「……世界にうごめく魔物たちに比べ、人はあまりに弱い……」
カリカリと、自分で作成した辞書と本を見比べ、機械的に訳を記していく。
「世界に満ちた根源たる力、エアルを使い、魔導機<ブラスティア>は……」
既に聞いた単語も、初めて聞く単語もある。
「繁栄と成長を続ける世界…………世界、か」
一冊の本がパタンと閉じられる。
テルカ・リュミレース――それが、地球とは別のこの世界の名前だった。
がこの屋敷に逗留して、既に十日ほどが経とうとしていた。
未だ慣れない羽ペンを置いて、目を向けていた紙面から溜息と共に手を離す。
時計を確かめて約束の刻限が迫っていることに気付き、手早く片付けて席を立った。
手元のベルを鳴らして部屋を開けてもらい、付き添われて階下へ降りる。
ノックをして重厚な扉を開けると、この日もいつものように微笑した恩人アレクが迎えてくれた。
「やぁ、今日も遅くにすまないね、」
「いいえ、とんでもありません。お仕事お疲れ様でした。大分お忙しそうですね」
「なに、ほとんどが瑣末な雑事ばかりだよ。本当に力を入れたいことには、中々時間を避けなくてね――不自由なものだ」
この十日の間に、は概ね、この世界の一般常識というものを学んでいた。
何せ、地球とはかけ離れた完全な異世界だ。
何から何まで違うという訳ではないが、魔導機やエアルという概念も馴染みが無い――日常の些細なことも勝手が分からないことが多く、生まれたばかりの赤子も同然である。
なぜか言葉は日本語と同じように聞こえて大変助かったが、文字は全く違うので読み書きは出来ない。
その中で、この帝国という統一国家のことも少しだけ学んでいる。
貴族と平民……現代日本で生まれ育ったにはその概念は薄かったが、貴族であるというアレクがこんな立派なお屋敷に住んでいるに対し、平民の下層世帯が住まう下町では家も無く命を落とす人もいると聞いて何となくその格差を理解した。
アレクは普段貴族としての役割を果たすために毎日城へ出仕している傍ら、科学者として研究に明け暮れたいという望みを持っているらしい。
屋敷の人たちからは、世界でも一二を争うほど魔導やあらゆる分野に精通した天才的な科学者なのだとも聞いた。
しかし公の貴族としての身分を慮って、科学者であることは明かしていないと……それ故に本名も明かせないのだと言っていた。
アレクというのが通り名なのか偽名なのかは知らないが、屋敷の人はご主人様と呼ぶし、も呼び名があれば不自由しない。
「そう言えば、アレクさんとシュヴァーンさんはどういったお友達なんですか?」
アレクがいつものコンソールを手元に出現させるのを見遣りながら、何気なく尋ねる。
「……気になるかね?」
「はい……まぁ」
面倒がられた気配は感じたが、気が向かなければ適当にはぐらかしてくれるだろう。
しかしアレクは、作業を始めながら淡々と口を開く。
「彼は騎士団の隊長主席でね、先の大戦の英雄とも呼ばれている。私と彼はその大戦前からの付き合いだ。彼も騎士団にいながら私のやろうとしていることを知って居る数少ない一人で、研究にも協力してくれている。とても優秀で……得難い友だよ」
「とても大切なお友達なんですね」
「……君にはそう見えるかね?」
「はい。理屈抜きで信頼してるんだな、って思いました」
「理屈抜き……か。なるほど、君はやはり面白いな。シュヴァーンが気に入ったのも頷ける」
「気に入ったって……だから、どこら辺でそんなことになるんですか」
「ははは……まぁ、語弊があるとすれば、気に入ったでは無く、気になったということか」
「大分違うと思いますけど」
疲れている時は寡黙なこともあるが、今日は機嫌が良いらしい。
いつに無く饒舌なアレクとの会話を続けていたが、やがて彼は表示されたモニターの一点を見つめたまま動かなくなった。
はそれをぼんやりと眺める。
何を告げられるのか……怖くない訳ではないし、本心ではとても緊張しているのかもしれないが、心が……動かなかった。
アレクと初めて対面したその朝、朝食を食べた後、は彼に請われるまま、自分の身に起こったことを掻い摘んで話した――正直に、全て。
警戒心が無いわけでは無いし、信用したとかしないでは無い。
そうするしか、術が無かったからだ。
あの日は、仕事の出張で、上司と共に飛行機に乗った。
長くは無い飛行時間の最中、乱気流に巻き込まれたと言って、ひどく機体が揺れたのは覚えている。
そこから突然の浮遊感と落下、悲鳴と恐怖……恐らくそこで気を失ったのだろう。
次に目が覚めた時には、満天の星空の下で寝転がっていた。
