一体全体、何がどうしてこうなったのか。
港町カプワ・トリムの漁港に程近い、まだ陽の高い内から酔っ払いで賑わう居酒屋――
レイヴンは隣で平然とショットグラスを傾ける男を横目で見ながらため息をついた。
「……こんな店でそんな酒飲んで、相変わらずイイ趣味だねぇ」
「お褒めに預かり光栄です。あなたは年のせいか勢いが落ちたのでは?」
静かなバーならともかく、混雑する賑やかな大衆酒場である。
そんな中で一人スコッチのダブルなどを傾ける男は間違いなく浮いているが、本人は歯牙にもかけていない。
「そう言えば、もあなたと同じようにジョッキで勢いよく飲んでいましたね。……運命的な出会いに乾杯したあの日が懐かしい」
不意にの話を出され、レイヴンは眉間に皺を寄せた。
――「それにしても流石友達ですね。乾杯がイエガーさんと全く同じ台詞!」
と"レイヴン"として初めて出会った時、そんなことを言われたのを思い出した。
実際にはそれよりも前に"シュヴァーン"として会っているのだが、初対面の"レイヴン"がこの男と比べられたと思うと無性に面白く無い。
「――俺への嫌がらせで彼女にちょっかい掛けてるなら、やめろ」
「そうじゃなければいいと?」
思わず低い声になった警告にも間髪入れず挑発が返って、反射的に睨みつける。
しかし、思っていたより穏やかな視線が返り、レイヴンはため息をついて自分を落ち着かせた。
昔の腐れ縁だ。
相手が本気かどうかくらいは分かっている――と思いたい。
そもそも、いくらに言われたからと言って、目の前の男と話をする為に、本当に二人で飲みに来るなどとは思っていなかった。
それは相手も同じはずだが、そうせざるを得なかったのは……
「……あれで隠れてるつもりかね。あの子らも、よく物騒なギルドで生き延びれたもんだ」
「子どもに危ない仕事をさせる訳がないでしょう」
「よく言う」
手元のグラスに反射して映っているのは、と双子が揃って入口側の席に座っている姿だった。
観葉植物の陰に隠れるように、こそこそとこちらを伺っている。
あれでも尾行のつもりなのか、イエガーと建物を出てからずっと一定間隔を保って付いてきていたので、比較的人の目もあって安全な店に腰を落ち着けることになった。
「よほど信用が無いと見える」
「人の事を言えた義理か」
互いに、事信用という点においては、嘘や秘密を抱えていた時点で無いに等しい。
にも物騒な展開にならないかと心配されていた。
――イエガー。ラーギィ。
レイヴンと同じく、十年前の人魔戦争で一度死に、心臓魔導器を使ってアレクセイによって生き返らされた男。
自分が元の名を捨て、レイヴン、シュヴァーンの二人の人物をこなしていたのと同じように、この男も似たようなことをしていたのだと思うと、つくづく因縁めいたものを感じる。
数日前のダングレストで、いつに無く神妙な面持ちで「話がある」とに言われた時は、いつも一人で無茶しがちな彼女がようやく頼ってくれるのかと、内心喜んだりもしたが……
「随分熱烈だぜ――『貴女のしもべ・ラーギィ』だとよ」
ユニオン留めでに届いたという手紙の差出人を読み上げたハリーの言葉に、思考が思わず止まってしまった。
そして頭によぎった、ザウデでのイエガーの最期、その直後に一人で消えた、膨大なエアルの波動――
状況的にイエガーとあの双子の少女に関することかとは思っていたが、まさかそういうことだとは。
点と点が線として繋がり、更にはダングレスト、ノードポリカ、コゴール砂漠……今まで何かとと接触していたイエガーと恋文と思わしき手紙の線まで繋がったようにも思えて、苛立ちが沸いた。
それがうっかり漏れ出ていたのか、怯えた様子のは必死に今までの経緯を話して釈明してきた。
「違うの、レイヴン! ザウデでは時間が無かったし、その後もみんなそれぞれ忙しかったし、それでもまずはレイヴンに一番に話さなきゃと思ったから、だからようやく今日話そうと思ってて……いや、分かるよ、そんな偶然あるかって思うよね。私も思う。……でも本当に、本当なの!」
信じて!と両手を顔の前で組んで見上げてくるに少し気分が良くなった。
これだけ必死なのも、秘密にしたままではなかったのだと、誤解されたくないということの表われだろうから。
