悠久の平穏が約束された地――デュークがそう語った、ヨームゲン。
それはとても穏やかで小さな街だった。
悠久の平和というのがどういうことなのかには分からなかったが、その言葉とは裏腹にここには結界魔導器<シルト・ブラスティア>が無かった。
それでも、住人たちは至って平穏に生活しており、魔物の影に怯える様子も自衛している気配も見られない。
そのせいか、ここは時の流れさえ他とは違っている気がした。
どこか浮世めいたデュークに、とても相応しい場所のようにも思える。
「平和だなー…」
は呟いて、遠くに海を見渡せる藤棚の休憩所に足を運んだ。
乾いた風と潮風が混ざり合って、不思議と気持ちが安らぐ場所だ。
この街自体が海が近いせいか、砂漠と荒野の間にあっても水も植物も豊富で、エアルが必須のにも快適だった。
「……こんなのんびりした場所もあるんだな……」
――ここに。この世界に。
ぽつりと呟いた言葉は、遠く見える水平線にさらわれていく。
にとってこの世界は、最初からずっとハードな場所で……大概は呑気に過ごしてきた自覚もあるけれど、本当に心から安らげる時など、無かったように思う。
「もし……こんな所にずっと居られたら……」
「――わざわざ出て行けと言う者はいない」
不意に後ろから低い声がかかって心臓が跳び上がるほど驚いたが、相手が相手だと諦めの気持ちが先に立つ。
はこれみよがしにため息をついて、半眼で振り返った。
「デュークさん……気配消して近付くの、止めて貰えません?」
「特に消してなどいない」
「それじゃあ、自己主張しながら近付いてください。やぁ、デュークだよー!とか」
「……」
寡黙な彼らしく、お茶目な冗談にはもう返事も返らなかった。
そして彼は何事もなかったようにが座っていたベンチの前に立ち、背を向けたままマイペースに口を開く。
「穏やかに暮らすことが望みか」
どうやら人間嫌いらしいのに、思えばデュークは、一度もの気持ちを無視したことが無いと気付いた。
自然と上がる口の端を自嘲に変えて、は眼下の景色に目を戻す。
「穏やかに…平和に楽しく……それが一番ですよ。だけど私の場合、それが無理なのは分かってます」
「……己が性分を知る故か」
「あはは、そうですね。見たくないものから目を逸らしたり、問題を先送りしたり……それで本当に心から楽しく過ごせるとは、呑気な私でも思えませんから。……それに何より、一人で居たってしょうがないし」
例えば、デュークが言うように――そしてイエガーが言ったように、アレクの前から姿を消して、こういう砂漠の奥の街で隠れ住んだとしても。
の体が普通でないことや、いつ異常をきたすかもしれないことは、何も変わらない。
まして、元の世界に帰ることだって、まだ諦めたくはない。
それに、ここに来て知り合った人たち……仲間と言ってくれた凜々の明星やレイヴンとも会わずに、全部から逃げて毎日一人で過ごすなんて……考えただけでも叫び出したくなる。
「こう見えて、結構寂しがり屋なんで」
冗談めかして言えば、デュークはふと相変わらずの鉄面皮で振り向いた。
「あの男が何者か、知りたいとは思わないのか」
いつものようにただ静かなデュークの問いかけに、は僅かに肩を揺らした。
あの男というのが誰を指しているのか……流石に分かる。
そしてそれは、が考えないようにしていたことでもあった。
「えっと……知りたくない訳じゃないですけど、無闇に詮索するのもどうかと思うし、それに…だってほら、私は守って貰う身だから……」
「命を預ける相手のことを知りたいと思っても、おかしくは無い」
そう…だろうか。そうかもしれない。
瞳を揺らしたは、更に告げられた言葉に、瞠目した。
