――は走っていた。
 薄暗いながらも穏やかな照明は、夜が深まりつつある中では十分だが、走るのには向いていない。

 先ほど見かけた紫色の影を追いかけて廊下の角を曲がり、唇を引き結ぶ。
 距離が縮まるどころか、既に視認出来なくなってしまっている。
 しかも、左手に持ったものを落とせば一巻の終わりだというオマケ付きだ。
 
 状況は刻一刻と悪くなるばかりで、額を汗が伝う。

 ここが最後だと、一縷の望みをかけて前方の部屋のドアを蹴破る勢いで開けた。

「――レイヴンは!!??」

 しかし、部屋の中にはユーリとカロルしかおらず、目を見合わせた二人は揃って首を傾げた。

「さっき帰ってきたと思ったんだけど……あれ?」
「……逃げたな、おっさん」

 それを聞いて、は失意でがくりと膝を付いた。
 左手に持ったほかほかおでんが無常に冷めていく――

「また逃げられた……!!」

 そもそも何故こんなことになったのか……は半日の苦労が冷たくなっていく温度に涙しつつ、これまでの苦労に想いを馳せた。

53. Dichiarazione - 宣戦布告 -

 女子部屋での「精霊魔術を覚えて、レイヴンも落とす」宣言の後、翌日からは言葉通り努力した。

 精霊魔術の習得にはかつての勉強が役立った。
 リタは世界の命運を掛けた仕事がある為、主にエステルが付き添ってくれて精霊たちから教わることが多く、人間離れした存在からの指導は難解だったが、要領は魔術と同じようだったのも幸いして何とか使用できるくらいにはなってきた。

 問題は、もう一つの方である。

 レイヴンを落とすと息巻いたのは良いものの、その為に具体的に何をするのが正解か分からない。

 手始めに仲間の少女たちの助言から試してみようと思ったのだが……

「素敵な服での魅力を見せつけるのはどうかしら? きっとおじ様もノックアウトできるわ」

 そう言ったジュディスがわざわざヘリオードまで足を運んで調達してくれたらしい服を見たは固まった。
 何やら黒い鞭を持った女王様を連想させるような……所々網目になった黒いボディスーツで色気は溢れまくっているが、とても着れたものではない。

 ジュディスには丁重に断って、作戦不発――

 次にエステルからは、ある意味彼女らしい提案が来た。

「お城の舞踏会にエスコートしてもらうのはどうです? 一緒にダンスを踊れば、きっとレイヴンものことを女性として意識するはずです!」
「ぶ…舞踏会?」

 エステルにとっては日常だったのかもしれないが、にとっては未知すぎる世界である。
 レイヴンはエスコート出来るのかもしれないが、は所作やダンスも知らず、その場の常識も分からない中で「意識してもらう努力」はまず無理がある……それに、この余所余所しい状況で「レイヴンにエスコートしてもらう」が実現不可能だ。

 エステルにもやんわり断って、こちらも不発――

「さ…作戦ね、作戦…………待って、考えるから……!」

 リタは忙しい中でもそう言って一度持ち帰って検討するという研究者らしい反応だった。
 世界滅亡の危機への対抗手段を考えているというのに、自分の恋愛事などで手間をかけるなんて申し訳なさすぎたが、リタなりに応援してくれる気持ちは真剣らしく、初めての難問にぶつかったような顔でぶつぶつ言いながら部屋に引きこもってしまった。

「――プレゼントなんかいいんじゃないの?」

 翌朝、目にクマを作ったリタが言った言葉に女性陣は目を瞬かせた。
 枕元にリタらしくない女性雑誌と何やら集計したようなメモが散らばっており、真面目にリサーチした形跡だと気づいてはたまらず抱きしめた。

「すごい良いアイデアだよ! ありがとう、リタ!」
「べっ…別に、一般的なことでしょ!? た…大したことじゃないわよ…!」

 出会った頃から変わらないツンデレは、更にデレ要素強めで進化していて、ジュディスもリタの頭を撫でて子ども扱いしないでと噛みつかれていた。

「プレゼントか……何あげようかな……レイヴンが好きなものって言ったらお酒くらいしか思いつかないけど……」
「男は結局胃袋なのじゃ!」

 いつの間に着替えたのか、コック帽を被って準備万端のパティがフライパンを掲げて高らかに言った。
 手料理――以前にサバ味噌を作ってあげた時にもかなり喜んでくれたし、確かにそれは良いかもと納得しても早速エプロンを装備する。