起き上がって、獣と対峙しながら目に入ったのは、森……だったもののなれの果て。
まるで何かに栄養を全て吸い上げられたように枯渇し、カラカラに萎れて干からびてそのまま化石となったような有様で、緑や水の一片も無かった。
そして周囲を取り巻いていた――原型を留めない大量の死体と肉片や体の一部……夥しい血。
それとは別に、血痕の付いた衣服だけの不可解な残骸。
悲鳴も出ないなんて体験をしたのは始めてだった。
地獄だ悪夢だと思ったのも束の間、死体の山の一部がゾロリと動き、隆起し、それは幾つか出来て、恐ろしい化物の姿に変わった。
最初に目が合った獣とその間に現れた化け物と……夢だと思う前に本能的な恐怖で逃げ出した所に間一髪で助けてくれたのが、西洋の鎧を纏った男――顔は見ていないが、今にして思えば、揺れたマントのようなものからシュヴァーンであると思われた。
訳が分からないまま、シュヴァーンの迷い無く切り捨てて行く強さや初めて見る魔術というものに恐怖を感じた。
そしてふと、先程斬られたばかりの化け物がかつての上司と同じ時計を嵌めていたのを目にして、再び気を失ってしまった……らしい。
そこからは馬車に揺られながら夢と現実を行ったり来たりし、一度は逃げ出し、最終的にシュヴァーンの友人宅であるこのアレクの屋敷に連れて来られて保護されたのだった。
騎士団ではの身柄を預かれないし、ただでさえ訳の分からない状況だったから、科学者であるアレクの意見を聞いた方が良いという判断だったようだ。
文化の違いで分からない単語もあっただろうが、アレクは終始、興味深そうに話を聞いてくれた。
そして、手元に透明のディスプレイとコンソールのようなものを出現させ、調べさせて貰うよと断りを入れて、長い間の何かを調べていた。
しばらくして彼が出した結論は、最初には全く理解出来なかったし、この世界の成り立ちを学んでいる最中の今も理解出来たとは言えないが、一言で言うならこうである。
即ち、の肉体は生身では無く、全てエアルによって構成されている――純粋なエアルの集合体なのだと。
この世界では、全ての物質はエアルによって形作られているとされているのだから、その点では当然のことでは無いのかとも思うが、どうも根本が違うらしい。
具体例を挙げれば、食事・睡眠などの生命維持に必要なものも常人の1/2程度で、身体能力も常人よりは上がったはずだといわれた。
その気になれば、それら体力や生命力の全てをエアルで賄うことが出来るとも。
この時、いろいろと小難しいことも言われた気がするが、は覚えていない。
聞きたいこと――ここで確認しておきたいことは一つだった。
「私は……一度、死んだんですね?」
「そういうことになるだろう。今の君は、何らかの力が働いて生前の姿形・人格・思考を有する新しい生命体として生まれ変わった……と言えるだろうな」
不自然に途切れた言葉の空白に、アレクが何を当てはめるつもりだったのか、暢気なにも分かった。
新しい生命体として生まれ変わった――『死人』だ。
一旦死んで、生身では無いものに生まれ変わって……そんなのはもう、人間ではない。
流石にその日はあまりの事実に部屋に戻り、しばらくは引き篭った。
アレクも丁度本業で別の街へ行っていたらしい。
三日後戻ってきた時、食事も睡眠も取っていなかったに彼は呆れ、無理やり食事を取らせ、試験的に作ったというエアル剤――にとっては栄養剤――を点滴された。
それでまた嘘のように元気になり、自分の人間離れした体を自覚する。
アレクは、自分なら生きて元の世界に戻すことも出来るかもしれないと言った。
この世界とエアルの繋がりを解明し、の体の仕組みを解き明かし、最初と逆のことをすればあるいは――と。
しかしその為には、エアルの研究を進める必要があるが、アレクは立場上早々帝都を空けられないと言うので、一先ずの体のほうを優先的にこうして毎晩調べて貰っているのだった。
エアル研究はアレクにとっても長年の宿願であるらしく、逆に検体としての協力を請われる勢いで、この屋敷に逗留することになったのだが――
ピ、という音と共に、アレクの手元の操作盤が消える。
彼は疲れたような長い溜息をつき、米神を揉んで、低い声で告げた。
「今日はもう寝なさい」
「――――……。……はい、おやすみなさい、アレクさん」
執事に促されて出て行く間にも返事は返らない。
そうしてその後、数日間に渡って、アレクは屋敷に戻ってこなかった。
100207
エアル云々の解釈はこれからもどんどん自己流で垂れ流していきますが、
深く捉えず何となくで読み進めてください。お願いします汗
CLAP