「武田の末っ子で、他国では虎姫と呼ばれています」

 問い質されるまでも無く告げるつもりでいた素性を、相当なプレッシャーに晒されながら口にする。
 相手の――政宗の視線は鋭かったが、は目を逸らさなかった。
 武田の娘であることを、悩みこそすれ疎んだことなど一度も無い。

 無言のまま見つめ合うこと数秒、些かも揺るがなかった隻眼は、深い色を湛えたまま伏せられる。

「虎姫……I see……なるほどな」

 その一言に、もぴくりと体を震わせた。

 虎姫と独眼竜――幸村率いる武田軍が自国の姫奪還の為に米沢に攻め入った話は有名で、他国の市井にまで噂話として広まっている。
 況してや、この小田原城下には米沢に居た人たちの多くも移ってきており、の顔も大分知られていた。
 いくら小十郎や黒脛巾に協力して貰っても、民の声に敏感な政宗の耳を完全に塞ぐことなど不可能だ――考えれば普通に分かるこんなことにも、は今まで目を逸らし続けてきたのだと、改めて思い知った。

 追及されなかったのは、気付かれていなかったからでは無く、放っておいてくれたから――

「政宗様……申し訳……」
「Never apologize. (謝るな) 」

 断固とした強い語気に、は口ごもる。

「それとも、お前にとっちゃ謝らなきゃならねぇことなのか?」
「――いいえ。……ですが、黙っていたことはお詫びします」

 記憶を失った政宗のことを思い遣っているようなご託を並べていながらも、結局自分が怖かったのだ。
 完全に拒絶されたら……嫌われたらと思うと、傍に居られるだけでも良いと思った。
 けれどそれこそが、政宗を信じきれていなかった証拠ではないのか。

「――Ha、この俺が女を攫って閉じ込めてたなんざ何の冗談かと思ってたがな」

 重い空気を払いのけるかのように、政宗はくつくつと楽しそうな声を上げた。
 は首を傾げてその一眸を見つめる。
 米沢襲撃の一件は、噂のほとんどで伊達が悪者にされているのは知っているが……

「クッ……鈍いkittyだ」

 腕を取って引き寄せられる。
 何と思っている間に、目の前に政宗の顔があった。

、それがお前なら納得だって言ってんだ」

 情けないことに、言葉の内容云々よりも、その今にも口づけられそうな距離と声に動揺した。

「ちょっ…近っ……」
「near? 何がだ?」

 心底楽しそうな吐息が頬にかかり、カッと赤面する。

 ――「忘れ物です」

 間近に迫った熱に、思わず昨夜のことを思い出してしまった。
 いくら『友達』扱いされて腹が立ったとは言え、とんでもないことをしてしまったと思うが、もはや後の祭だ。

 いつの間にか腰に回った腕に力が込められ、はぎゅっと目を閉じた。

「まっ…政宗さ……」
「――筆頭!」

 突然部屋の外から声がかかってはっとしたのは同時。
 は拘束する力が緩んだ隙に慌てて距離を取り、政宗からは大きな舌打ちが漏れた。

「Ahh!? 何だ一体」
「は…はっ、山本勘助が牢で騒いでおりますが……」

 このタイミングも、二度目ともなれば本物である。
 相変わらずの絶妙さで騒ぎを起こしてくれた軍師に、は感謝するべきかどうかを考えながら疲れた溜息をつく。
 そしてその直後だった。
 ――小田原からの早馬が到着したのは。

「筆頭に申し上げやす! 昨晩からお東様の姿が見えぬとの由、お知らせするようにと小十郎様が……」
「母上が!?」

 驚きの声を上げる政宗の傍らで、も目を瞠った。
 ふと脳裏に、小田原に着いた頃に聞いた話が甦る。

 ――「犯人は恐らく、政宗様のお母上――お東の方。実家の最上を通じて武田に近づいているという情報があった」

 政宗が毒を盛られたという話の時だ。
 あれからもずっと義姫と武田が繋がっていたのだとしたら――?