「――お前もあの男と同じ死人だ。己の意思が希薄で、魂はこの場を生きてはいない。体だけが生きている虚ろな存在」
突き放すような温度の無い冷たい言葉だったが、それはストンとの中に落ちてきた。
死にたくないと……生きたいと思って、精一杯生きようと決めたつもりでも、やはりどこかで一歩引いて立ち竦んでいる自分がいる。
まだ現実のこととして受け止めきれないのかもしれないと、他人事のように思えるほど。
「あるがままに振る舞い、信ずるものの為に行動する。それでこそ人間らしい生き方だと――私の友は言っていた」
言い慣れない風も露わにたどたどしく、くれた言葉は、それでも確かに不器用な優しさがあった。
そんな風に地に足を付けて生きられたら……そうすれば、『死人』から『人間』に戻れるだろうか。
そして、彼も……
デュークが『死人』と言ったレイヴンもまた、何かを抱え、と同じような心許ない場所に立って居るのかと思うと、無性に胸が痛かった。
それは、唐突だった。
「ふぁーー……あ、みんなおはようー…」
ヨームゲンに着いた二日後の朝。
デュークの一存で宿泊させて貰っている街の一番奥の家(空き屋?)で目覚めたが、半分寝ぼけながら居間である階下に降りたところ。
勢揃いしていた凜々の明星の仲間たちの顔を見て、条件反射で朝の挨拶をした。
そして、数秒の沈黙の後。
「えぇっ…!?」
「、おまっ…なんでこんなとこにっ……!」
「マンタイクで休んでいる筈じゃ……」
「ちょっと、どういうこと!?」
「ほんと、不思議ね」
「驚きなのじゃ!!」
いきなり全員に詰め寄られて、びっくり仰天し、一気に目が覚めたも呆気に取られた。
「え? えぇ!? あれ……みんな!? どうしてここに!?」
「だからそれはこっちの台詞だっつーの!」
ユーリに怒鳴られて、ようやくは、会いたかった仲間達がなぜかこのヨームゲンに……自分の目の前に居ることを実感した。
全く訳が分からないが、夢や幻ではなく本物であることは確かだ。
とにかく会えて良かった――ゆるゆると頬が緩むに、正反対の硬い声が掛けられた。
「――…ちゃん……?」
呆然と名を呼んだレイヴンと視線が合い、思わず目を見開いた。
初めて見る驚き一色の表情に、何だか罪悪感がこみあげる。
「レイヴン……、えっとみんなも……あー、久しぶり?」
取り敢えず出来たことは、可愛らしく涙を浮かべることでも、女の子らしく抱きつくことでもなく、ただ笑って誤魔化そうとしたことくらいで。
しかし当然そうはさせてくれないメンバーたちにびっしりと囲まれ、目が覚めてからの出来事を洗いざらい白状させられることとなり、再会を喜ぶ間も無く、熱烈なお説教を食らったのだった。
「……レイヴン、怒ってる?」
ヨームゲンを出発し、砂漠の入口の街――マンタイクというらしい――に向かっての帰路。
ユーリたちが助けた夫婦も入れた大所帯で砂漠を進む一行の、例によって最後尾。
は恐る恐る、傍らを歩くレイヴンに話しかけた。
「……べーつにー?」
――嘘だ。沈黙があったよ、沈黙が。
そうは思っても、いつものようにぱっと口に出せない雰囲気が、今のレイヴンにはあった。
ヨームゲンで仲間たちと再会した後、はデュークに何度も礼を言って別れ、リタの調査の為に滞在するというその日はみんなと同じ宿に移った。
こちらの事情を話して、彼らの成り行きを聞いて。
聖核<アパティア>というのが壊れてエアルに還元されたから、あの朝調子が良かったのだな、とか妙な感心もして。
そして、ついでのようにリタやパティから聞いた「砂漠ではおっさんが異常に元気だった」という言葉に首を傾げた。
レイヴンの性格から考えて、砂漠などという過酷な場所はいかにも苦手そうなのに……その違和感が腑に落ちない。
それとも、単に暑い所が好きなのだろうか?
