磨きぬかれた鏡面のような廊下に、カツンカツンと硬質な音が響く。
初めに訪れた時こそ感嘆したものだが、今では静謐な空気が満ちたこの空間が、神聖性を出すために採光などを計算され尽くした人工のものだと知っているせいか、どこか歪にさえ思える。
帝都ザーフィアスの皇帝が住まう居城。
元々は城に併設された屯所を拠点にしていた帝国騎士団だが、今では評議会の目も気にせず、城内に拠点を移している。
それも、団長アレクセイが進めて来た改革の成果なのだが……
「……あまりきょろきょろしていると不審がられるぞ」
「! あっ、はいっ……!」
彼が立ち止まらずに話しかけると、斜め後ろをついてきていた同行人は慌てた風に返事を寄越した。
名目上は騎士団長アレクセイが保護した身寄りのない女性――。
大貴族でありながら未だ独り身の騎士団長が保護した民間女性を自分の屋敷に住まわせているというだけでも大した醜聞だ。
しかし実際は、彼女はアレクセイの実験によって異界から連れてこられて特殊な体になってしまった……団長からすれば、ただの実験体であり、道具なのだろう。
本人は、どうもアレクセイに対してもっと特別な想いを持っているようにも見受けられるが……。
彼は――久々に城に帰還したシュヴァーン・オルトレインは、後ろからついてくるにちらりと目をやった。
その薄幸な娘は第一印象の儚さを裏切って中々に明朗で前向きな性格だったが、それなりにアレクセイにも気に入られていたのか、エアルクレーネ調査の旅などというものに出発してレイヴンとしてギルドで活動するシュヴァーンの保護下になった。
ずっとレイヴンとして接してきた男の正体と裏切りを知っても特に態度が変わる訳でもなく、ただ自然にレイヴンとシュヴァーンが同じ人間だと受け入れているような簡単さで……こだわっている自分が馬鹿らしいとさえ思わせる笑顔は、ひどく彼を安心させた。
だが、そんなは、彼女がアレクと呼ぶ彼女曰くの恩人――アレクセイに会わせてくれと言ってきた。
同行している凛々の明星が帝都ザーフィアスに滞在したのは偶然だが、どうやらはそれ以前からアレクセイとの面会を望んでいたらしい。
「――ここが?」
やがて一つの部屋の前で立ち止まり、が言外にアレクセイの部屋かと尋ねたが、シュヴァーンは首を横に振って扉を開けた。
「いや、ここは俺の部屋だ。団長は会議中らしいから、手が空いたら迎えが来る」
頷いたは部屋の前で物珍しげに殺風景な室内を見て、不慣れな騎士礼を寄越した。
ちなみに、流石に民間人を連れて城内を歩くわけにも行かなかったので、彼女には女性用の隊服を着せている。
「失礼いたします、シュヴァーン隊長!……なんてね。一度やってみたかったの!」
「…………早く入れ」
どんな時でも暢気過ぎるきらいはある彼女だが、その笑顔を見ていたら怒る気も失せるから不思議だ。
女性騎士に扮したは、へーとかふーんとか言いながら部屋の中に入り、殺風景な中に一つだけ目に入る執務机の前に立つと、机上の羽ペンを弄んでいた。
シュヴァーンもゆっくりと近づき、気づけば口を開いていた。
「――せめて、理由を聞かせてくれないか」
無意識の内に尋ねた質問は、ここに来るまでにも既に何度か投げたものだ。
「理由?」
は鸚鵡返しに首を傾げたが、それはとぼけているだけだと分かっていたから、シュヴァーンはそのままじっと見つめた。
するとは観念したようにため息をつき、けれど首を横に振った。
「大したことじゃないよ」
苦笑いはしていても明確な拒絶に、シュヴァーンは思わず顔を顰めた。
この瞳だ――
ザーフィアスの宿屋でアレクセイに会わせて欲しいと言われた時もそうだった。
何を言っても無駄と思わせるまっすぐ揺らがない瞳――
アレクセイに会わせてくれという言葉を今まではいなして拒否出来てきたのに、その時はできなかった。
そもそも、彼はをアレクセイに会わせる事には反対だった。
なぜなら、ドン・ホワイトホースの死の直後に受け取った命令書に、姫君とを連れて帰還するようにとあったからだ。
ずっと泳がせていた特殊な力を持ったエステリーゼを連れて来いということは、詳しくは知らされていないアレクセイの計画も最終段階に来たということだろう。
つまり、エアルの貯蔵庫とも呼べるも、間違いなく道具として利用されるということだ。
には、それらを伝えていない。
警告するのが忍びないと思っているのかもしれないし、警告してもそれらさえ承知でアレクセイの為に危険を省みずに行動するであろう彼女を見たくないからかもしれない。
その結果、ここに来るに至っても、シュヴァーンはが何故今になってアレクセイに会いたいと言い出したのか……会って何をするつもりなのか、その理由さえ聞けていなかった。
だからこんなに歯がゆいのだろうと思った。
そもそもの理由さえも知らなければ守りようがない。
――守る?