 世界の美食家をも唸らせるパティシェフに手伝ってもらいながら、元の世界で「好きな人に作る料理」の定番とも言える肉じゃがを作った。

 それを仲間たちとの夕餉に出して、は意を決してレイヴンの隣に座った。

「――レイヴン、今日の肉じゃが……私が作ったの」
「……そうなの? 美味しそうねー。こりゃ晩酌にも合いそうだわ」

 微かな動揺を瞬時に笑顔で隠されて、これでは駄目だと思ったは半ば自棄になって皿と箸を取った。

「折角だから、私が食べさせてあげるね! ――はい、あーん」

 仲間たちが固唾を飲んで見守る中、固まったレイヴンにユーリが水を向けた。

「おっさん、調子でも悪いのか? いつもなら喜んで食いつくとこだろ」

「っ……もももももちろん!! 嬉しすぎて思わず夢かと思っちゃっただけよ。うん。……えーと、それじゃ……」

 目を泳がせながら口を開けたレイヴンに箸を運びながら、思わず見つめてしまった口元にの方が赤面してしまう。

「ど……どう? 美味しい……?」
「うっ……うん、そりゃもう……」

 もごもごと頷いたレイヴンの耳が赤くなっているのに気付いたは何だか楽しくなってきて、「押して押して押しまくる」と頭の中で反芻した。

「良かった! それじゃ、もっと食べて! はい、あーん」
「いや、おっさん、自分で食べれるから……」
「……私のあーんじゃ食べられないってこと?」
「ま…まさかー! はは……ハイ、いただきます……」

 しばらくそんな調子で押しまくっていたら、もう限界とばかりにレイヴンは席を立った。

「あー……お腹もいっぱいになったし、おっさん、ちょっと出かけてくるわー!」

 あまりに不自然だったが、そんなことを気にしてられない程恥ずかしかったということだろうか。
 嫌がっているようには見えなかったが……

 慌てて出て行った後姿を見送ったはやりすぎたかもしれないと不安になって仲間たちを見やったが、ユーリと女性陣から親指を立てて褒められ、ほっと安堵した。
 方向性として間違ってはいなさそうだ。

 それ以降、現状唯一有効と思われる胃袋作戦を続けているのだが、レイヴンは肉じゃがで懲りてしまったのか、食事のたびに姿を消すようになってしまった。

 ならばと日中、寝起き、そして今日は就寝前と、いろいろとタイミングを変えて特攻しているのだが、気配で気づかれるのか、ずっと逃げられている。

 何せ料理を食べさせて落とすという作戦なので、美味しいと思ってもらえなければ意味がない。冷めた料理など論外で、出来立てを食べてほしい気持ちも合わさり更にミッションの難易度は上がっていた。

 今日は昼間からパティ直伝のおでんを煮込んで機を伺っていたのだが、夕飯にも来ず、そもそも宿を留守にしていたようで、夜半に片付けようとしていた厨房から見えた紫の羽織を慌てて追いかけて狭い宿の中をロビーから中庭、廊下と走り回った挙句、男部屋に突撃しても捕まえることはできなかったのである。






「はぁ……避けられてたんじゃ、どうしようもないんですけど……」

 その夜半、流石に折れそうな心を落ち着ける為、宿の部屋から星空を見上げて、こっそり買っておいた酒で一人で杯を傾けた。

 パティからはスキンシップが足りないと言われ、ユーリからはもっと色気を出していった方がいいと言われ、その意見も尤もだとは思うが、どうしても恥ずかしさと嫌がられたらどうしようという怖さが先に立ってしまう。

「酔ってたらもっと大胆になれるかもー……なんて」

 酒の力でも借りなければ、お色気で誘惑なんて出来そうに無いし、そもそも頑張った所で百戦錬磨のレイヴンには通じない気もする。

 そうやってだいぶ深酒してしまい、水でも飲もうと千鳥足で厨房に向かった先で、誰もいないロビーのソファにレイヴンを発見した。

 が部屋にまで突撃したせいで帰れなくなったのか、座ったまま眠っているように見える。

 避けられる、スキンシップ、酒の力――先ほどまでぐるぐる考えていたことが頭を過ぎり、ふわふわと酩酊した心地のまま、ソファの隣に腰掛け、気配に反応して起きたレイヴンに抱き着いた。

「!? ちゃ……」
「……レイヴン、一つだけ教えて」

 慌てた彼がの肩を掴んで引き離そうとするが、はその背をぎゅっと掴んだまま、ずっと聞きたかったことを吐き出した。

「好きだって言ったのは……私の気持ちは、迷惑…だった……?」
「っっそんなことっ……!」

 反射的に出たような言葉の後に「無い」という言葉は続かなかったけれど、その声音の真剣さで少し救われたような気持ちになった。

 泣きそうになったのを堪えて、ぱっと体を離す。

「――それなら良かった!」

 正面から向き合い、気力で笑って見せる。

「じゃあ私、諦めないから。レイヴンに好きになってもらえるよう頑張るから……覚悟しといてよね!」

 酔ってなければ絶対に言えなかった一言だが、宣戦布告したことですっきりした。

 ほっとしたら途端に眠気が押し寄せてきて、驚いたようなレイヴンの顔に満足してソファにもたれて目を閉じる。

ちゃん……?」

 自分を呼ぶ声ですら愛しさが募って、ふふと笑った。

「レイヴン、好き……」



「ッッッ……もう……ほんと、勘弁して……」

 意識が沈む狭間に、困り切ったようなそんな言葉を聞いた気がした。







250921
攻め攻めな夢主を書いてみたかった話
CLAP