「……お久しぶりですね」
夜間哨戒の騎士団員だけがまばらに見える移動要塞ヘラクレスの側壁。
驚かせようと思ってわざと上から飛び降りるという現れ方をしたというのに、彼女は僅かに目を瞠っただけですぐにふわりと微笑んだ。
逆に驚かされた格好になった彼――イエガーは、不躾にならない程度に相手を観察する。
彼女がアレクセイの元に戻ったと聞かされたのは数日前だ。
その後、人体実験などという非道な響きのこともなされているようだと部下の報告で聞いていたのだが……
元気とは言い難いが、顔色は良く、不調は無さそうだ。
「イエガーさん……どうしてここに?」
「オー、ミーがここに居るのはストレーンジですか?」
「……そう言えば、あなたはレイヴンのお友達でしたもんね。…や、ここに居るってことは、シュヴァーンのお友達?」
何でもないようにそう言って首を傾げた彼女――を、イエガーはまじまじと見つめてしまい、どうしました?と聞かれて、降参するように手を上げた。
「イエ。シンクしていたよりも、モアモア、インタラスティングなガールだと思っただけデース!」
「……あなたに言われると複雑なんですけど」
尤もなことを言うはそれでも笑っていて、不意に記憶の底に沈めた光景を思い出した。
陽だまりの中で、愛しい笑顔の元に集った大切な仲間たち――
「友と呼んでいたのは、シュヴァーンでもレイヴンでも無い男ですがね」
「え?」
「……これ以上は、本人からヒアーして下サーイ!」
思わず口を滑らせたことを自分でも驚きながら話を打ち切れば、はそれ以上聞いて来なかった。
代わりに言われたのは、意外なこと。
「レイヴンも……彼も、あなたのことが好きだと思いますよ」
「……ドチラかと言うと、ヘイトされてるように思いますが……」
何の根拠があって言うのかと問えば、女の勘だと笑顔が返って流石のイエガーも呆れてしまった。
イエガーが初めてに会ったのは、ダングレストの街中だった。
どこか不思議な雰囲気を持った娘。
何処にでも居る普通の一般女性なのに、風変わりな印象を受けた。
家族として共に居る少女たち――ゴーシュ・ドロワットと関わっていた彼女は、イエガーにとって《ある意味同僚》の男の名を出し、更に《ある意味絶対の上司》の名まで出して驚かせた。
その後調べて、イエガーは初めてという異世界人の存在を知った。
境遇に比べて能天気な彼女と次に会ったのは、イエガーがラーギィとして動いていたノードポリカ。
正体を見破られたのは、自分の油断以上に彼女の危機感の無い雰囲気のせいだと思いたい。
しかし、イエガーが本当に驚いたのは、戦闘においては素人同然の彼女に正体を見破られたことでも、アレクセイのお気に入りらしいと知った時でもなく、闘技場で《ある意味同僚》の男が自分からイエガーに接触してきたことである。
かつて、同じ場所で同じ理想を掲げ同じ人を敬愛していた仲間――
しかし、それぞれ別の場所で命を落とし、心臓と全てを失い……別の人間として生き返って道が分かれた。
《彼》が生きていると知ったのは、彼が二度目の生としてアレクセイに命じられるままギルドへと入り込んだ頃で、人魔戦争を生き抜いた騎士団の英雄シュヴァーン・オルトレインが彼の新しい名前だと知った時には、イエガーも紆余曲折を経て、新しい場所で新しい家族の為に生きようと決めた後だった。
自分がイエガーという名で新しい生を歩み始めつつ、更にラーギィという別の人生まで二重に背負い込んだように、彼もまた、シュヴァーンでありながらレイヴンという人生も生きていた。
一体どこまで似たもの同士なのだろうと皮肉にも思う。
"生前"、イエガーは《彼》が羨ましかった。
貴族出身で捻くれて腐ってさえいたのに、持ち前の真っ直ぐな気性で、あっという間に改心して気高い彼女の隣へと収まった。
単純な戦闘力も、人の上に立つ器量も、親しみやすい性格も……何でも器用にこなす《彼》は、まさに彼女の副官に足る人物だった。
だが、今は違う。
同じものを失い、生き返った人間だからこそ分かる。
新しい人生を歩みながらも、まだ《本当の彼》は死んだままだ。
