ゆらゆらと、水面に漂っている夢を見た。
自力でここから離れなければと思うのに、溢れすぎて満ちた入れ物には出口が無い。
やがてゆっくりと消費された水嵩が減って、耳に音が聞こえ始める。
風の音、川のせせらぎ、街の雑踏、魔物の咆哮、仲間達の笑い声……
それに混じって聞こえた、いつもの軽薄さがなりを潜めた低い声。
「――――」
呼ばれた気がして、それだけで急速に意識が覚醒する。
ぽっかりと目を開けると、頭まで水中に沈んだような息苦しさに襲われた。
「っ……うぅっ……!」
およそ今まで体験したことの無い目覚めだ――混乱したが、徐々にその苦しさも引いていき、後には妙に体が軽くなる。
一体何なのだと思いつつようやく起き上がってみれば、どうやらどこかの宿の一室らしく、シーツに乱れの無いいくつかのベッドが並んでいた。
広い室内だが、自分以外に人の気配は無く、他の荷物らしきものも見あたらない。
「あ、お目覚めですか」
慌てて身だしなみを整えて部屋を出ると、受付にいた男に声をかけられた。
宿の主人であろう彼におかしな点は無かったが、受付の横に直立不動で立っている騎士は異様だ。
だが、はとりあえず最優先の疑問を投げかける。
「……あの、連れが六…七?人くらい居たと思うんですけど」
訊ねると、男は困ったような顔になった。
「まさかお嬢さんがこんなに早く目を覚ますとは思いませんでしたからね。もう発ってしまわれましたよ」
「えっ!?」
「帰りにまた寄るから、ゆっくり養生させてやってくれって頼まれて……あ…お嬢さん! どこに行くんですか!?」
寝耳に水の話にこうしている場合じゃないと飛び出そうとしたは、慌てた男に引き留められた。
掴まれた腕を振りほどこうともがきながら、焦燥のままに答える。
「すぐに追いかけなきゃ!」
「そりゃ出てったのはさっきですが……」
「! それなら余計に急がないと……」
行こうとすると引き留める男――押し問答する二人の間に割って入ったのは、頭まで鎧に包まれた直立不動の騎士だった。
しかし、怒鳴る相手は宿の主人である。
「必要以外の余計なことをするな!」
「し…しかし、こんなお嬢さんをみすみす砂漠へ放り出せないじゃありませんか…!」
「行くと言うなら止める必要はない。それは宿の仕事では無いはずだ」
「旅人の安全の為に最善を尽くすのも、我々の仕事です!」
「砂漠……?」
言い合っていた主人と騎士とのやり取りを聞いて、は大きく目を瞠った。
意識が落ちる直前のことがフラッシュバックする。
エアルクレーネ、カドスの喉笛、ラーギィとイエガー、ノードポリカ――
そもそも凛々の明星は、エステルの依頼を叶えるべくフェローというあの巨大鳥を探して砂漠へ向かう途中だったことを思い出す。
「そっか、砂漠……フェローだ」
「フェローだと?」
独り言に意外な所から言葉が返って、は驚いて騎士を見遣った。
「あなた、フェローのこと知ってるんですか?」
「貴様、フェローについて何か知っているのか!?」
言葉はほぼ同時だったが、その居丈高な物言いに、はむっと眉を顰める。
「…知らないみたいですね。それじゃあ私は急ぎますので」
「待て! 知っているなら、洗いざらい話して貰うぞ」
乱暴に腕を捕まえられて、はますます眉間の皺を深くした。
ダングレストまで護衛してくれた騎士たちもさほど好意的とは言えなかったが、きちんと女性に対する礼節くらいは弁えてくれていた。
それに比べるとこの騎士は、女性に対する――どころか、人のことを奴隷か下僕かのように見下した態度がありありと現れている。
「――――あ、フェロー!」
「なに?」
窓の外を指さして声を上げれば騎士の手はすんなり緩んで、は内心で「ばーか!」とあまり褒められない悪態をつくと一気に腕を振り切って駆け出した。
「お嬢さん! どうしても行くなら、水は絶対持っていきなさい!」
「! ありがとうございます!!」
出て行く間際、宿の主人から声が掛かって飛んできた物体を反射的に受け取ると、それはシンプルな水筒だった。
取り敢えず精一杯のお礼だけ言って宿を飛び出し、近くの物陰に隠れる。
すぐに先ほどの騎士が怒った様子で飛び出して来て、キョロキョロと辺りを見回しながら足音荒く走っていった。
その後ろ姿を見送り、は深々とため息をつく。
「はぁ……砂漠って何がいるんだろ……」
リタやレイヴンも砂漠は過酷な場所だと言っていたし、宿の主人の反応から見てもそれは間違いない。
水の他にも、日避けの布とか、携帯食とか……?
