風を切り裂く音を耳が捉えて、は前を見据えたまま、懐の短刀で飛来した矢を払い落とした。
僅かに崩れた体勢を直しながら、次の矢は手綱を操ってかわす。
「Hey! Are you OK?」
「――Ofcourse!」
ほぼ全力疾走の馬上から横に並んだ政宗が問いかけてきた言葉に、不敵な笑みを付けて即答する。
彼は上等だと笑って白斗の腹を蹴った。
白石に駐在している小十郎の兵を率いて出陣した政宗とたちは、その日の内に報告を受けた国境へと急行した。
現地に一番近いのは、かつての伊達の本拠地・米沢である。
しかし本拠を小田原に移した今は、米沢に駐留しているのは城主となっている小次郎の名代が束ねる一軍だけだった。
小田原からは対越後方面の守りを任されている成実を大将として小十郎らの援軍も出立しているが、ある程度の人数を率いた行軍な上に大分距離もある為、どんなに早くても政宗たちより一日は遅れるだろう。
その間を米沢だけの兵力で持ちこたえるのは非常に難しい。
「Shit……間に合やぁいいが……」
珍しく弱気な政宗の言葉も、事態の深刻さを物語っていた。
駿馬と軽装な武具一式を借りたも、白斗に跨った政宗に何とかついていきながら気持ちを引き締める。
そして、一団の後ろから拘束されたまま馬に乗せられている山本勘助をちらりと見遣ってため息をついた。
慌しく出陣した後も休憩中などに何度も話を聞きだそうと試みてみたが、の頼みでも無理だと言って何も漏らそうとはしなかった。
ただ一つ、「竜の母君は全く持って一筋縄では行かぬお方でござりまするな」と独り言のように呟いただけだ。
竜の母君――義姫の行方も安否も、要として知れていない。
このままでは何か手遅れになるのでは無いか――焦りながらも出来ることは無く、只管馬を進めていた時だった。
目指す国境を前にして、横手から武装した一軍が現れたのだ。
それは伊達の配下にある北からやってきた集団で、翻る旗に二つ引両紋が描かれていた。
更に伊達家のものよりは幾分か簡略な『竹に雀』の家紋も見える。
「援軍……?」
それにしては何かおかしいと思っていた矢先、突然何の予告も無く馬上から攻撃を仕掛けられた。
雨のように飛来した矢に馬たちが興奮し、隙をついて斬りかかってきた攻撃に数名が落馬する。
は位置的に前に居た政宗がそれらを全部さばいてくれたので問題なかったが、その政宗は怒りのままに声を張り上げた。
「てめぇら……何の真似だ――最上っ!!」
どこかで見たことがある家紋の組み合わせだと思えば、どうやら義姫の実家・最上家のものだったらしい。
更に後方からも同じ旗を掲げた新手が現れて、退路を塞いだ。
「政宗様っ……!」
動揺する馬を御しながらが叫べば、政宗は自身も白斗を落ちつけて大きく舌打ちを漏らした。
「明智に通じやがったか…」
「!」
苦虫をかみ殺したように毒づいて、そのまま身を翻して配下に檄を飛ばした。
「慌てんな、テメェら! 今は小物を相手にしてる場合じゃねぇ! 一気に抜けるぞ! Go!!」
「Yes, sir!!」
「YEAH!! どこまでもお供しますぜ、筆頭!!」
即座に自軍の動揺を鎮めてまとめるのは流石だ。
だが、は顔を顰めて青い陣羽織に馬を寄せた。
「政宗様、母上様は……」
「……この期に及んで関係ねぇってこたねぇだろ。あの人か義光か……どっちが嗾けたんだか知らねぇが、な」
最上義光は最上家の当主で、義姫の仲の良い実兄である。
は唇を噛み締めた。
「……やっぱり、もう一度勘助に聞いて……」
「やめとけ、無駄だ」
「でもっ……!」
自分の母親が裏切ったかもしれないなどと、誰だって思いたくない。
辛い顔の政宗を見ていられず思わず声を荒げただったが、片手を上げた政宗に制されて口を紡ぐ。
すぐにその理由――伝令が駆けてくるのが見えて息を詰めた。
「筆頭に申し上げます! お東様が米沢城に入られ、その直後、米沢は最上によって占拠されました!」
「何…だと……?」
掠れた声が、僅かに震えている。
信じられない気持ちはも同感で、忌々しそうに胸元を握った政宗の手を見つめて、自分のことのように胸が痛んだ。
「政宗様……」
「damn!……身内ほど厄介なもんは無ぇ…!」
「っ…………」
呪いのように吐き出された言葉に、もぎりりと歯を食いしばった。
小田原に着いて、政宗の刀の前に飛び出して……そして二の丸で手当てを受けながら義姫と初めて対面した時。
は、彼女にどうしても言いたいことがあってそれを口にした。
――「例え、どんな理由があったとしても……政宗さんを傷つけた貴女を……私は決して、許しません」
そう、許さない。
けれど、をわざと怒らせて試したり、政宗につらく当たることも……何か理由があるのでは無いかと思っていた。
それなのに、何故――!
