25.Esistenza - 存在 -

 エアルを糧に生きるという始祖の隷長<エンテレケイア>――その中でも力を持つというフェローの棲み家。
 そこは、エアルの枯渇した灼熱の岩場だった。

 気付いているのはと、バウルと意識を共有するジュディスくらいだったろう。
 なぜエアルを必要とする始祖の隷長がこんな不毛の地を棲み家にしているのかは知らないが、人里離れた秘境の"いかにも"な場所であることは確かだ。

「フェロー! いるんでしょう?」

 殺風景な岩山の頂上まで来てそう声を上げたジュディスに、頭上から聞き覚えのある鳴き声が降ってきた。
 高い音なのに、威圧感のあるその声――

 つられるように顔を上げて、は目を見開いた。
 そこには、突き出した岩の上からこちらを睥睨する巨大な……"鳥"が、いた。

「うわああああ!!」
「きゃあああああああああああああああああああ!!!!」

 反射で出た悲鳴はカロルと綺麗にハモったが、混乱の程度は雲泥の差だっただろう。
 はとっさに隣に居たレイヴンの背に隠れ、上からの視線を避けるためにその場にしゃがみこんでしまった。

 こんな事をしている場合じゃないという思いがちらりと脳裏をかすめたが、先ほど見た巨鳥の姿が網膜に焼き付いて離れない。
 あんな巨大なものに空から襲いかかられたら、一溜まりも無い。

 ガタガタと震えながら、そう言えばフェローは"鳥"だったのだと今更ながらに思い出した。
 滑稽だが、本気で忘れていたはどうしようと泣きたい気分だった。
 自分の意思では条件反射で震えてしまう体はどうにもならない。

(これじゃ、話を聞くなんて……)

 恐怖感から目を瞑って耳を塞いでいるには、周りでどんな会話が成されているかさえ把握出来ていない。

 このままでは自分のことをフェローに会って確かめると決めたことも果たせずに終わってしまう。
 この機会を逃せば、次はいつフェローに会えるか分からないというのに。

(でも……どうしよう……怖い……体が動かない……どうしよう…!!)

 焦燥感と動かない体に焦れて強く目を瞑った時だった。

 肩にそっと大きな手が乗せられたのと、その"声"が聞こえたのはほとんど同時。

<<――異界よりの来訪者よ>>

 ビクリと体が大きく震えた。
 を呼んでいるのに他ならないその呼びかけは、耳を塞いでいるの頭に直接響いた。

<<我に尋ねたきことがあるならば、月が真上に上る刻限、一人で南のオアシスに来るが良い>>

 驚いたが顔を上げた時には、既に羽音を響かせて炎を思わせる巨躯が飛び去っていくところだった。

「……ちゃん? ちゃん! 怖いのはもう行っちゃったから大丈夫よ?」

 はっとして周りに目を向けると、の肩に手を置いてそう言ったレイヴンを初め、仲間達の気遣わしげな視線とかち合う。

 どうやら今の声は皆には聞こえていなかったらしい。
 呆然とそう理解して視線を彷徨わせてジュディスを見つけると、予想通り彼女だけは思案気に瞳を曇らせた。

「本当に大丈夫? ちゃん何だかすっごい顔色悪いけど」

 起き上がるのに手を貸してくれたレイヴンに視線を戻す。
 心配してくれる翡翠の双眸に思わず何かを喋ろうとして、しかしそれは言葉にならなかった。

 レイヴンが真顔になり、眉を顰めたのにはっとして、慌てて笑顔を作る。

「大丈夫だよ。久しぶりに遭遇した天敵が強烈すぎてビックリしただけ。……みんな、ごめんね」

 謝罪の言葉にこっそり別の意味も乗せて微笑んだ。

 全くはしょうがない……とため息をついたユーリは、徐にエステルの方に向き直って低い声を投げつける。

「死んだっていい? ふざけてんのか?」

 レイヴンの手に引っ張り起こして貰っていた途中のは、その言葉に息を呑んだ。
 思わずまじまじとユーリとエステルを見つめてしまう。

 死んでもいいと……そう、エステルが言ったのだろうか。

「……ごめんなさい」
「二度と言うなよ」
「ごめんなさい……」

 ただ謝るだけのエステルを見る限り、どうやら本当らしい。
 固い空気のまま船に戻っていく仲間達を見送るの手が揺れる。
 反射的にそちらを見遣れば、困ったように頬を掻くレイヴンがいた。

