その街は、深い茜色に染まっていた。
時刻は正午を回った頃で、夕焼けにはまだ早すぎる時間だというのに、空は間違いなく綺麗に夕焼けている。
「ふえー……ホントに夕暮れの街なのね」
そしてその茜色の夕暮れの中を、剣を背負った人を始め、本、スコップ、フライパンに至るまで、何やら特殊なものを背負った人が当たり前のように雑多にひしめき合っていた。
街に冠された二つ名は伊達ではないらしい。
『ギルドの巣窟 ダングレスト』
の最初の目的地であり、出発点ともなる筈の街だった。
「じゃあな、気を付けて帰んな」
半ば追い出されるように出てきた扉は無情な音を立てて閉じられる。
それを振り返り、は深い溜息をついた。
石造りの巨大な建物の正面入口。
曲線で形作られたシンプルな紋章があしらわれたその重々しい扉は、一人で再び潜るのにはちょっと敷居が高い。
扉の両脇に配置されている見張りのお兄さん方がじろじろと見てくるのに愛想笑いを返して、早々にその場を立ち去った。
「どうしたもんかなー……」
赤い薄闇に包まれた暗い路地を、ポリポリと頬を掻きながら歩く。
広場まで戻って目立たないように端に寄り、途中の露店で買った甘みの薄いクレープを頬張りながらうーむと唸った。
手にはポケットから取り出した折り畳んだ地図がある。
「まさか会えないとは……もうどうなってんのよーアレクさんの馬鹿ー」
とても本人の前では言えない愚痴を投げやりに呟いて、また溜息をついた。
そもそも、最初の目的地ダングレストに着いたのが今日の昼過ぎ。
カプワ・トリムで船酔いの体を休めた1日の間に、ユーリたちと知り合って楽しい時間を過ごせたという思わぬ収穫はあったが、その後はすぐに彼らとも別れ、騎士団の権限が強いヘリオードの街で一泊してダングレストへ――という直線コースでやって来た。
ダングレストの奥にあるギルドユニオンまで同行してくれる筈だった護衛の騎士たちとは、ギルドの街には入りにくいというので、街の入口で丁重に礼を言って別れている。
一人になる不安はあったが、ここまで来れば大丈夫だと思ったからこそ街に入る前に別れたのだ。
それなのに目的の人に会うどころか、その人物が不在でいつ戻るかさえ分からないと来れば、もう溜息をつくしかない。
真っ直ぐにほぼ予定通りの日程でここまで来たというのに、相手が不在とはどういうことだ。
それぐらい事前に調べておいて欲しい。
「……ていうか、レイヴンって人がそんなに忙しいなら、エアル調査の旅なんて無理なんじゃ?」
アレクに旅の護衛として紹介されたそのレイヴンという人物に会う為に、は街に着いて宿を取ってすぐにユニオン本部へと向かった。
しかしそこで、彼がギルド・天を射る矢<アルトスク>首領の片腕であり、尚且つユニオン幹部でもあるのだということを初めて知り、外渉を担当している為に留守がちで居場所さえ分からないというショッキングな事実を聞かされたのだ。
しかも『レイヴン』と彼の名前を出した途端ジロジロと値踏みされるような目を向けられて、またか、と溜息をつかれた。
「悪いことは言わねぇ、お嬢ちゃん。何があったかは知らねぇが、入れあげて泣くのはお嬢ちゃんの方だぜ?」
お嬢ちゃんと呼ばれるような年では無いが、相手は壮年のおじさんで、こちらは外見が幼く見られがちな東洋人なのだからとりあえず目を瞑っておく。
それよりも聞き逃せないのが、どうやらアレクの紹介してくれた人物が相当の遊び人らしいということだ。
しかも間の悪いことに、思い切り勘違いされている。
「いえ、私はそういうのじゃなくて! レイヴンさんの知り合いから、彼に頼み事を言付かって来たんです」
「ほー、そうかい。ならこっちで預かっといてやろうか?」
確かに、いつ帰ってくるかもしれないというレイヴンを捕まえる為には彼の本拠地であるこのユニオンに用件を残しておくのが一番だ。
しかし、アレクからの用件と預かった手紙は、誰にも見せることなく直接本人に渡して話せと厳命されている。
「……有難いんだけど、どうしてもレイヴンさんに会いたいんです。宿屋で待ってるって伝えて貰えませんか?」
しかし、これには相手がやれやれと肩をすくめた。
他にどうしようもなかったが、言い方が悪かったらしい。
「はー……、アイツも罪作りだねぇ」
「全くだぜ。お嬢ちゃん、そんなに奴に会いたきゃ、酒場でも虱潰しに当たってみるんだな。こんなとこに居るよか、よっぽど遭遇する確率高ぇぜ!」
お嬢ちゃんに行けりゃあな、ガハハ!