ふと、シュヴァーンは自問した。
一体何から守るというのだろう。
確かには課された護衛任務の対象だったが、それはアレクセイに命じられたものだ。
そのアレクセイがに何をしようと、それは関知することでは無い筈。
自分の意思など持たないシュヴァーンにしては初めての感情に、思わず眉を顰めた。
「……大丈夫?」
不意に額に手を触れられて、シュヴァーンは驚いて後ずさった。
見れば心配そうな色を湛えてが間近から見上げてきていた。
ぼんやりしていて触られるまで気付かなかったのは、我ながら醜態だ。
軽く咳払いして何が大丈夫なのかと問うと、憂い気な瞳が余計に翳った。
「自分で気づいてない? 何か顔色悪いし、ほとんど喋らないから、熱でもあるのかと思って。……それとも、心臓の調子が悪い?」
体調が悪いわけではないし、魔導器の不調でも無い。
例え本当にそう見えるとしても強いて言うなら誰かさんのせいだと思いながら、本気で心配してくれている様子を見ると余計なことを言うのも憚られた。
「……無駄に喋らないのは、"俺"には普段通りだ」
「そう…なんだろうけどね、シュヴァーンは。私も最初持ったイメージはそんな感じだったし。レイヴンじゃ考えられない台詞だよね」
あっけらかんと笑って言うは相変わらず暢気だった。
だが、「無理はしないでね」と言った表情にわずかな違和感を感じる。
「私、シュヴァーンにもレイヴンにも本当に感謝してるんだよ。あなたが居なかったら、私はこの世界でこうしていることも出来なかったと思う」
「……?」
「でも、今までは知らなかったから何とも思わなかったけど、今にして思えばレイヴンってかなり無茶してるよね。魔術とか、いろんな弓技だってその魔導器使ってるんでしょ? これからはそんな無茶しちゃ駄目だよ? もっとユーリたちのことも頼って、体のこと考えたらお酒とかも……」
つらつらと言葉を並べながら窓の方へ歩いて行くの手を、シュヴァーンは反射的に掴んでいた。
びくりとした震えは腕から伝わったのに顔はこちらを振り返ることもなくて、余計にシュヴァーンの中で焦燥感が募る。
にしては珍しい作ったような笑みと、これが最後のような言葉……
「なんで……どうして、今そんなことを言うんだ? 団長の為に死ぬつもりででもいるのか?」
言った瞬間、勢い良く振り返って捕まえていた手を振り払われた。
「違う!」
荒げられた否定の言葉に、シュヴァーンも頭に血が上った。
「なら、なんで今更あの人に会いに来た!? そんなに恋しいなら最初から旅になんて出ずにずっと傍に居れば良かったんだ……今更……なんで今俺にそんなことを……!」
自分でも支離滅裂だという自覚はあったし、シュヴァーン自身も何を言いたかったのか分からなくなっていた。
ただがアレクセイの為に行動しながら、それでもシュヴァーンの心配までして……けれどやっぱりアレクセイしか見ていなくて。ただ、そういうことに我慢ができなくなっただけだ。
はシュヴァーンの言葉に大きくかぶりを振った。
こんなに激情のままに声を荒げるを見るのは、初めて会った時以来だった。
けれどあの時とは違う傷ついたような…苦しそうな瞳に、無くした筈の心臓が締め付けられる。
「違う! 違うよ! アレクさんのことは関係ない……私はあなたがっ……!」
が泣きそうに顔を歪めた瞬間、言葉を遮るように扉がノックされた。
はっと我に返った様子のが視線を外し、シュヴァーンも僅かの沈黙の後仕方無く返事をすると、入室してきたクリティア族の団長付き補佐官は「団長閣下がお呼びです」と述べた。
数回深呼吸して、もういつものように微笑みを浮かべたは、無理やり浮かべたような苦笑で言った。
「参りましょう、シュヴァーン隊長」
「さてシュヴァーン、お前には姫も連れてくるように命じた筈だが?」
相変わらず古代文明の骨董がそこかしこに見られる団長の執務室。
その中央に立ったシュヴァーンとは、机越しにアレクセイと対峙していた。
「……申し訳ありません」
任務を違えた叱責に対してシュヴァーンいつものように淡々とこうべを垂れたが、慌てたようにが間に入った。
「シュヴァーンは悪くありません。私が無理やりお願いしたんです」
そこで初めて、アレクセイの目がに向けられた。
「呼んでも無いのに勝手に帰ってくるとは、道具というより本当に気まぐれなペットのようだな、?」
「アレクさん……ごめんなさい。どうしてもお話したいことがあって、駄々こねまくって連れてきて貰っちゃいました」
「話したいこと? 君が、私に?」
補佐官のクリティア美女クロームは、既に席を外しているので、ももう隊員のふりをする必要は無い。
それでも今のアレクセイ相手のかなりくだけたやり取りに、シュヴァーンは僅かに目を瞠った。
穏やかなそれでは無いが、それでもアレクセイの笑みというもの自体数年ぶりに目にする身としては、驚き以外の何ものでもない。
「いいだろう。私は心の広い飼い主だ。話くらい聞いてやろうではないか」
くつと喉を鳴らし、アレクセイが鷹揚に……楽しげに頷いた。
「ありがとうございます。……ごめんなさい、シュヴァーン。アレクさんと二人で話したい」
理由は話せないと言われた時点で同席できない覚悟はしていたが、それでもシュヴァーンは頷くまで一呼吸を要した。
「――――分かった。俺の執務室で待っている」
「……うん」
しつこいとは思いながらも言わずにはいられなかった。
先ほどの言葉の続きを
聞かせてもらわなくてはならないと思った。
シュヴァーンが部屋を出て行く直前に、アレクセイが小声でに何かを言った。
その後に差し出された手を、はゆっくりと取る。
扉が閉まる間際、垣間見えたアレクセイのに注がれるまなざしが満足そうなそれであったことがひどく印象に残った。
そうして数刻後。
自分の執務室で溜まった書類に目を通していたシュヴァーンにもたらされたのは、ただちに姫を連れてくるようにという任務と、はここに留まるという書面での通達だけだった。
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もはや悪役でしか無いアレクさん登場。
すれ違ったままここで一旦パーティ離脱です。