「……政宗様、勘助に会わせてください」
「Ah? 虎の軍師に?」
「嫌な予感が、します」

 時期が重なるなど、あまりにも出来すぎている。

 それに、もうすぐ冬がやってくる……米沢も越後も雪に閉ざされる。
 その直前を狙って、天下が動き出しているような気がした――

98.舞台の上

 きちんと話を聞かなければならない――そう感じたは勘助との面会を政宗に願い出たが、返って来たのは許可でも禁止でも無く自分も同席するという意外なものだった。
 尤も、が武田の姫だと分かった今、敵国の娘と軍師を二人だけで会わせることなど出来ないのも道理だが。

「それにしても……」

 小さく呟いて、はため息をついた。

 勘助は敵国武田の軍師だということが露見した時点で、当然のように牢へ放り込まれている。
 当初は牢へ出向いて一人で会うつもりだったが、政宗も一緒となればそうも行かず、仰々しく引き合わせの場が設けられた。
 も立場上、簡素な打ち掛けを着せられている。
 本来、伊達ぐらいの大国の侍女頭ともなればそれなりの衣装でいるものだが、伊達の家風というようなもので、今までは五月蠅く言われることもなく助かっていたのだが……

(久しぶりに着ると余計に堅苦しいのよね……)

 動きが制限される打ち掛けは、武田に居た頃から苦手だった。
 当時はそうも言っていられないので、鍛練などの時以外は大人しく人並に着飾られていたのだが。
 急ぎということもあって化粧や髪まで弄られなかったのはまだ救いだったと言える。

「こら、離せ! 離せと言うに!」

 再度溜息を落としそうになった所に、騒がしい声が聞こえてきた。
 場所は、朝方対面した部屋と同じである。

「わしをどこへ連れていく気じゃ! 姫様に会わせい!」

 奥の上座に座った政宗と、少し離れてその補佐の場に座ったは軽く視線を交わした。
 何とかしろと言われた気がして、は今度こそ溜息を落とす。
 年甲斐も無く騒いでいるその声に額を押さえ、大きく息を吸い込んだ。

「姫様! 姫様ぁ!!」
「――控えよ、山本勘助!!」

 一喝してその場から見据えれば、引き倒された勘助はびくりと震えて顔を上げた。

「姫様…! よくぞご無事で……」

 今にも泣き出しそうに感極まっている震えた声……は少し眉を下げた。
 先ほどとは違い、部屋の奥と庭先の地べたとに隔てられた距離である。
 けれど離れた場所から対面した軍師は、敵国に捕らえられた状況であるにも関わらず心底安堵した顔でを見ているのだ。

 この勘助はの生母と浅からぬ縁だったというから、自身というよりも、もしかしたら母の面影を重ねているのかもしれない。
 躑躅ヶ崎館でもよく軍略の話を聞かせてくれたり、孫子の教えを講釈してくれたりと、『鬼軍師』の名が信じられないくらい親身になってくれた。
 自身もそんな不器用な勘助のことは好きなのだが……

(とにかく、言うことと聞くことはちゃんとしなきゃ)

 どうやら勘助は誤解しているようだが、まずはそれを解かねばろくに話も出来ないだろう。
 はちらりと上座に目配せし、政宗は口の端を上げてそれに応じる。

「仕切り直しだ、山本勘助。虎の軍師が、竜の地に何の用だ?」

 いつもの自信に溢れた言葉が、囚われの虎の軍師に投げられる。
 勘助はピクリと表情を消し、顰めつらしい顔をして政宗に向き直った。

「……これは…とんだ失礼をしてしまったようでございますな。なれど、この辺りに他国の姫を拐かす小トカゲが居ると小耳に挟みましたもので」
「lizard ねぇ……まぁいい。アンタを呼んだのは、俺のhoneyが話があるって言ったもんでな」
「はにぃー?」

 とんでもないセリフを涼しい顔で言う政宗に、赤い顔を隠す意味でも軽く睨みを入れて、は小さく咳払いをして口を開いた。

「伊達家の侍女頭、と申します」

 肩書きを強調して真正面から見据えて言えば、勘助はその隻眼を大きく瞠った。
 なぜか、勘助はが伊達で虐げられているかのように思っているらしいが、以前佐助に渡した手紙と彼の報告は耳に入っているはずである。
 ならば勘助が間者として現れたことで、の立場が極度に悪くなったと慮っているのか……
 とにかく、勘助の口が疑問を紡ぐ前に、は眼力を弱めないまま言葉を継いだ。

