爽やかな目覚め――とは言い難い機械のエンジン音に眉を顰め、目を開ける。
 寝台の上に半身を起こし、ぼんやりと窓から外を眺めていると、ドンドンと自室の――鉄の扉を叩く音がした。
 返事をすると、「アレクセイ団長閣下がお呼びです!」という武骨な声が返る。

 ため息をついて身支度を整えながら、ふと思い出したのはこの世界に来て初めて寝台で目覚めた日のことだった。
 アレクの豪奢な屋敷の寝台で目が覚め、執事にお嬢様のように起こされて……思わず悲鳴を上げてアレクの眠りを妨げたのだ。

 あの時は、当のアレクに後から事ある毎に蒸し返されて嫌味を言われて大変だった……
 思い出して口元が緩んだが、窓から見える光景に現実に引き戻された。

 ここは穏やかな箱庭のような貴族屋敷では無く、まして帝都ザーフィアスですら無い。
 可憐なレースのカーテンとは無縁の窓辺は、安全上ということで冷たい鉄格子が嵌められている。
 そしてそこから見えるのは……一面の大海原だった。

30.strumento - 道具 -

 移動要塞ヘラクレス――がその戦艦のような重量級の物体を初めて見たのは、つい昨日のことだ。
 以前にダングレストに現れたことがあるらしく(その時はフェローを見たショックで気が動転していて見ていない)、名前だけは知っていたが、水陸両用らしいそれは、下に足のようなものが付いていて、アニメに出てくる巨大ロボットのようだ。
 こんな大きな動くメカを見ると、自分の世界との違いを思い知らされる。

 身分はともかく、科学者というのは本当だったらしいアレク――帝国騎士団団長アレクセイ・ディノイアが何年も掛けて作り上げたという移動要塞は、装甲がどうとか搭載している兵装魔導器<ホブローブラスティア>がどうとかエアル駆動率がどうとか……戦艦技師から詳しい説明も受けたが、知識も興味も無いのでにはさっぱり分からなかった。

 だが、この船に乗っている以上知らなければならないこともある。

様、どうぞこちらです。足元にお気を付けください」
「……あの、敬語とか本当に結構ですから……」
「とんでもありません! 様は団長が直々にお招きした方で、今回の任務にも必要不可欠な大切な方だと伺っております」
「いや……まぁ……うーん……」

 間違いではないが誤解を含んでいるその認識の元、丁寧に扱っていただいているのは有難いのだが、どうやらアレクセイは騎士団の人間にが学者か術師かのような説明をしているらしい。

 この船に乗っているのは赤い隊服を着た親衛隊だ。
 ダングレストで聞いた話では、親衛隊というのは元は皇帝を警護する精鋭部隊だが、現在はアレクセイに心酔する人ばかりが集まり、彼の私兵団のような様相を呈しているという。
 果たして彼らは、何を思い、アレクセイに忠誠を捧げているのか。

 が知りたいと思っているのは、まさにそこだった。

 エステルを欺き利用し、始祖の隷長を利用し、……シュヴァーンとを利用し。
 非道な手段を取ってでも、何かを成そうとしているアレクセイ。
 だが、昔は貴族平民の別無く騎士団の改革に燃えた人格者だったとも聞いている。
 それら他人の評価だけで無く、自分の目でアレクセイという人を知りたいと思った。

 だから戻ってきたというのも理由の一つではあるが。

「でも、いきなり騎士団の真っ只中に放り込まれてもねぇ……」

 長い廊下を歩きながらつい愚痴を零してしまう。
 そもそも、ここに居る経緯自体がにとっては不本意だった。

 確かに、凛々の明星の一行の元を離れ、アレクセイの元に留まることを選んだのは自身だ。
 だが、一体誰が、その翌日には騎士団長閣下の客人として堅苦しい騎士団員だらけの移動要塞に乗せられて大海原の航海に乗り出すと思うだろうか。
 しかも、流石"親衛隊"などとご大層な名前が付いているだけあって、そこには癒しの女性騎士の存在など皆無だ。
 ごく一部の例外を除き、は常に堅苦しい騎士に囲まれている状態だった。

 ため息をつきつつ、護衛が立つ一際厳重な鉄の扉の前でノックをして名乗ると、入室を許可する声が返る。
 入って朝の挨拶もそこそこに「課題は終わったのだろうな?」と聞かれ、はゲッソリと更に深いため息をついた。