「レイヴン?」
「いや……俺様は嬉しいんだけどね。……そろそろ行かないかね?」

 え?と思って示された方を見れば、の手はレイヴンの手を強く握りしめたまま、彼を引き留めるような恰好になっていた。

「わっ! えっ…あっ……ごっごめんっ!!」

 フェローから隠れてしゃがみこんでいたところを、レイヴンに手を掴んで引っ張り起こしてもらい……そのまま掴んでしまっていたらしい。
 無自覚のそれに慌てて離して謝ったものの、久々の二人きりなのに変な空気にしてしまったような気がして、恥ずかしさに居たたまれなかった。

「あ…の、本当にごめんね…! 早く行かないとみんなにも心配かけちゃうね!」

 行こうと言って先に立って歩き出しただったが、今度は逆に後ろから手を掴んで引き留められる。

「レイ……」

「大丈夫?」

 不意に真剣な目で問い掛けられて、は内心息を詰めた。
 けれど、それを表に出さないようにゆっくりと息を吐く。

「――大丈夫だよ」

 へらりと笑って答えれば、レイヴンも苦笑したけれど、「そっか」と言って歩き出した。
 も隣に並んで歩きながら、目を伏せた。

 これでいい。

 今夜、オアシスで――――フェローの条件は『一人で来い』だった。
 レイヴンに話せばきっと心配して止めてくれるだろう。
 けれどは、あの話を聞いた瞬間に決めていた。

 わざわざフェローが声を掛けてきたということは、何か知っているのだ。
 はどうしてもそれを知りたい。
 だから―― 一人で行く。

 決めた以上、レイヴンにも仲間達にも無用な心配は掛けたくなかった。

 むしろ、"一人で"フェローに会えるのは、としても好都合なのだ。


 後でバレたら、また怒られるだろうか……

 ふとレイヴンの横顔を見上げてそんなことを考えたは、もう一つの可能性に気付いて崩れそうになる表情を俯けた。

 怒ってくれるならまだマシだ。
 あれだけ散々一人で無茶するなと言われた上でそれを無視して勝手をする――

(もういい加減、呆れられるかもしれないな……)

 呆れられて、蔑まれて、嫌われる。
 それを想像すると、の胸はどうしようもなく苦しくなった。







 急激に気温の下がった夜の砂漠。
 周りに何も無いからか、月が明るく感じられる。

 その月明かりに照らされながら夜風に吹かれているは、そっとオアシスへと足を踏み入れた。
 同行者はいない……指定された通り、一人だ。


 あの後……フェローとの会談が終わった後、「バウルの調子が良くないから今日はこの近くで野宿ね」というジュディスの鶴の一声で、一行は砂漠に船を下ろして船室で夜を明かすことになった。
 その間にが聞けなかった会談の内容をカロルたちから教えて貰い、エステル…『満月の子』が始祖の隷長にとってどんな存在なのかを知る。

 だがそれは、かつてデュークに言われた「この剣と満月の子との間のような存在」という意味を解き明かすものではなかった。
 やはり、フェローに直接聞くしか無い。

 他の仲間達の目を盗んでジュディスとも話したが、思った通りフェローの声が聞こえていたという彼女の見解としても「彼の真意は分からないけれど、会ってみる価値はあると思う」だった。
 指定の場所に"オアシス"という砂漠で唯一エアルのある場所を選んでいる辺り、配慮してくれたのかとも考えられる。
 危害を加えられる可能性は低いと、希望的観測くらい抱いてもいいだろう。