「元はこの白石城の主・片倉小十郎様のご紹介で当家にご厄介になりましたが、今では勿体無くも侍女頭を任せていただいております。そのご当家への武田家の干渉の真意が知りたく、女の身で出しゃばってしまいました」
「ひ…姫さ……」
「山本勘助殿。武田の鬼軍師と謳われた貴方がなぜ単身で――いえ、真田忍隊と連携してここに居るのか」
「! それは……」
「他でもない、"私の意思"で知りたいのです」

 悉く言葉を封じて言い切れば、勘助は口を結んで見開いていた隻眼をゆるゆると落とした。
 感情を露にしてつっ走りすぎるきらいはあるが、信玄の知恵袋である。
 素早く状況を整理して臨機応変に対処するのは彼の得手とするところだ。

「……貴女の意思で、と申されましたな。ご実家を名乗らず伊達家に仕えるのも、わしを尋問なさるのも、貴女の意思ということですかな」
「っ……」

 流石に痛いところを突いてくる勘助に、はとっさに言葉を返せなかった。
 その隻眼が『結局は武田を捨てるのか』と雄弁にを責める。
 そうではないと言いたかったが、この状況ではそうとしか取られないだろうという矛盾も分かっていただけに反論出来ない。

 ひしと見上げてくる老軍師の隻眼との視線がぶつかったまま膠着すること数秒。
 その沈黙を破ったのは、上座からの笑い声だった。

「HAHAHAHA! 耄碌したか、軍師のオッサン! 虎姫と独眼竜が恋仲だって噂、まさか忘れたわけじゃねぇんだろ?」
「こっ…恋……!」
「仲……!?」

 驚愕したのはも勘助も同時。
 しかしはこの瞬間、いろんなものが頭からすっ飛んでいた。

「誰と誰が恋仲ですか! いい加減なことを言わないでください!!」
「Oh、つれないねぇmy-dear. まぁ惚れた男にそんな憎まれ口を叩くとこも可愛いが」
「かわっ…!? からかうのもいい加減にしてください!! これ以上ふざけてると燃やしますよ!?」
「Ha、人前だからってそう照れるこたねぇ。なぁ、アンタもそう思うだろ、山本勘助?」

 そこでようやく我に返ったは、勘助の存在を思い出してまたやってしまったと青くなった。
 頭に血が上ると周りが見えなくなるのは、全くもって困った癖である。

 政宗を見遣ればニヤニヤと楽しそうに笑っている。
 完全な確信犯だと知って本気で殺意が沸きかけたが、脱力と同時に肩の力も抜けているのを自覚した。

 政宗のことだから、きっとこれが狙いだったのだろう。
 伊達の侍女としてだけで勘助と相対しようとしたのが、最初から間違いだったのだ。
 もう何からも逃げないと誓った。
 は、伊達の侍女であり武田の末姫――それが、唯一の真理だ。
 
「……ごめんなさい、勘助。……久しぶりですね、父上や甲斐の皆は元気ですか?」
「姫様……。勿論、お館様はじめ幸村殿も随分心配しておりますぞ」
「そう………政宗様、勘助の拘束を解いても?」
「あぁ、別に構わねぇぜ?」
「ありがとうございます」

 は政宗に一礼して勘助に向き直り、片手を上げて炎の属性を使った。
 宙に現れた鬼火が勘助を縛める縄を燃やす。

「熱っ……、姫様もっとこう優しく……」
「――勘助、聞いて」

 自由になった手足を擦る勘助に、は身を乗り出した。

「前に佐助にも託した通り、私は武田も伊達も比べられないくらい大切に思ってる――それは本当ですし、いずれは武田に戻ります」

 ぴくりと、これには政宗が反応したが、は気付かないふりをして勘助から視線を外さなかった。

 そう……必ず一度は武田に帰る。
 これは、が甲斐を出奔した時に約束したことだ。
 だが、今はまだ離れられない……離れたくない。

「だからこそ、この越後への足がかりとなり得る白石に……"今"、"勘助自ら"が来た意味を知らねばなりません。私は武田と伊達に無用な血は流して欲しくないから……戦いを避けられる道もあると思うから」
「姫様、それは……我ら――お館様とて、無用な戦は好まれませぬ。此度のことも、どこやらから横槍が入らぬ限りは穏便に済むかと」
「横槍、ねぇ……まるで越後が武田のものだとでも言いたげだな、オッサン?」