「とにかく、国境よりもまずは米沢だ。あそこが明智に渡りゃあ……城下が火の海になる」
はっとしては政宗を見遣った。
彼の表情も固い。
米沢は、にとっても並々ならぬ思い入れがある大切な町だ。
政宗と共に過ごした数か月……城や城下の人たちとも随分親しくなって、楽しいことも辛いこともたくさんあった。
いつか政宗と共に丘の上から眺めた涙が出るほど美しい町並み……温かな人々の生活……あそこが、火の海になる。
「――竜のお膝元にちょっかいを出したこと、後悔させてあげなきゃいけませんね」
張り詰めた空気で速度を上げた政宗に馬上から何とかそう言えば、表情は見えなかったものの少し間を空けて笑い声が上がった。
「It's as you say! 、遅れんなよ! Ha!」
も馬の腹を蹴ってスピードを上げる。
政宗の笑い声、彼らしい言葉――こんな時なのにたったそれだけでこんなにも嬉しいと思ってしまう自分は、やっぱり物凄く現金だ。
それでも、前に進む。
政宗と共に戦場を駆ける――この、自分が望んだ現実を胸に刻んで。
米沢への道中も何度か襲撃に遭ったが、そのほとんどを相手にせずに潜り抜けて数刻後、たちはようやく米沢に到着した。
懐かしい城下はまだ何の被害も見られないものの、全ての家の門が固く閉ざされており、普段なら賑やかな往来にも人っ子一人見られない。
胸を痛めながらも、その城下の街中を無言のままスピードを落とさずに駆け抜ける。
そして見えてきた城の大門。
一番外側のその門前に、見知った人が立っていた。
「――母上」
それほど無機質な政宗の声を、は初めて聞いたと思った。
感情の無い……いや、無理やり消した冷たい声音。
声が届くあたりで馬を止め、政宗は自らの母に向かって馬上から告げる。
「そこを退いてください」
母子であっても、伊達の人間にとって当主である政宗の言葉は絶対であるはずだ。
しかしその言葉に対しても、義姫から出てきたのは険を含んだ叱責だけだった。
「黙りや、政宗! その方、誰に物を申しておる!」
いつぞやの早朝のように物々しい戦装束に薙刀を携えた麗人は、優美な眉を不機嫌に吊り上げている。
そうして門の内から出てきたもう一人が悠然と馬をうたせて義姫の横に並んだ。
も見覚えのある初老の男――最上義光である。
妹の隣に並んだ義光は、こちらを見下したように口を歪めて笑った。
「随分ゆっくりしておったな、政宗殿。我らが居らねば、今頃この米沢は明智に攻め滅ぼされておるぞ」
ぴくりと政宗の米神が動いたのをは察した。
竜の勘気が膨れ上がり、雷が爆ぜる。
「久しぶりの顔見せで随分な言いようだな、アァ? 伯父上。確かアンタも伊達の一将だと思ったが、こりゃどういうことだ?」
「政宗! 血を分けた伯父に対して何と言う物言いじゃ! 米沢は亡き殿の愛された伊達家先祖伝来の地……義光殿はそれを守ってくださったのですよ!」
「守った……? 掠め取ろうとしてるの間違いでしょう」
話が噛み合っていない――眉を顰めて両者のやり取りを見守っていたに、不意に義姫の視線が向けられた。
「掠め取ろうとしておるのは、武田じゃ。――のぅ、虎姫殿、山本殿」
は、目を瞠って義姫を見つめた。
その相手の瞳に前回と同じようなこちらを嬲る色を見つけて唇を噛む。
「――勘助」
