32.accelera - 加速する -

「エステルをどうするつもりですか?」

 入室するなりそう問い質したに、アレクセイは眉間に皺を寄せた。

「無論、私の役に立っていただく。満月の子の稀有な力を正しく使えるのは私だけだ」

 今度はが顔を顰める番だった。


 ヘラクレスでイエガーと顔を合わせた2日後、艦は砂漠の岸に接岸したまましばらく動かず、アレクセイも見かけないと思っていたら、いつもの護衛兼見張りの人に突然部屋替えをすると言われた。
 怪訝に思いながらも連れて行かれた新しい部屋の寝台には、なんと意識の無いエステルが横たわっているではないか。

 慌てて駆け寄って名前を呼んでも反応は無く、顔色も若干悪いようだった。
 薬で眠っているだけだと聞かされてもそれを判断するすべも無い。
 そのまま誰に何を聞いても説明して貰えず、半日ほどしてアレクセイが部屋に入ってきた今に至るまで、は何の事情も知らされていないという訳だ。


 シュヴァーンにエステルを連れて来るように命じていたのを見ているのだからこうなることは分かっていた筈なのに、意識さえ奪われている乱暴さに胸が重くなる。

 彼ら凛々の明星<ブレイブ・ヴェスペリア>に親しまれていたレイヴンが……シュヴァーンがどんな気持ちでその"任務"をこなしたのかを考えると、余計に苦しかった。

 これからエステルはどうなるのだろうか――考えた直後に震えた唇を、は強く噛み締めた。
 僅かに滲んだ血の味が、今更罪悪感を抱く権利すら無いと自分を責める。


 シュヴァーンに城に連れてきて貰った時、アレクセイはにしか聞こえないようにこう囁いた。

「"自分のことだから真実を知りたい"と以前に君は言ったな。己自身のこと……そして真実を知りたくば、私の手を取るがいい」

 は自分が大きな岐路に立っているのを感じた。
 独裁者然としているアレクセイでも、今なら、拒めばそれをも認められるような気さえした。
 しかしは、一つ瞬きする間に覚悟を決めた。

 ごくりと息を飲んで、緊張しているのか微かに震えた指先を叱咤して差し出されたアレクセイの手を取った。

 直後、背中でシュヴァーンが出て行った扉の閉まる音が響いた。
 隔てられたのは、ただ物理的な距離ではない。
 その瞬間、は自分の意思で彼ら凛々の明星と……彼と、違う道を行くと選んだのだ。

 その後、はアレクセイに自分が体験した旅の間の出来事やフェローとの一件を報告した。
 それを基にエアル・クレーネで採取したエアルとの体との融合率のようなものを調べて研究・精査して、構築中のシステムか何かに組み込むらしい。
 特にフェローがに告げた《聖核と同様の存在》という言葉には興味を引かれたようだった。
 にとってかけがえのないものとなった《エアル調査の旅》は、皮肉なことにアレクセイにとっても十分満足のいくものとなったらしい。


 は、自分がどんな扱いを受けても恩人であるアレクセイの傍で役に立ちたいと決めた。
 けれど、自分以外の誰かがひどい目に合わされるのを見る覚悟は無かったのだと今更思い知った。

 しかも最悪なことに、アレクセイが《一番重要な駒》として選んだのは、一緒に旅してきた大切な仲間であるエステルだ。

「私は自分から役に立ちたいと思ってココにいますが、エステルは……」

 思わず口から出た言葉を、しかしアレクセイは一蹴した。

「姫は"奴ら"から《世界の毒》と言われたというではないか。奴らにとってはそうだとしても、私の手にあれば新しい世界を作る為の素晴らしい力に変わるのだ!」
「新しい世界……それが、貴方の理想なんですよね? そこでは、皆幸せでいられるんですよね?」
「……無論だ」

 僅かに開いた間には目を瞑って、だったら、とは訴えた。

「だったら、きちんとそれを説明して、全面的に協力して貰うべきです! 凛々の明星の力はシュヴァーンから聞いているでしょう。彼らは騎士団みたいに統率されてはいませんが、一人ひとりが困っている人を見過ごせないような、そんな優しい……」