 フィエルティア号は水の補給だけして件のオアシスからは少し離れて停泊している。

 ジュディスのお膳立てに感謝しつつ夜中に一人こっそりと砂漠に降り立ったは、ちゃっかり数個のホーリーボトルを握りしめて足早にオアシスを目指した。



 そうしてやってきた指定の刻限。
 緊張して待つの頭の中に、またしても"音無き声"が聞こえてきた。

<<来たか――異界の娘よ>>

 それは間違い無く、あの時聞いたフェローの声だった。
 しかしそれ以外の羽音も聞こえなければ、気配も感じない。
 どこに!? と慌てて辺りを見回したは、湖を挟んだ対岸に、不自然に大きな影があるのに気付いた。

<<まずはよく来た、と言っておこう>>

 条件反射で、の体が震えた。
 相手は空を飛んでいる訳でも襲いかかろうとしている訳でも無く、ただ静かに佇んでいるだけなのに、一瞬昼間見た巨鳥の姿を思い出してしまったのだ。

 は大きくかぶりを振って、そのイメージを追い出した。
 元々、フェローに会ったらまた恐怖で動けなくなるかもしれないとは思っていた。
 けれど、今度は何が何でもちゃんと話をしたいと思って……そう覚悟してここまで来たのだ。

 しかも、実際は昼間の様子を見られていたせいか、月明かりで影にしか見えないほどの距離からの対面だ。
 こちらにとって、こんなにありがたいことは無いはずだ。

 はゆっくりと深呼吸すると、自分自身に大丈夫だと言い聞かせて、震える体を叱咤して口を開いた。

「あのっ……といいます。昼間は失礼しました。……私の声、聞こえていますか?」

 静かなオアシスで大声を出すことも憚られて普通の音量で喋ってみたが、フェローと思しき影とは声など届くべくもない距離だ。
 だがすぐに問題無いと答えが返って、はほっとした。

「フェロー…さん、こうして仲間達にも伏せて場を設けていただいたこと……感謝します」

<<そなたの存在は異質すぎる。人に広まれば無用な混乱を呼ぶ>>

「……はい」

 とりあえず伝えた礼には、冷静な言葉を返された。
 あまり歓迎されていない様子の声音に少し怯んだが、ぐっと気を取り直して顔を上げる。

「あの、貴方は私を…異世界から来た人間の存在を知っていたんですよね? ジュディに監視を命じていたと聞きました。それにベリウスさんは、エステルだけではなく私にも貴方に会えと」

<<ほぅ、ベリウスがな……>>

 僅かな沈黙の後、フェローは言った。

<<良かろう。そなたが知りたいのは、そなたの運命か……それとも、そなたという存在そのものについてか>>

「……後者です。…でも、"貴方の語る私の運命"というのも聞いてみたい」

<<…そなたについては、先にこちらも聞きたいことがある。何故この世界に来た? 何が目的だ?>>

 は少し驚いた。
 こちらにそういう発想が無かっただけで、彼らとしては異世界から来た正体不明の人間だ。
 この世界に害を為す……例えば、侵略者などという物騒な可能性だってある。

「目的なんてありません。あれは事故ですから」

 そこでは、掻い摘んで飛行機事故のこと、アレクに言われたことを話した。
 やがてフェローは、感情の読めない声で頷いた。

<<なるほど、少しは合点がいったわ。あの日は、ひどく大気のエアルが乱れていた。そして突如様々な要素のエアルが震え、一気に収束した>>

「収束……」

<<自然界には起こり得ぬ現象だ>>

 の脳裏に、初めてこの世界で目を覚ました時の地獄絵図が蘇った。
 干上がった森と生命の成れの果て……

「……私は、元の世界に帰れるんでしょうか?」

 ぽつりと、話の順序などかなぐり捨てて、一番聞きたかったことが言葉になって転がり落ちた。
 僅かの沈黙の後、フェローは違う問いを発した。

<<そなたは、自身が聖核<アパティア>と同じ状態だということを分かっているか?>>

「聖核と……?」

 言われて、ジュディスたちから聞いた話を思い起こす。

 聖核とは、始祖の隷長が長い年月をかけて取り込み続けたエアルが体内に蓄積され、その死後に結晶化した宝玉。
 魔術に反応して暴発させたことからしても、すさまじいエアルエネルギーの塊といえる。

