「――仲直り、しました」
かなりの恥ずかしさを堪えながらもがそう冗談めかして報告すれば、天守の入口で待っていた喜多は目頭を押さえた。
本当に良かったこと、と言って嬉しそうに涙を滲ませるその姿に、流石の政宗もバツが悪いのか頭を掻いてそっぽを向く。
「政宗様を頼みましたよ、!」
挙句にそんなことまで言われて力強く手を握られ、更に居たたまれなくなったは苦笑いした。
手を握る際に喜多が地面に放り投げたものを改めて見て、顔が引きつらないようにするので必死だ。
小十郎のものとよく似た、大ぶりの長刀――
(本当に斬り込んで来るつもりだったんですか、喜多さん)
怖いような、脱力するような……
ふと傍らを見上げれば、政宗がそれ見たことか、と憮然としていて、も思わず破顔した。
「さあ、とにかくお二人とも今日はもうお休みなさいませ。室は整えてあります故」
「あ…あの、私まだ政宗様にお話が……」
ぐいと腕を引っ張る喜多に、は慌てて声を上げた。
自分のことを隠さずに話すと決めたのだ。だから……
「いけませぬ、! 食事も睡眠もろくに取っておらぬのですよ!」
「でも……」
「――話なら明日聞く」
俺も疲れた。
そう言って政宗はさっさと案内を従えて本丸奥に歩いていってしまった。
引きとめるわけにもいかないはそれを見送り、深々とため息をつく。
どうせなら、この勢いのまま話してしまいたい気もするが……いろんなことがありすぎて、体調が悪いというのも事実だった。
中途半端に眠ったせいか、疲労のせいか、異常に眠い。
政宗なりの気遣いでもあるのだろうと思うと諦めるしか無く、苦笑したは大人しく喜多に従った。
柔らかな光が真新しい天井を照らしている。
新緑と木の匂いがして、心地よいまどろみに拍車をかけた。
――あたたかい
ふわりと羽のような軽やかさで意識が浮上し、は緩慢に瞬きした。
……一瞬、自分がどこに居るのか分からなかった。
見知らぬ天井と周囲の気配――
そうだ、確か闇の中で過去のことを考えている内に寝付けなくなって、外に散歩に……
そこまで来て急速に意識がはっきりしたは、昨日のことを思い出した途端、跳ね起きて枕元を探った。
「……良かった」
そこには赤い髪紐があって、昨日のことが夢では無かったのだと証明していた。
眠る前に自分で外したそれを、胸元に抱き締めて息をつく。
(――来て、くれた)
政宗自ら、あんなに息を切らした格好で。
そして失くした記憶を取り戻すと……を、取り戻すと……そう、確かに言ってくれたのだ。
嬉しかった。
誓いの証のようにまたこの髪紐を付けてくれた時は、苦しいくらいに嬉しくてどうにかなってしまいそうだった。
「政宗さん……」
今はまだ呼べないその名を口の中でだけ呟いて、顔を上げる。
少し前が嘘のように、心が晴れ渡っていた。
寝所の闇にさえ怯えていたのに、夜道を疾駆した時にはそんなことにすら構っている余裕は無くて……
そして今、それほどの絶望の闇から一夜明ければ温かな光に包まれている。
「強く…ならなきゃ」
結局は、この心ひとつなのだ。
闇の中で染まってしまうのも、毅然と跳ね除けるのも、の心次第なのである。
自分に納得させるように一つ頷いて伸びをしたは、そこでようやく、とっくに日が上っていることに気付いた。
どうやら寝過してしまったらしい。
慌てて布団を片付け、身支度を整える。
最後に髪紐で髪を括る際に、侍女の時とは違って米沢のころのように高い所で一つ括りにした。
「何だか、懐かしいな……」
部屋を出ながら、ふと笑って一人ごちた。
甲斐で暮らしていた頃、が与えられていた躑躅ヶ崎館の離れも真新しい家屋で木々の匂いが濃かった。
そこから毎朝、父と弟分の鍛錬が終わった頃を見計らって母屋に向かっていたのだ。
こうやって、気合いを入れるように髪を高く結って。
そう言えば幸村は、この髪型はに良く似合っていると真っ赤な顔で力説していたこともあった。
「Hey, 何を朝っぱらから呆けてやがる」
「! 政宗様……!」
部屋を出た所で立ち止まってしまっていたは、そこで初めて相手に気付いた。
もう今にも出立できそうな格好の政宗が、廊下の先から呆れたようにこちらを見ている。
しかしその表情は、すぐに険悪なものへと変わった。
「一体誰のことを考えてたんだ? Ahh?」
「だ…誰って……」
まさかここで素直に政宗のライバルだという幸村の名を出す訳にはいかないだろう。
焦るに、政宗の眉間の皺はますます深くなる。
「まるで遠くの恋人を思い出してるような顔だったぜ、kitty?」
この俺を目の前にしてなぁ? と何やら凶悪な顔で凄まれて、思わず後ずさった。
昨日の今日で朝一番に交わす会話がこれだなんて何だか間違っている……
そもそも、政宗にはの気持ちを知られてしまっているのだ。
それに、昨夜はから――……
一瞬だけの、けれど熱いその感触が蘇ってきては顔が沸騰するかと思うほど熱くなった。
それを目ざといこの男が見逃す筈も無い。
「なぁに赤くなってんだ、チャン? Haha--nn....さては、真昼間っから如何わしいことでも思い出したか? Ah?」
