「客がもうすぐ帰るから、重星の方で待ってろってさ」
二度と敷居を跨げないかもしれないと思っていたユニオン本部の奥で、鼻の上に傷が走った整った容貌の金髪青年がそう告げた。
「あらそう。もう昼時だもんねー、了解~」
ユニオン本部は中々に大きな建物だが、一番奥の巨大な扉が<天を射る矢>の……そして五大ギルドから成るユニオンの大首領、ドン・ホワイトホースの私室へと通じる扉である。
そんな場所に気軽なノック一つで入っていくこの金髪青年も、そのドンの伝言に気軽に返事をするレイヴンも、やはり幹部ともなればタダものじゃない。
「てことだから、美味しいご飯が食べれるとこで待っときましょ、ちゃん」
言ってスタスタと歩いていくレイヴンの後をも追いかけようとして、慌てて金髪青年にお辞儀だけして踵を返す。
建物の入口辺りで追いついて、ねぇねぇとその紫の羽織を引っ張った。
「さっきの、ハリー・ホワイトホースさんでしょ? ドンのお孫さんの」
「およ、ちゃん知ってたの?」
「へへへー、ダングレウォーカーに載ってたの!」
生で会っちゃったー! やっぱり格好良いねー! などと思わずミーハーぶりを発揮すれば、ダングレウォーカーって何よ?と返されては仰け反った。
「雑誌だよ! ダングレストの情報雑誌! 美味しいお店とかデートスポットとか話題のファッションとか、興行ギルドの演目予定も載ってたよ?」
「へぇー、そんなのがあんのねー」
「レイヴンってばダングレストに住んでるんじゃなかったの?」
「はっはー、俺様ともなれば世界中を渡り歩いてるからさー。あちこちの美女から引っ張りだこで、一箇所には留まってられないのよね、これが」
「ふーん、大変だねー」
港ごとに女房が居る……ってどこの船乗りだ。
得意気な様子を適当に流して溜息をつく。
雑誌を買った露天の主人に聞いた話では、若い人に絶大な人気を誇っている雑誌で、知らない人はいないという触れ込みだったのだが……そこまでは言うまい。
どうやらレイヴンは、あまり流行や若者の遊びには無関心……というか忙しくてそれどころではないのかもしれない。
そうこうしている内に街の西にある雑誌にも載っていた<天を射る重星>という有名な酒場に辿り着き、着いてすぐにろくに店内を見る暇も無く別室に案内される。
落ち着いた調度で統一された立派な室内は、奥に大きな机があり、手前にソファセットが置かれていた。
アレクの屋敷のように全て超一級品で豪奢というわけでは無いが、ゆっくりと寛げる雰囲気を持っていた。
賑やかな店内の喧騒も適度に遠く聞こえる。
「……もしかして、ドンがゆっくり寛ぐ時のプライベートルームとか?」
「来客を迎える時に使う部屋ーってのが建前だけどね。一人でも頻繁に足を運んでるってのが実際の所」
そうなんだーと相槌を打つは、促されて手前のソファの端に座る。
壁のキャビネットを物色していたレイヴンは、そこから一本のボトルと三つのグラスを取り出し、タイミング良く届けられた氷と水が載った盆を抱えて、の隣に座った。
慣れた手つきで水割りを作り始める様子に、は思わず呆れてしまう。
「こんな昼間からお酒?」
「ドンからしたらこんなの水よ。ちゃは止めとく?」
「もらう」
語尾にハートマークを付けて即答すると笑われて、むっとしたは意趣返しとばかりに件の雑誌を取り出した。
「ほら見てみて、レイヴン。これがダングレウォーカーなんだけど……ここ! ユニオンのイケ面特集~! レイヴンは載ってないけどねー」
「な、な、なんだって!? この世紀の男前が載らないイケ面特集ってどういうことよ!?」
「こういうこと。ほら、ハリーさんはこんな大きく載ってるのにねー。『女心が放っておけないチョイ悪プリンス』だって」
が特集ページを広げて見せると、隣に座ったレイヴンがどれどれと手元をのぞき込んでくる。
「うえー、ハリーのどこがチョイ悪よ、ただのお子ちゃまじゃない! げっ、ニールやコリンまで載ってやがる!」
「この人たちはユニオン本部で見かけなかったなー」
「あー、いろいろ出払ってる連中が多いからねー」
「ざんねーん! あ、私はこっちの人が好みかも!」
「え~!ちゃんこういう趣味!? コイツ、ここだけの話コッチの方が好きなのよ?」
「え゛!? そうなの!? 勿体ない~!」
「ごつーい彼氏に睨まれちゃうわよー?」
「うわー、それは遠慮したいー」
しばらくそんな何でもない馬鹿話に花を咲かせて、が笑い過ぎで腹筋が痛くなった頃、突然入口で爆音のようなものが轟いた。
ビクっと反射的に振り返った瞬間、有り得ないくらい大柄で屈強な初老の男と目が合う。
爆音だと思ったのは、どうやら彼が上げたガハハという笑い声らしい。
「何だ、そういうことかよ」
「ドン」
え?と思った瞬間に、レイヴンが「遅かったじゃないの、じいさん」と言って立ち上がった。
流石ギルドの頂点に立つ大首領の風格に、も慌てて立ち上がる。
「ドン、紹介するよ。この子は――」
「レイヴンの連れが挨拶ってーから何かと思ったが、お前ぇようやく嫁さん貰う気になったか!」
頭を下げて挨拶しようと思っていたは、斜めの姿勢のままぴしりと硬直した。
――嫁さん?