 険悪になる両者の間で、はきつく拳を握った。

「明智に松永……」
「Ah?」
「力だけを求める豊臣……」
「姫様?」
「そして……自らを魔王と称する織田」

 どれも、今にも天下を飲み込まんとする勢力である。
 だが……

「これらが天下を握った時、果たしてみんなが笑って暮らせる世の中が来るんでしょうか」

 未来のことは分からないが、の中の答えは――『否』。

「天下泰平の志ある人同士が争い合って、平和を夢見る民同士が殺し合う……それってすっごくナンセンスだと…馬鹿げたことだと思います」

 ずっと思っていたことだった。
 信玄と政宗……両方の近くに居たから、二人がどれだけ民のことを考えているのか知っている。
 そういう稀有な為政者たちが同士討ちになることに、一体何の意味があるのだろう。
 そこで流される血に、何の価値があるのだろう。

 驚いたように口を噤んだ双方を見遣って、は自嘲を零した。
 にとっては至極当然の疑問でも、それはが争いの無い後の世で育ったからだろう。
 奥州や甲斐といった領国ごとの枠組ではなく、日本という一塊で見る意識が強いからだ。
 けれど、この戦国の世では違う。
 父も政宗も、当然のように天下を目指して生きてきたのだ。
 今更突然こんなことを言い出したに、呆れているに違いない。

「すみませんでした、いきなり変なことを言って。……でも、ずっと思っていたことです。誰もが、何も失いたくない筈だから……」
……」
「姫様……」

 形状しがたいものを考えあぐねているかのような二人に、は苦笑した。
 即座に否定されないだけでも救いだ。
 それに――と、一つ息をついて、は思考を戻した。
 話の腰を自ら折ってしまったようなものだが、さし当たっての問題は勘助のことである。

「――とにかく、そういう訳ですから、勘助には答えて貰います」
「は?」
「お東様は――義姫様は、どこです?」
「!」
「母上、だと?」

 正反対に顔色を変えた政宗と勘助の間で、はもう一度問い掛けた。

「義姫様に何をさせようと……いえ、何をさせたのですか?」

 出奔したというからには、既に武田との間で何かがあったということだろう。
 そう推理したの読みは当たっていたらしく、勘助は顔を強張らせた。
 だが、そう簡単に口を割るとも思っていない。
 もっと具体的に……例えば、あの毒殺の一件も政宗には分からないように持ち出すしかないかと、が口を開きかけたその時だった。

 バタバタと騒がしい足音と馬の嘶きが聞こえ、程なく黒脛巾の一人が眼前に現れる。

「火急の伝令! 越後との国境で明智軍との衝突が起きている模様!」
「何だと!? shit、成実の奴……!」
「成実様、小十郎様もすぐに出陣されるご様子ですが、今一つ……その国境付近で、お東様をお見かけしたとの報告が」
「! そんな馬鹿なっ……!」

 思わずという風に声を上げたのは、伊達の人間ではなく勘助だった。
 と政宗は同時に彼を見遣る。
 どうやら、これは彼が思っていた筋書とは違うらしいが、ならば是非ともその筋書を聞かせて貰わなければならない。
 その為には――……

「私もお供します」
「What?」

 怪訝そうに向けられた視線を、は真っ直ぐ見返した。

「越後との国境なら小田原より……どこよりもこの白石が近い。政宗様は自ら出陣されるつもりでしょう? だったら、この勘助も連れて行った方が手っ取り早いです。そして山本勘助を連れて行くなら……虎姫も居た方がきっと役に立ちますよ?」
「ひ…姫様……!」

 本当はそんなこと関係無く、政宗が行くなら付いていくつもりではいるのだが、こう言った方が反対される可能性も低い。
 果たして政宗は、実に楽しそうに喉を鳴らした。

「クッ、上等だ! 確かに武田が直接手出しして来るってのはおかしいからな……別の思惑アリってのが妥当か。――いいぜ、噂の虎姫の力、見せてみろよ! It's show time!」
「――はい!」

 武田もだが、こんなタイミングで明智軍が動くなど、偶然とは考えにくい。
 けれど、勘助の動揺ぶりから見ると、それも何か違和感があって……

(これは、一体誰の舞台なの……)

 策謀か、それとも……?
 何も分からないまま、例え舞台の上の駒の一つに過ぎなくても、がやることは一つだった。

「Go!」

 武装を固め、馬上の人となったその蒼穹を只管に追いかける。
 そして絶対に守る――ただ、それだけ。







081019
CLAP