「…お前もだ、シュヴァーン。生き延びたのならまた使ってやる。さっさと道具らしく戻ってくるがいい」
「シュヴァーンなら可哀相に、あんたが生き埋めにしたでしょが。俺はレイヴン。そこんとこよろしく」

 が目を覚ました時、最初に耳に入ってきたのはそんなやり取りだった。
 ゆるゆると覚醒する意識の中で、状況も何も分からないのに思わず笑ってしまった。

 いかにもレイヴンらしい言い方で、ずっと死にそうな顔をしていた彼よりよっぽど似合う。
 寡黙なシュヴァーンの主であったアレクセイが面食らう姿を想像するとおかしかった。

「――あっ、!」

 今まで茫洋と漂っていた意識が、カロルに名を呼ばれたことで一気に現実に吸い寄せられる。

 はっとして見やれば、そこはアレクセイと凛々の明星が対峙して一触即発の状況――
 自身は、首の魔導器を取られた不安定な状態で、球体の檻に閉じ込められていた。

37.ritorno - 帰還 -

 ずっと、夢を見ていた気がする。

 は、空から……いや、"エアルの中"から帝都を見下ろしていた。

 アレクセイがエステルを使って剣を媒介に何かのシステムを構築していく様子や、その仮定で必要なエアルを聖核とエステルの力で増幅させて帝都の結界魔導器に収束していることや、それらエアルの調整をを使って行っていること……それによって、エアル濃度が増し、異常成長した植物や魔物が跋扈して魔都と化していく帝都。

 そしてエステルを助ける為に空から特攻してきた凛々の明星が、エステルの力に弾き飛ばされていく様子も。

 それらは水中から見ているかのように不鮮明だったが、出来事がリアルすぎて単に夢と呼べるかは怪しかった。

 だから、目を覚ました時も、まだ自分は夢を見ているのかと思ったくらいだ。
 しかし、これは夢では無いと五感が訴えるし、夢にしてはおかしかった。

 なぜか、剣を抜いたエステルがユーリに斬りかかっていたのだ。
 よほどの力なのか、それを自分の剣で受け止めているユーリの手元が力の拮抗で震えている。

「エステル……?…………アレクさん」

 一見しただけでもそれが自分の意思とは言い難いエステルに呆然としたが、その後ろで聖核<アパティア>を操っているアレクセイの姿を見つけ、更にその聖核と自分が構築式で繋がれているのを理解すると、そういうことかと合点が行った。
 恐らくは、エアルを調整する為にシステムの一部として使われているのだろう。

 反射的に何とか檻から出ようと身を乗り出したの視界に、武器を手に臨戦態勢を取っている凛々の明星の面々が映った。
 一度は死んだと聞かされた人の……ずっと会いたくて堪らなかった人の姿に、目を瞠る。

「レイ……」
「――眠っていた方が賢明だったな…」

 しかし紡ぎかけた名前は、傍らから発せられた低く色の無い声によって遮られた。
 それがアレクセイだと気付いた刹那、の全身がドクンと大きく鼓動した。

「っっっ……!!!」

 何の前触れもなく、一気に大量のエアルに飲み込まれる。

 それはエアル・クレーネでのエアル採取の比では無かった。
 言うなれば、水中で溺れていてようやく泳ぎ方を覚えた矢先に、それを嘲うかのように無理やり水中に引きずり込まれたようなものだ。

 体の中に一息に濃密なエアルが押し寄せてきて、の喉から苦悶の悲鳴が迸る。

っ……!」

 凛々の明星の面々が口々に名を呼んでくれたが、それに答える余裕は無い。

 しかも、アレクセイに教えられて習得中だったエアルの貯蔵・提供の術式が体内で勝手に組み上がっていくのが分かった。
 聖核との体内で増幅されたエアルがアレクセイが構えた剣を媒介にしてエステルに流れ込んでいく。

 自我の無いエステルは何の反応も示さなかったが、自分から流れ出たエアルがエステルを苦しめているのは確かだ。その苦しさは身を持って知っている。

 必死に止めようとしても、自分も水中でもがいているような状態なのでどうにもならない。
 永遠に続くかと思われたどうにもならない苦しさ――
 それが不意に断ち切られたのは、ずっと聞きたかった声が自分を呼んだ直後だった。

 ふっと拘束されていた力が消えてが自由になったのと、ガキンという鈍い金属音が響いたのは同時。

「レイ…ヴン……」

 思わず彼の名を呟き、荒い息の下で呆然と見上げる。
 球体の檻が消えて膝と手を付いたの視界には、剣型のままの変形弓で斬りかかったレイヴンとそれを受け止めたアレクセイが映った。

「……何の真似だ、シュヴァーン」
「それはこっちの台詞でしょう。可愛い女の子を虐めるなんて騎士の風上にも置けない。――返して貰いますよ」
「返す? 生憎、彼女という道具の主は最初からこの私だ」

