鈍く痛む胸を押さえ、「命には代えないで」と苦笑した。
騎士としての護衛は冗談だとしても、保護者のような義務感で守ろうとしてくれているのだろうから。
「……よろしくお願いします、騎士様」
相手に気取られないように笑みで隠して、なるべくいつも通りを心掛けながら仲間たちを追いかける。
こうしていつか、何も無かったかのように元に戻れるだろうか――そう、他人ごとのように考えた。
そして、幽霊船で待ち構えていたのは、異形の魔物に姿を変えたかつてのパティの……いや、秘薬で若返って記憶を無くしパティとして旅をしてきたアイフリードの、右腕――サイファーその人だった。
「バイバイ…………サイファー……」
仲間たち一丸となって戦った後の決別は、悲しみで満ちた……けれど、力強い別れの言葉と銃声だった。
アイフリードにとってサイファーがどれだけ大切だったか……そしてその逆も、思い知らされる邂逅だった。
これもまた、アレクセイがもたらした結末の一つ。
サイファーとして生きた人間が魔物の姿で大気に溶けていくのを見届けながら、の脳裏でベリウスやフェローが力尽き精霊へと転生した場面が思い出される。
いまここにいる実感を繋ぎ止めるように自分の腕を抱いて、押し殺したように泣くパティの嗚咽を聞いていた。
その翌日の夜――
昨夜の反省を生かして酒場ではなく、照明明るめの食堂で時間を潰したは、夜更けにそっと宿に戻った。
この日は二部屋取れたので、男女で部屋が分かれている。
もう寝ているであろう少女たちを起こさないようにそっと明かりの消えた室内に足を踏み入れた瞬間――
「――今じゃ! 網を引くのじゃ!」
「えっ、ちょっ……わぁぁぁっ!!」
何かに足を取られたと思った後に視界が反転して転んだが、何やら布に包まれていて身動きできない。
明かりが付けられた室内を見渡せば、鏡台の上に立って腕組みしているパティとの両サイドでシーツを引っ張った状態のジュディス・エステルとリタが居た。
「置き網漁じゃないんだから……」
「ほう、は漁のことにも詳しいんじゃの。感心なのじゃ!」
思わず呟いた突っ込みを褒められても嬉しくない。
まさに網で捕まえられた魚よろしく、両端から引っ張られたシーツで絡め捕られているのだから。
「漁だと分かっているのなら話が早いわね」
シーツから助け出してくれたジュディスに手を引かれながら、一先ずの魚扱いから解放かと思ったらそんなことを言われた。
「捕まったんだから、今日こそ大人しく吐いてもらうわよ」
「ごめんなさい、。でも私たち、我慢したと思うんです」
「いつ頼ってくれるかと待っていたのだけれど、毎晩姿を消すんだもの。仕方ないわよね」
「うちが年の功で何でも聞いてやるのじゃ。何ならおっさんをマストに括り付けてやるかの?」
リタ、エステル、ジュディス、極めつけのパティの台詞で、レイヴンとのことのせいでかなり心配を掛けてしまっていたのだと知れた。
流石女の子の洞察力と言うべきか、が駄々漏れだったのか……
「……ごめんね、みんな。そりゃ気づくよね。私がレイヴンに振られたって」
「当たり前でしょ、あんなに態度に出てたら…………って、え? 聞き間違い?」
リタが途中で固まってを凝視し、他の面々の視線も集まる。
「あれ……気づかれてたんじゃなかったの? 私がミョルゾで勢いで告って振られたって」
その後、四者四様の驚きの声が深夜の宿に響き渡り、は更に猛烈な勢いで質問攻めに遭ったのだった。
女子部屋の絨毯の上に車座になって、はその中央に座らされ、何かの召喚か生贄の儀式かと苦笑する間も無く、洗いざらい話すことになった。
そもそもがレイヴンのことを好きだということ自体に気付いていなかったリタとエステルはともかく、気づいていたらしいジュディスとパティまで面白がって、「いつから」とか「どこが」とか聞いてくるので当たり障りなく躱すのに苦労した。
今朝まで泣き腫らしていた筈のパティがいつもの調子を取り戻しているのは喜ばしいが、流石の女傑の回復力は今じゃなくてもいいんじゃないかと思ってしまう。
一方的に想いを告げて逃げたをレイヴンは追いかけてこなかったのくだりでは、全員レイヴンに殴り込みを掛けに行きそうな勢いで怒ってくれ、真剣に心配してくれているのが伝わってきた。
いろいろと話す過程でそんな彼女たちの存在がしみじみありがたくて、ずっと言えなかった自分の体の不安のことも打ち明けた。