デュークの言葉をとことん真に受けて、一々レイヴンを観察しているような自分に苦笑しながらも、はやはりちらりと傍らのパートナーを見上げてしまう。
今の言葉も、怒っていないというのは明らかに嘘だろう。
けれど、すごく怒っているという訳では無くて、何か我慢しているような……。
――機嫌が悪い?
それが一番しっくりくる表現に思われた。
暑いのが好きなのではなく、むしろ砂漠が嫌いなのを隠しているような。
一つの仮説に辿り着くと、聞いてみたくて堪らなくなった。
「レイヴンってさ、………………」
「ん?」
「……ううん、何でも無い」
散々躊躇った挙げ句にすごすごと引き下がってから、は内心深くため息をついた。
例えば、自分が聞かれたくないことを聞かれたとして……触れられたくないことを容赦なく突かれたとして、決して良い気はしないだろう。
むしろ頗る不快だ。
(結構意気地無しだったんだな、私……)
何だか自分にがっかりしてため息をつくと、その横からポンと頭に手を乗せられた。
「怒ってないって言ったら嘘になるけど、ちゃんだけに怒ってる訳じゃ無いから大丈夫よ」
が落ち込んでいると思ったのか、そんなことを若干硬い表情で言うレイヴンを思わずじっと見上げた。
「私だけじゃないって……?」
「うん……、まぁそりゃねー。こんなカラカラの土地は辛かろうとマンタイクに置いてきたお嬢さんが、どういう訳かデュークの旦那の家から出てきた時はそりゃもうびっくりしたけどもー」
冗談めいた口調だが、気のせいか目が笑っていないように見えるのは気のせいだろうか。
「何も言わずに置いてけぼりにして、不安にさせちゃったのは俺だからね」
「不安……っていうか……」
素直に認めるのは何だか癪で口を尖らせるとは対照的に笑っているレイヴンだが、殊勝な言葉が余計そう聞こえるのは、やはり何だか辛そうに思えるからだろう。
――間違いない。
は根拠もなく確信した。
女の第六感とかそういった類でも何でも良い。
この砂漠は、レイヴンにとってもきっと、不快な場所なのだ。
そう思ったら、へらへらと笑っている戯けた様子が無性に腹立たしくなってきて、気付けば当初の怒りをそのままぶつけていた。
「ていうか大体! レイヴンが悪いんだからね! レイヴンは私の護衛なのに、その私だけ置いて一人でさっさと行っちゃってさ! そりゃ愛しのユーリ君について行きたかったのは分かるけど!」
「ちょ……何それ!? 確かに置いてっちゃったのは悪かったけど、俺様、男の尻追っかけ回す趣味なんてないわよ!?」
「だってユーリって、何となくドンに似てるじゃない?」
「ドン? まあ……破天荒で怖いもん知らずなとことかは……」
「そう、だからドンのこと大好きなレイヴンは、ユーリのことも好きでしょ」
勿論、エステルの監視が仕事でもあるので、この場合は「お姫様を追いかけて」というのが正しいのだろうが、何となくレイヴンの視線がユーリの背中に向けられているような気がした為の勢いというやつである。
『好き』という言葉に一瞬目を瞠ったレイヴンは、しかし数秒後に「そういうちゃんはどうなのよ」と恨みがましい視線を返した。
「この俺様というものがありながら、デュークなんかにほいほいついてっちゃって。駄目じゃないの、簡単に男についてっちゃ」
「言っとくけど、不可抗力だよ? デュークさんが来てくれなきゃ今頃この砂の下だし」
「そんでも、あのあんちゃんと二人っきりで!二晩も!同じ屋根の下に寝泊まりしたんでしょーが」
「デュークさんと私が……?」
何やら邪推して拗ねているらしいその言葉を、はカラカラ笑い飛ばした。
「あり得ないよ。アイドルとどうにかなるよりあり得ないって」
デュークは確かに超絶イケメンだと思うが……美しすぎて別次元の人のような、そんなある種超越した相手だ。