 高らかと言われた"道具"という言葉にピクリと反応したのは、もレイヴンも同じだった。
 だが、レイヴンはそのままスッと目を細めると詠唱破棄の風の術を使い、アレクセイが態勢を崩した隙に下段の蹴りから踊るように剣を操って相手の懐に入り込む。
 その剣がアレクセイの首を捕らえようとした所に、不意に後ろで声が上がった。

「やめろ!! よせ、エステル!」

 レイヴンもその声にピタリと止まり、気付けばアレクセイと互いの剣がお互いの首元に突きつけられていた。
 隙を突いたのはレイヴンのはずだったのに、流石の騎士団長の実力に息を呑む。

 しかし、再び後ろから聞こえた悲鳴にはっとして目を向ければ、一旦ユーリから離れたエステルが今度は凜々の明星全員に攻撃しはじめたところだった。
 しかもエアルのせいなのか、いつもより格段に力も強く、動きも素早い。

「エステル!」

 思わず声を上げたが気を取られたその刹那。
 その一瞬の隙をついて、アレクセイはレイヴンを押しのけ、の腕を取って後ろから拘束した。

「アレクさ……離しっ……!」
ちゃん!」

 剣を持った手で後ろから羽交い締めにされて苦しさで思わず息を詰めただったが、アレクセイは残る片手で自分の服の裾を軽く払うと、エステルをまた球体の檻に閉じ込めて一同を見回した。

「諸君のおかげでこうして宙の戒典<デインノモス>に代わる新しい『鍵』も完成した。礼と言っては何だが、我が計画の仕上げを見届けていただこう。……真の"満月の子"の目覚めをな」

 何と思う間も無く、辺りの空気がキンと変化するのが分かった。

 アレクセイのシステムによって束ねられたエアルがザーフィアスの上空に浮かんだ紋章に集まり、そこから光の帯となって一方向へ飛び出す。

 随分高い場所であるらしいこの場所から見ても遠い水平線としか分からない海上へとそれは突き刺さり、信じ難いことに海を割り開いた。
 そこから……海底から轟音を立てて、何か円形のものが浮上する。

「く……なんだ、ありゃ……」
「指…輪……?」

 エアルの影響か、胸を押さえて蹲ったレイヴンの呟きに、も呟きで返す。

 距離があるので定かではないが、それは、一番上に大きな石を戴いた巨大な指輪のように見えた。

「あれは……ミョルゾで見た……」
「くくく…ははは……成功だ! やったぞ、ついにやった!! あれこそ、古代文明が生み出した究極の遺産! ザウデ不落宮! かつて世界を見舞った災厄をも打ち砕いたという究極の魔導器<ブラスティア>!」

 あの巨大な建造物が魔導器だというのも驚きだが、はアレクセイの喜びように彼の目的が……十年間シュヴァーンを駒として使い、非道な数々をしてきたであろうその目的が、あのザウデだということを知って目を瞠った。

「アレクさん、貴方はあんな兵器の為に……大体、あんなに大きな魔導器を使えば、すぐに始祖の隷長がくれた猶予も尽きて……」

 そこまで言ってはっとした。
 アレクセイの狂気を孕んだ瞳が愉悦を伴ってを見返す。

「そう、最早始祖の隷長など関係ない。もうあんな魔物どもに怯える必要もなくなるのだ。あれこそ、何ものにも…何事にも屈せずいられる、絶対的な力!」
「力なんてっ……」
「さぁ、来たまえ――、シュヴァーン。あれがあれば、今度こそ正しい世を作ることが出来るのだ!」

 差し出された手を、もレイヴンも言葉も無く見つめ返した。
 は震える声を叱咤して口を開く。

「それは、私たちが駒として必要だからですか……?」

 アレクセイは注視していないと分からない程度に小さく目を見開き、僅かの沈黙の後に一言返した。

「……無論だ」

 答えは分かっていた筈なのに、は失意に目を閉じて、そして立ち上がる。
 明確に攻撃の意思を持った術式を組み上げ、その手の先をアレクセイに向けた。

「私は貴方の道具にはならない――貴方を止める為にも!」

 はっきり宣言して強く見つめる。
 しかし、その睨み合いもすぐに途切れた。
 アレクセイと対峙したの前に影が差したと思ったら、紫色の羽織がばさりとその前に立ち塞がったのだ。

 無言でを庇うように立ち、剣を取り出したレイヴンの背中は、淡々と対峙しているだけなのに一部の隙も無かった。

 アレクセイの口元が、一瞬ふっと苦笑を刻んだような気がした。

「……ならばショーは終わりだ。幕引きをするとしよう。姫、ひとりずつお仲間の首を落として差し上げるがいい」

 顔を歪ませて嘲笑したアレクセイがエステルの檻を消し、エステルは再び剣を構えてユーリたちと対峙する。

「――では、ごきげんよう」

 最早ちらりともを見ずに身を翻したアレクセイを、慌てたはすぐに追ったが、レイヴンに手を掴まれてそれを止められた。

「レイヴン、どうしてっ……!」
「今は無理だ。それに……」

 完全にアレクセイの気配が消え、はレイヴンに抗議したが、その視線の先がエステルに向けられているのを見てはっとした。
 そして、自我を封じられている筈のエステルは、やっとの思いで……しかし信じられない台詞を口にした。