――そんなあからさまな揶揄まで受けて追い出され、現在に至るという訳だ。
「……そんなに私って、"お嬢ちゃん"に見えるのかなー。それはそれで気を付けないと」
クレープの最後の一切れを飲み込み、包み紙をくしゃりと丸めて近くのゴミ箱に投げ捨てた。
距離があった割には見事に入って、通りがかったおじさんに「いい腕してるねベイビー」などと野次られて苦笑する。
ここに来るまでにギルドやユニオンのこと、天を射る矢<アルトスク>のことも知識としてだけ学んでいたけれど、どうも思っていた以上に荒っぽい人が多いらしいという印象だ。
帝国の支配と庇護から抜け出したギルドが大小様々、多種多様な民族でもってひしめき合って生活しているこのダングレストという街は、よく言えば自由、悪く言えば治安が悪い。
その上、昼日中でも夕暮れに覆われているものだから常に薄暗く、どんな時間帯でも女の子が一人で人気の無い場所を歩くのは戸惑われる雰囲気がある。
地球で言えば、一昔前の某大国の首都を思わせるような感じだ。
尤も、言葉は通じるのだから、こういう誰もが『人間』として自由に生活しているような雰囲気は、としてはむしろ好きだったりするのだが。
しかし、いくら小さく折り畳んでいるとは言え地図を見ている時点で余所者丸出しの上、こちらは"お嬢ちゃん"の一人歩きなので、流石にこれ以上目立つ広場に居るのはやめた方が良さそうだと判断して歩き出した。
どこか落ち着ける場所で、レイヴンに会えそうな酒場を調べなければならない。
「酒場……居酒屋ねぇ……。居酒屋を探すとなれば、ネット、雑誌……」
何とか自分の知っている世界での場合に置き換えて考えていると、ふと目を向けた軒先の商店でおもしろそうな雑誌を見つけたのでパラパラ立ち読みする。
立ち読みと言ってもまだ完璧に字が読める訳ではないから、写真や絵を見るだけだ。
そこで見つけた良さ気なカフェの場所を店主に聞き、その本を買って歩き出す。
赤く染まった石畳の上を歩きながら、買ったばかりの雑誌に目を落とし、その表題を何とか読み取った。
「……"ダングレウォーカー"……内容分かりやすいけど、このタイトルどうなってんの」
非常に馴染みのあるタイトルだが、日本の某出版物シリーズのパクリという訳では……まさかあるまい。
『歩き人』という意味的に別におかしな所は無いし、たまたまだろう。
ついつい、『アルトスク大解剖! 人気のイケメンに迫る!』という特集に目を奪われながら歩いていると、前方から声が上がった。
「何処見て歩いてんだ、コラァ!!」
一瞬自分のことかと思ったが、誰にもぶつかってはいない。
すると、向かう先で如何にも柄の悪そうな大男と可愛らしい女の子二人が向かい合っていた。
「それはこっちの台詞だむん! ぶつかって来たのはそっちでしょぉ!?」
「ドロワットに謝れ! 今のは明らかにそっちが悪い」
一見可愛らしい二人の少女は、しかし見掛けとは随分違うらしい。
逆に食ってかかる姿に野次馬が遠巻きに囲む。
「何だと、小娘ども!! 痛い目見ねぇと分かんねぇみてーだな!!」
男が背中の大剣を抜き、少女達に向かって威圧的に掲げる。
何も考える前に、思わず体が動いていた。
「風よ、切り刻んで――――ウィンドカッ……」
「オゥ、ビューティフルなお嬢さん。そのニードはナッスィングネ~」
「え?」
呼吸を整え、首もとのチョーカーに意識を集中して、威力を抑えた魔術を発動させる――
その発動の段階で不意に横合いから腕を掴まれ、は驚いて顔を上げた。
見上げた横顔は勿論知らない顔で……きっちりと燕尾服のようなものに身を包み、紺色の髪の一部を垂らしたその男は、癖のある口調での行動を制して優雅に前に歩いて行った。
