目覚めを促すかのごとく、可憐な小鳥の声が聞こえた。
うるさい囀りというよりも、まるで唄のように優美なその音。
「う……ん?」
特に朝が弱いという訳でもないは、いつものようにすんなりと目覚め、しかしいつもは感じない泥のような倦怠感に首を傾げる。
「うー…頭重い……風邪でも引い……………………………」
独り言とはいえ、続く言葉は不意に途切れた。
ふと目に入ったのは知らない窓。
ゴージャスなカーテンの揺れるその窓辺に、心地の良い朝が訪れていた。
「えーと……夢…じゃなかったってことかー。……あははははは……」
誤魔化すように笑ってみたが、何とも乾いたそれは自分自身を余計に心細くさせた。
悲劇のお姫様よろしく衝撃的なことを忘れるような繊細な神経の持ち主だったなら、いっそ楽だったかもしれない――我ながらそうは思ったが、生憎記憶力には些か自信があるし、ここに至る経緯もはっきりくっきり覚えている。
ただ、こうなった『原因』や『理由』だけが、さっぱり分からないだけで。
「――おはようございます」
窓の外に見える綺麗な花や可愛い鳥という何とも贅沢な朝を満喫している内に、突然背中からそう声を掛けられて、は飛び上がるほど驚いた。
「お…はようございま…す……?」
反射的に挨拶を返したが、振り向いた先にぎょっとして固まる。
「お目覚めの紅茶などいかがですか、お嬢様?」
――お嬢様。
その時のは、それは見事な間抜け面を晒していたに違いない。
しかし勘弁してもらいたかった。
自慢でも何でもないが、自分は生まれも育ちもド庶民である。
だから本当に勘弁して欲しい。
燕尾服をかっちり着込み、白手袋を嵌めた本物の『執事』さんに寝起きの無防備な素顔を見られて……、思わず状況も忘れ果てて素で悲鳴を上げてしまったのは。
「おはよう、お嬢さん。いや、元気そうで安心したよ」
執事さんの入れた『お目覚めの紅茶』を貰い、着替えと身支度までメイドさんに手伝ってもらい、念の為とお医者さんに診察までして貰って、そうしてようやく案内された朝食の席でのこと。
初めて会う『恩人』に開口一番にそう言われ、は穴があったら掘って埋まってしまいたかった。
「本当にすみませんでした……」
何度目かの謝罪をするが、心は晴れない。
どうも、朝一番に自分が上げてしまった頓狂な悲鳴で、この館の主である目の前の彼をも起こしてしまったらしいと聞いたからだ。
招かれてもいない客の分際で、挨拶も礼もしない内から、主の眠りを妨げる…………人としてどうなの、というやつで。
「いやいや、構わないよ。私も早く元気に動く君には会ってみたかったからね。何せ、騎士団の友人から預かった大切なレディだ」
その言葉に、何やら軽く誤解を受けているような気もして、は眉を潜めた。
だからこんなに丁重に持て成してくれたのかと思うと納得もするが、誤解ならば解かねばならない。
こんな状態でもそんな現実的なことを暢気に考えている自分には若干呆れるが、図太いのも性分なのだから仕方ないと諦める。
そもそも、あの星空の下で目が覚めたのが、の感覚で行けばまだ昨夜のことなのだ。
騎士団と名乗った彼らから一旦は逃げたもののまた連れ戻され、深夜の内に馬車で連れて来られたのがここ――ザーフィアスという街の高台にある立派なお屋敷だった。
もう深夜ということで、そのままメイドさんたちによって案内された寝室で、疲労困憊で気絶するようにして眠り込み……一晩眠ったつもりなのだが、実質的には丸三日間も眠りこけていたらしい。
寝溜めと称して休日に丸一日寝ていたこともあるが、流石に三日は記録更新である。
そうして普通に目覚めたこの朝、立派過ぎるこの『宿』を提供してくれた目の前の恩人との初対面という大切な場面だ。
「あの……助けてくださり、本当にありがとうございました」
やっとまずはお礼が言えた――深々と頭を下げながらほっと息をついたに、彼は穏やかに笑う。
「君を助けたのは私の友人だ。私は彼に請われて、ここを提供しているに過ぎない」
「充分すぎるご好意です。このご恩は、必ずお返ししますから!」
『旨い話には裏がある』『タダより高いものは無い』――
そんなものが座右の銘であるは、この時、相手が恩返しなどいらないと言っていたら、本気で出奔していたかもしれない。
しかし彼は、含みのある笑顔でこう言った。
「恩返しなら、友人にしてやってくれ。君の笑顔や感謝の口付けでも貰えば、彼も報われるだろう」
これは、完全に勘違いされている――!
思ったは、即効で否定した。
「あの! 私とシュヴァーンさんは何でも無いので! ただ偶然助けてもらっただけの通りすがりなんです!」
「………………」
あまりに勢い込んで言ってしまってから、何やら少し驚いている様子の彼にはっと我に帰る。
別に力説することではないし、何より通りすがりって何だか……情け無い。
てっきり呆れられるか笑われるかするだろうと身構えただったが、返ってきたのはそのどちらでもない、ただ単純な驚きだった。
「彼は、君に名乗ったのか?」
「え? あ、はい。騎士団のシュヴァーン・オルトレインと」
記憶力には自信があるが、何処か間違っていたのだろうか。
しかし彼はすぐにそうか、と口元を引き上げて頷き、にまたもや意味深な目を向けた。
「あの、何か……?」
「いいや、ますます君に興味が沸いたよ。名前を聞いても?」
そこで初めて、はまだ自分が名乗ってもいないことに気付いた。
まずは名乗って、礼を言うのが筋だろうに。
「すっ…すみません、失礼しました。と申します」
またペコリと頭を下げると、「…? 変わった響きの名前だね」と言われ、も首を捻る。
そう言えば、目の前の男性も朝会った執事さんもメイドさんも、助けてくれた騎士団の人たちも、みんな外国人的な顔立ちで、建物も西洋風だ。
「あの……正真正銘私の名前…ファーストネームですが、変わっていますか?」
そんなに珍しい名前では無いと思うと控えめに言ってみれば、ああと納得声が返り、服装や顔立ちからも君が居た所とは文化が違うだろうと思っていたよと返された。
文化が違う――その辺のことを詳しく聞こうと思っただったが、彼はそれを察したのか立ち上がることで一旦遮る。
「この先の話は朝食の後ということでどうかね、? 実は空腹でね」
朝食の為にここに来たということを思い出したは、ついでに自分も三日間何も食べていないのだという事実を思い出して急にお腹が空き始めた。
勿論否やは無く、彼について歩きながら、ふともう一つだけ聞き忘れたことがあったと立ち止まる。
「あの………」
「どうかしたかね? ――ああ、まだ私の方が名乗っていなかったな」
見かけに違わず非常に紳士な仕草で、彼はの手を掬い取り、まるで騎士のようにその甲に口付けた。
「私のことはアレクと呼んでくれたまえ」
思わず赤面するような整った微笑に硬直する。
表面上はとても優しい赤い瞳の奥で何かが瞬き、艶やかな銀色の髪がふわりと揺れた。
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銀髪赤目のアレクさん登場。
ここからテルカ・リュミレース生活のスタートです。