有無を言わせぬように強く睨みつけて問えば、勘助は言葉に詰まったように呻いて溜息をついた。
「それはお東の方の誤解というものでござる。武田の望みは別にありますれば」
「別、だぁ?」
地の底を這うような政宗の言葉を悠然と受け止めた勘助は、次いで義姫・義光、そしてに視線を移して、観念したように――というより、もう良い頃合いだろうというように口を開いた。
「駿河でござる。今頃は我がお館様が駿府城も手中に収めておりましょう。ですがなればこそ、この遠く離れた米沢の地まで手が届く筈はござりませぬ」
「駿河――豊臣を?」
「は、伊達のお東様のお陰にて」
駿河と言えば旧今川領で、現在は豊臣が治めていた。
強国に囲まれた武田が上洛を果たすには、周りの国々を平定するか牽制するかしか無い。
駿河を平らげるために、背中を向けることになる伊達を内側から牽制していた――つまりはそういうことなのだろう。
内応者……とまではいかないが、義姫は確かに敵国と通じていたのである。
「武田に通じるたぁ……何を考えてる、母上」
「それをそなたが言うか、政宗」
鼻で嘲笑った義姫は、手に持った薙刀をドンと地に突き立てた。
「わたくしは、伊達の領地に踏み入らぬことを条件に武田への出陣を抑えることを請け負ったまで。それを破ったのは武田じゃ! 明智と結んで、この伊達の心臓たる米沢を奪わんとするとは……」
「め…滅相も無い! 武田が明智と結ぶなど……!」
信玄は日頃から織田や明智の不道徳的なやり方を嫌っている。
それもあってか大慌てで否定した勘助だったが、義姫はちらりとも取り合わなかった。
眉を吊り上げたまま、その薙刀の切っ先をへと向ける。
「政宗! そなたは伊達家の当主でありながら、卑劣な敵国の娘などをそのように傍に置いておる。そのような血迷った愚か者を――況してや敵を伴ったままなど、この米沢に入れること罷りならぬ!」
「!」
ここにのこのこ付いて来たのは、の我儘だ。
思いがけない弾劾ではあったが、義姫の言うことは至極真っ当だった。
自分のせいで政宗が責められる――どうにかしなければと口を開きかけただったが、その政宗の目線によって封じられた。
を背に庇うように一歩前に出て、政宗は冷たい声音で告げる。
「もう一度言うぜ、母上。そこを退いてくれ」
しかし、対峙する義姫も一歩も譲らなかった。
似た色の眼差しが険しくぶつかり合う。
「退かぬ! もしもどうあってもここを通りたいと言うならば、この母を斬り殺して進むが良ろしかろう!」
はっと息を呑んだを制して、政宗は一息の内に刀を抜いた。
一瞬の内に膨らんだ雷が大気を焦がし、解き放たれる。
「Hell Dragon!」
圧倒的な破壊力を持った固有技が地面を抉り、義姫と義光の横を掠めて通り過ぎた。
その場に居合わせた全員が息を呑んだ。
それほど、わざと外したとは言え、政宗の攻撃に躊躇が無かったのだ。
「政宗様…! 待って下さい、私が離れれば……」
あの攻撃がもし当たれば、怪我どころでは済まない。
義姫は目を瞠りこそすれ無様に動揺しないのは流石だが、義光に至っては確実に顔色が悪くなっている。
伊達の当主として、最上らをまとめる奥州筆頭として、これらの行動が――武田の娘を庇うことが、政宗にとって良い筈は無い。
(私の…せいで……!)
