ガラガラと何かが反響するような音がして目を覚ます。
体は泥のように重かったが、内側をぽかぽかと温める流れに後押しされるように瞼を上げると、見たことも無い不思議な文様が描かれた天井が見えた。
次いで視線を巡らすと仄かな明かりが映って、それが蝋燭に灯された小さな灯であちこちに無数に立てられていることに気付く。
その儀式的な光景に気味の悪さを覚えて体を起こすと、離れた場所に座っていた人物と目が合った。
「――体は大丈夫か?」
掛けられた声にゆっくりと目を瞠って、は乾いた喉から彼の名を搾り出した。
「……シュヴァーン……」
起き抜けの思考は、会いたいと強く思っていた相手とのいきなりの再会にただ動きを停止していた。
「どうして……」
それきり言葉を失ったは、呆然と相手を見つめていた。
遠くでは、依然地響きのような音が断続的に聞こえてくる。
「……ここはバクティオン神殿だ。もうすぐデュークがここに来る」
「デュークさんが……?」
としては、ヘラクレスでアレクセイのおかしな術に拘束されてからの記憶が無い。恐らくあのまま気を失ってしまったのだろうが……
そこでふと、体の違和感に気付いて首に手をやり、そこにいつもの魔導器<ブラスティア>がないことに気付いた。
アレは武装魔導器であると共に、にとってはエアルの吸収・流出を抑制する安全制御装置だ――はっとして視線を彷徨わせればすぐ手の届く場所に置かれていて、ほっと息をついた。
そう言えばと意識してみると、いつものエアルクレーネほど劇的ではないものの体は少しずつエアルを吸収しているようだった。
足りない分を補うかのようなそれは、始祖の隷長にも似ていて……
「……ここは、昔アスタルという始祖の隷長が祀られていた神殿で、そこがその最奥の祭壇だ。仮にも始祖の隷長の住まいというだけあって、他よりはエアルが濃い場所のようだな」
こちらと距離を置いて淡々と話すシュヴァーンの瞳は凪いだままで、向かい合ったも次第に最初の混乱から立ち直る。
会いたかった人がいきなり目の前に居て驚くばかりだったが、落ち着いてみれば、彼がそこから近付かない原因が自身にあることにもようやく気づく。
彼の心臓魔導器は普通のものとは違って生命力を糧に動いていると言っていたが、エアルの影響を受け易いことは確かなのだろう。
こうしてエアルを吸収しているの傍にいるのは……もしかしたら、近くに居るだけでも苦痛なのかもしれない。
そんな事実一つを取っても、やはりは人間ではないと……他者と相容れないと突きつけられているようで、胸が苦しくなる。
――とは言え、本当にシュヴァーンがつらいなら大変だ。
そのことを聞こうとしたら、シュヴァーンの方が一呼吸早く口を開いた。
「……顔色が悪かった」
明らかに怒っている声に、は目を瞠る。
「意識が無い間、体温も低くて、体内のエアルが尽きかけていると大将……アレクセイが」
それで、シュヴァーンがエアルのある場所に運んでくれたのだろうか。
しかし、エアルが尽きかけていたという話は、一つの可能性を浮かび上がらせた。
の体の中には、エアル・クレーネで採取して魔導器の作用で溜め込まれた大量のエアルがあるとアレクセイが言っていた。
生命維持に必要な分が足りなくなれば、自動的にそこから供給される仕組みなのだと。
あの状態で――エステルと同調していた状態で、エアルが尽きかけたということは……大量のエアルがエステルに流れ込んで『満月の子』としての力を使わせたということではないのか。
「もしかして、私がエステルを苦しめたんじゃ……」
「っ……そういう話じゃない…!」
苛立って声を荒げたシュヴァーンはすぐにはっとして顔を俯けたが、一人だけそんなばつの悪い顔をするのはずるいと思った。
の方がよほど、彼に合わせる顔が無いと思っていたのだから。――会いたいと思っておいて矛盾しているが。
「……ごめんなさい」
思えば、最後に会った時――アレクセイの元に連れて行って貰ったあの時に、シュヴァーンの執務室で待っていると言ってくれた彼を無視するような形で、そのまま留まることを選んだのだ。
本当は、彼との決別を覚悟してあそこに赴いたのに、最後まで待っていると言ってくれてとても嬉しかった。
そして実際に離れてみて、思っていたよりもずっと辛いと思っている自分が、は許せなかった。
会いたい――それは心の底から。
けれど、どんな顔をして会えば良いのか分からなかったのも本当で、確かに会わせてやるとは言っていたが、何もこんな唐突じゃなくても良いだろうとアレクセイを恨んでしまいそうだった。