考える内にも遠くから警邏の笛らしき物が聞こえてきて、これはヤバイとすぐに腰を浮かせた。
ろくな知識も時間も無いので何とか水だけは汲んで、早々に街――何という名前かさえ分からずじまいだった――を出たのだった。
「……砂漠だ」
思わず呆然と呟いた。
元の世界でも機会など無く、生まれて始めて見る本物の砂漠である。国内の某砂丘とはやはり肌で感じる温度が違う。
「……あー…長期戦はかなり無茶かも」
想像を絶するくらい暑いというのもあるが、もっと切迫した事実に気付いてしまった。
街で目が覚めた後はかなり体調が良かったが、あれはカドスの喉笛のエアル・クレーネで大量のエアルを吸収したからだろう。
目覚めこそ大変だったがその後は逆で、街中では暑いと思う以外、むしろ調子が良かった。
だがひとたび街から離れると、暑さとはまた別のものにガンガン体力を削られていっている気がする。
ふと、アレクの家で受けた講義を思い出した。
世界のエアルは地水火風の四つの基本元素に大別され、全ての物質はそれによって成り立っているとされる。
動植物が繁殖する源も同じ――つまり、ほとんど生き物の生息しない砂漠は、エアルのきわめて希薄な場所ということで……エアルが空気にも等しいにとってはかなり相性の悪い場所だということになる。
「体の中の貯金分が無くなったらアウトだったりして……」
呟いてぞっとしない想像に、やっぱり引き返そうかな…などとも頭をよぎったが、いざとなれば首元のチョーカーを取ればどうにかなるかとあまり深く考えず、まだ元気な体を動かして砂漠へと踏み入って行った。
しかし、街を出てから数時間――はこれは本格的にヤバイと冷や汗を流した。
最初の頃は元気だったので、魔物に見つかっても根性で走って逃げて居たのだが、そろそろ体内のエアル貯金が目減りしてきたらしく、体が重くなってきた。
まだ歩くこと自体は平気だし、何やらもう少し先に水の気配も感じるのだが、如何せんここに来て、大量の魔物に囲まれてしまったのだ。
走って逃げるのは体力的にもう無理。
戦うにしても、の力ではかなり無茶がある。
「どうしよう……本気で大ピンチだよね……」
このまま魔物にやられるくらいなら、何が起こるか分からないが首元の魔導器を外してみようか……
ちらりとそんなことが頭を過ぎった時だった。
「……よくよく縁のあることだ」
「え……デュークさん…!?」
振り返ると、銀髪の麗人が地を蹴ったところで、一瞬にしての周りに居た魔物は蹴散らされていた。
生命の息吹さえ感じられない砂漠のド真ん中での突然の邂逅に、は半ばついていけずに唖然とする。
「こんな所で何をしている?」
「あ……フェローを探しに出たレイヴンたちを追いかけて……」
「フェローだと?」
反射的に答えればデュークは僅かに目を瞠り、その珍しい反応にの方が驚く。
「何か知ってるんですか? 街に居た騎士もフェローの名前だけは知ってたみたいなんですけど」
「……古い知り合いのようなものだ。お前たちはフェローを探していると言ったな」
「はい。エステルの依頼で……」
「満月の子か……」
「え?」
「いや……お前はフェローに会わぬ方が良い。それはあの娘も同じこと」
あの娘というのがエステルを指していると分かって、は眉を潜めた。
自分とエステルに共通点があるとは思えない。
「どういうことですか? 会わない方が良いって、つまり……」
「フェローはお前達を消そうとするだろう」
「消す……」
随分淡々と言ってくれるが、それは大問題である。
