バンという銃声と共に、大きなカマキリ型の魔物が吹き飛ばされて動かなくなる。
 両手に持った銃からは、余韻のように微かな煙が立ち上っていた。

 魔物が人の命を脅かすこの世界では、どこにでもありふれた光景――

 しかし撃った本人であるは、呆然とそれを見つめて動けないでいた。

「――ちゃん」

 ビクリと震えたのは、何かを責められるような気がしたからかもしれない。
 のろのろと顔を上げれば、旅の連れであるレイヴンが「大丈夫だった?」と心配そうに手を差し出していた。

 当たり前のようでいて、この異世界で異邦人である自分にとっては当たり前に思ってはいけない手――
 はそれを、思わずまじまじと見つめ返した。

ちゃん…?」

 我に返れば訝しげに眉を寄せるレイヴンと目が合い、慌てて無理やり笑顔を作って大丈夫だと答えた。
 なるべく動揺を悟られないように手を取って、それを支えに立ち上がる。

「ごめんね、びっくりしちゃって」

 いきなりでビックリしたという感想は、初めての実戦のものとしておかしくは無いだろう。
 何とか笑えてることを祈るに、レイヴンはそっかと一旦頷いてくれた。

「でも本当に大丈夫? 相当怖かったんじゃないの?」

 しかし重ねて揶揄うように言われた言葉に、思わずは動きを止めた。

(――怖かった?)

 頭の中で蘇るその瞬間を追いやる為にゆっくりと瞬きしたが、笑って言うべき返事はひどく震えてしまった。

「……ホント、戦うって怖いね」

8.battaglia - 戦闘 -

 赤々と燃える薪の火に照らされて影が躍る。
 焚き火に背を向けるようにして横になっていた は、一向に眠気のやって来ない頭で今日の事を振り返りながらぼんやりとその影を見つめていた。


 ダングレストを包む結界魔導機が破壊され、同じタイミングで魔物の大群に襲撃されたのは昼を過ぎた辺りのことだった。
 ドン達の活躍もあってそれほどの被害もなくすぐに落ち着きを取り戻したものの、その時に帝国の騎士団が来ていたとかで、街のあちこちで柄の悪いギルドの集まりを多く見かけた。
 何でも外部の協力があってすぐに結界が修復出来たとか、ユニオンに敵対する勢力の陰謀だとか、多種多様な噂が飛び交っていた。

 は危険だからと<天を射る重星>に置いてけぼりにされて大人しくしていたが、レイヴンから程なくして宿で待つようにという伝言が届いた。
 ユニオンの幹部として事後処理に追われているのだろうと推測出来たので昨晩から連泊で予約してあった宿に戻り、指示通り暇に堪えながら待つこと数時間。
 もう日も暮れかけて空を焦がす茜色が不自然ではなくなった時間帯に、レイヴンは紫の羽織を街に溶け込ませて飄々と現れた。
 そして特に疲れも見せず、ふざけた口調のまま顔を合わせるなり一言。

ちゃん、お待たー。ちょっと近くの森までおっさんと森林浴に行かない?」

 ヘイ彼女、お茶しない?――などというカビの生えたナンパ文句と何ら変わらない調子で言われ、は目を白黒させた。
 しかもお誘いの内容が『近くの森まで森林浴』である。

「えっと……レイヴンって健康志向の人? それとも何かの宗教?」

 やっとのことでそう問えばなぜか大爆笑され、むっとしている所に「またここに戻ってくるけど、旅の荷物は持ってってね」と言われて、ようやく朧気に理解した。
 森と言うからにはすぐに行って帰って来れる距離ではない。しかもこんな時間に出かけるというのだから今夜は途中で野宿でもする算段なのだろう。