「アレクさん……私はお勉強する為に戻ってきた訳では……」
「ほぅ? では何の為だね? 自身の中にあるエアルの有効活用どころか、エアル操作の基礎たる魔術のそのまた基礎さえ覚束無い異世界の人間は私などには及びも付かぬ方法で私の役に立ってくれるというのかね?」
「……申し訳ございませんでした。課題頑張りました!」

 移動要塞などと大仰なものに乗せられ、何をさせられるのかと若干身構えていたし、ある程度の覚悟もしてはいたのだが、を待っていたのはかつてアレクの屋敷で旅立ちの準備の為にやっていたのと同じようなアレクセイ様直々の魔術指導だった。
 理由は先ほど言われた通り、エアルの扱いを覚える為……目下、の中に溜めたエアルを貯蔵装置に取り出すのが目標らしい。
 それには、上級魔術の発動と似たような術式をが自分で行使する必要があるそうだ。

「……何だこれは?」

 提出した紙を一目見たアレクセイの米神がぴくりと動き、の口元がひくりと引き攣った。
 どうやら見当はずれだったらしい誤解答に山のような暴言を覚悟したが、しかし朝からお疲れらしいアレクセイは米神を揉みながら深々とため息をついただけだった。

 予想外の反応に拍子抜けして、の方が何だか慌ててしまう。

「だ…大丈夫ですか、アレクさん? あ、私、珈琲入れます!」

 しばらくの空白の後、ようやく思考が動いたのか「君が珈琲?」という失礼極まりない反応が返って来た。
 豆の入った器を取り出しながら、はこれ見よがしに頬を膨らませて抗議する。

「珈琲の入れ方くらい私の世界と同じですから大丈夫ですよ。こう見えて珈琲好きなので、結構自信あるんです。勿論、執事さんほどではありませんが」

 アレク邸の執事が入れてくれる珈琲は、どのバリスタも敵わないほどちょっと感動するくらい美味しかったので、比べられても困るが、だって少なくともインスタントや無骨な騎士が入れるよりは美味しく入れられる筈だ。
 ここに置いてある豆なら最高級のものだろうし、尚更だろう。

「……どうですか?」
「……ふむ、悪くは無い」

 やがて時間を掛けて豆を轢くところから入れた珈琲が完成し、アレクセイは一口飲んだ後僅かに頬を緩めた。
 何処のツンデレだと思うものの、今までのことを考えるに初めてアレクセイに褒められたは素直に破顔した。

「良かったぁ! これから飲みたい時はいつでも言ってくださいね! ……アレクさん?」

 こちらを見たまま目を瞠って硬直しているアレクセイに首を傾げれば、我に返って何でもないと顔を背けた。
 またもや調子に乗りすぎたかと笑みを引き攣らせれば、ため息が返ってきた。

「これくらい魔術習得にも適正を発揮してくれると助かるのだがな。そもそも、いまだこんな段階での理解も至らぬとは……シュヴァーンは何をしていた」

 その名を聞いて、思わずピクリと反応してしまった自分をは呪った。
 すぐには何も返せず、沈黙が痛いと思うのは自分だけなのだろう。

「……シュヴァーンからは魔術の手解きは受けていませんから」

 努めて平静に言って、珈琲メーカーを片すために部屋を出た。
 きっと変に思われたに違いない。
 騎士の目が届かない位置まで歩き、廊下の窓から見える青い空にため息をついた。







「――大丈夫ですか?」

 冷静に掛けられた問いかけに、は荒い息の下何とか頷きを返す。

 ヘラクレスで航行途中に立ち寄った無人島の古い遺跡――
 帝国の調査により判明していたエアルクレーネの一つであるらしいそこは、入った瞬間から視認出来るほど濃く赤いエアルが充満していた。

 実験という名の下、首の魔導器を外してエアルをどれほど貯蔵出来るかを試すという任務を言い渡されたは、大量のエアルが体の中に入ってくる幾度目かの感覚に、酩酊したような状態の体を何とか支えた。
 最初の頃のように気を失わないだけまだマシだろう。