「そこのキュートなガールズは、ミーのかわいい部下たちデース。それとも何かビジネスのトークでもありましたカ?」
「海凶の爪<リヴァイアサンの爪>のイエガー!?」
周りがざわりと口々に男の名らしきものを囁いた。
どうも、彼は有名人らしい。
ポカンと見守るしかないの前で彼はそれは優雅に、それはそれはふざけた様子であっさりと相手の男を追い払い、振り返ってニッコリと怖い笑顔を寄越したのだった。
「あ…のー…イエガーさん?」
「ハイ、何デースか、?」
「私、本っ当に大したことして無いんで。もう本当に本当にお気遣い無く!」
「オ~、迷惑でしたカ? こんなビューティフルなレディにヘイトされるとは、ミーはベリベリーサッドデース!」
大げさなくらいのアメリカンナイズで嘆いてみせるこのルー語の男に、はゲッソリと肩を落とした。
街で絡まれていた女の子二人をちょっと覚えたての魔術で助けようとしたのがそんなに悪かったのか……神様という奴は分からない。
彼女達の保護者……というかボスであるらしいこのイエガーが、丁寧にお礼を言ってくれたまでは良かったが、互いに自己紹介して、ついでとばかりに有名な酒場を数件教えて貰い、最後にダングレスト滞在の目的を聞かれたから、軽く「酒場に良く来るっていう、レイヴンさんという人を探しているんです」と答えたらなぜか………こうなった。
一瞬見開かれたイエガーの目がすぐににっこりと糸目に変わり、ではお礼デース!とか言いながら引っ張られてこの一軒の酒場まで連れて来られたのだ。
ちなみにゴーシュとドロワットというらしい少女達は未成年ということで付いてこなかった。
自分の未成年時代と比べると随分真面目だなーなどと暢気に考える暇も無く、入ってすぐに飲み物を聞かれたのでとっさにビールと答えてしまい、ささっと数種のつまみまでオーダーされて、間髪入れずに出されたビールで、「トゥデイのフェイタルミーティングに」などと乾杯までしてしまった。
乾杯の流れで一口飲んで、やっぱコレだね!と思ってグビグビ飲んでしまったのも悪かったらしく、ナイスな飲みっぷりデース!などと飲んだ端から注ぎ足されてもう三杯目である。
も普段ならこれぐらいの量で酔うことは無いが、空きっ腹に駆け付け三杯は流石に厳しかったらしい。
疲れもあるし、土地勘の無い街で知り合ったばかりの胡散臭い男と二人きりで酔っ払う前に、何とか退散しなければ。
何と言ったものかーと考えあぐねていると、ゆっくりと一杯目を干したところのイエガーが口を開いた。
「ところで、ユニオンの幹部にユーのようなレディがどんな用事デスか? 見たところ、彼とは面識も無いようデスし、ステディの一人という訳では無いでショウ?」
「あ、レイヴンさんの知り合いなんですか?」
「アー……イエース。そんなところデース」
レイヴンはアレクが紹介してくれた人だし、その知り合いというならば若干の不審さは消える。
思わず笑顔になってしまったのに面食らったのか、イエガーはちょっと身を引きながら肯定した。
「ちょっと頼み事があって、ザーフィアスから来たんです。えーと……アレクさんという人に紹介して貰って」
アレクというのはどうせ偽名だから問題あるまい。
そう思って簡単に言えることだけを言ったのだが、イエガーは一瞬なぜか大きく目を見開いた。
「帝都のアレクからレイヴンに頼み事………デスか」
意味深に何事か呟いて頷き、彼は唐突に立ち上がった。
「彼は中々困った男デスが、頑張ってくだサーイ! 影ながらミーも応援していマース!」
それではグッドナイト! などと言って出会った時同様に颯爽と出て行ったイエガーを、は呆気に取られながら見送った。