「もしかして、その『森』で姫君一行と待ち合わせ?」
「ご名答。まあ、アポなしだから歓迎して貰えるとは限らないけどねぇ」

 こちらの目的は監視なのだからそれもそうか、とあっさり納得し、は少ない荷物をまとめてレイヴンと共に出発した。

「それはそうと、俺様の役目は護衛ってことらしいけど、ちゃんって武醒魔導機<ボーディブラスティア>持ってるのよね?」

 思い出したように聞かれたのは、ダングレストを出てすぐのこと。
 ああ、と首元のチョーカーに埋まった魔核<コア>に触れて頷いた。

「持ってはいるけど、実戦で使ったこと無いの」
「えーと、それって……」
「そう、実戦経験ゼロの役立たずってこと。でもなるべく頑張るのでよろしく」

 帝都からここまでは騎士団の馬車に乗っていたので、徒歩で外を歩くのは初めてである。
 そして、結界の外を歩いていれば当然野生の魔物が襲いかかってくる訳で、これからはアレクに叩きこまれた戦闘知識を実地でものにしていくしかない。

 呆れられるか、ため息をつかれるか……という予想に反して、レイヴンは紳士的に「了解、任せてちょうだい」と請け負っただけだった。
 それから間もなくして、初めての魔物に遭遇したのだ。

「おっさんの傍から離れないでね!」

 弓矢にも小剣にもなる不思議な変型弓の使い手らしいレイヴンは、更に魔術にも精通しているらしく、を守りながらの戦闘も危なげなかった。
 流石アレクのお墨付きだけはあると感嘆するものの、如何せん見晴らしの良い平野なので魔物も次から次に寄ってくる。

 守って貰ってばかりなのも申し訳ないと、後方でぎこちない魔術の詠唱をし始めただったが、そうなると魔物も放ってはおかない。
 レイヴンが詠唱している一瞬の隙をついて勢い良く襲いかかってきた。

 自分が唱えていた術の発動も到底間に合わず、大きなカマキリ――グラスホッパーが振り上げたカマが眼前に迫る。

 ひやりとした感覚が体の芯を駆け抜けた。
 自分の命が危険に晒されるような経験は初めてで、の頭は簡単に真っ白になった。
 殺される――そう思った瞬間、心に強く思ったのはたった一つ。
 自分自身をも裏切る、本能的な感情だった。

 ――……たく…い!!



 パチと薪が爆ぜて、の意識は回想から現実へと戻る。
 背後から寝息が聞こえてそっと振り返れば、見張り役として薪の傍に座ったレイヴンが船を漕いでいた。

「……………」

 音に出ないよう、小さくため息をつく。
 眠気は全く訪れず、どうやら今日は眠ることを諦めた方が良さそうだ。
 それならば、とレイヴンを起こさないように細心の注意を払いながら寝床を抜け出した。

 周りの気配に気を配りながら少し離れた辺りの大木の根元に座り込む。
 野宿しているこの周辺は魔物が少ないという理由で選ばれた場所だったが、全く居ない訳ではないのでなるべく離れない方が良いだろう。
 それを言えば一人にもならない方が良いに決まっているのだが、今日の魔物との戦闘で思い知ったことが我ながら相当こたえているらしい。

「……ぐらぐらだなぁ、私」

 溜息と共に呟いては空を見上げた。
 今日はどんより曇っていて星は見えないが、本当は満点の星空が広がっている……地球から見るのと同じように。
 それと同様、街には人々の暮らしがあり、皆それぞれの人生を泣いたり笑ったりしながら懸命に生きている。

 当然の分かり切ったことだけれど、ただ"異世界"という先入観だけでにはその『当然』が希薄だったのだと思う。
 庶民の自分には馴染みの無い豪奢なアレクの屋敷で、見たことも無い文字で綴られた見知らぬ世界の知識を学んで。
 そうして現実離れした狭い世界の中に居て、この世界がまるで夢や物語のように感じていた。

 ――自分の身に降りかかったことも、全て虚構の世界のことなのだと思いたくて。


 ため息をついて伏せていた顔を上げれば、いつの間にか雨が降り出していた。
 ザァザァと降る雨は、適度な雑音でもっての鼓膜を包み込む。
 聴覚に続いて視覚も閉ざすように眼を閉じれば、余計な考えを遮ってくれるようで心地よかった。