「……どうして、君が謝る」
「どうしてって……」
英雄と名高い隊長主席様に睨まれて、は言葉に詰まった。
本当のことは言えないし、この期に及んでまさか泣き事も言えない。
「――ここに居るのは本意では無いのか」
ぽつりと言われた言葉に、は体を強張らせる。
レイヴンの時からは想像もつかないほど真面目な翡翠の瞳が更に細められた。
は何を話すことも出来ず、黙って見つめ返すしか無かった。
あれは言えないこれも言えない……もしこう言われたら……そんな風に考え出したら一歩も動けなくなってしまったのだ。
あれだけ会いたいと思って、話したいこともたくさんあった筈で、何より彼の優しい笑顔に会いたかった筈なのに……現実は二人して難しい顔で、離れた場所から黙って向かい合っているだけだった。
しばらくそのまま無言で、どれほど経っただろうか……ここがどういう構造になっているか知らないが、壁の向こう側で鎧がガシャガシャと忙しなく動く音が聞こえ、シュヴァーンが腰を上げる。
「……アレクセイたちが来たようだな」
こちらをちらりと一瞥して出て行こうとした背中を、は思わず呼び止めた。
「レイヴン!」
わざとその名を呼べば、彼は足を止めたものの振り向かないまま短く返した。
「今の俺はそんな名前じゃない」
「レイヴン…シュヴァーン……名前は何でもいいよ」
今、言いたいことを言わなければ後悔するという予感がにはあった。
アレクセイを説得することも出来ず、間違っていると思っても止められず、無理やり力ずくで力を奪われて……そんな無力な自分が悔しかった。
もっと力があれば……もっとうまく説得できれば。
けれど自分はただひたすらに力不足で、彼に会うのはもうこれが最後かもしれない。
「……ありがとう。本当に。私は…この世界であなたに会えて、良かった……」
泣くな、笑えと必死に自分に言い聞かせた。
自分の感情に明確な名前を付けることから逃げ続けて来た結果、結局こんな時に言う言葉まで曖昧なままだった。
こんなにも苦しいのは、自業自得だ。
本当は、ずっと一緒に居たかった。
くだらない話をして、美味しいお酒とご飯を食べて、仲間たちも一緒に賑やかに笑い合う――過ぎ去ってしまった掛け替えの無い時間が鮮やかに蘇って、それらを封じるように奥歯を噛んだ。
突然おかしなことを言われたシュヴァーンは目を瞠って振り返ったが、すぐに眉間に皺がよって視線が逸らされた。
「……俺にはそんなことを言って貰う資格なんか無い」
押し殺したような低い声で言い残して、シュヴァーンは足早に出て行った。
背の隊章をなびかせて離れていく後ろ姿を為す術もなく見送る。
この時、は自分の感情を押し止めるのに精一杯で、彼の様子がおかしかったことに気付かなかった――それを後に激しく後悔することになるとは欠片も思わずに。
なぜこんなことに――?
は元々宗教に対する信仰心なんて無いし、事故に遭ってこの世界で地獄を見た後では神様なんて信じるべくも無かったが、それでもコレは流石にその人智を超えた何かを恨みたくなった。
「――!? アレクセイ、てめぇ! まで……!!」
「アレクセイ! 貴方という人は……っ!!」
シュヴァーンが出て行った場所から入れ違いのようにアレクセイと捕まったエステルが入って来たかと思えば、吹き抜けになった天井からアスタルという始祖の隷長が落ちるように飛び込んできた。
フェローとはまた違った大きな鳥型をしていたが、いくら鳥にトラウマがあるでも相手は瀕死でほぼ動くことも出来ず、もまた術式に拘束されていたので、悲鳴を上げるどころではない。
から抽出したエアルでエステルの力を使ったアレクセイがアスタルを更に攻撃したが、それは一方的な物で、恨みを持っているような……楽しんでさえいるもののようにも見えた。
そうこうしている内に新たに部屋に飛び込んできたのは、シュヴァーンが言っていたデュークでは無く、が良く知った面々だった。
ユーリたち凜々の明星一行とフレンまで合流して、エステルを助ける為にここまで来たらしい。
しかも、ユーリの手にはデュークが持っていた宙の戒典<デインノモス>まで握られていて、アレクセイの目的がデュークというよりもその剣だったことを知る。
しかし、それはにとっては歓迎できるものでは無かった。
「諸君は何か勘違いしていないかね? 彼女は元々私の客人だ――異世界からのね」
聖核に囲まれた球体の檻に捕まったエステルと、その横で床の術式に座り込んでいる。
しかも、は特に拘束されている訳では無い。
「異世界……? 何……どういうこと……? それに、何での体が光って……それじゃまるで……」