これで会計まで置いていったら死刑ものだが、酒場に女一人置き去りというのも中々の悪行では無かろうか。
「……まぁ、どうせ来るつもりだったからいいんだけどさ。一食浮いたし」
もしかしたらアレクという偽名と彼の存在を知っていたのだろうか。
何かマズイことを言ったのだろうか。
そんなこともチラリと思ったが、良く分からない胡散臭い男の胡散臭い言動を考えてみても労力の無駄だ。
早々に考えるのを放棄して、出されていた唐揚げを口に放り込み、店をぐるりと見回してみた。
夕飯時らしく、それほど広くない店内は混み合っていて席はほとんど埋まっている。
女性の姿も見えるがほとんど連れが居て、女一人というのはざっと見ただけではいなかった。
大体が荒っぽい傭兵ギルド風の男達ばかりだ。
雑誌に載っていた一番有名な酒場ではないようだし、大きくも無かったが、これだけ盛況ということは価格と味に自信ありの店なのだろう。
これは聞き込みも成果あるかもと、早速店の人にレイヴンのことを聞こうとした矢先、ふと入口から入ってきた男と目が合った。
思わずゲ、と唸ってしまったのは、相手が先ほど少女たちに絡んでいた強面だったからである。
「おぅ、さっきイエガーの野郎と一緒に居たお嬢ちゃんじゃないか。何だい、一人かい?」
可愛い顔してんじゃないか、知り合いの誼で酌くらいしてくれよ。
そんなことを言ってイエガーが座っていた席に当たり前のように腰を下ろした男に、は溜息をついて席を立った。
誰が知り合いだという不快さと、サヨナラ唐揚げさんという悲しさを何とか押し込めて、表面的な笑みを浮かべる。
「残念。ちょうど出る所だったんです。それ食べていいんで、ゆっくりしてって下さい」
勿体無いが、こういう手合いとは絶対に関わってはならない。
それくらいはにだって分かったので、さっさと店を出てダッシュで宿まで帰ろうと思ったのだが、相手は流石小さい女の子たちに大人気なく剣を抜いたほどの人でなしだ。
無遠慮にも、の腰をぐいと掴んで引き寄せた。
「そんなつれないこと言うなよ。怪我したくねぇだろ?」
ぞわり、と嫌悪感が這い上がる。
「やめて!」
「まあまあ、仲良くしようぜ、お嬢ちゃん」
「ちょっ…触らないでったら!」
中々大きな声でやり取りしているのだが、店内は騒がしいし、これくらいの光景や喧嘩くらいはいつものことなのだろう。
ほとんど誰も気に止めず、男の行動を遮るものはいない。
幾度か口での説得を試みたが、その不快すぎる手が腰の下に伸びた所で、ついには忍耐をかなぐり捨てた。
「風よ、ザックリ切り刻んで――」
「ちょっとちょっとー嫌がってるじゃないの。それ以上はこのレイヴン様が――」
「――――ウィンドカッター!!」
怒りに意識を集中して発動させた風の魔術は、しかしその間際に聞いた名前に、目標――男の前のテーブルのみ――を僅かに逸れて男の持っていたグラスごとそのテーブルをザックリと真っ二つにする。
ひぃぃぃぃぃぃ!! うわぁぁぁぁぁぁ!!
男と近くに居た他の客の悲鳴が響く中、はポカンとして今しがた割り込んできた姿勢のままのもう一人の男を見上げた。
「…………"レイヴン"?」
確かに目の前の彼は、自分のことをそう呼んだ。
ダボタボの服はピンクのシャツの上に紫の羽織をかけたド派手ないでたちで、高い位置で結われたボサボサの爆発髪と無精ヒゲ――そして特徴的なエメラルド色の目がパチクリと瞬かれた。
「およよん? 俺様のこと知ってるのー、可愛いお嬢さん?」
イエガーに輪を掛けて胡散臭さ全開の人物が、まさかまさかの探し人らしい。
安堵よりも脱力感の方が大きい気がして、はぐったりと引き攣った笑みを浮かべるのに精一杯だった。
100215
ようやくおっさん登場です!イエガー長かった……。
CLAP