目を細めて壁際へと追い詰めて来る政宗は、これ以上無いほど楽しそうだった。
は自己防衛のようにとっさに口元を隠して、そしてすぐにその失態を悟った。
「ほほぅ……口がどうかしたかい、honey?」
「ど…どうもしません! もう別に全然っ!」
「遠慮せずに見せてみな。この俺がちゃんと責任取ってやる」
「せっ…責任って……! やっ、もう本当に……無理ですから……っ!」
何が悲しくてフェロモン垂れ流しで迫ってくる想い人から涙目で逃げなければならないのだろう。
それに、一昨日の今日でこの懲りて無さといったらどうだ。
これが人に無体を働いて神妙に謝った人間のすることだろうか。
その時のことまで思い出してしまい、恥ずかしいやら頭にくるやらでもう訳が分からずに目が回りそうだったところに、何やら表の方から騒がしい声が聞こえてきてはたと動きを止めた。
政宗も気付いたらしく、何だと言って眉を潜めている。
はこの機を逃すまいと、そう言えば、と言葉を続けた。
「もう小田原に発たれるんですか?」
「ア? ああ、Yes. 早々留守にも出来ねぇ。――うるさい連中も居るしな」
うまく会話に乗って来た政宗だったが、うるさい連中?という質問には、お前も早く支度しろ。と言って答えてくれなかった。
元々、夜着と羽織というとんでもない恰好で馬を駆ってここまで来たは、今着ている小袖袴すら借り物だが、このままで帰るより他にはない。
「私はいつでもお供できます」
朝食を食いっぱぐれるが、政宗に置いて行かれる方が勘弁願いたい。
すぐにでも出られると言えば、早速出発するということになり二人で廊下を歩き始めた。
そして厩の近くまで来た所で、何やらしきりにぼやいているらしい兵たちに遭遇する。
「それがしつこいったら無ぇんだ!」
「俺も何だか知らぬ内に案内させられててよ」
こちらに気付いていない様子の彼らの会話に引っかかりを覚えたのはだけでは無かったようで、傍らの政宗がオイと声を掛けた。
「何かあったのか?」
「ひっ…筆頭! こりゃ気付かずに失礼いたしやした!」
「あぁ、んなことより何があった」
慌てて庭先に平伏した兵たちは、それぞれ顔を見合せて答えた。
「それが、先ほど怪しい坊主が来まして。鉄砲を売りに来たっつーんですよ」
「鉄砲だ?」
「そうっす。もちろんすぐに追い返そうとしたんすが、新型だからせめて試し撃ちしてみてくれって言いやして。どうにか上へ取り次いでくれって」
それでまさかのこのこ城に入れたのではあるまいな、と思ってが聞いていると、彼らは胸を張って続けた。
「そんなこと出来るか!って門前払ってやりやしたが、どうにも高性能な銃らしいんで、試し撃ちだけならって俺の上司が連れて行きやした!」
思わず眉を潜めたは、呆れたような政宗と顔を見合せて溜息をついた。
「……黒脛巾。誰か居るか」
「――は」
兵を下がらせて政宗が庭に向かって声をかければ、護衛についていた忍がすぐさま姿を現した。
こちらから言うより先に、その如何にも怪しい坊主について報告する。
「片足・片目が不自由らしい他には特に武器を隠し持っている様子はありませぬ。ただ中央の訛りが見受けられました」
「中央……ね」
この時代、五体満足で無い人間など大勢いるので、身体的特徴には不審は無かったが、訛りとなると誤魔化せない。
中央地方の間者だというので間違いないだろう。
問題は、どの勢力の差し金かということだった。
この白石は、米沢や小田原と違って伊達の本拠地でも最前線でも無く、どちらかというと安定している土地だ。敷いて言えば、越後への街道が通っているというぐらいだが……
「おもしろい。お望み通り、俺が会ってやるよ」
「筆頭、それは……」
「では、お茶をお持ちしますね」
も興味があったので、黒脛巾の静止を遮って笑顔でそう告げた。
「流石、分かってるじゃねぇか、honey!」
「は…ハニーじゃありません!」
くつくつと喉の奥で笑って歩いていく政宗を追いかけながら、はふと立ち止まって庭先を見た。
そこにはもう先ほどの忍はいない。
黒脛巾には隠蔽工作に協力してもらっていた手前、全員の素性を知っている。
の持てる全てで政宗を守る――もう、何も偽らないと決めたのだから。
淹れたてのお茶を持って廊下を進む。
思えば自分も随分とこの時代の所作が身についたものだと、は小さく苦笑した。
米沢に居た頃は荒っぽい軍卒だったので何も気にしなかったが、甲斐で『姫』生活を始めてからが大変だった。
初めの頃などそれはもう目も当てられない程で、指導についてくれた先生どころか、父や幸村にまで呆れられるような失敗もたくさんしたものだ。
女物の小袖での所作や、打ち掛けの捌き方、姿勢や作法などは、武芸にも通じるものがあったのでそれほど苦労はしなかったのだが。
ぼんやりと思い出に浸っていたは、ふと視線を感じて反射的に懐の扇子を投げていた。
右斜め上方の木をがさりと揺らしたそれが当たる直前、そこにあった気配がふっと消える。
その消え方に覚えがあって、は眉を顰めた。
(佐助と同じ……?)
