「はぁ……退屈」
溜息をついて、は不貞腐れたように窓辺に両肘をつく。
そのまま足をぶらぶらさせている決して行儀が良いとは言えないこの恰好を、執事などが見たらどういう反応をするだろうか。
くだらないことを考えて、また溜息をついた。
アレクと最後に話してから数日――毎日続けられていたの体の研究はパッタリ途絶えた。
どうも彼自身が屋敷に戻って来ていないらしく、屋敷の人に聞いても何も知らないと言う。
しかしアレクと会わなくなっても、の生活は何一つ変わらなかった。
いつまで経っても慣れないお嬢様待遇で生活し、読み書きとこの世界の常識を屋敷の人に教わる。
死人である自分が今更この別世界のことを学んで何になるのか……そんな埒も無いことは考えないようにした。
とにかく、何でも良いからやるべきことが欲しかった。
じっとしていたら、流石に気が狂いそうだったからかもしれない。
それでも、夜に一人になるといろいろと考えてしまう。
家族、友達、日本に残してきた様々のもの……
「まさか、死んじゃうなんて思わなかったからなー」
わざと軽く口に出してみても、未だに『死んだ』という実感は沸かない。
ただ、あの化石の森で見た周りの『地獄』を思い出せば、自分が死んだのだという事実だけは泰然と圧し掛かって来るようだった。
墜落したのであろう飛行機……遺体の見分けも付かないようなあの状況で、自分だけ無傷で生きている訳が無い。
「どうして……『ここ』に居るのかな……」
呟きは、無駄に広く立派な室内にぽろりと落ちる。
考えないようにして来た最たるモノ――
死んだら、普通は天国か地獄に行くのではないか。
この世界を『あの世』と捉えるならば、ここにいるのは正しいことなのかもしれないが、なぜたった一人で『生きて』いる感覚を伴っているのか……
「………だから嫌なんだよね…」
こうして余計なことを考えるから、夜は嫌いなのだ。
再び溜息をついた所で、窓の外を眺めるの目に見覚えのある後姿が映った。
「アレクさん――」
数日ぶりに見る銀髪の恩人様である。
どうやら戻って来ていたらしく、そしてまたこんな夜中に出かける所らしい。
思わず窓を開けて息を吸い込み、そこではたと今が夜中であるのを思い出した。
大声を出して屋敷の人の眠りを妨げるのは気が引けるし、何よりまたアレクに良い顔をされないだろう。
「…………三階か……」
少し逡巡して、開けた窓枠に足を掛ける。
立派なお屋敷の三階というのは結構な高さがあって、本能的に竦んでしまったが、あまり思いとどまる理由にはならなかった。
身体能力が上がっただとかどうとか言っていたし、それより何より――既に死んでいる身だ。
「………とぅ…!」
深く考えず、軽い掛け声と共に勢いを付けてひょいとジャンプする。
一瞬の浮遊感の後に………落下。
「あ…あれ……?っっ」
華麗に着地――の筈が、当然の如く物凄い重力に引っ張られて着地どころか反射的に目を瞑ってしまう。
マズイ――と思って、喉の奥に悲鳴が張り付いた状態で、ボスッと体に固い感触がぶつかった。
頭いっぱいに疑問符を飛ばしながら恐る恐る目を開ければ、そこに引き止めたかった銀色を見つけて目を瞠る。
「アレクさ――」
「何をしている! こんな所から自害でもするつもりか!」
びりりと空気が振動する。
身を呈して受け止めてくれたのだという認識ごと凍りついた。
余りの迫力に、目を瞠ったまま動けない。
怖い――と表現するしかない怒った赤い瞳がそんなの様子に嫌そうに顰められ、舌打ちしそうな動きでいつものコンソールを展開させる。
それに目を通す姿を見る内、も徐々に落ち着いてきた。
ピ、という消失音と共に溜息。
以前と同じで、けれども安堵の籠もったそれに、は口を開いた。
「あの、助けていただいてありがとうございました」
「――勝手に死なれては困る」
刺すような視線を向けられたが、首を振ることで否定する。
「自殺するほどの度胸なんてありませんよ」
もう死んでますしね、などと笑って言えば、アレクは片眉を持ち上げた。
「ほぅ。しかしそれ以外に身を投げる理由でもあるか?」
「ただアレクさんが見えたから、ちょっとお話したくて」
「君は人を呼び止めるのに、わざわざ三階から飛び降りるのかね?」
「身体能力が上がったとか聞いたので、華麗に着地!出来るかなー…と。出来なくてビックリしましたけど」
思ったままつらつらと喋れば、アレクは珍しく驚いたような呆れたような顔をして、深々と溜息をついた。
「――なるほど。自身の能力を把握していないというのも考えものということか」
「………何だか、考え無しだって貶されてるみたいなんですが」
「誉める要素など無いと思うが?」
思い切り馬鹿にしたような視線に溜息をついた。
「だって、何も知らされて無いんだからしょうが無いんです!」
アレクさんが悪いんですよ、と怒って言えば、彼は真顔のまま片眉を上げた。
「君は、思ったよりも馬鹿らしいな」
冗談ではなく、心底の本音と分かるあまりと言えばあまりの言い草に、ひくりとの米神が引き攣る。
「君にとっては異世界であるここで、君が頼れるのは私くらいのものだ。そうでなくとも、君のような特異な状態をどうにか出来るほどの科学者はそうはいない」
「知ってます。稀代の天才科学者様だって聞きましたから」
そうだと何の気負いも無く頷く様には確固たる自信が見えた。
「アレクさんで無理なら、他の人にはどうにも出来ないんですよね」
「可能性で言えばほとんど無いだろう」
「やっぱり。……それで何が馬鹿なんですか?」