そこでまた目を丸くした全員に「早く言え!」と怒られた。
すぐにジュディスがナギーグでエアルの流れを探って滞っている個所をリタに伝えて、リタがコンソールを展開して何事か調べ始める。
エステルは「精霊たちに聞いてみます!」と集中しはじめ、パティは大事になって慌てるの手を安心させるように握ってくれた。
やがてエステルの体が光り、その周りに四体の精霊が顕現する。
しかし、突然の元フェローたちとの邂逅に緊張するを放って、リタ、ジュディスと一緒に何やらエアルの還元術式がどうとか、マナの変換がどうとかの難しい話を始めてしまい、まさかの完全置いてけぼり状態に唖然とした。
「……ねぇ、パティ。分かんないのは私だけ?」
「うちにも難しいことはさっぱりなのじゃ。分かるのは――いつまで経っても男は子供じゃということくらいかの」
「……パティ姐さん、そこのところ詳しく」
子供の姿のパティが言う台詞としては違和感がすごかったが、ドンと同世代だと思えばレイヴンを子ども扱いしていたドンの姿と重なるものがある。
女傑アイフリードの恋愛講座などというスーパーレア間違いなしのありがたい話を聞いている内に、難しい話にも結論が出たようで、咳払いしたリタにビシリと指を突き付けられた。
「、アンタ精霊魔術を使えるようになりなさい!」
「精霊魔術……って、この前リタがアスピオの魔導士たちと作り出してた、アレ?」
今までのような魔導器<ブラスティア>を使ったものではなく、精霊を使った魔術だ。
まだアスピオの魔導士たちによって見出されたばかりで、リタ自身も研究途中だと言っていたが……
「そう、精霊はエアルを抑制するというより、自在に干渉して調整できる存在。エアルと物質の間――マナエネルギーそのものでもあり、それを司っているとも言えるわ。そして……アンタは、エアルを貯蔵できる代わりに、エアルを生命エネルギーとしている。ここまで言えば、分かるわね?」
「…………えっと……分かりません、リタ先生」
落ちこぼれ生徒のような気持でおずおずと告げればため息をつかれたが、分からないのは自分だけでは無い筈だ。
そして何だかんだ言ってもいつも通り、リタは手厚く解説してくれる。
「いい? アンタは今、その魔導器無しだと、エアルが安定した場所では問題が無くても、余っている場所では無限に吸収して、足りないところでは無限に放出してしまう。周囲のエアル濃度と均一になろうとするのよ。その上、近くで魔術を使えば双方に影響が出る」
言われてみれば思い当たることも多かった。
そもそも、この世界で魔導器なしで過ごしていたのはアレクセイ邸に保護され過ごしていた当初の数日だけで、その間は近くで魔術を使われることもなかった。
旅に出てからはずっと身に着けていて、外した時にはリタの言う現象が起こっていた。
その吸収する性質を利用してアレクセイがエアルクレーネのエアルを採取しようとしていたのだ――今思えば、来るべきザウデ起動に大量のエアルが必要になることを見越してだろう。
「しかも、その魔導器は完全にエアルを遮断するものじゃない。もしそうだったら生命活動に必要なエアルの吸収さえ出来ないもの。透過率10%ほどのフィルターみたいなものね。だから、砂漠みたいにエアルが枯渇した場所だと緩やかとは言えどんどん流れ出てしまう。エアルクレーネではその逆で、体内に取り込みすぎて睡眠なんかに支障をきたす。確かに今は、不安定極まりない状態ね」
なるほどと納得する傍ら、人間離れした自分の体を再認識する。
しかし、落ち込む間も無く、リタは身を乗り出して言った。
「そこで、精霊魔術よ! エアルを糧にしていると言っても、人間の体だもの。生命エネルギーとして消費する前にはマナの状態になったものを使ってる。だったら、最初から精霊を介したマナを使用する精霊魔術を使えるようになれば直接エアルを摂取しなくてもよくなるし、使いこなせれば魔導器が無くてもエアルを遮断できるようになるはず」
「つまり――精霊魔術を覚えれば、普通の人間と同じようになれる……?」
「だからそう言ってるじゃないの!」
「術の扱い方は精霊たちが教えられると言ってます」
リタ、エステルの言葉に目を瞬き、ジュディスとパティを見やれば、二人とも出来ることは協力すると頷いてくれた。