「これ以上…誰かを傷つける前に……お願い…………殺して」
「…………今……楽にしてやる」

「ユーリ!?」

 重々しく剣を構えたユーリの言葉を正気かと疑ったが、手を掴んだままのレイヴンが更に力を加えてを押し止めた。
 次いで無言のまま首を横に振られ、ここはユーリに任せるしかないのだと唇を噛みしめる。

 他の仲間達も同じように固唾を呑んで見守る中、真剣に剣を交えるユーリとエステルの攻防は、ひどく長く感じられた。
 やがて、ユーリの剣が力押しでエステルを弾き飛ばし、懸命にユーリは叫んだ。

「帰って来い。エステル!」

 そこには、万感の想いが込められていた。

「お前はそのまま、道具として死ぬつもりか!?」

 そんなことにはならないでと、もぎゅっと傍らのレイヴンの腕を掴み返して祈った。
 目を瞠ったエステルは、荒い息を繰り返し、とうとうその手から剣が滑り落ちた。

「わた…わたしは……わたしまだ、人として生きていたい!!」
「!!」

 それは、の心も揺さぶる一言だった。
 エステルから風と共に光が放たれ、あんなにエアルが立ちこめていた帝都の空が晴れ渡る。
 それと同時に、も抱えていた不安の一つが晴れたような気がした。

 しかし、これで解放されたかに思えたエステルの周りだけは、依然エアルの嵐が取り巻いていた。
 エステルが悲鳴を上げると同時にとぐろを巻くエアルが小さく弾け、仲間たちを衝撃波が襲った。

 とっさにレイヴンが庇ってくれたのもあるが、元々エアルの影響が人とは全く違って作用するには、特に影響が無い。
 他の仲間たちが皆ダメージを受けているのを見て、は唇を噛み締めて駆け出した。

 エアルを吸収・還元する術式を展開しながら力が暴走しかけているエステルに抱きついた。

 途端にまた水中に引きずり込まれたような圧迫感に襲われたが、ここで引くわけには行かない。

…! 駄目です……もう止まらない……逃げてっ……!!」
「離れなさい、!」

 エステルの悲鳴と、リタの叫び声に、は何とか苦笑を返した。

「大…丈夫……元は……私からエステルに渡った…ものだから。それよりリタ……お願い、私を聖核の代わりに……」

 それで意図は通じたらしく、ユーリの持つ宙の戒典を軸に仲間達全員のエアルが同調して、エステルに――正確にはエステルの周りで暴走しようとしているエアルの塊にぶつかった。

 さっきよりも負荷が大きくなって、は激痛のような圧力に押しつぶされそうになりながらも何とか耐える。

「っ……エステル、頑張って……!」
……っ!」

 やがてエステルの力にが同調した瞬間、眩い光が弾け、エステルの周りに渦巻いていたエアルが霧散した。
 大半はの身体が吸収し、残りは大気に還元されて溶けて消える。

 ほっとしたのも束の間、衝撃に弾かれたは、背中から地面に叩きつけられるのを覚悟した。

 だが、いつまでも痛みはやって来ず、代わりにぬくもりに包まれる。
 そろそろと目を開けると、身を挺して受け止めてくれたらしいレイヴンと目が合って――

 抱き締められているようなその体勢に、は一瞬で頭が真っ白になった。

「……おかえり」
「……ただいま」

 向こう側で若者達の――ユーリとエステルの微笑ましいやり取りが聞こえ、そうか、自分もようやく帰って来たのだと遅まきながらに悟る。

 あんなに帝都を大恐慌に陥れていたエアルは嘘のように凪いで、最早いつも通りの正常な気配で。
 死んだと聞かされてずっと頭を占拠していたレイヴンも目の前に生きていて。
 命の危険も覚悟してアレクセイの元に飛び込んだも、少し…どころでは無く疲れていて満身創痍だけど、やっぱり無事に生きていて。

 そうしてまたこうやって無事に向かい合っているのだと思ったら。

 見つめ合った翡翠の瞳がどうしようもなく綺麗に見えて、それが見たこともないくらい甘い色を伴って優しく細められたりしたものだから尚更。

 いろんなことを一気に思い出してしまったが咄嗟に取れた行動は、一つだけだった。


 ――パァン…!


 晴れ渡った青空に乾いた音が鳴り響く。

 不意を食らって目を瞠ったレイヴンと、既に泣きそうな
 呆気に取られた凜々の明星の仲間たち。

 後に何度も後悔することになるこの強烈なビンタに、仲間たちが爆笑したのはこのすぐ後のことだった。 






130522
ようやくの帰還でした!
次回はまたしてもずっと書きたかった仲間たちとの再会。
CLAP