 ぐらぐらと揺れる思考を切り離して、そこにぽっかりと浮かび上がってきたのはダングレストで言われたドンの言葉。

「夢は何だー……かぁ…………………帰りたい…な……」

 吐き出すように独り言を零した時だった。
 水たまりを踏むような音が聞こえ、驚いて振り向けば少し離れた場所に雨に濡れたレイヴンが立っていた。
 目立つシルエットでかろうじて誰だかが分かる雨夜であるので、表情までは分からない。

「び…びしょびしょじゃない、レイヴン! ちょっと大丈夫!?」

 は慌てて立ち上がり、何とか雨を免れていた大木の下までレイヴンの手を掴んで引っ張り込む。
 何か拭くものを持っていなかったかとポケットなどを探ったが、必要な道具を入れたカバンやポーチは野宿の場所に置いて来たし、出て来たのは無骨な銃だけだった。
 女子としてどうなの……と自分にガッカリしながら、せめてもと服についた雨粒を手で払い落とす。
 パタパタとレイヴンの肩や腕や背中の辺りを払っていると、レイヴンは大きなくしゃみをした。

「…はっくしょい! さ…寒い寒い寒いー!」
「やだ、大丈夫!? 濡れた服とか脱いだ方がいいんじゃ……」
「あらん、ちゃんってば大胆! おっさんもしかして誘われてる?」
「はいはい、分かったからさっさと脱いで?」
「……ちょっとくらいドキッとしてくれてもさー……」

 ぶつぶつ言いながら上着を脱いだレイヴンからそれを受け取って、乾燥機でもあればいいのになーなどと思ったに、レイヴンが少し低い声で尋ねた。

「帰りたいのか?」
「え?」
「……いや、『帰りたいなー』って聞こえたからね」

 聞かれていたのかと思ったけれど、それだけだ。
 それだけ……で無くてはならない。

「……そんなこと言ったっけ? 別に何でもないよ」
「…………そっか」

 誤魔化しにもなっていない言葉にレイヴンはそれ以上の追求はせず、声の調子もいつもに戻って、大体ちゃんはさーと続けた。

ちゃんずるい! 姿が見えなくなったからおっさん心配して探したのに、一人だけこんな所で雨宿りしてるなんてー」
「………聞かないで、いてくれるの?」

 思わず聞いてしまってから、はしまったと口元を押さえた。
 折角レイヴンが話題を変えてくれたのに、これではまるで聞いて欲しいみたいではないか。
 弁解しようと口を開いたより先に、レイヴンはの頭に手を置いた。

「……心外だわー。このレイヴン様が訳ありの女の子相手に無理矢理聞き出すようなお子ちゃまと思われてるなら、そりゃ心外ってもんよー」


 ――「折角人間で生まれて来たんだからよぉ、他人巻き込むくらいでっけぇ夢を持ってやれや」

 間近からレイヴンの碧色の瞳を見ている内に、不意にドンの言葉が蘇った。
 夢などと、死人であるにはもう何の意味も持たない。
 夢も希望もない、なんて言葉を日本では良く聞いたけれど、まさにそんな感じだ。
 何をしても、しようとするにしても、「もうとっくに死んじゃってるんだから」という諦観が先に来る。
 けれど……

 ――「じゃなきゃ、テメェが浮かばれねぇだろーが」


ちゃん? ちょっと、本当に大丈夫? 相当顔色悪いけど……」
「レイヴン……無理矢理じゃなかったら、聞いてくれる?」
「え?」
「レイヴンになら……ううん。レイヴンに、聞いて欲しいの」

 なぜか、そう思った。
 ドンが昔のレイヴンと今のが似たような目をしていると言ったからかもしれないし、単に旅の保護者である彼に甘えが出たのかもしれない。
 親友達もいないこの異世界で、を案じて手を差し出してくれた人……
 拒絶される可能性を考慮しても尚、はレイヴンに全てを話したいと思った。