「……が媒体になって、取り込まれた周囲のエアルがエステルに流れ込んでいる……まるで、聖核のように」
科学者としてのリタの言と、エアルの流れを読めるジュディスの言葉に、全員からの視線を感じて、は目を伏せた。
こんな形で知られるなんて、まるで陳腐な悲劇のようで、いっそ清々しいほどに馬鹿馬鹿しい。
「みんな、ゴメンね……本当にゴメン……」
「なんで謝るんだよ。エステルをとっ捕まえて世界をどうこうしようって悪党に、自分から手ぇ貸してるっていうのかよ!」
「それはっ……!」
「いいからこっちに来るのじゃ! そいつはが思ってるより、よっぽど危険な奴なのじゃ!」
「どうしてなのさ、! は僕たちの臨時会計で……凜々の明星の一員じゃないか……!」
「っ……ごめんなさい、ボス……みんな……だけど、私は行けない」
理由も何も言わない上に、きっぱりとした拒絶を聞いて、全員の顔が苦しげに歪む。
もそれを見つめながら痛みに耐えた。
しかし、彼らは諦めない。
アレクセイの攻撃を受けながらもやエステルに声を掛け続ける。
エステルもまた、単純に解放されたいとは言わなかった。
「わからない……一緒に居たらわたし、みんなを傷つけてしまう。でも……一緒にいたい! わたし、どうしたらいいのかわからない!」
「四の五の言うな! 来い! エステル! わかんねぇ事はみんなで考えりゃいいんだ!」
自分の力に悩み、苦しみながらも、『一緒にいたい』という本音を言えるエステルも、みんなで考えようと言ったユーリも、にはとても眩しかった。
自分がもう少し素直なら……真っ直ぐなら、あんな風に胸を張っていられただろうか。
「今となってはその剣は邪魔以外の何物でもない。ここで消えて貰う」
そう言ったアレクセイは、手元の起動キーになっている聖核を掲げた。
その刹那、の中からまた貯蔵エアルが抜けていく感覚が走る。
それがエステルの力で彼らを攻撃する為のものだと気付いて、は精一杯の力で抗って、まだ未熟なエアルコントロールで自分にリミッターを掛けた。
「……何をする」
起動する筈だった聖核の輝きが落ち、アレクセイが低い声で隣のを睨んだ。
荒い息のまま、も相手の深紅を睨み付ける。
「……邪魔だからと言って、彼ら自身には用は無いはず。これ以上彼らを害することに使うなら、私なりのやり方でエアル供給を止めます」
「ほぅ? そんな付け焼刃で一体どうするというのだ」
「そうですね……趣味じゃありませんが、自殺でもしてみましょうか」
腰のホルターに吊されたままだった銃を自分の米神に当ててトリガーに手を掛けたままアレクセイと睨み合う。
こちらの本気を探っているような瞳に、は凪いだ心地でにっこり笑ってやった。
はったりだと思うならそれでも構わない。
こんなになってまでのことを仲間だと言ってくれる彼らを傷つけるくらいなら、死んだ方がマシだ――それは、疲れ切った心が上げた本音だった。
「! 止めるんだ! 君がそんなことをする必要は無い!」
「止めて下さい!」
フレンやエステル、他の面々が上げる制止の声を背景にアレクセイはしばしを見つめ、苦々しい顔でため息をついた。
「こんな所で死なれては困る――来たまえ」
強く腕を引かれて、半ば引き摺られるように連れて行かれる。
「待て、アレクセイ!」
「エステル! !」
みんなの声が追ってきたが、アレクセイの合図で入って来た親衛隊が彼らとの間を壁のように遮った。
「ッ! アレクさん、みんなをどうする……」
抗議しようとしたは、しかし親衛隊の最後に歩いてきた橙の隊服に目を見開いた。
「シュヴァーン――」
その手には深紅の剣が握られている。
まさか、シュヴァーンが彼らと戦うというのか……そんな馬鹿なと、引かれる手を振り解こうと足掻いたが、アレクセイの手はびくともしない。
やがて、俯き加減で歩いてきたシュヴァーンがアレクセイと無言のまますれ違い、の真横に来た時に、小さな囁きを落とした。
「……俺も、君に会えて良かった――」
目を瞠って振り返れば、彼の姿はもう整列した親衛隊の向こう側で――
「何でいま……ねぇ、どうして……シュヴァーン!」
叫んだ声は届かず、離してと願っても聞き入れられず。
嫌な予感に青ざめるは、為す術もなくアレクセイに連れて行かれた。
そのまま問答無用で神殿を出て、すぐさま発進したヘラクレスの自室に閉じ込められる。
『バクティオン神殿崩落』
『シュヴァーン・オルトレイン生死不明』――
がその報せを聞いたのは、その日の夜のことだった。
130305
夢主視点のバクティオンでした。
CLAP