「……そっか、私、普通に生きられるんだ……普通に人を好きになっても、いいんだ……」
隠すことなく口にした言葉に、自身が驚いた。
レイヴンへの想いは本物で、自覚もしていたし受け入れてもいたけれど、ずっと後ろめたさがあった。
こんな、普通ではない、いつどうなるとも知れない命で、誰かを好きになっても相手にも自分にも良いことは無いと。
だから本来、想いを告げるつもりなんて無かった。
それなのにまんまと告白してしまったのは我ながら想定外だったし、拒絶されてむしろ良かった筈なのだ。
だが全くそう思えないのは、結局は恋愛感情の業みたいなもので。
それだって普通の人間だったらの話で、違うくせに、同じように失恋で落ち込むのはお門違いなのかもしれないと思っていた。
――そう思っていたのだということに、先ほどの自分が吐露した言葉で自覚した。
「……人を好きになってはいけないなんて、そんなことは絶対に無いです。だからもう悲しまないでください」
「ありがとう、エステル。……うん、そうだね。悲しいっていうか……だんだん腹が立ってきたよ」
「え?」
目を瞬いたエステルににこりと笑みを返して、ここ数日の余所余所しいレイヴンの態度を思い返した。
「そりゃ逃げたのは私だけど。でも、そもそも乙女の真剣な告白に対して、何も…一言も無いなんて、ありえなくない?」
「魚が空を飛ぶほどおかしなことなのじゃ。それも、おっさんじゃからな」
の愚痴めいた言葉に間髪入れずパティが同意したのを皮切りに、女性陣の深い同意が返る。
「いつも女性には特に優しいおじさまが、からの告白に対して何も返さないなんて不自然ね」
「それにレイヴン、最近特にのことを目で追ってます」
「大体、が挙動不審になるのはともかく、おっさんがそうなるのはおかしいわよ」
だからむしろ、逆におっさんが振られたのかと思ってた。そう続けたリタの言葉には目を瞠った。
「……確かにおかしいよね。あれからよく目が合うんだけど、合えば逸らされるの……これ、そもそもレイヴンもこっちを見てたってことだよね。戦闘中も近くには寄ってこない癖に今までと同じように援護してくるし……これも離れたところからわざわざ気を付けてなきゃよね……」
「……、そこまで気づいてるんですね……」
「え?」
「それが分かってて、振られたっていうのは早いんじゃないの?」
年の離れた少女たちが心配してくれる言葉に申し訳なくなりながら、は首を横に振った。
「レイヴンがたぶん私を大切にしてくれてるのは分かってる。でも告白に対して困ったってことは、それは恋愛感情じゃないってこと。だから家族みたいな……妹としてみたいに見てたのかと思ったけど、そこまで気を遣ってくれてるってことは、娘くらいに思われてたのかな」
痛む胸を堪えながら、それは重いかもーなどと冗談めかして笑ったけれど、がしりとパティに肩を捕まれた。
「――もっと押すのじゃ」
「え?」
「そうね、おじさまは押しに弱いから、仮に妹や娘だったとしても、押し切ってしまえばいいんじゃないかしら」
「のじゃ! ぐいぐい、がつがつと、押して押して押しまくるのじゃ!」
かなり強引なことを言うパティとジュディスに、ユーリの姿が重なる。
「えっと……ユーリにも全く同じようなこと言われたけど……一回告白してきて返事も返さなかった女から更に押し押しで言い寄られたら、怖くない?」
「それは、興味がなかったり嫌ってる相手の場合なのじゃ。おっさんのあの様子からしてそれは海が干上がるよりあり得んことじゃから心配はいらんのじゃ」
力強く言い切ったパティに後光がさしているように見えて、もゆるゆると頷いた。
「そっか……うん、確かにレイヴンは押しに弱い。……みんなも、押したらいけると思う?」
「「「思う(います)(わ)」」」
即答で三人の返事が重なり、は目を瞠って笑った。
「それじゃあ……精霊魔術を覚えて、レイヴンも落とす――両方ともやってやろうじゃないの!」
高らかに宣言したに、四人の友人からやんやと声援が飛ぶ。
心から心配してくれて、一緒に考え、背中を押してくれる――
なんて良い友人を持ったのだろうと、彼女たちに心からの感謝を抱きながら、その夜は日が昇るまで少しの精霊術基礎講座とたくさんのガールズトークに花を咲かせたのだった。
250902
パーティーみんなから「押しに弱い」認定されるおっさん
CLAP