とっさに脳裏に甦ったのは、夢で見た幼い政宗――そしてそれを憎悪して斬り捨てた現在の政宗だった。
自分がここにいなければ……小田原に転がりこまなければ、政宗があれだけ苦しんでいたトラウマである義姫にこんな風に言われることも無かった。
血の気の引く思いでとっさに政宗の羽織を掴んだだったが、その刹那、政宗は逆にその手を取り強引に引き寄せた。
そのまま耳元に言葉を落とされる。
「You said that you were "here", ...didn't you?」
は眼を瞠って政宗を見つめた。
――「ここには、私がいます」
小田原でのあの夜、が心を込めて伝えた言葉。
馬鹿げていると、政宗が嘲笑った言葉。
あの言葉は偽りなのかと、今さらながらに聞いて来る政宗は――いや、きっとの答えなど分かって聞いているのだ。
そしてそれはつまり……"ここ"に居ても良いということ。
「Yes, I did.」
「――Good」
二人にしか聞こえない声、分からない言葉。
偽りなどないと確信を持って答えれば、にしか分からない程度に小さく……それでも嬉しそうに微笑まれた。
その垣間見せてくれた本心と思える笑みに、ドクリと胸が震える。
「武田も虎姫も関係ねぇ! はだ! 母上、竜の逆鱗に触れりゃ、アンタでもただじゃ済まねぇぜ?」
強く言い切った政宗の言葉に、の目頭が熱くなった。
たった一言が、まるで万の味方のようだ。
胸の奥から熱が込み上げて来る――それは、属性に目覚めた時と同じ熱。
もう、迷いも逃げもしないとしないと誓った想いがここに――政宗の傍に在る限り、は強くなれる。
心が決まれば、後はひたすらにこの身を燃やすだけだ。
政宗の手をそっと外させて、前に出る。
決意を込めて相対する人――義姫を目に映した。
の闘気に反応するように、ざわりと周りに火の粉が舞う。
「お相手願います――義姫殿」
「何……?」
互いに、一国の姫でありながら女の身でここに居る――そう、義姫とて何か大切なものの為にこうまで必死に動いているのだろう。
対等であることをわざと強調すれば相手の柳眉は不快気に歪んだが、は構わず懐の短刀を抜いた。
弓は一対一にはあまり適さないし、こう言っては何だが本来の得物を使っては一瞬で決着が着いてしまう。
それでは意味が無いのだ。必要なのは勝敗では無い。
「――お願いします、政宗様」
振り返らないまま、それでも揺ぎ無い声で許しを請えば、しばらくして溜息が返った。
「無茶はすんな」
その言葉に、は初めて会った時のことを思い出して小さく笑った。
あの時も政宗は、ろくに知らないのことを僅かな会話で渋々ながらも信頼してくれたのだ。
あれがあったからこそ、は本当の意味で政宗と出会うことが出来た。
思い出を胸に抱いて小さくはい、と返事をして一歩を踏み出そうとしたその時。
慌しい蹄の音が近づいてきて、意外な人物が駆ける馬上から声を張り上げた。
「兄上――! 母上っ……!!」
「小次郎……!?」
その後ろに小十郎の姿も見えたことから、どうやら彼ら二騎だけで先駆けて来たらしい。
いずれ兄を助けるようになりたいと意気込んで居た小次郎は、突然の母の出奔と兄の出陣に思う所でもあったのかもしれない。
「政宗様、これは――!」
「手出しすんじゃねぇ!」
状況を見て驚いた小十郎と弟も含めて、政宗は一喝した。
その視線を向けられて頷いたは、改めて義姫を見遣る。
先ほどまでほとんど無表情を貫いていたその美貌は、今は体裁を取り繕うとしているのが分かるほどに引き攣っている。
は、義姫のそんな余裕の無い素の表情を初めて見た。
それは彼女が必死であるという証――
何にせよ、役者は揃った。
いや、そもそもの元凶であろう人物が欠けているが、恐らく彼らはここには出てこないだろう。
だからこそ、問う。
「義姫殿、貴女の筋書きを教えていただきます」
「筋書き? ……何のことか分からぬ」
「でしたら思い出していただくまで。貴女と私の想い――どちらが強いか、シンプルに勝負です!」
ぞわりと周囲の空気が変化する。
それの源が他でもない義姫だと知っては目を瞠り……そして口元を引き上げた。
――そう来なくては、面白くない。
湧き上がる熱のままに、は強く地を蹴ったのだった。
081104
CLAP