しかし、イエガーが生きている――
その事自体、複雑なことに変わりなかった。
彼が死んだ時と真逆なのに、感じているのは似たような感情だ。
怒ればいいのか、悲しめばいいのか、喜べばいいのか……自分でも分からない。
『恋文』が昔騎士団で使われていた暗号だと気づいた時、この手紙の主も自分に言いたいことがあるのだと思った。
会えば分かるだろうかと思っていたが、ザウデ以来でそれほど時間も経っていないというのに、当の本人はすっかり毒気を抜かれて光魔術で浄化されたような……強いて言うなら戦争以前の彼に近い姿で清々しそうに笑っていた。
苛立ちが沸いたのは、が『爽やかイケメン』と評したことだけが原因ではない。
アレクセイの悪事の片棒を担いでいたのは、イエガーもシュヴァーンも同じ。
そうして、それを知って尚受け入れてくれる居心地の良い『仲間』がいることも同じ。
つまり、自分を見ているようで苛立つのだ。
今まで手を染めてきた悪行の業を背負いながらも、のうのうと生きている自分自身を――。
「そんなに怖い顔をしていては、また彼女にお説教されますよ」
隣で二杯目を受け取りながら言った男にため息をついて、レイヴンもジョッキを煽った。
ともかく、互いに監視の目がある以上、このまま話をせずに帰ることは出来ない。
はともかく、双子が万一読唇術を身に着けている可能性を考慮して、グラスで視線を遮って口を開く。
「――で、どうするつもりだ?」
これから。
言葉少なに聞けば、昔を彷彿とさせる皮肉気な笑みが返ってきた。
「慎ましく静かに暮らしますよ。憧れのスローライフというやつです」
「悪事からはきっぱり足を洗うって?」
「必要がありませんから」
「それを俺が馬鹿正直に信じるとでも?」
「旧友に信じてもらえないとは、悲しい」
わざとらしい悲嘆のため息をつかれ、レイヴンの脳裏によみがえった光景が目の前の男に重なる。
二度と返らない幻想と話しているようで、妙な気分だった。
「…前の名には戻らないのか」
「答えの分かっている問いなんて君らしくもない」
「…………ああ」
「我々はあの時、あの砂と荒野の世界で、彼女や同胞たちと共に死んだ」
もう幾度思い出したか知れない記憶に、心臓魔導器がドクリと音を立てた。
高潔な『本当の騎士』を体現していた小隊長の元に集った仲間たち――
仲間の多くと同じように、レイヴンも彼女の輝きに焦がれていた。
そしてイエガーは殊更……
淡々と「我々は死んだ」と語る目は空虚だった。
この懐かしくも忌まわしい記憶と感覚を共有する相手が隣にいるのだという実感が、今更ながらに湧いてくる。
「……後悔したか?」
彼女と同胞たちと共に死ねなかったことを。
レイヴンの脳裏に、十年前、心臓魔導器で生き返ったと知った直後に味わった絶望が蘇ってきた。
アレを共有できる人間がいるなど考えたことも無かった。
「傷の舐め合いをしようとでも……?」
皮肉交じりに言われ、レイヴンも苦笑した。
そんなものこちらとて御免だし、別の人間である以上、味わったのは同種でありつつも似て非なる絶望だ。
「……つまんないこと聞いちまった。忘れてくれ」
感傷が過ぎたと自嘲して、強い酒を注文した。
程なく供されたグラスに口を付ける頃、視線を俯けていたイエガーもふっと苦笑を零した。
「――後悔、しない日などありませんでしたよ。しかし、今も生きている」
「…………」
そう、その矛盾こそが、今の自分たちの歪さである。
「生きている以上は、もう勝手に死んでいる場合ではなくなってしまってね。そう……決めていたはずなのに、こんな私の為に心から泣いてくれるレディ二人にまでつらい思いをさせる所だった。……だから、には本当に感謝しているんですよ」
淡々とした言葉と穏やかな声音は、何のしがらみも無い達観した者のようだ。
ふとレイヴンは、"今の"自分が再び命拾いした時のことを思い出した。
暗いバクティオン神殿の底で、こんな自分の為に命がけで助けに来てくれた部下の事を。
「……彼女が助けた命だ。俺がどうこう言う気は無いし、粗末にするなと言いたいところだが……いまだに武器を調達できる立場にいるのはどういう訳だ?」