疑問に感じたから聞いただけなのに、アレクはまた渋面を深める。
「理解できんな。生き死にを握られているようなものだと分かっているだろう。――私を怒らせればどうなるか、考えが及ばないのかね?」
――ワオ。
今度はが片眉を上げる番だった。
は最初から、アレクを真っ白な善人だとは感じなかった。
堂々としていて存在感があるし、科学者・研究者というよりも、政治家のように見える。
表面上はとてもクリーンなイメージで売っているのに、一皮向けばえげつない汚職で真っ黒……そんな敏腕カリスマ政治家。
やっぱりアレだ……金持ちという人種は、善人ではいられないのだ。そう思った。
だから別に聖人君子のような慈悲を期待してなどいなかったけれど、それでもこうも真っ向から命を盾に取った脅迫まがいをされるとは。
「アレクさんも、思ったより不器用なんですね」
「……何だと?」
ひやりとしたものを感じたと思った瞬間、右頬に熱い痛みが走った。
張り飛ばされたと知って、ふらふらと叩きつけられた木の幹に手をつく。
「口には気を付けることだ。君を調べていて私が失望したのも分かっていた筈だろう。君をこのまま放逐しても、何ら責められる謂れは無いのだぞ」
「………そう、ですね」
死なれては困ると言った先の言葉と矛盾していると、だって気付いていたが何も言う気になれなかった。
ついでに、暴力を振るわれても怒りや恨みも感じない。
「……可哀相に。私とて、か弱いレディに手を上げるのは本意では無い。――分かってくれるね、?」
ただ従順な検体でいれば良い――そういうことなのだろう。
の前に膝をついたアレクは、ふわりと片手で先程自分が張り飛ばした頬に触れた。
そこから温かな何かが流れ込んできて、みるみる痛みが引いていく。
これが治癒術というものかと思う傍らで、は真っ直ぐに間近の赤い瞳を見詰めた。
「アレクさんに、お話したかったんです」
そもそもの呼びとめたかった理由だ。
唐突なそれが相手に遮られる前に、一息に言った。
「お屋敷の中に居るだけじゃなくて、私で何かもっと役に立てることってありませんか?」
「――何が言いたい?」
屋敷はおろか、部屋を出るのでさえ誰かの許可と付き添いが要る。
外は危険だからと言われたけれど、自分の価値を考えれば軟禁の理由には足りない。
つまり他の理由があるのだろうとは分かるけれど、にはそれさえもどうだって良かった。
どうせ、アレクも言ったように命を握られているのだ。
「私は死人です。でも助けてもらってこうしている以上、ただ安穏と過ごすだけじゃなくて、少しでも恩人の役に立ちたいんです」
「殊勝な心がけだな」
「ただ、暇なのが苦手なんですよ」
貧乏暇無しって言いますしねーなどと笑って言えば、またアレクが溜息をついた。
しまった、また調子に乗りすぎたかと思い、とっさに身を引いてしまう。
もう死んでいるとは言え、進んで痛い思いはしたくない。
「ふっ……そう怯える事は無い。言っただろう、女性に手を上げるのは本意ではないと」
そう言って手を取って引き上げられ、アレクの向かいに立たされた。
「それは有り難いです。痛いのは嫌ですから」
「正反対という訳か」
ささやかな主張に返ってきた言葉に首を傾げれば、アレクはの手を捕まえたまま屋敷に向かって歩き出した。
「君と似たような男を知っているが、奴は痛覚があった方が生きている実感があって良いなどと言っていたぞ」
「似たような……その人も……?」
「そう……既に一度死んだ人間だ。君のように異界から来た訳ではないがね」
生きている実感……その人はどんな気持ちでそれを言ったのだろうか。
にはまだ生きているとか死んでいるとかそういう実感はない。
むしろ、まだどこかで夢なのではないかという希望を捨てきれずに居る。
けれど、もし。
もし、このまま悪夢が覚めなくて、この世界でこれからずっと普通の人とは違う体で過ごすとしたら……その内にそんなことを考えるようになるかもしれない。
手を引かれたままいつものアレクの書斎に入り、その引き出しから一つの幅の広いチョーカーを渡された。
「そんなに働きたいのなら仕事をやろう――君には旅に出て貰う」
「旅……ですか?」
「そうだ。エアルの調査の為、世界中を回って欲しい」
この世界では人々は危険な魔物から身を守る為に結界のある街に住み、その結界から一生出ない人間が多いと聞いた。
ただの一般人が結界の外に出るのは自殺行為だとも。
「あの……私、全然戦えないんですが」
「その点は問題ない。この私が自ら数日で魔術が使えるように指導してやるのだからな」
ひくりと思わず引き攣った。
魔術は武醒魔導機<ボーディブラスティア>を通じてエアルを消費して行使される――と聞いたが、誰でも使えるというものではなく、理論が非常に難解で、騎士でも習得には相当の努力がいると説明されていた。
どの程度までかは知らないが、それを数日で――
この自他共に認める天才様なら、それはスパルタなご指導で、分からなければ鬼のような罵詈雑言をくださるのに違いない。
「お…手柔らかに」
初対面では欠片も無かった、それはそれは真っ黒な笑みでアレクは喉を鳴らして頷いた。
「なに、破格のサービスで護衛も付けてやろう」
「! 是非お願いします!」
右も左も分からない世界で一人旅というのは流石に不安すぎる。
思わず食いついたにアレクは微笑んだままで言ったのだった。
「ダングレストの街で、天を射る矢<アルトスク>のレイヴンという男を頼るといい」
100207
うっかりするとアレク夢になりそうでした。
旅のお供(保護者)にはおっさんは理想的だと思います!