しかし、佐助本人で無いことは確かだ。
いくらぼんやりしていたとはいえ、あれ程慣れ親しんだ佐助の気配を読み間違う筈が無い。
だとすれば……
「真田忍隊……」
呟いて自然と眉間の皺が大きくなった。
中央の間者――あの黒脛巾はに気遣ったのかそういう言い方をしてくれたが、それが武田である可能性は高いだろう。
今のことでほぼ決定的となったと言っても過言では無い。
例え武田だとしても、こんな北方への間者とは虎姫としての面識も無いだろうが……
佐助の情報によれば、武田は旧上杉領を取り戻すために越後への侵攻を決めたという。
そしてそこに伊達が介入することを掴んでいるのだ。
だとしたら牽制――あるいは、越後への足がかりに密かにこの白石城内で内応する者の手筈を整える為か。
何にせよ、どういう意図を持っているのかは探らねばならない。
相手も、まさか小田原に居る筈の政宗がここで出てくるとは思っていないだろう。
伊達に付くか武田に付くか――と言うよりも、下手に衝突しないようにが間に入って止められるかもしれない。
起こる筈だった戦いを回避して、その分死傷者を出さずに済めば……それこそ虎姫としてそれを成すことが出来たら、少しでも自信になる気がした。
何より、両軍それぞれに大切な人が居るのだから、にとってもそれがベストだ。
「とにかく、タイミングを間違えないようにしないと……」
政宗には、結局まだ何も話せていない。
おかしな誤解を生まないように、話を切り出すタイミングも説明の運びも慎重にしなければ。
気合を入れなおすように深呼吸して、はようやくたどり着いた部屋の前でひざを突いた。
こういう場の常識として、襖や障子は取り払われ、外側に警護の兵が数人付いている。
中には政宗と小姓、そしてもう一人の気配がするが、まずはそれらを見ないように目を伏せるのが礼儀だ。
間者にしては堂々とした気配に首を捻りつつ、侍女として普段のように声をかけた。
「お茶をお持ち致しました」
「Oh! 待ってたぜ! 入んな」
「失礼いたします」
そして初めて目を上げて、客人として遇されている僧の背中を見た。
随分薄汚れて、物乞いと大して変わらないような風体である。
「どうぞ」
「これは、忝い」
「――」
ぴくりと、が動揺するのと目の前の気配が大げさに動くのとは同時だった。
からすれば僧の声と喋り方に。
僧からすれば……恐らく、政宗が呼びかけたの名に。
「随分遅かったな、鼠でも居たか?」
「え……ええ…と、その……」
楽しそうに問われた質問に何と答えて良いか分からず、ちらりと目線を僧に向ければ、目が合った彼は露骨に湯飲みを取り落とした。
そしてこれ以上無いというほど目を見開き……武田名物の大声を上げた。
「ひっ…姫様ぁぁぁぁぁぁ!!??」
「…………勘助」
ここに佐助でも居たなら、「あちゃー…」と深く同情してくれたことだろう。
武田家の軍師にして信玄の右腕――山本勘助。
も尊敬する知恵袋ではあるが、如何せん場の空気を読むのには長けていない。
最悪のバラし方をしてくれた父の軍師に深々とため息をつき、政宗を見遣れば、驚いたように瞠っていた目線がこちらを向いた。
見詰め合うこと数秒、どうすればいいのか困り果てて苦笑いを浮かべれば、相手も笑った。
――実に凶悪な表情で。
(しっかり説明して貰おうか、"姫様"?)
そう全然笑っていない目が物語っていて、は思わずうな垂れた。
せめてもう一日遅かったら、自分で話していた後だったのに――いやそもそも勘助に遭遇することもなかったのに。
時の運に見放された虎姫は、覚悟を決めて凶悪な隻眼と向かい合ったのだった。
080923