 当初はアレクセイが立ち会うと言っていたが、緊急の仕事が入って代わりに付いてきてくれたのが、補佐官のクロームである。

 クリティア人の特徴である頭部からの触覚?を揺らした麗しの団長補佐官にして特別諮問官殿は、表情は変わらないままだったが、手を差し出してくれた。
 礼を言ってそれに捕まって立ち上がりながら、は凛々の明星で短い間だったが仲間とも呼べる関係を築いていたクリティアの少女を思い出す。
 こんな時だが、感じるのはやはり同じ女としての羨望だ。彼女と言いクロームと言い、やはり自分とは違いすぎる容姿やプロポーションは種族の違いだと思いたい。
 そう言えば、クリティアにはナギーグという物に込められた情報を読み解く器官があると聞いたが、このクロームから感じる特殊な気配も、それによるものだろうか。

 考えて、エアルで満たされて敏感になった感覚が別のものを感じ取った。
 周囲のエアルが僅かにクロームの体に吸い込まれていく……
 それはまるで息をするように仄かで、けれど普通の人間には有り得ない現象。

「クロームさん……貴女は……」
、貴女の事はあの人から聞いていました」
「あの人……?」

 一瞬アレクセイのことかとも思ったが、の本能が違うと告げる。
 クロームに感じたものと似た気配を持っている人……いや、存在を二人ばかり知っていたからだ。
 そして彼らは……むしろアレクセイと敵対していた。

 困惑が顔に現れていたのか、クロームはふっと笑い、艶やかな唇が孤を描いた。

「私はもう直に帝都を去ります」
「え……?」
「あなたもあなたの在るべき場所に……いえ、在りたいと思う場所に、行くと良いでしょう」

 <在りたい場所>――その言葉に浮かんだのは、この世界で天涯孤独な自分を仲間だと言ってくれた凛々の明星の面々。
 そして――……

 鮮明に思い描いてしまった軽薄な……けれど優しい笑顔に、の唇が戦慄いた。

 そのすぐ後に帰りの遅いたちを親衛隊が迎えに来て、それ以上は何も聞けなかった。
 けれど、クロームが何者なのか、何の為にアレクセイの補佐官をやっていて、そしてどこに行こうとしているのか……それら当たり前に気になることよりも、クロームにも傍に居たいと思う大事な人が居るのだろうか……そんなことをぼんやりと考えた。







 夜もふけた深更――
 広大な船内でようやく見張りの無い場所を見つけたは、非常脱出用なのか、鉄梯子だけが伸びる船側面で、手すりに凭れながら暗い海を眺めていた。

「……やっぱり眠れないんですけどー……アレクさんの馬鹿ー……」

 昼間のエアルクレーネでのエアル採取は無事成功。
 しかし、身の内に入れた大量のエアルを吐き出す術をまだ身に着けていない現在、やはりその弊害で眠気は一向にやって来ない。

 こんな時に眠れないなんて、本当に勘弁して欲しい。
 彼らと別れてから、余計なことを考えないように、無理やり眠るようにしてきたというのに。

「在りたいと思う場所……か」

 クロームの言葉はやけに耳に残っていた。
 だが正直、は自分の気持ちが分からない。

 アレクセイのことだって憎んでなどいない。
 恩人であることは事実で……例え道具や駒として扱われるとしても、傍に居れば出来ることだってあると思う。
 彼とユーリたちや始祖の隷長と手を携えてこの世界を良い方向へ導いていく……そういう未来だって夢見ることも出来るかもしれない。

 ――今頃彼らは何をしているだろうか。
 考えまいとしても、どうしても考えてしまう。

 もうクリティアの隠れ里ミョルゾへは辿り着いただろうか。
 エステルの<満月の子>としての力を抑える術は無事に見つけられただろうか。
 いきなり居なくなったに怒っているだろうか。
 
「…………せめて謝りたかった、な」

 ぽつりと呟いた言葉は暗い海に飲み込まれていく。

 ユーリたちと囲んだ暖かな焚き火の炎が懐かしい。
 眠れない夜にずっと傍に居てくれた人が……

 ――「俺様とお話してましょ」

「……会いたい……」

「ならば、心のままにミートするべきデース!」

 黒い静寂を切り裂く声に勢い良く振り向くと、目の前にふわりと人影が降り立った。
 体重を感じさせない動きは、一体どこから来たのか!?という当たり前の疑問を忘れさせる。

 とっさに身構え、相手が顔見知りであるのを知ると、思わず眉尻が下がった。

「……お久しぶりですね」

 場違いな間の抜けた挨拶に、相手も軽く目を瞠る。
 夜に溶ける紺色の髪と特徴的な燕尾服が目の前で揺れていた。







130117
また間空いてしまいましたー!
今回はアレクさん夢のようになりました(笑)
次回はトロロヘアーさん再登場です。
CLAP