バクティオン神殿の瓦礫の底でも、帝都でアレクセイと相対した時だって、彼の頭に真っ先に浮かんだのは彼女のことだった。
何の因果か生き延びて、名前と立場で分かれていると思っていた仮面も"自分"だと受け入れて。
名など関係無く、彼は彼として生きていくのだとそう決めて。
そうして、今度こそ彼女を取り戻す――そう決めた。
あの時あの手を離したことを、ずっと後悔してもいた。
だが、だからと言ってどうこうしたいなどという気持ちは最初から無かった。――無かったはずだ。
だったら無理やりにでも彼女を連れ戻してどうするつもりだったのかと問われれば、自分でも分からない。
ただ、彼女にはつらい思いをさせたくなかった。
心からの笑顔で居て欲しかった。
欲を言えば、それを傍で見られるのならば……それだけで充分満足な筈だった。
けれど、ストップフロウなどという高等術まで使って抱きついてきた彼女に感じたのは、遠い昔に確かに覚えのある色付いた感情だった。
湧き上がる衝動も、それを耐えて頭を撫でるに留めるのに要した葛藤も、決定的なものに違いなかったが、彼には――レイヴンには、それを彼女に――に向ける資格すら無い。
だから、レイヴンとして生きると決めてこれから何がしたいかと聞かれても、浮かんでくるの顔をその度に打ち消すしかなかった。
の存在に……その表情に一喜一憂し、振り回されてしまう自分が度し難く腹立たしい。
ザウデ不落宮などという古代兵器を復活させたアレクセイが帝都から去り、誰もいない地下牢で頭を冷やしていたレイヴンの元に仲間達の様子を見回っていたユーリが辿り着いたのは偶然だったが、そこにまでこっそりくっついてきたのは、これまた何の因果だろう。
しかも、が故意では無いだろうが立ち聞きしていたその状況――ユーリはそれを感付いていながら、レイヴンにとのことを聞いてきた。
隠れているつもりらしいが動揺した気配まで感じ取れてしまい、思わずレイヴンまで動揺した。
こんな所で、彼女相手に何かを気付かれるような失態を犯すわけにはいかない――
「へー……本当にそれだけか?」
「……随分しつこいわね。いい加減、おっさんでも怒るよ?」
焦りも相まって、我ながら物騒な声音になってしまい、ユーリが目を瞠ったのと同時にの気配も消える。
彼女はどう思っただろうかなどと、また性懲りもなく考えてしまっている自分にレイヴンはため息をついた。
「……何か、悪かったな」
「ホント……勘弁してよ。人が悪すぎるわよ、青年」
バツが悪そうに謝ってきたユーリに、レイヴンもバタリとその場に寝転がってため息で返す。
ユーリは腰に手を当てて首を傾げた。
「思ってたよりも複雑そうだな」
「……何でそう思うのよ」
「の奴、いろんなことあって不安定になってるだろ。体のこととかアレクセイのこととか……俺たちは事情を全部知ってる訳じゃ無いんだろうし、話せんのおっさんくらいだろ?」
目を瞠ってガバリと起き上がったレイヴンに、ユーリも驚いて目を見開く。
そして、深いため息をついた。
「普段女には異常に優しいアンタがそんな調子ってことは、そんだけが特別ってことか」
「……そんなんじゃない。俺は……」
「へいへい。どーでもいいが、あいつを泣かせりゃウチの連中はみんな黙ってないと思うぞ」
勿論、俺も。と言うだけ言って出て行ったユーリの気配も消えて、再び誰も居なくなった地下牢で、レイヴンは自分の頭を大きくかき回した。
少しでもの気持ちを考えれば、いろいろと抱え込んで不安に思っているのは当然なのに……それを聞いて支えてやれるのはレイヴンだけで、何よりレイヴン自身も誰にもそれを譲るつもりも無いというのに。
ユーリに言われて初めてそれに気付くなんて――本当にどうかしている。
自分のことを殴れるならば思い切り殴り飛ばしていただろう。
それくらい自分に憤りを感じながらも、とにかく一刻も早くに会わなければとレイヴンは急いで地下を出た。
騎士たちの目をなるべく避けながら方々を探して、城壁の上へ出る階段を上ったとき、不意に覚えのある声が緊迫を報せるように叫ばれた。
「――危ないっ!」
何事かと階段を駆け上がったレイヴンが見たのは、声の主――フレンに抱き締められただった。
「……泣いているのかい……?」
反射的に身を隠して気配を殺したレイヴンは、フレンの言葉に目を瞠る。