「……俺で良ければ、謹んで聞きましょう――異界から来たお嬢さん?」

 頷いてくれたことへの安堵と、知っていたのかという純粋な驚き――その後に、苦笑した。
 レイヴンがわざわざ先にその手札を明かしたのは、が話しやすいようにという配慮に他ならないと気づいたからだ。
 つくづくフェミニストだなと思い、ありがとうと礼を言ってから話し始める。

 元の世界でのこと……飛行機事故のこと、目が覚めた時のこと、アレクに教えて貰った自分の体のこと。

「……あはは、まあそういう訳なんです。アレクさんから詳しいことは聞いて無かったよね?」
「そうね……俺が聞いてたのは、どうやら異世界から飛ばされて来たらしい女の子だってことと、帝都の外れの森が一夜で枯れたことと関係あるってことくらいだから」
「そっか。…ごめんね、気持ち悪いよね。もう死んでる人間がこうやって動き回ってさ。……ああ、そうそう。でも便利なとこもあって、死んじゃう前より身体能力はちょっぴり上がってるらしいのよ。その代わり、エアルで出来た体だからご飯や睡眠での回復は人の1/2程度らしいんだけど……その内、そういうのもいらなくなったりするかもしれないんだって。そうなったらますます人間離れし……」
「無理して笑わなくていい」
「……え?」

 我ながら何かを怖がってるように怒濤のごとく言葉を継いでいたところに、レイヴンは静かにそう言った。

「……ちゃんの笑顔はおっさん大好きだけどね。女の子は泣きたい時は泣いた方が良いわよ。それがおっさんの胸なら尚良しって感じだけど――」
「………別に、泣きたくなんか無いよ?」
「そ? ならいいんだ。ま、俺様からすればちゃんはちゃんだし。死んでるって言われてもこうして触れる訳だし……その気になればイイコトだって――」

 頭にぽんと手を置かれ、その手が耳元へ移動したところで反射的に鉄拳を繰り出した。
 ぶへ!と言って倒れ込んだレイヴンをじっと見つめて、思わずは笑ってしまった。

「もう! こんな時にふざけるとか……レイヴンってホント女好きだよね! 女なら死人でもいいって言うの?」
「キレイなお嬢さんの前ではそんな些細なことは関係なーい!」
「はは……そっか、些細なことか……。…………レイヴンあのね、私ホントは……ホントは…………死にたくないんだ」

 隣ではっと息を呑んだ気配が伝わったが、は顔を上げられなかった。

 あの時……今日初めて魔物との戦闘で命の危険を感じたあの時。
 大きなカマを振り下ろされそうになって、殺されると思った瞬間に思ったのは――


 ――死にたくない!!


 たったそれだけだった。
 ずっと自分はもう死んだ人間だと……だから何もかもどうでもいいと……そう自分に言い聞かせてきたというのに。

 命の危険を感じた刹那、あっさりとその仮面は割れて、自分でも隠してきた本音が簡単に暴かれてしまった。

「アレクさんがね……私みたいな人間はかなり特殊だから、何かの拍子に元のエアルに還元されちゃうこともあるかもしれないって……」

 は自分が死んだ人間だと受け入れていた――つもりだった。
 今ここに居る自分は幽霊のようなもので、本当はとっくに死んでいる。
 だからいつ消えてしまってもそれは仕方ない当然のことだ……そう、納得していた筈だ。
 けれど……

「っ…やだ……死にたくないっ……死にたくないよっ……!!」
「っっ………」

 人前で泣くなんてそんな子供みたいな真似は出来ないと思っていたのに、実際は「死にたくない」と繰り返して顔を覆ってわんわん泣き喚いた。
 そんなの頭にレイヴンは戸惑うように手を乗せ、子供をあやすように不器用に撫でる。

 それが何だか無性に心地よくて安心してしまって、は疲れて眠ってしまうまで、雨の音を背景に泣き続けたのだった。






100404
こういう早い段階に本音をさらけ出すか、もう少し後にするか悩みましたが、
早くレイヴンと打ち解けて欲しいと思ってここで。
会ってまだ二日目くらい(笑)ですが、無意識にシュヴァーンの気配を感じ取って早々に懐いてしまったようです。
CLAP