思考が追いつかない間にも、こりゃめでてェぜ!とガハハ笑いが響き渡る。
「ま…待て待てじいさん! 何早合点してんのよ!」
「照れるこたぁねぇ。早速ウチのもん総出で祝いの席を設けようじゃねぇか!」
「だから聞けって!!」
ドンが上機嫌に笑って、レイヴンが慌てた様子で食ってかかっている。
まるで親子のようにも見えて微笑ましい。
一方のは唖然としてそんな二人の様子を眺めていたが、ゆるゆると自分とレイヴンが誤解されているのだと理解する。
気付けば、自分でも本当に無意識に声を上げていた。
「違います! 私が相手じゃ、レイヴンが可哀相です!!」
「はーい、お待たせしましたー!」
別に待ってない……というのが、とレイヴンの共通する感想だろう。
ドンが到着した特別室には今や食べきれないほど山ほどの食事と酒が運び込まれ、まさか昼食とは思えない程の大宴会の様相を呈していた。
当のドンは、どんどん食えと言って一人で上機嫌に食事と酒の両方を平らげていく。
「ちょっとレイヴン、ドンっていっつもこういう人?」
「あーーー…まぁ、概ね。ここまで機嫌良いのも珍しいけどね」
ひそひそと小さい声でのやり取りを聞き咎めた訳ではないだろうが、「なに隅っこで乳繰り合ってやがる!」と言われてレイヴンと二人してビクリとした。
「ちょっ、善良なお嬢さんに向かって何つーことを言うのよ、ドン!」
「ワハハ、そりゃあ悪かったなー嬢ちゃん、つったか」
「あ…はは、いえいえ。そんなにお嬢ちゃんでも無いんで、お構いなく」
笑って、近くにあった酒瓶を傾け、ドンの空になった特大ジョッキに並々と注ぐ。
「ガッハッハッハ! イイ注ぎっぷりだぜ、気に入った!」
飲みっぷりもな!と言われ自分のグラスを見れば、若干の緊張とは別腹で既に飲み干してしまっている。
ドンの返杯を恐縮しながら受けて一気に飲み干すと、また大きく笑われた。
「まぁ、誤解しちまったのは悪かったけどよー。レイヴンの奴が笑って女と話してたもんでよー」
「何言ってんだよ。俺様はいつも笑顔でお嬢さん方と楽しくやってるでしょーが」
「女好きは天性のもんだが、いつものウソ臭ぇ笑い方とは違ってたってんだ」
ウソ臭い?とキョトンとして自分の頬を押さえたレイヴンとの視線が重なる。
も首を捻った。
「ウソ臭い……ていうより、胡散臭い?」
「ハハ違ぇねぇ! 流石レイヴン相手に奴の方が可哀相なんて言う物好きだけはあらぁ!」
「どういう意味よ!? ひどい! ドンもちゃんもひどい!」
おっさん泣いちゃう!と言って本当に顔を覆ってしまう辺りが、胡散臭いの最たるものなのだが……きっと分かっていてやっているに違いない。
「それで? レイヴンのイロじゃねぇなら、こんな老いぼれに何の用だ?」
昼食を粗方堪能したのか、ドンにそう水を向けられ、は背筋を正す。
「えっと…………レイヴンを、私に貸してください!」
何と説明したものか…と思案した結果、くどくどしい説明は一旦省いて簡潔に言ってみたのだが、これでは「お嬢さんを僕にください!」みたいだ。
案の定驚いたらしいドンに、レイヴンが困り顔で助け船を出してくれる。
「実はこの子、帝都の大将から頼まれた子でね」
「何?」
「行き場の無いところをアレクさんに拾われて、面倒を見て貰ってるんです。それで何か役に立てないかと思って……」
正確には拾ってくれたのはシュヴァーンだが。
がそこらへんと素性を除いた簡単な経緯を説明すると、ドンは難しい顔で「エアルの調査ねぇ…」と唸った。
「まぁ、ちゃんは"科学者のアレクさん"から頼まれたエアル調査したいだけだし、か弱い女の子を一人で旅に出すわけにもいかんでしょ」
「それでお前が護衛って訳か」
「そういうこと。じいさんに押しつけられたお姫様の監視にちゃんも同行してくれるっつーからさ」
流石に要領良く説明していくレイヴンに、ドンも頷いている。
本当はここにが居る必要など全く無かったのだが、がレイヴンに頼み込んだのだ。
いくらアレクの紹介とは言え、実際にレイヴンに面倒をかけるのはだ。
そのレイヴンはドンにとって大事な右腕で――それを貸して貰うのに挨拶もしないなんて、そんな筋の通らないことは出来ない。
「それで俺に一言通そうってことか。そういう義理がたい奴は好きだがよ」
一通りの話を聞いたドンの目が、じっとを射る。
心の内まで見通されるようなその視線を、は淡々と見返した。