「ふーんだ、どうだか。大体、大将に知られたらきつーいお仕置きが待ってるんじゃないのー?」
「アレクさん? え、これってマズイ? 怒られる?」
「さぁねー、おっさん分かんなーい」
子どものように頬を膨らませるレイヴンに、は何だか疲れたため息をついた。
確かに考え無しだの無謀だの馬鹿だの、散々に罵倒されるかもしれないが、レイヴンが言っているのは違う意味のように聞こえる。
まるで男漁りを咎められるような……もし本当にそう見えるのだとしたら真剣に落ち込む。
「保護して貰っただけでそんな風に見えるなんて……ねぇ、そんなに私って尻軽女に見える? そう言えば、はじめからアレクさんにも勘違いされてたし」
「いや……そう言う訳じゃないんだけども。えっと……ちなみに、大将にもって?」
「初めて会った時、どうしてか命の恩人さんの恋人みたいに思われてたみたいで」
「! 命の恩人……」
「騎士団の隊長さんやってるシュヴァーンさんって人」
今度こそ瞠目して黙ったレイヴンに首を傾げながらも、大分離されてしまった前方の仲間たちに気付いて足を速めた。
しかし、一つだけ言っておかなければならないと再度足を止める。
「レイヴン、私は大丈夫だから、あんまり無理しないでね」
燦々と降り注ぐ灼熱の太陽から逆光になっていたレイヴンの表情は影になって見えなかったけれど、少しの間を置いて言葉が返った。
「……俺様、ちゃんの心配してる方がむしろ楽だったりするんだけど」
苦労人の彼らしい言葉になるほどと納得して、は勢い込んで言った。
「じゃあ、思いきり心配して!」
お荷物になりたくないのが本音だけれど、背負うレイヴンがその方が良いと言うなら、いくらでも大きな荷物になろう。
人の苦労はそれぞれだ。
の目標は、レイヴンに頼らないことではなく負担にならないことなのだから、彼の要望が最優先に決まっている。
「えっと……実はさっきからもう体がつらくてつらくて! 目眩はするし、力は入らないし、もう今にも倒れちゃうかもー……」
丸きり嘘ではないことを誇張しながら言って、目を瞠ったレイヴンを下から覗き込む。
「…………どう? 心配?」
沈黙に耐えかねてへらりと尋ねれば、あろう事かレイヴンは吹き出して……爆笑した。
「ぷっ……あはははは! ははは! ひー…それっておかしすぎでしょ、ちゃん!」
「そ…そうかな……?」
そんなに笑われるほど馬鹿っぽかったかという羞恥と、ようやく影の無い笑顔を見れたという安堵がない交ぜになり、なぜか胸がいっぱいになる。
「ははは……どれ、そんじゃま、元気なおっさんが負ぶってあげちゃいましょーかねー」
「えっ? いやいや、それは流石に悪いよ!」
「遠慮しない。倒れられる方が大変なんだから」
「うっ……でも、重いよ?」
「よいしょっと……うーん…いやいや。背中に当たってる辺りとか、もうちょっとくらい肉付き良い方がこっちとしては……」
「ユーリーー! 悪いけど手ぇ貸してくんないー?」
「わー! 冗談! 冗談だって!」
そんな馬鹿なやり取りの末に、結局負ぶって貰うことになり、を背に担いで軽々と歩くレイヴンに何だか悔しくなった。
自分だって本当は元気じゃない癖に、こんな無理をして……それこそお荷物になってしまったまで背負って。
この背中の内には、どんな思いが詰まっているのだろう。
殊更明るく振る舞って強がっているのは、砂漠によほど辛い思い出があるのだろうか。
――レイヴンのことがもっと知りたい。
感じたの胸で、何かが一つ音を立てた気がした。
110413
更新頻度が段々落ちてきて凍結しそうな勢いですね。
頑張ってテンポアップしなければ!
やっぱり書いておきたかった砂漠での絡みでした。
おっさんとユーリ云々は腐では無く、虚空ネタで
キャナリの後ろ姿思い出してるーくらいで軽く流して下さい。
CLAP