その虚ろな目は何も……誰のことも映してはいない。
何度かギルド関係で顔を合わせたこともあるが、気づかぬでもないだろうに、接触は一度として無かった。
厳密に言うと、イエガーとて彼女の死と共にもう《本当の自分》は死んでしまっている。
けれど、"イエガー"になった時から……いや、その後に"イエガーとして生きていくと決めた時"から、ある程度の覚悟は固めていた。
十年前の戦争で失ったものは多くて、最たるものは心臓――自分の命だったけれど、そりよりも大切に思った女性さえ亡くし、前の人生全てを失ったと言っても差し支え無い。
一度は絶望のどん底で生きる気力など皆無だった。
けれど、今は、今大切な――守ると決めたものの為にも生きたいと思うし、その為なら二度目の命も手放すだろう。
だからイエガーは、《彼》のことをじれったくは思っていたが、どうすることも出来ないでいた。
絶望の闇が底無しに深いことを知っているからこそ、どうにも出来なかった。
その《彼》が、である。
ノードポリカの闘技場でラーギィがに接触された際、影から監視していた《レイヴン》は、の姿が消えた後にラーギィの前に現れて言ったのだ。
「あの子に忠告してくれたのには、礼を言っとく。――だが、余計なことをしたら許さんよ」
イエガーは、驚くと同時に素直に喜ばしいと感じた。
それは、かつてお互いが生きている時に見た、《彼》の本気で怒った時の顔だった。
やっと《彼》も、今の生に大切なものが出来たのか……今の生を生きようと決めたのかと。
その相手が複雑な身の上のだというのは、相変わらず苦労性だと思ったが、本当に大切ならば今や騎士団NO.2であるシュヴァーンがどうにかするだろうと思った。
――だが、そうはならなかった。
イエガーは、目の前に居る娘を見つめた。
報告によれば、アレクセイに連れ戻されたというよりも、自分から戻ってきたらしい。
しかも連れてきたのがシュヴァーンだというのだから、何をやっているのだと思って当然だ。
芝居がかった動作で、イエガーは恭しく一礼し、の前に手を差し出した。
何事かと目を瞠るに、営業スマイルを乗せて囁く。
「今なら、ミーがユーをエスケープさせてあげられマース」
はゆるゆると目を見開き、そしてそれを苦笑に変えると、きっぱりと言った。
「お気持ちだけ、貰います」
灼熱の太陽が照りつけるコゴール砂漠。
イエガーが一度命を落とし、命よりも大事だったものを失くした場所。
いまだに立っているだけで吐き気を催しそうになる忌まわしい地だ。
アレクセイの命令で仕方なく共に赴いたイエガーは、そこで久しぶりにシュヴァーンと顔を合わせた。
意識の無いエステリーゼ姫を抱え歩いてきた男は、髪を解いただけでレイヴンとしての服装をしてはいたが、その無表情で静かな気配は、騎士団隊長主席のものだ。
しかしその双眸が湛える虚ろは、今まで見た中で一番空虚なもののように感じた。
(馬鹿な男だ……)
意思を無理やり排除したような目を見て思う。
姫を親衛隊の手に委ねる時も、苦渋を押し殺したような無表情を保っていた。
むしろ、親衛隊の後ろに控えていたフレン・シーフォという若い隊長の方が、連れて行かれる姫の姿を目にして慌て、親衛隊に取り押さえられていたくらいだ。
離れていく彼らの姿が消えると、アレクセイは淡々とシュヴァーンに報告を求めた。
シュヴァーンが簡潔に応えると、アレクセイは感情をうかがわせない顔で頷く。
「これより、デューク・バンタレイの捕獲に向かう。捕獲が難しければ生死は問わん。姫の力を関知して、君たちが降りてきた場所に現れる可能性がある」
「デューク……宙の戒典<デインノモス>ですか」
帝国の宝であり皇帝の証とまでされる宙の戒典は、エアルを制御する力があるということでアレクセイが長年探し求めてきたものだ。
国宝を持ち出した最早人間離れした男と凛々の明星が何度か接触しているという報告は、アレクセイもイエガーも把握している。
かつて死地となったテムザで会ったデュークと時を経てレイヴンとして顔を合わせてきた《彼》は、今また今度は敵対しろと言われて何を思っているのか……