「今日みたいに何か悲しいことや困ったことがあったら、僕に相談して欲しい。少しでも、君の力になりたいんだ」
秘密にして欲しいと言ったに、フレンは力を込めて真摯にそう言った。
「………………」
レイヴンは目を伏せて、気配を絶ったままその場を離れた。
胸を占めるのは、こんな人気のない場所でを一人で泣かせてしまったことへの罪悪感。
そして、自分ではなくフレンがそれを慰めて力付けようとしたことへの……羨望と嫉妬。
フレンに抱き締められていたが脳裏に甦り、黒い靄が胸を締め付けるのを感じて自嘲した。
「―― 一人前に嫉妬か。いつまでも半ちくなくせしやがって」
いかにもドンが言いそうな小言を自分に向けて呟いて、長いため息をついた。
その後は凜々の明星の誰かが傍に居たり、決戦の為の準備があったりと二人で会うタイミングも無いままザウデへと乗り込むことになった。
そうして、裏口から潜入して進んだザウデの奥で――
凜々の明星の前に立ち塞がったのは、相変わらずふざけたなりのイエガーだった。
この期に及んで、今更一人で死地に臨むような男では無い。
分かっていながらも、ドンの遺言だと思えば、不義理な『レイヴン』はこれ以上不孝な真似も出来ない。
何より、あのドンが自分の死に際してイエガーだけは残して逝けないと思わせたほどの立派な悪党だ。
それならばせめて自分の手で引導を渡してやりたいという気持ちもあった。
それについて迷いは無かったはずだ――けれど、戦って、倒して、彼も自分と同じく心臓魔導器で蘇った死人だったのだと知った時、十年前のことやそのもっと前のことも急に思い出されて、戸惑ってしまった。
イエガーが、本人でさえ当然の結果だと言うように敗北を受け入れてあっさり死んだ時、レイヴンに残ったのは遣る瀬無さだけだった。
重苦しい消化不良の苦さが張り付いて残って、二度と手の届かない場所へ逃げられたような気がした。
それを敏感に感じ取ったのか、それともイエガーに助けられたことに恩義でも感じていたのか、はイエガーの保護下にあった二人の少女を見つけるなり、レイヴンにはついてくるなと言い置いてまた一人で勝手に駆け出してしまった。
「――やめとけ、おっさん。あいつなりに思うとこもあるんだろ」
「だけどユーリ! ここはアレクセイのテリトリーだ。こんな所で一人にしてまた何かあったら……!」
思わず追おうとしたレイヴンを止めたユーリと、そのユーリに食ってかかったフレン。
を心配するフレンの様子に、また黒い靄を感じて拳を握る。
ゴーシュとドロワットはと仲が良かったという話だし、ここまでの道行きのように見つけた魔物は全て倒して進めば、後から来る分にも危険は無いだろうと判断して、自分に言い聞かせて。
今は先に進もうと、レイヴンは身を翻した。
そこから先の道中も、レイヴンたちは騎士団の親衛隊に阻まれて苦戦を強いられた。
そもそも彼ら凛々の明星一行は、傷も癒えて復帰したバウルに大海の中央まで運んで貰ったが、巨大魔導器の武装で防衛していたザウデへはフェローの協力があってようやく潜入出来たのだ。
正面は固められており、仕方なく裏から潜入したが、半ば水没した内部は古代文明の遺産らしく不思議な仕掛けに満ちていた。
リタの知恵もあって何とか進むことが出来たが、それよりも手を焼いたのがアレクセイに付き従って命を賭して立ちはだかった親衛隊の若者たちだ。
親衛隊の中には流石にあのザーフィアスでの状況を見て離れた者たちもいるが、このザウデまで付いてきている者はまさに"盲信"と言えるほど無条件にアレクセイに忠誠を捧げている。
説得しようとしても、髪を下ろしてシュヴァーンとして剣を引けと言っても、もはや≪シュヴァーンは裏切り者≫ということになっているらしく、効果は無かった。
ふと、そんな盲目的に信奉する親衛隊が、の姿に重なる。
最初から利用するためだけに異世界から連れて来られ、同胞と共に命さえ奪われて、別の存在として生まれ変わった後も体の苦痛を伴う協力を強いられて。
それでも何故、は刷り込まれた雛の如くアレクセイに心を傾けるのか。
考えた瞬間、不意にドクリと心臓魔導器が脈打って一瞬息が苦しくなった。
何かに……大量のエアルに、反応したのだ。
レイヴンにはエアルの流れを追うなどという芸当は出来ないので、その扱いに長けたクリティア族のジュディスを見ると、アレクセイが居る前方では無く、今来た後ろの方を心配そうに見つめていた。