「――優しさが何になる?」
「え……?」

 低い声で返された言葉に、は目を瞠った。

「清廉潔白な理想を掲げ、優しさや思いやりに溢れた若者たちと正攻法で進めたところで、改革を成すまでには膨大な時間と犠牲がかかる!」
「っ……でも、」
「それでは遅いのだ」

 重々しくきっぱりと紡がれた言葉に、は続きを奪われた。
 そこに、理想に厚い騎士団長が手段を選ばなくなった何かがあるような気がして、踏み込むのに躊躇してしまう。

 そうしている間にアレクセイは我に返ったのか、いつもの不機嫌そうな表情に戻って淡々と当初の用件らしきものを告げた。

「――君の力を制御する術式だが、ひとまず不完全なまま使わざるを得なくなった」
「…………」
「エアルだけを取り出すのは、現時点では不可能だ。だが、必要な分だけ直接出力することは理論上可能だと判断した」

 理論上という頼もしい言葉に反射的に眉を顰めたのと、背後の寝台の気配が変化したのは同時だった。
 アレクセイが自然な動作で片膝を付き、恭しく頭を垂れる。

「ん……ここは……私は……」
「エステリーゼ姫様におかれましては、無事のお戻り、お慶び申し上げます」
「! アレクセイ! どうして貴方が……!?」

 目を覚ましたエステルは、その場にいたアレクセイに目を瞠ったが、その横のに気づくと更に目を見開いた。

「え? え? どうしてがここにいるんです? 急用ができて家に戻ったってレイヴン…が……」

 皆にはそう伝えたのだろう。
 しかし、それを言ったレイヴンの名を引き金にここに来る前のことを思い出したのか、エステルの瞳がゆるゆると揺れた。
 はその明るいエメラルドの瞳を直視することが出来ず、思わず目を逸らしてしまう。

「レイヴンは……どこです? 、レイヴンは……シュヴァーンは……!」
「シュヴァーンは次の任務へと向かわせました。彼は優秀な私の道具ですので」
「そんな、道具なんて……!」
「現にこうして、潜入任務を果たし、姫を連れてきた」
「っっ……! でも、それじゃあレイヴンは……」

 今までのことを思い返しているのか、混乱しているエステルに、更にアレクセイは言葉を続けた。

「そして彼女――は、私が異世界より招いた素晴らしい駒だ」
「え……?」

 エステルの無垢な瞳が信じられないというようにを見たが、自身も息を詰めて、勢い良く言葉の主を振り返った。
 冷たい色を宿した赤い瞳の中に、この世界に来た時の地獄がフラッシュバックする。

「あなた……が? あなたが私をここに……?」
「――どうした。君が知りたいと言った"真実"だ」

 「私が異世界より招いた」――思えば分かっていた筈なのに、受け入れるのを拒んでいたのかもしれない。
 あの飛行機に乗っていた上司、たくさんの人の命、自身から以前の生活を…命までをも奪ったのも……全ての元凶は目の前の恩人だと思っていた人だと。
 聞いて、ショックを受けている自分をはどこか客観的に見ていた。

「だから、レイヴンは……」

 呟いた声も無意識に震える。

 「大将のとこに行くのは反対だ」――何度もそう言ってくれたレイヴンの声が耳の裏側で残響した。
 アレクセイの道具だという彼は、どんな気持ちでそう言ってくれたのだろうか。

 は、レイヴンだって本当はアレクセイのことを信じているのだと思っていた。
 彼からアレクセイの話を聞いたことは無かったけれど、10年前の戦争よりも前から今までずっと騎士団に身を置いて、親子のようだったドンの部下という身分と二重生活までして……そこまでするほど、アレクセイのことも特別なのだと。