かつて暗殺ギルド海凶の爪があれほど力を拡大出来たのは、遺構の門<ルーインズ・ゲート>が武器の横流しをしていたからだ。
ラーギィがその首領を引退したもののまだ相談役として籍を置いていることは、先日ユニオンに行った時に調べがついていた。
しかし糾弾されている男は、歯牙にもかけずにふっと笑う。
「それは、救児院を維持する為、金銭的にその方が都合が良いからです」
「それを信じろって?」
「ご自由に」
かつて信じて命を預けていた仲間。
それだけの相手なら、生き返った人間として前を向くその背中を押すところだ。
けれど、今は……
「まあ、無理もありません。あなた<レイヴン>にとって、私はドンの仇ですから」
こちらの思考を読んだように微笑む男の顔は相変わらず凪いでいて、レイヴンは眉間に皺を寄せて睨み付けた。
「ああ、正真正銘の仇な上に、当のドンからはイエガーっつー悪党だけは野放しに出来ねぇって後まで託された身だ」
きつく睨み付けた視線を平然と受け止められて、レイヴンは眉を顰め、ガシガシと頭をかいた。
こういう飄々とした所が昔からいけ好かない相手だったことを思い出し、胸のわだかまりを吐き出すように盛大にため息をついた。
「だーーっ! お前さんこそ言いたいことがあるんだろう。――キャナリの事も」
レイヴンの方からその名を出されるとは思っていなかったのか、イエガーの目が軽く見開かれた。
ふと昔に戻ったような錯覚がレイヴンの胸を掠めたが、イエガーはすぐに穏やかな面を被り直して瞑目する。
「言いたいことなどありませんよ。ただ……そうですね。一つだけ聞かせてください。あなたも一度死んで、別の人間として生きているのに、なぜまだ"それ"を使い続けているのです?」
それ、と指されたのは腰の変形弓。
キャナリの家に伝わる家宝の弓を元に作って元キャナリ隊に配布されたことでかつてのレイヴンとイエガーも使っていた武器。
正直、生き返った後に再び使い始めた時には深い意味など無かった。
騎士団の密偵として初めてダングレストに潜入した時に武器屋で偶然見つけて、使い慣れたそれを手に取り、なし崩しに使っていたに過ぎない。
けれど、聞きたいのはそういう経緯では無いのだろう。
アレクセイが死んで、それでも新しい人生を生きると決めた者同士として聞いているのだ。
「昔のことに踏ん切りをつける為、ケジメをつける為――そう言ったら、どうする?」
「――あなたが私を許せないなら、お相手しますよ」
イエガーは目を細めて、可愛い尾行組からは見えない位置で静かに仕込み杖を引き寄せる。
レイヴンは盛大にため息をついた。
「冗談だ。昔から顔に似合わず血の気が多い奴だねぇ」
相手がわざと剣を交える切っ掛けを引き出そうとしたことは分かったが、わざわざ乗ってやる義理もなければ、に心配をかけるのも本意じゃない。
「お生憎様。こっちは踏ん切りもケジメも一生付けられる気なんてしねーのよ」
それが出来るなら苦労は無かっただろうし、今となっては自分の一部にもなっている。
レイヴンはダガー型になって鞘に収まっている変形弓の柄をぽんと叩いた。
「こいつはただの武器だ。俺が守りたいもんを守るために、使える物は何でも使うさ」
今度こそ虚を突かれたように目を瞠ったイエガーは、はははと声まで上げて笑った。
「では、やはり付き合ってもらいましょう」
「げ……オレ様の話聞いてた?」
「ええ、もちろん。好きな子を守るために強くなりたいんでしょう?」
「なっ……! そういう話じゃ……」
「それに最初からこうなると分かっていたでしょう」
「…………はぁ。まぁね」
互いにかつての相手の性格ならよく知っている腐れ縁だ。
レイヴンも諦めて手元のグラスを飲み干した。
「では、場所を変えましょうか」
「お嬢さん方はどうする?」
「レディたちに見せたいものではありません」
「へいへい」
二人分の酒代をテーブルに置き、よっこらしょと席を立つ。
店を出たところで尾行組を振り切るために少し走れば、簡単に撒けたようだった。
のことだから、これ以上は野暮だと少女二人を止めてくれたのかもしれないが。
250203
久々の更新すぎてすみません。
おっさんと生き残ったイエガーさんの飲みシーンが難しすぎました。
長くなったので二話に分けます。