突然現れた得体の知れない人間――不信感を持つのは当然だ。
出来ればまさにその"得体"は知られたく無いが、それもあくまで感情の問題で、別に知られた所でただの事実だからどうということも無い。
「――ひとつ聞かせてくれや。、お前ぇの夢は何だ?」
「ゆ…め……?」
余りにも唐突な言葉に一瞬虚を突かれたが、答えようとしてそれがもっと難しいことに気付く。
幼い頃には『お姫様』に始まり、『ケーキ屋さん』『お花屋さん』『アイドル歌手』『看護婦』『スチュワーデス』などなど……普通の夢見る女の子だった。
学校を出て会社務めをしている頃になると『夢』と言えるほど立派なものは無くなっていたけれど、聞かれたなら笑って「世界一幸せなお嫁さんになりたいなー」とでも答えたことだろう。
けれど、今は………
「夢…なんて………」
ドンが聞いていることは、ひどく単純なことだ。
笑って、適当に答えればいい。
だから、笑え――
そう頭では思っていても、上手く笑えていないことは自分でも分かっていた。
そんなに、ドンは大きなため息をつく。
「……懐かしいじゃねぇか。なぁおい、レイヴン」
「は? …何だよ、一体」
レイヴンは突然話を振られて眉根を寄せたが、大ジョッキをガバリと飲み干したドンは静かに言った。
「こんな若いお嬢ちゃんがよぉ、昔の誰かさんと同じような目ぇしてやがる」
「誰かさん……?」
それってもしかして……
目を瞠ったの前で、ドンは野太く笑った。
「あぁ、偉そうに大人ぶった餓鬼でな。俺ぁそいつにこう言ってやった。"ちゃんと目ん玉ひん剥いて前を向いて生きやがれ!"ってな」
「…………」
が驚いてレイヴンを見れば、罰が悪そうにそっぽを向かれた。
伏せられたその横顔に思わず見入る。
頼りない虚ろの淵に立っているような無機質な緑玉は、明るく笑うレイヴンとは余りにも似つかない。
「折角人間で生まれて来たんだからよぉ、他人巻き込むくらいでっけぇ夢を持ってやれや」
思わず、目頭が熱くなって瞳が揺れた。
人間として生まれては来たが、今のは一度死んで、そして人外のものとしてここに居るだけの存在だ。
それでも……
「じゃなきゃ、テメェが浮かばれねぇだろーが」
心をかき乱すドンの言葉に、何か返さなければとが思った矢先だった。
不意に地を這うような振動が伝わり、すぐに地響きとなって全体が揺れて警鐘が鳴り渡る。
「な…何……!?」
「またかよ。一体最近どうしちまったって……」
溜息をついたドンが傍らの剣を取ろうと手を伸ばすと、今度は爆発音のようなものが外から聞こえた。
立ち上がったレイヴンが外から聞こえる喧騒に顔を顰める。
「こりゃぁ……ちょっとヤバ気だぜ、じいさん」
真面目な声音になったレイヴンの言葉に、ドンも頷いて立ち上がった。
騒然とする店内に、その大喝が鳴り渡る。
「落ち着けテメェら! 何があった!」
何人かがはっとしてドンの周りに集まり、もレイヴンに連れられてその背中に付いたまま横に移動する。
「ドン! 結界魔導機<シルトブラスティア>がやられたようです! 外に見張りの死体が!」
「魔物もいつも以上に大群だって報せです!」
聞くや否や、ドンはその大躯に似合わぬ素早さで駆け出した。
「行くぞ、テメェら! 付いて来いっ!!」
あっという間に店内に居たほとんどの男たちが声を上げながらドンに続く。
「ちゃん」
茫然とするしかないが傍らを見上げれば、レイヴンがどこからか弓を取り出したところだった。
「ちょっと行って来るから、絶対に店から出ちゃダメよ」
「あ…私も……」
「危ないから駄目」
言いようの無い不安はあったが、事態は一刻を争う。
ましてついて行った所で、少し術技が使えるだけで実戦経験も無い素人なんて足手まといにしかならないだろう。
側の傭兵に「俺は本部の方に行くから、お前は入口を……」などと指示を出しているレイヴンに、は何とか作った固い笑顔で頷いた。
「分かった。気を付けてね、レイヴン」
「――良い子ね、ちゃん。んじゃま、行ってくるわ!」
まさに風のような速さで出て行った紫色の背中を見送って、は閑散とした店内で茫然とソファに沈み込んだのだった。
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ドンに嫁と勘違いされたいが為の展開。ダングレウォーカー、思う存分引っ張りました!