 けれど……

「アレクさん……どうしてっ……!」

 やり切れずに、はそう叫んでいた。
 ちゃんと話せば分かり合えると、そう楽観的に思っていたことが如何に甘い考えだったかを思い知る。
 出会ってからこれまで、幾らかの時間を共有して、人間らしい面もその理想も少しは垣間見た。
 楽しげに嫌味を言ってくる顔も、珈琲を飲んで満足そうに笑う顔も、こんなに鮮明に思い出せるのに……

 今目の前にある赤い瞳は驚くほど冷たかった。

「協力を取り止めるかね?」
「それ……は……」

 眼光のプレッシャーに気圧されて一瞬返事に窮する。
 その間をどう捉えたのか、アレクセイは目を伏せて片手を上げ、低く呟いた。

「――だが、もう遅い」

 その瞬間、の足元に青白く輝く術式が浮かび上がった。
 見たことも無い術式だったが、それは瞬く間に構築され、の体が見えない何かに拘束される。

「っ……ぅあッ……!」
!」

 反射的に抵抗したことで余計に強くなった戒めに膝を付くと、エステルが慌てて駆け寄ってきた。
 しかしが駄目だという暇も無く、それはアレクセイに阻まれる。

「おっと、姫にはしばらく大人しくしておいていただきましょう。貴女という宙の戒典<デインノモス>と私の聖核<アパティア>の力が適合して安定するまで」

 今度はエステルに向けられたアレクセイの手から似たような術式が放たれ、その周りを取り囲む。
 と同じように動きを封じられたエステルが取り出していたロッドを取り上げたアレクセイは、足元の術式の隅に石のようなもの――聖核を置いていった。

「ふむ、微調整が必要か……」

 何でもないことのように呟き、展開させたコンソールを操作すると足元から術式が浮かび上がり、それは球状の光となってエステルを閉じ込めた。
 更にエステルの体と反応するように輝きを増し、細い体からは苦悶の悲鳴が迸る。

「エステルっ…!! アレクさん、やめてください!!」

 明らかに苦痛を伴っている様子に、焦ったは思わず叫んだが、すぐにそれも出来なくなった。

 突然の方の術式もまた変化したかと思うと、ガクリと力が抜け落ちていくような感覚に襲われる。
 それは、言うなればエアル採取の時とは正反対の……全てが奪われて底無しの泥沼に落ちていくような
虚無感――これに飲み込まれれば、消えてしまう――本能的な消滅危機を感じて、は奥歯を噛み締めた。

「アレクさ…ん……」
「心配せずとも、ただ姫の力に適合させるだけだ。これが終われば、シュヴァーンにも会わせてやろう」

 その名を聞いて、は薄れていく意識に抗いながら、懸命に口を動かした。

「アレクさん……約…そく…………」

 沈んでいく意識の間際に、夢うつつの中でかつて城で交わした会話を思い出した。



 は、城の執務室で《騎士団長アレクセイ》の手を取った時にある取引をした。

 最初から彼の駒として動くことに疑問を持たないと決めていたであるから、それが取引と呼べるかさえ分からないが、それでも一つの約束をしたのだ。

「協力する代わりに、一つだけお願いがあります」
「……聞くだけは聞いてやろう」
「シュヴァーンに……レイヴンに、自由を」

 それは漠然としていて、あらゆる意味を持っていた。
 彼の命も、生き方も、彼の意思で自由に生きて欲しかった。

 これはのエゴだ。
 フェローから『元の世界に戻れない』『人間ではない』認定されたにとって、傍で光をくれた彼には自由に生きて欲しい――それを強く望んでしまった。

 今でも死ぬのは怖いし、出来ればこの世界で――この世界の自分が居たい場所で生きていたいけれど、もしこの約束が得られるなら……

 そう思えるくらい、自分にとって彼のあの笑顔が大切なのだと――そう気付いたからこそ、彼と離れて。
 アレクセイの元に戻って来たのも、それが一番大きかった。
 それなのに……

(会いたい……)

 これでは本末転倒だと自嘲する。

 それでも、思ってしまう心はどうにもならなかった。







130301
やっとアレクさんカミングアウトです。
次回こそ、本当にバクティオン!
CLAP