だが、誇張でも何でも無いのだろう。現にエステルは、ダングレストで命を狙われたと言っていた。
「基本的に、始祖の隷長<エンテレケイア>はエアルを乱す存在を嫌う」
「エアルを乱すって……」
「始祖の隷長の全てがそう思っている訳では無いが、フェローはその傾向が一層顕著だ」
「……ちょ…ちょっと待ってください。始祖の隷長って、確かノードポリカを作った古い種族だって……それにケーブ・モックでもデュークさんが言ってた名前ですよね」
突然の情報に混乱したは声を上げて一旦デュークの話を遮ったが、整理しようと頭を抱えた瞬間、不意に目眩がしてその場に尻餅をついてしまう。
「ヤバ……ガソリン切れ……?」
こんな所でと歯噛みした刹那、目の前に大きな手が差し出された。
それを辿って見上げれば、無表情でため息をついたデュークと視線が合う。
「こんなエアルの枯渇した地では当然だ。――あの男は護衛では無かったのか?」
ガスファロストで睨み合っていたレイヴンとデュークが脳裏に甦り、は苦笑した。
砂漠はエアルが枯渇した……には相性最悪の土地。
今にして思えば、だからこそレイヴンも倒れたばかりのを置いて行ったのだろうと分かる。
彼は女性には無条件で紳士的だから……純粋にの身を心配して。
けれど、は嫌なのだ。
危険でも必要が無くても、一人きりで長い間置き去りにされたら……どうして良いか分からなくなるから。
「……そうなんです。それなのに勝手に置いて行ってくれて、私も怒ろうと思ってたんですけどね……」
この世界にはどこにもの知っている場所は無い。
誰からも必要とされずに一人になった時は……この世界で生きている意味さえ分からなくなる。
そんな絶対の予感があるから、どんな理由でも必要としてくれるアレクは裏切れないし、その為に力を貸してくれるレイヴンも凜々の明星も大切だった。
けれど、流石に一人で砂漠に飛び出したのは無謀だったと今になって痛感した。
デュークが来てくれなければ、本当に危なかっただろう……この顛末を知られれば、優しい彼らなら……
「これじゃあ逆に怒られるかも」
延々と説教するレイヴンや、心底怒るユーリやリタが容易に想像出来てしまう。
カロルもジュディスもきっと怒るだろうし、エステルに至っては泣かれ兼ねない。
「…………仕方が無い。私がいま世話になっている家まで連れて行く」
あまりにも哀れだったのか、デュークの意外な提案に驚いたものの、ははっとして首を振る。
デュークには以前に一度、一緒に来ないかと誘われて断っている――あの時もレイヴンとは仲が良くなさそうだったし、そんな相手にほいほい付いて行っては更に怒られる要素を増やすだけだ。
「えっと…お気持ちは嬉しいんですけど……」
「――このまま砂漠で朽ちる果てるのと、彼らの消息が掴めるまで私に同行するのと、どちらでも好きな方を選ぶが良い」
「………………すみません、お世話になります」
――背に腹は代えられない。
しかも、レイヴンたちの消息が掴めるまでとわざわざ言い添えてくれたデュークに、人さらいのような扱いをしてしまったことを心底申し訳無く思った。
つくづく情け無い心地で手を取ればふっと小さく笑われたような気がして、の心臓が僅かに跳ねる。
――美人の不意打ちは卑怯だと思う!
そんな暢気な不満を零しながら、はようやく麗しい手を取って立ち上がったのだった。
110131
またもや久しぶりの更新です!
そしてレイヴンちっとも出て無くて申し訳ありません!
次回は頑張っていっぱい絡ませたいです!