「この地での遂行が不可能だった場合は、次はバクティオンだ。シュヴァーン、君は先行したまえ」
「……バクティオン? あの神殿は廃墟も同然と聞きましたが」
ヒピオニア大陸にある巨大な地下神殿は、昔日の面影だけを残してもう数十年も前に放棄され、廃墟になっており、魔物も跋扈していると聞く。
そう聞いたのは、皮肉にも人魔戦争前……まだイエガーとシュヴァーンが存在せず、キャナリ小隊の部隊長と副隊長として同じ場で聞いたものだ。
イエガーは目を伏せ、その感傷に蓋をすると、シュヴァーンの疑問に答える為に口を開いた。
「あそこなら、少々ファイトしたところで心配はノン。しかも、入り組んだ内部は自然の罠になりまーす。マイロードがプリンセスのパワーを試すのにもグッドなチャーンス!」
「あの地にはアスタルという始祖の隷長<エンテレケイア>もいる。聖核<アパティア>はいくらあっても良い」
イエガーとアレクセイの短い言葉で、シュヴァーンには十分だったらしい。
……いや、理解したというより、むしろどうでも良いのか。
説明は十分と、アレクセイは親衛隊を連れ、シュヴァーンたちが地上に降りてきた地点に向かった。
惰性のように命令遂行に動き出したシュヴァーンを、イエガーは呼び止める。
「シュヴァーン。イエ、レイヴンと呼んだ方がよろしいですカ?」
「…………」
「昨夜、に会いましたよ」
無表情の中で唯一こちらを睨んでいた瞳が大きく見開かれる。
「可哀想に。エブリデイのようにアレクセイの人体実験にユーズされ、身も心もズタボロに……」
「っ!!」
「……ということは無く、比較的元気そうでしたが」
今も昔も、からかうとおもしろい所は変わらないらしい。
イエガーが耐え切れずくつくつと笑うと、騙されたと知ったシュヴァーンは大きく目を剥いて、すぐに射殺さんばかりの視線を向けてきた。
「……彼女の手を離したユーが、ミーに怒るのはお門違いデショウ」
怒りの視線が揺れたのを逃さず、畳み掛ける。
「メンタルに堪えている様子だったのは事実ですよ」
「……彼女が望んだことだ」
「それが彼女の本心だとでも? 本気でそう思っているなら、随分とおめでたい頭ですね」
沸いた苛立ちがふと声音に漏れてしまって、昔に近い話し方になってしまった。
シュヴァーンが僅かに驚き、痛いところを突かれたからなのか、苦しげに歪められた目が逸らされる。
イエガーは歯がゆかった。
そんな顔をするくらいなら。
そんな、痛みを無理やり押し殺して無言で堪えるような似合わない顔をするくらいなら、最初から手を離さなければ良いのだ。
かつて砂漠で離した手を何度も何度も後悔したイエガーだからこそ、思うこと。
「プリンセスと――二人を同時にニードする理由くらい、ユーにも分かっているデショウ」
いつもより遥かにまともに口数の多いことを、イエガーは自覚していた。
シュヴァーンを責めることで、過去の自分を責めているような嗜虐心が沸いていることも。
そのことに自嘲の笑みを漏らしたイエガーから、シュヴァーンは逃げるように背を向けた。
「……意思も信念も無い死人に、一体何が出来る」
疲れ果てた声で忌々しく吐き捨てて、道化を脱ぎ捨てた男の背中が遠ざかっていく。
「……どちらも中々一筋縄ではいかない」
一人呟いたイエガーはため息をつく。
尤も、そんな風に頑固者同士だからこそ、互いに影響し合うのかもしれない。
イエガーは、ともすれば考えそうになるわざわざ彼らを嗾ける自らの行動の意味や理由などといったものに蓋をして、再び"イエガー"としての自分を立て直すと、シュヴァーンとは逆の方向に向かって歩き出した。
偉そうに彼らを責める自分こそが一番矛盾を抱えた存在であることを自覚しつつも、ただこの世ならざる場所で"彼女"に再会出来る日だけを心待ちにしている《本当の自分》を嘲いながら。
130221
こんな筈じゃなかった……てくらいに1話丸々イエガーさんに持って行かれました。
イエガーが夢主のことでシュヴァーンをからかって遊べばいいよ!――という妄想。
いよいよバクティオン目前です! 次はあまり間空きません。