<<そなたの身体はもはや人間とは呼べぬ……言うなれば、エアルを内包する器にして、エアルによって稼働する意思ある魔導器>>

 ひゅっと自分の喉が鳴る音を、は他人事のように聞いていた。

<<異界へと行く方法は分からぬ。だが、例え仮に行けたとして、そなたは今やこの世界の根源たるエアルでのみ生きられる生命体>>

「…………ここでしか…生きられない、と?」

 沈黙が返ったが、それが答えだった。
 ふらりと、の足から力が抜けて数歩よろける。
 しかし、更にフェローは追い打ちを掛けた。

<<異界の娘。この世界の理に組み込まれた者。だが、世界の調整役たる我ら始祖の隷長は、そなたの存在を図りかねている>>

 世界に益をもたらすのか、害を為すのか。

「……疑わしきは、始末する――そういうことですか?」

 思わず、乾いた笑いが出た。
 自分がひどく滑稽な存在に思えた。
 元の世界に戻れたとしても生きられず、この世界でも排除されようとしている自分が。

<<異邦の娘。そなたは真にこの世界で生きることを望むか>>

「……貴方がそれを聞くの? ここでしか生きられないと言った貴方が!? 私は死にたくないわ……!」

 感情が破裂したように真っ赤に染まった頭の中を、吐き出すように叫んでいた。
 選択肢なんか無いと思った。
 帰りたいけど帰れない。だけど死にたくはない。
 ならば、ここで生きていくしか無い。
 例え、大きすぎる力を持つ始祖の隷長から認められずとも。

<<――ならば、証してみせよ>>

 静かな言葉と裏腹に、それは唐突だった。
 低い地鳴りと甲高いうなり声が聞こえた瞬間、はとっさに飛び退った。
 その直後、今まで立っていた場所を鋭い牙が通り過ぎて前方に着地する。

 それは、大きな狼のような獣だった。
 更に別のタイプの魔物が二匹現れ、狼の後ろについた。

 は焦って携行していたホーリーボトルを投げつけたが、相手はこちらを見失うことも怯むこともない。

「っ…フェロー、何のつもりっ!?」

 悲鳴のような質問には何も答えは無かった。
 フェローは証拠を見せろというようなことを言ったが、いきなり魔物を嗾けられる意味がさっぱり分からない。

 これで、の何を試すというのだろう……命の危機にさらされて、エアルにどれだけ干渉するのを見ようというのか。

「……生憎、そんなすごい魔術とか使えないんですけどっ……!」

 自分の戦闘力というものを多少なりと理解しているは、迷うことなく逃げに転じた。

 砂漠に出ては視界が開けすぎているので、障害物のあるオアシスの木々の中に突っ込む。
 南国らしい葉や蔓を押しのけて進みながら、の頭は打開策を考えようとすればするほど真っ白になっていった。

 不意に思ってしまったのだ。
 こんなに苦しい思いをして、必死に走って。
 それでも故郷や命さえ奪われるなら……何の為に、こうして足掻かなければならないのか。

「っ……!!」

 木の根に足を取られて派手に転倒し、振り向いた先に獣が迫る。

 万事休す――

 大きな恐怖と深い絶望……
 それらに捕らわれそうになったその時、闇を切り裂くようにして一本の矢がまっすぐに獣を射抜いた。

「……伏せろっ!」

 は反射的に声に従った。
 直後、更に数本の矢が魔物たちに降り注ぐ。

 魔物の悲鳴と近くで揺れた空気に顔を上げたは、目を瞠った。


 目の前に、夜目に溶け込む紫の羽織とダークブラウンの髪が揺れていた。







120622
驚きの四ヶ月ぶりの更新です。月日が経つのが早い!
次回、いよいよずっと書きたかったシーンの一つです!
CLAP