だ――
レイヴンの視線に気付いたジュディスが困ったように苦笑して見せたことで、それを確信する。
ジュディスの様子からしての身に危険がある訳では無いというのは分かるが、きっとまた無茶をしたのだろう。
離れていてもこんなに影響を感じる程のエアルを何故使ったのか……
本当に無事なのか……
傷ついてはいないだろうか……
「後ろだ、おっさん!」
「……っ!!」
戦闘中だということを失念して考え事に気を取られていたレイヴンは、ユーリの声にようやく我に返った。
はっとしたのと同時に体を捻ると、今までいた場所を巨大ゴーレムの豪腕が薙いでいく。
すかさず次の攻撃を命じる親衛隊の魔導士を弓技で地に沈めて、レイヴンはため息をついた。
の姿が見えない――
結局はそれが一番の問題だった。
それだけで不安で仕方無く、戦闘にも全く集中出来ないのだ。
待つ時間は驚くほどに長くて、もういい加減迎えに行ってしまおうかと思った矢先、ようやく戻って来たは、いつも通りに相変わらず脳天気だった。
「みんな、お待たせー!」
「!」
「遅くなってごめんね、ボス」
「ホントだよ、心配したんだからね。ケガとかしてない? 回復しようか?」
「大丈夫。魔物もみんなが倒してくれてたから一度も遭遇してないし、怪我もないよ」
にこりと笑って見せたは確かに外傷は無かったが、遠目にも顔色が悪い。
ボスらしくみんなを代表して心配を口にしたカロルに無傷であると懸命にアピールするの頭を、今度はユーリががしりと掴んで、痛いと上がった悲鳴にも軽く小突き返した。
「勝手に一人で飛び出すなよ。あんな目にあったのにまーだ懲りねーのな」
「ユ…ユーリ君。それを言われると、何も言い返せないんですけど……」
「当たり前です! 心配を掛けるが悪いんですよ?」
「ま、当然ね」
「そうじゃの」
「そうだね、こればっかりはユーリに同意するよ」
エステルとリタ、フレンにまで言われて小さくなるは、困ったように謝り続けながらもそれでも嬉しそうだった。
――嬉しい?
レイヴンはふと考えた。
今まで、彼女の気持ちを真剣に知ろうとしたことなどあっただろうか。
いつも自分のことだけで手いっぱいで……全てを諦めていたから、深く関わらないようにするのが癖のようになっているのだ。
誰にも踏み込まず、踏み込ませず。
大切な誰かを作ることも、誰かの大切になることもない。
けれどは――のことは放っておけなかった。
つらい思いや悲しい思いはさせたくない。いつも笑っていてほしい。幸せでいてほしい。
姿が見えなければ何をしているのか気になるし、何を見て何を考えているのか知りたい。
不意に、以前ドンに自分とが似ていると言われたことを思い出した。
自分に当て嵌めてみると、なんとなく腑に落ちてしまう。
異質である自分を『仲間』と言って心から心配してくれる彼らの傍にいるのは、にとっても心地良いのだ――レイヴンがそうであるように。
「――ちゃん」
「レイヴン……」
名前を呼べば、今まで笑っていたの顔が強張り、緊張した面持ちで振り返った。
そして思い切り頭を下げる。
「ごめんなさい! 何も言わずに飛び出しちゃって。体が勝手に動いたというか、突っ走ってしまったというか……」
必死で謝るその姿に、レイヴンの方が罪悪感でいっぱいになって、思わずその頭にぽんぽんと手を乗せて撫でた。
「……おーい」
はっとして周りを見ると、半眼のユーリを筆頭に好奇に満ちた仲間たちの視線が周りを囲んでいて、レイヴンは内心のしまったという気持ちを隠して、にっこりと笑ってみせた。
「もう、
ちゃんが心配で生きた心地もしなかったわよー! 二度とこんな無茶しちゃ駄目なんだからね!」
ぷんぷんと、また道化じみた言動で誤魔化して、そっと小声で「無事で良かった」とまだ下げている頭の上に囁く。
ぴくりと震えた体にさえ込み上げる感情に蓋をして、レイヴンは"仲間として"その背を軽く叩いてユーリたちの元へと戻った。
この先には、アレクセイと敵対するという避けられない舞台が待っている――
今度こそ必ず無茶はさせないと決意を新たに、開かれた道の先を見つめた。
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おっさんのジレンマのお話。
結構難産でしたー。